閑話1 ≪カリンの休日 2≫
フランツィスカは意外にも準応力が高く、どちらかといえば私の方がぎこちないくらいであった。言い方が悪いかもしれないが、彼女の方が身分が低いため、普段からそちら側に近いのもあるだろう。
そしてなによりも、私の性格が事務的なのが悪い。
積極的で明るいフランツィスカは、祭りを楽しむ町娘そのものといった感じだ。
対して焦らない限り、外面上は冷静である私は、どこか冷めたような印象を与えてしまう。実のところ盛り上がっていることも多いのだが、言葉や態度で表現することがどうにも苦手で、上手くいかない。
アリアは分かってくれるのだが、どうやって汲み取ってくれているのかは、私にもよく分からない。
「凄いですね、リューネ! 見たことがないものが沢山ありますよ!」
「確かに、興味深いものばかりですね。デザインもですが、素材も珍しいものが多い気がします」
前回の武闘大会には来ることが出来なかったので、実に十年ぶりにこの光景を見たことになる。ここをきっかけに色々な文化や流行が生まれるわけだが、九割以上のものは特に脚光を浴びることなく、地元の文化に留まる。
それでも多くの商人たちは、次こそ流行るかもしれないと、自分の地元の物も売り出しに来るのだ。「売れる商品」だけではなく、「売りたい商品」も並ぶのが、武闘大会市場の特徴である。
色々なものがあるが、一番目を引くのは、「透明なグラス」であろう。
まるで氷のようなそのグラスには、歪みこそあれど、一点の曇りもなく、反対側を容易に見通せる透明さがある。金属や木材では決して作ることの出来ない其れは、実用品でありながら芸術品のようで、磨いた水晶を彷彿とさせた。
「エルネス、貴女はこの素材が何か分かりますか?」
「分からないです。というか、リューネに分からないものが私に分かるとは思えないのですが……」
「そうとは限らないから聞いたのですよ」
実のところ、王都よりも、プレヴィン辺境伯領の方が新しい文化は入ってきやすい。
プレヴィン辺境伯領はローラレンス王国のある、セントラシア大陸の東北端にあり、シルフィア大陸との貿易港を有している。そのため、国外の文化が入ってくることも多く、逆に国内の文化も集まりやすい。
勿論王都には色々な情報・文化が集まってくる。王都にいた私と、辺境伯領にいたフランツィスカが、双方知らないということは、相応に珍しいか新しいのだろう。
繁々と透明なグラスを眺めていると、店主らしき男が自慢げに話しかけてきた。
「お嬢ちゃん、そいつが気に入ったか? それはうちの地元の物でな、クラサってんだが、綺麗だろう?」
「ええ、とても美しいと思います。初めて見ました」
「まあ、あんまり量が作れねぇからな……。しかし、美しさは宝石の如くだろう。少々壊れやすいのが難点だが、金属や木材と違って味もしねぇし、実用性の方もバッチリだ」
話を聞く限り、素晴らしいものだということがわかる。既に、その美しさも相まって、欲しいと思っている自分がいるもの事実だ。
しかし、売れていないということは、余程の悪い所があるか、あるいは値段か。
「値段は金貨一枚と高額だが、それだけの価値はあると俺は思っている」
成る程、庶民なら半年から一年分の収入だ。
グラス一つにそれだけの大金を使うものは、中々いないであろう。
ただ、私には余裕で買える。
一等女官は、国家公務員の中でもトップクラスだ。父であるプレヴィン辺境伯の年金よりも多い給金を貰っている。お父様は年金以外にも収入があるので、総合年収は私の方が少ないのだが、相当な大金であることは理解できると思う。
それらを最低限の支出にしか使っていなかったため、仮に今仕事を辞めたとしても、死ぬまで庶民以上の生活を送れるだけには貯まっている。今の仕事は楽しくやりがいもあるので、止める気は全くもってないが。
店主は価値があると言いつつも、私がそれを買えるとは流石に思っていないのだろう、自慢こそすれ、本気のセールスはしてこない。
値段を聞いたフランツィスカは、とんでもないというように、一歩引いて目を丸くしている。
下級とはいえ貴族の彼女がそういう反応をするとなると、自分が如何に恵まれているかを理解できるわけだが、遠慮する理由にはならない。自分の気持ちは欲しいという方に傾いているし、恐らくだが、これは流行して値段が上がるか、入手困難になるだろう。
所詮は勘に過ぎないが、値段も手ごろとはいえないが、買って後悔する方が、買わないで後悔するよりマシだろう。
私の勘は悪くはない。
「では、一つ貰えますか?」
「は……? いや、これでいいんだよな?」
「ええ、金貨一枚だという、透明なグラスです」
「ありがとう! ありがとうよ、お嬢ちゃん!」
店主は嬉しそうに叫んだ。地元の物が売れて嬉しいのか、金貨一枚も手に入って嬉しいのか、恐らく両方だろう。
彼は透明なグラスを丁寧に布で包むと、それを綿を詰めた木箱にしまい、私に差し出してくる。包装はサ-ビスだと言い、私が差し出した金貨とそれを交換する。
「り、リューネ!? 本気なのですか!?」
買うと言ったときからフリーズしていたフランツィスカが、再起動して質問してくるが、既に購入済みなのだから冗談な訳がない。
「本気です。それよりも、エルネス、申し訳ないですが一度宿に戻りますよ。これを持ったままという訳にも行きませんから」
壊れたら困るから。
そして、実のところ、今ので手持ちの現金をほとんど使ったので、一度取りに戻る必要があるのだ。
「そうだ、店主さん。地元と言っていましたが、このクラサ……はどこの工芸品なのですか?」
「ん? 嗚呼、そういえば言ってなかったな。王国南東の、バウマイスター大公爵領の中でも特に南東にある、『クラシア』って町さ。名前の意味はそのまま『クラサを作る場所』だが、先に言った通り、量が作れないから、あまり有名になれなくってな」
「クラシア、ですね。ありがとうございます」
聞いたことがない町だった。主要な都市や特殊な文化の町はある程度知識としては知っているので、店主が言ったとおりにマイナーな町なのだろう。
大公爵閣下に直接聞けば流石に分かるだろうが、流石にそこまでの度胸はない。妥協案としても、バウマイスター大公爵領の方に知り合いはいないので、どうするべきであろうか。
名前は聞いたのだから、後で考えれば良いだろうか。
独り納得して、独りで頷く。
フランツィスカに声をかけて歩き出すと、彼女は焦ったように言った。
「リューネ、荷物は私が持ちますから!」
呼び方と話し方だけどうにかしても、行動も演技しなければ意味がないだろうと思うのだが、彼女なりのケジメの一つだろうから、強く否定はできない。それに、金貨を出した時点で充分に目立っている。
私は曖昧に笑い、彼女にクラサグラスの入った箱を手渡すと、彼女は何故か嬉しそうに笑った。
後ろで店主が「成る程……」と意を得たように呟いたが、聞かなかったことにした。
まあ、流石に察されても仕方がない。
一度宿屋に戻り、再び街にくりだした。
先程のグラスのほど興味をそそられるものは見つからなかったが、明るいフランツィスカと過ごすのは非常に楽しかった。実際は従者なのだが、まるで妹が出来たような感覚だった。弟はいても妹はいないので、それに近いかな、という予想に過ぎないのだが。
ある程度の時間がたつと、今日の分の試合は終わったのか、市を歩く人数が増えてきた。
更に時間が経過すると、空の色が青から橙へと移り変わり、そのころには夕食を求める平民で溢れていた。
「空の色、リューネの髪の色と同じですね」
不意にフランツィスカが、そんな風に形容した。
まぎれもない事実ではあったのだが、それ故になんとなく気恥ずかしくなった私は、「そうですね」と気のない返事を返し、一度空を仰いだ。
「それよりも、そろそろ帰りましょうか。義務ではないですが、行った方が良いでしょう?」
そういって、宿に足を向ける。
何に、といえば勿論、舞踏会のことだ。大会期間中毎晩開催されるこれは、義務化されてはいないが、得られるものも多いので、貴族ならば誰もが参加する。
あるものは政治を語り、あるものは文化を語り、あるものは踊り、あるものは生涯を連れ添う相手を探すのだ。当然、貴族的に。
オーケストラや給仕も貴族だが、彼らはそれをやりたくてやっている。前者は趣味で、後者は建前がないと上級貴族に近付き辛いという下級貴族が打算で、それぞれ志願してくるのである。
「はい。私もそろそろ相手を探すように、お父様から言われていますから」
フランツィスカは無邪気に笑う。
耳が痛い。そんなつもりは全くないのだが、言われると少しくる。
「エルネスでそうなら、私は既に熟成しきっていそうですね」
「え……? リューネって十代ですよね?」
「二十二歳で、夫も婚約者もいないですよ。断り続けているのが悪いのですが」
「背は高いけど、同い年くらいかと思っていました……!」
「そんなに童顔ですか?」
「雰囲気は大人っぽいですが、外見は若く見えますよ」
そんな事を言われたのは初めてだった。
普段から身だしなみこそ気にするが、外見のことを話すことは全くなかったのもある。
実を言うと、私は純血の人間ではない。それ自体は他大陸との貿易港を持つ以上珍しくはない。とはいえ、かなり薄まっているので、ほぼ完全に人間であったはずなのだが、若く見えるということはそういうことの可能性がある。
先祖返りだとすれば、私自身の優秀さも否定されるかもしれない。
シルフィア大陸北部に住む妖精は、人間よりも優秀だ。寿命が長く、外見が若く美しい。剣も、弓も、魔術も人間に勝り、鍛冶の腕すらが上である。唯一、繁殖能力だけが劣るが、それは種族的強さ故である。
思わず、今まで意識したことのない、自分の耳に触れる。僅かに、尖っていた。
「――っ」
「リューネ?」
フランツィスカが怪訝そうな顔をする。
そうか、私は、取り乱したのか。私らしくない、落ち着け、落ち着け。
深く息を吸い込み、鼓動を抑える。
取り繕うための、公務の顔を貼り付ける。
少し、落ち着いた。
冷静に考えよう。
仮に本当にそうだとして、私の評価は落ちるだろうか。否、落ちない。
仮に本当にそうだとして、私自身は変わるのだろうか。否、変わらない。
私は、私だ。
血筋があって、教育があって、生活環境があって――そうして私があるのだ。「私」単体では決して、「ローラレンス王国一等女官・従五位辺境伯家第二女カリン・リューネ・フォン・プレヴィン」になることはない。
「大丈夫です――私は、私ですから」
「え、あ、はい。リューネはリューネですよ」
不思議そうな顔をされた。ごく短い時間に、これだけ極端に、一喜一憂していたのだから当然だろう。
弁解することはない。人に話したいことではないし、私はまた曖昧な笑みを浮かべるだけに留めた。
そうしているうちに宿に着いて、フランツィスカと一旦別れた。
彼女は私の着替えを手伝おうとしたが、自力でも着替えられるので断った。それに、彼女自身の着替えもあるだろうから。
上下ツーピースの大衆服を脱ぎ、クローゼットから取り出した蒼いドレスを取り出す。
コルセットは最低限しか絞めずに、自力で出来る範囲でやる。それで十分にプロポーションは保てる。
ドレスを着て、空いている背中の紐を締める。コツを掴めば簡単だ。
着替えはかなり早いと自負がある。
フランツィスカに手伝ってもらえばもっと早いかもしれないが、その分の時間で並行して着替えた方が、最終的にはより早いだろう。
自分の部屋から出て待つと、然程の時間を空けずにフランツィスカも出てきた。
やはり身分の差で私の物よりは質で劣るが、十分に可愛らしく、何よりも彼女に似合うドレスだった。
「どうでしょうか?」
彼女は私の前で一回転して、はにかみながら首をかしげる。
「良く似合っていますよ、フランツィスカ」
「ありがとうございます! カリン様も凄く綺麗です!」
こちらの意図を察して、彼女も私への呼称を改めた。やはり、この子は最初の焦ったような印象に反して、かなり賢い。しかし、明るい性格も焦ったような前のめりさも、彼女の本質ではあるのだろう。
私も軽く礼を返し、微笑むと、彼女もまた笑った。
流石にドレスで街を歩くわけにはいかないので、宿の使用人に頼んで馬車を出してもらう。
コロシアムから直接向かう人が多いので、この宿の馬車を使うのは私たちだけだった。
大会前日の舞踏会以外は、入場順などに気をつかう必要はない。入りたいときに入り、出たいときに出ればいいのだ。大半の貴族がほぼ最初からほぼ最後までいるが。
そして、踊ったり食べたりしながら、せまってくる男を退けつつ舞踏会を過ごした。
以上が、私の休日一日目である。
仕事をするのも楽しいが、休むのもまた楽しいものだと思えた。