大会前日 2
オレンジ色の世界で美しく照らされるのは、何も人間だけではない。
西からの光を受けて輝くは、いつも見ている王都とは違う街。
闘技場――領主ではなく、王国から直接派遣された知事が治める、特殊な街の一つである。
それはもう目前に迫っていて、後は特に何事もなく街までついた。
平民たちは検問で並んでいるが、我々は顔パスならぬ馬車パスだ。馬車に彫り込まれたローラレンス家の家紋を見るや否や、モーセもびっくりの速度で人の波が割れ、それぞれの身分の最敬礼を示す。
大名行列ってこんな気分なんだな。
この街は中心に、城ではなくコロシアムがある。
コロシアムのすぐ隣に役所がある。
あとは、コロシアムに近い程、値段の高い宿泊施設や飲食店がある。
所謂「住宅街」のようなものは存在せず、店の一室を住居にしているものや、普段は別の場所で仕事をしている者が大半だ。
まず俺たちは、コロシアムのすぐ近くにある、貴族用の宿泊施設の中でも最も格式高い所に向かった。
そして、荷物だけおいて、大講堂のある建物に向かった。
国中の貴族が集まれるだけの大講堂ともなると、実のところ、とてつもない大きさが必要だ。コロシアムと並んでいるから小さく見えるが、ちょっとした砦くらいの大きさが必要だ。
そんな条件を満たす建物は、ここには役所しか存在しない。
役所で舞踏会というと、現代の感覚では違和感があるかもしれないが、よく考えてほしい。
王城だって舞踏会はするのである。
ちなみに、日本の国会議事堂にも踊るためのスペースが存在する。今となっては使われていない施設で、国会議員すら立ち入り禁止であるが、昔は多くのお偉いさんが躍ったのである。
日本の話はさておき。
役所のエントランスは分かりやすく役所といった風貌だが、巨大な玄関扉から奥にある巨大な扉まで、金の刺繍が施された豪華な赤い絨毯がひかれている。
その中央をアルトリウスが堂々と歩く。三歩後ろをリリアが、更に数歩後ろを俺とハインツ兄様が歩く。
扉は閉まっていて、その目の前でアルトリウスが立ち止まると、扉わきに立っていた男が扉をノックする。回数は一回。
すると、オーケストラの演奏が始まり、誰かが叫ぶ。
「アルトリウス陛下以下、ローラレンス王爵家がお見えになられる!」
壮大な音楽と盛大な拍手に包まれて重厚な扉が、左右二人ずつの屈強な男たちによって開かれる。
やはり王爵家ということもあってか、重役出勤よろしく最後の入場であったようだ。
まあ、国という企業の社長といっても過言ではないかもしれない。特にこのローラレンス王国は、国の金庫と王爵家の金庫が別になっているのだから。
大講堂に居る貴族は、一言で「貴族」といっても多種多様で、如何にも貴族然とした偉そうな人から、農家のおじさんが一張羅を羽織ってきたような人までいる。
国王である王爵家から、村長程度である騎士爵家までここには居るのだから、当然といえば当然か。
アルトリウスが進むと、まるでモーセの伝説の海が如く人波が割れて、上座への道が出来る。
そこには既に何人もの人がいる。
大公爵家の人たちだ。彼らは全員、側室もいるので、女性や子供の割合が多い。
一応言っておくが、リリア一人しか妻がいないアルトリウスが異常なのだ。
「リーデンハルト、久しいな! 義父上とロマーナ卿も元気そうでなによりです」
アルトリウスが大公爵家の当主たちと挨拶を交わす。口調が軽いものであったり丁寧な物であったりするのは、王爵家と大公爵家の格差が然程ないことを表している。
リーデンハルトはユグドーラ大公爵――レイナの父親――のファーストネームで、彼はアルトリウスと同い年の友人だ。
義父上と呼ばれたのはバウマイスター大公爵で、お察しの通り、リリアの父親でもある。
ロマーナ大公爵は関係が薄めではあるが、それでも他の家よりはずっと親密で、アルトリウスにとっては伯父のような存在であるらしい。
王爵家と大公爵家の関係は、主従関係ではなく、絶対的な信頼による同盟関係と言った方が近い。
その信頼はローラレンス王国の始祖四人が、「勇者一行」であったときにまで遡るのだが、長いので今話すのは避けよう。
当主たちが挨拶を交わす裏で、俺はユグドーラ家の中の、一人の少女とアイコンタクトを取る。
――じゃあ、始まったら合流な。
――分かりました。
アルトリウスが給仕から、透明な酒が入ったグラスを受け取る。
それをきっかけに、大人は酒の、子供は水の入ったグラスを次々に受け取ってゆく。騎士爵家の者まで全員が受け取ったのを確認してから、王爵家当主が口上を述べる。
「それでは、明日からの武闘大会を楽しもう。そして、我々貴族は親睦を深めようではないか」
一拍置いて、
「では、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
暫しのざわめきがあった後、壮大で優雅な、オーケストラの演奏が始まった。
俺は前からの約束と、直前のアイコンタクトの通り、レイナと二人で踊った。
案の定、皆の注目を浴びて恥ずかしかったが、踊り自体はカリン達に習ったことを活かして上手くいったし、そして何よりも楽しかった。
今は、舞踏会といっても踊りだけではなく、食べ物や飲み物も用意されているので、それを食べている。
場所こそ違うものの、いつもと同じようにレイナと二人で遊んでいる状況な訳だが、だからこそ楽しくないわけがない。
しかし、俺には少しばかり不満がある。
俺は、王子であるというのに、今のところモテていない。
地位も金も美貌も兼ね備えているのに、俺はモテない。
ハインツ兄様は人垣に埋もれて見えないほどだというのに。
いくらなんでもモテすぎだろう。
格差社会を感じた――ヒエラルキーのトップに居るはずなのに、敗北を。
そうだよな、俺、下位互換だものな。しかもコブ付きだものな。
大公爵令嬢であり、「聖女」であるレイナに勝ることなど実質不可能なので、俺に運よく気に入られたとしても側室に甘んじることになるわけだ。
しかし、ハインツ兄様は完全フリーなうえに、王位継承権も上と来ている。
勝てるわけがない。
勝てる要素がない。
当たり前だ。
だから、羨ましくなんかない。
羨ましくなんか……いや、これは羨ましいわ、流石に。
ハインツ兄様に言ったら、
『レイナ嬢に純粋に愛されているヴァイスの方が羨ましいよ』
と笑顔で言ってくれるだろうが、これは尊厳の問題であると思う。
あそこまでは勘弁だけど、少しくらい妥協する女性がいても良いではないか。
王爵家でなくても、いっそのこと平民であっても、ハインツ兄様ならあの状態になりそうであるが。
オーラレベルでイケメンだからな。
しかし、何事にも例外はいるらしい。
「貴方が『神童』? 大したことなさそうね!」
俺のことを指さして、そう言う少女がいた。
乳白色の肌と白金色の髪、特徴的な赤い瞳――アルビノの少女である。
顔立ちはかなり整っていて、左手を腰に添え、しなやかな右手の指先を俺に向けて突き付ける。距離があるため危なくはないが、行儀が良いとは言えない。
「……ヴァイス様への侮辱は許しませんよ」
俺が少女に回答を投げるよりも先に、レイナがまるで自分が馬鹿にされたかのような怒気を放ちながら、俺と少女の間に立ちふさがる。
こんなにも思ってくれると思うと胸が熱くなるが、今は必要な時ではない。むしろ、一生必要にさせないのが甲斐性ってものかもしれないな。
「レイナ、いいから」
彼女の肩を掴んで下がらせる。怒気は治めなかったものの、大人しく下がってくれた。
「それで、君は、誰だ?」
静かに、ゆっくりと、主導権を手繰り寄せながら問いかける。
「私? 私は、」
少女は形の良い唇を三日月に歪めて、高々と宣言した。
「『才媛』アネモネ。
従七位子爵家第三女アネモネ・レーア・フォン・ユーベルヴェークよ!」