祭りの気配 2
その後、悔しくて、もう一回だ、と戦った結果カリンに勝利し、決着をつけるために将棋の三局目をしていた時、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
入ってよいと許可を出すと、美しいプラチナブロンドの髪を持つ少女が目に入った。彼女は流麗な動作で一礼すると、子供らしい無邪気な笑顔を見せる。
「ヴァイス様、今はお時間大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。授業の時間以外なら、レイナが来たのを拒否する理由がない」
肯定すると彼女は笑みを深めた。その表情に、思わず心拍数が上がる。
なんというか、まだ七歳なのに凄く美人になったと思う。小ささによる可愛さだけでなく、少女としての魅力が確かに存在するのだ。女性らしい膨らみやくびれこそないが、バランスのとれた四肢は芸術品の如く、端正な顔立ちや雪のような肌は天使の如くだ。
「聖女」なんて称号に相応しいその外見に、年齢の割に人一倍聡く優しいその内面。あの日あげたネックレスはいつも付けてくれていて、それが愛おしくてたまらない。
そう、彼女は俺の婚約者である。
もはや噂などではなく、両家の当主公認の、正式な婚約者なのだ。
手招きするとレイナの後ろから、アリア、ミハイル、ウォルフガングも入って来た。アリアはいて当然としても、近衛兵は暇なのだろうか。出掛けるわけではないから、彼らが来る理由はないのだが。
何故だか分からないけれど、アリアが興奮した様子でミハイルの腕を叩いているのだが。ミハイル、良く分からないけど、良い雰囲気なのだろう、責任もって何とかしろよ。
なんでこっち見るんだよ。
座るようにうながすと、皆椅子に座った。
最初の時点では、三人掛けのソファの真ん中に俺が座り、対面のソファにはカリンが座っていた。レイナは俺のすぐ左側に腰掛けた。他三人は椅子を持ってきてそれに座った。アリアとミハイルが俺から見て右側に、ウォルフガングが俺から見て左側だ。
アリアとミハイルの距離が異様に近いのだが、こいつらは隠す気がないのだろうか。確かに、アリアは恋愛小説に憧れているような印象があったが、実際の貴族社会は恋愛などご法度である。アリアはともかく、ミハイルがそれを知らないはずはないのだが。
俺個人としては否定するつもりはない。応援しよう。
しかし、流石に目の前でやられるとなんとなく癪だな。対抗心が沸き上がってきた。
「最近寒いよな」
レイナのことを抱き寄せる。婚約者だから問題ない。
「きゃっ! ヴァ、ヴァイス様!?」
「嫌だった?」
「嫌じゃ、ないですけど……」
彼女は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。そんなことも可愛くて、さらに抱き寄せて頭を撫でる。これくらいの子だと頭を撫でられるのが好きだからな、レイナは嬉しそうに笑う声が聞こえた。表情はいまだに伏せられて見えないけれども。
しばらくいちゃついて、彼女が顔を上げた時の表情を見た時には、絶対に離したくないと本気で思った。
俺を正気に戻したのは、冷静な二人の声だった。
「ミハイル達だけでも糖分過多なんだが……」
「殿下は無意識であれをやってますからね。あ、タンポポ茶飲みますか?」
無意識でやっている、と言われると耳が痛い。
俺は特段女たらしというような事実はない。けれども、レイナに対しては例外なのだ。
気が付いたら本気で惚れていたというのが一つ目。だが妹のような感覚も抜けきれないというのが二つ目。その二つの要因によって、レイナに対しては躊躇いなく恥ずかしい台詞を言えるのだ。
「ああ、くれるとありがたい」
「では淹れてきますね」
「本当にタンポポ茶飲むのな……」
一時的にせよ自覚した恥ずかしさから、顔を赤らめた俺が口にすることが出来たのは、そんなくだらないことだった。
カリンがカップを二つ持ってきて茶を注ぐ。一つはウォルフガングの分で、もう一つは自分の分らしい。
二人はカップに口を付けてそれを飲んだ。
「良い苦みだな」
「お粗末様です」
「えっと、その、ごめん……」
タンポポ茶――代用コーヒーなんて言った方が分かりやすいかもしれない。コーヒーの代わりに飲まれたこともあるが、その源流は全く別のものであって、一つの飲料として確立されていたものだ。
味はコーヒーには似ても似つかないが、雰囲気だけは楽しむことが出来る。この国でコーヒー豆は見つけられていないが、タンポポらしきものはあったので、俺が作らせた。好んで飲みたいものではなかったのだけれど、一部で流行っているとの噂だ。
紅茶飲んだ方が美味しいと思うんだけど、人の好みまで口出ししようとは思わない。健康には良いらしいしな。
そういえば、同じく健康にいいものなら、緑茶や烏龍茶の方が美味しいし、素材も紅茶と同じだから簡単だったのに失念していた。今度作ろう。
カリンは顔をしかめているので渾身の皮肉だった可能性が高いが、ウォルフガングは純粋に飲みたかったのかもしれない。代用コーヒー好きなのかお前。
「そういえば、何の話をしていたのですか?」
俺が戻ってくると同じくして戻ってきたアリアが、思い出したかのようにそう言った。思い出したかのようというか、実際に二人の世界に突入して居たっぽいから、完全に忘却されていただろうな。
特大ブーメランだけど、重要な案件でもないので気にしない。鋼の心で。
「ああ、武闘大会が近いって。それに舞踏会もやるとさ」
「言われてみれば今年はそうでしたね。今回は両方とも楽しめそうです」
「ああ、俺も今回は両方楽しみだな」
アリアとミハイルが見つめ合って笑う。そりゃあ、君たちは楽しいでしょうね。
あ、でも、俺もこれを使えるのではないだろうか。舞踏会といえばそもそも踊りが面倒なのだけど、それは置いておいて、色々な人が下心で踊りに誘ってくるのが面倒だと思っていたのだ。けれども、もしかして、レイナと踊っていれば許されるのではなかろうか。
一縷の希望が見えた気がする。
貴族社会に利用されたくないからな。
レイナに関しては個人的に好きなので、色々と付随してくるものも甘んじて受け入れるつもりだ。勿論、全部を両腕広げてウェルカムとはいかないけれど。
でもあまり心配はしていない。大公爵家は立場で言えば王爵家に非常に近く、無理に力を付ける必要はない上に、他の国の王族と違って無理に関係を構築する必要もない。むしろ、他の貴族に余計な力を付けさせないための措置ですら有り得る。
俺も、アリアを見つめるミハイルよろしく、レイナを見つめて笑う。
「レイナ、舞踏会では俺と踊ってくれるか?」
「是非! 喜んで!」
笑顔がまぶしかった。
武闘大会だけでなく、舞踏会までもが待ち遠しくなった。
こんな俺たちとミハイル達を見て、カリンとウォルフガング、冷静で真面目な二人がため息をついたのは言うまでもないだろう。