祭りの気配 1
第二章開幕です。
月日は流れ、俺は七歳となった。なったといっても誕生日はとっくの昔で、四捨五入すればギリギリ八歳といったところだ。
誘拐事件以降、特筆するような事件もイベントもなく、日々楽しく過ごしている。
いつの間にかアリアとミハイルが良い雰囲気になっていたりしたが、それくらいのものだ。
いや、そんな軽いノリで流したわけではない。本当に唐突に判明したので、最上級の驚きであった。
いくら恋愛小説に憧れているアリアとはいえ、本当にそうなるとは――それも俺も知っている人とだ――予想していなかった。だって二人とも貴族だからな。何気に家の格は釣り合っているけれども。
俺自身には何も起きていない。
本当は、五歳の誕生日から、家庭教師を雇う予定だった。英才教育を施すことはこういう身分なら普遍的なことであったし、俺としても新しいことを知れるのではないかと内心ワクワクしていた。
けれども、それはなくなった。
家庭教師の人たちが来た最初の日、彼らは俺の現在の力を確かめると言って、それぞれ問題を出してきた。簡単なものは小学校一年レベルで、難しいものは小学校六年レベルだった。
俺はそれを解いた。ケアレスミスはあったが、九割以上を正解した。
家庭教師たち曰く、「殿下に教える自信がありません」と。
全員、次の日にはいなくなっていた。
手付金すら貰うことなく、去っていった。
王都内にある王立図書館で複数の学者が目撃されたそうだが、学者ならば図書館にもいるだろう、関係ないと思いたい。
そんなわけで、日本で習うような内容は免除された。
残りは礼儀作法、剣術、帝王学だ。
礼儀作法の先生は辞めていなかった。家庭教師ではないからな。
それは誰か。
カリン・リューネ・フォン・プレヴィン先生だ。そう、彼女は侍女ではなく女官である。エリートなのだ。
「カリン先生!」
「殿下、猫をかぶっても授業は普通に受けて貰いますよ」
冷静に返された。そう、最近色々と砕けた感じになってきていたが、このクールさこそカリンの本質的な持ち味だと思う。有能な女官だ。
剣術は近衛兵の人たちが教えてくれた。
毎日先生が変わるのは、型を覚える上ではよろしくないが、実践的ではあると思う。この国では貴族であっても、実践的な剣術が好ましいとされているので、それでこういった形になったのだと思う。
教えてくれる近衛兵は、ご存知ミハイルとウォルフガングも含めて、全員エリートである。
「師匠!」
「ハハハ、『神童』の師匠とは光栄です!」
反応は様々だったが、態度こそ融和になれど、太刀筋は全く衰えなかった。プロって凄いと思いました。
帝王学はなんと、アルトリウスが直々に教えてくれた。個人レッスンではなく、ハインツ兄様と一緒に教わっている。
内容としては所謂、リーダーシップ論と経営術を合わせたようなものだ。
前世では一年と一学期の間、経済学を学んでいた俺は、そういったアプローチから理解を試みた。多少は理解納得出来たが、経営学にすればよかったと、ないものねだりをした。来世の予想などつくはずもないのに。
「父上!」
「おう、なんだヴァイス? 質問か?」
当然ながら普通に返された。
礼儀作法と剣術は毎日、帝王学は十日に一度習いながら、残りの時間は自由に生きている。なんの勉強もなかった二年間も含め、有意義な四年間を過ごしていた。
以外に娯楽も多く、風呂にも入れるので生活面での文句は一切ない。
実験的なことであれば、「黒色火薬」の開発に成功した。文明レベルから考えれば既に存在しているのが自然であったが、万能な魔術があるが故に、存在していなかったのだ。少なくとも、普及はしていない。
主な材料である「木炭」「硫黄」「硝石」は意外にも簡単に入手できた。
「木炭」は木を燃やした。当たり前だな。
「硫黄」は俺が魔術で作った。だから現在は量産不可能だが、国内に温泉地があるらしいので、産出に期待できる。
「硝石」は糞尿が浸透した家畜小屋からとることが出来た。本当は「硝石丘法」の実験をしたかったのだが、素人考えでやると衛生面が問題になりそうなので、王都の外に自由に行けるようになってからにしようと思う。成人するまでは無理そうだな。
これを作っていることはバレているが、製法は極秘にしてある。
もっとも、安定して作れるレベルには至っていないが、実験の上では成功しているのだ。
後は幾つかの玩具や、飲食関係の物を自作したくらいだ。
有名なボードゲームについては、チェスではなく将棋を作った。何故チェスじゃないかと問われれば、チェスのル-ルが分からないからだと答えよう。将棋なら分かる。
黒色火薬の作り方は興味があるから調べて知っていたけど、チェスは触れる機会がなかったんだよ。知識が偏ってるとか言うな。人間そんなものだろう。
◆
そんなある日のこと、礼儀作法の授業が終わった後、カリンと将棋を指していると、窓の外を眺めて彼女はふいに口を開いた。
「そういえば、今年は武闘大会の年ですね」
武闘大会とは何だろうか。聞いたことがない。
「五年に一度の国を挙げてのお祭りです。前回の時、殿下はまだ入人式前でしたから、知らなくとも致し方ないかと。
文字通り、武を競う大会です。優勝者には賞金が出ますし、そうでなくとも輝くものがあれば、王国軍兵士や、貴族の私兵になることが出来ます。冒険者や傭兵といった不安定な職の者にすればチャンスですし、貴族の子弟にとっては実力試しの絶好の機会です。ここの戦績は名誉に成りえますから」
すると、その祭りに行かないで俺たちの世話をしてくれたのか。カリン達も行きたかっただろうに。
「ありがとう」
「どういたしまして」
どこまで理解してか分からないが、カリンは優しく微笑んだ。
「こちらこそありがとうございます」
「え?」
「これで、詰みですね」
俺の王将の退路を塞ぎながら、カリンは、優しく微笑んだ。
俺の優しい気持ちを返せ。タイミング考えろ。
今の季節は冬。
温かい気持ちになっていたところを、外気にさらされたような錯覚を覚えた。
勿論それは比喩だが、肉体は普通に寒い。
武闘大会は、春に、王都から馬車で一日ほど走ったところにある、「闘技場」という町で行われる。
闘技場は特定の貴族が治める町ではなく、国から選ばれた文官が、大会の終了を区切りに五年ごとに治める、ある種の特区だ。「ローラレンス王国直轄領」である。
一応補足しておくと、「ローラレンス王爵領」と「ローラレンス王国直轄領」は全く別のものである。
前者はローラレンス王爵の治める土地であり、王都もこれに当たる。
後者は特定貴族が治めることはない、全王国民共有の領土だ。この地域の税収は100パーセント王国の資本となり、貴族のポケットに収まることはない。
闘技場が直轄地である理由は、その莫大な経済効果から生じる揉め事を防ぐためである。
そうでなくとも王都のお膝元であるために、交通の便が良く、様々な物の需要が高い。常駐している商人が居るレベルだ。
ちなみに、農地には向いていない。
さて、この闘技場だが、何もコロシアムだけが存在するわけではない。宿屋があるのは当然のことだが、コロシアムと同規模の設備として、社交場と市場が存在している。
武闘大会は国中の人が集まる珍しい機会だ。
そこで、貴族たちは武闘大会の期間中、毎晩のように舞踏会を開く。
同じく、商人たちは武闘大会の期間中、毎朝のように朝市を開く。
色々と考えられているわけだ。この武闘大会のおかげでローラレンス王国が文化的にも政治的にも大きく転換するのは、五年毎であると言われている。
しかし、武闘大会で舞踏会もするのか。
ダジャレかよ。元日本人の俺にしか分からないけどさ。
「舞踏会は正直面倒くさそうだが、武闘大会は楽しそうだな」
「おや、殿下、好戦的ですね?」
「最近の貴女の態度の方が好戦的だと思うよ、お嬢さん?」
なんで出場者サイドに行かなければならないんだよ。
個人的には、カリンの方が年上なのだから、タメ口でも構わないと思っている。だけど俺たちは貴族だからな、建前は大事だ。
あくまでも俺は「殿下」でなければならない。
しかし、昔はクールな美人だったのに、いつからこうなったのだろうか。仲良くなった証だと思えば悪くないが、純粋に疑問である。
思えば、四年前には既に鱗片が見えていた気がするけれども。
「それだけ言えるなら舞踏会も問題なさそうですね」
カリンは意味深に口角を上げた。
軽く腹が立つけれど、美人って特だよな、強く文句を言う気にはなれなかった。
しかし、問題ない、か。
恐らくだけど、立場的に考えて、俺はモテるんだろうと思う。
自慢ではない。
だって、俺が評価されているのではなく、俺の地位が評価されているだけだし。
それに付け加えるならば、羨ましくもないと思う。可愛い子と話すことが出来るのは楽しいだろうが、それ以上に胃に負担がかかると言うことが、容易く予想できるのだ。
ここで(年齢を考慮したとしても)俺よりイケメンで優しい、ハインツ兄様の逸言を紹介しよう。
『貴族のご婦人は猫をかぶるのが上手くてね?』
あのハインツ兄様ですらそう言うのだ。
後はお察しである。
現代日本の感覚で「モテる」という言葉を解釈してはいけない。恋愛は否定されて、親の言葉に従うのが正解なのだから、恋愛脳では痛い目を見ること間違いなしである。
やっぱり舞踏会は面倒くさそうじゃないか。