実戦で示すのみ 4
三歳児相応の――或いは互いにませているから五歳児相当か――プラトニックな愛情を育むのはやぶさかではないが、こんな危険と隣り合わせな環境から脱却するのが先であろう。
なんだかんだで雰囲気で手を回した以上は文句など言える立場ではないが、それとこれとはまた別の問題だ。心理と現状は一致しない。
レイナとの密着状態を解除した俺は、今度は扉や床との密着状態に移行した。なんだかんだで隙間だらけな、扉の下にある隙間を覗き込んで情報を得んとしたのだ。
これは中々の成果だった。敵情の把握が出来た。
確認できる敵は男が三人。他にいないとは断定できないが、レイナを捕まえた者、俺を捕まえた者、俺を気絶させた者と考えると、暫定的だが人数は一致する。
そのうち二人は机に腰掛けて、なんらかのカードゲームをして遊んでいる。
残りの一人は、建物自体の入り口と思わしき、扉近くの壁にもたれかかっている。扉を僅かばかり開いて外の様子を覗っているあたり、見張りの当番とかそんな感じだろう。
見張りの男が開いたとき分かったのだが、玄関扉は外開きだ――体当たりで無理矢理開けることが出来る可能性が向上したと言えるだろう。
更に、彼の発言を聞き取ることが出来た。曰く、「兵士が今まで以上に出ている」と。
「レイナ、聞いたか?」
「聞こえました。兵士が出ているって」
どうやら聞き間違いではないようだ。耳がくすぐったくなるような小声でレイナと話し合い、情報に確信を得る。
ならばもう、やるしかないだろう。
俺の表情は、失敗できない緊張と、冒険できる高揚感で、曖昧な笑みを湛えていた。
恐怖もあったが、このままでいる方が危ないと、俺の直感がそう告げていたから。
俺は「神童」だと言われているが、所詮は前世の知識を持つだけの凡人だ。
現代日本の義務教育を受けている時点で、この世界では「秀才」には該当するであろうが、間違っても「天才」になることは出来ない。更にへりくだるならば、日本の平和と法律に馴染んでいる分、平和ボケした覚悟の足りない人間ですらある。
魔術の面でも俺は平凡だ。前世で蓄えたイメージが大量にある分、魔術を小賢しく応用することには長けている。アルミニウムを知っていたおかげで、生成・拡散・着火の三段階に分けて魔術を使う必要こそあるが、高威力な粉塵爆発を操れる。
それだけだ。
俺にあるのは「知識」と「経験」だけだ。
十分と思うかもしれないが、こと魔術は「才能」に依存するのだ。生活魔術とも言い換えられる上級魔術までは誰でも使えると言われているが、使える回数は魔力の多さ――つまるところは才能に依存する。
今日は無意識なものを含めると、魔術を使いまくっている。通常魔術で使う、所謂余剰魔力は、粉塵爆発一回分しか残っていないだろう。無意識の身体強化等に使われる、所謂生体魔力は、使ったら倒れてしまうためないものと考えるしかない。むしろ、その無意識の身体強化が最大限力を発揮しないと困るのだから、まさに余剰させるのが望ましい。
アルミニウムの粉を生成して手のひらに握りしめる。後は、風と火を一回ずつ起こすだけだ。
「準備は良いか」
「はい、ヴァイス様」
レイナは首にかけた、俺があげたネックレスを握りしめる。僅かに震えていて、しかし力強く。――信頼してくれているのだろう。応えなければ漢じゃないな。もっとも、応えれなければ死ぬか売られるかだけどさ。
俺も覚悟を決めよう。
失敗して死んだり傷ついたりする覚悟ではない。
人を傷つける覚悟を、だ。
悪人とはいえ、粉塵爆発(といっても想像するようなものではなく、激しい燃焼程度ではあるが)を浴びせかけるのだ。死ぬまではなくとも、大怪我は避けられないだろう。
でも、そんなやつよりも自分とレイナだ。確固たる優先順位の差がある。
兵が多くいるそうだから、勝利条件は建物からの脱出。
敗北条件は俺かレイナが捕まることだ。
一回勝負で、やり直しもまったもない。
「一、二の、三……の三で飛び出すぞ。良いな?」
「うん」
深呼吸を一つして、小さな声でカウントをする。
「一、二の、三!」
鍵なんて上等なものはついていない扉を普通に開けて、全力で飛び出す。
完全な不意打ちに成功した。
無詠唱で風属性魔術を使って、アルミニウム粉を飛ばす。直後火属性魔術の為に魔力を動かし、丁度良く広がったころに火種を作り出す。
粉塵爆発が起きた。
轟と激しく炎が上がり、玄関扉付近にいた男に直撃した。風上でなければこちらも熱で無事ではすまなかったかもしれない。
「な! ぐ、熱ッ……嗚呼あぁぁああ!?」
男が既に火傷したことは間違いないだろう。それに加えて、燃えやすい素材だったのか服に燃え移り、更にもだえ苦しむ。粉塵爆発自体は一瞬で終了したが、炎は残っているため、こちらとしても安全とは言えない。
当然あった可能性なのだが、僥倖であった。
見張り役の男を痛みで動けなくするのが目的で、燃え移ることは想定していなかったのだ。
道はそこしかない。
「突っ込め!」
叫びはレイナに伝えることもだが、自分を鼓舞する意味もあった。
決死で突き進む。
ドーパミンがボトルをひっくり返したようにドプドプ溢れ、高揚感に駆られる。燃える男を踏みしめても熱さを感じない。
レイナがどうしているか確認できていないが、それは信頼している。手をつなぐのは走りにくいから愚行だ。
ドアノブに飛びついて、勢いのままに扉を開ける。
ドアノブに捕まったまま体をひねり、扉を背にするように向きを変える。その際建物の中が見えたのだが、レイナは信頼に応えてくれた。しかし、燃えていない二人の男たちも動き出していた。
レイナが外に出るのをコンマ数秒待って、扉を蹴って再び走り出す。過剰に開いた扉が、ミシリと軋んだ。
レイナと並走する。
先に走り出した俺の方が僅かに速かった。
明るい道は目測数メートル。
男たちは体格的に俺たちより速い。
でも大丈夫、間に合うだろう。
根拠のない確信があった。
「嗚呼アアアアアアア!」
雄叫びをあげる。最後の力を振り絞る。
日向の土を踏みしめる。
よく知っている顔が複数あった。
勝利を確信した。
勢いを殺しつつ数歩進んで、何となく後ろを見ようと振り向く。
そのまま走っていたレイナがよろめいて、俺は押し倒される形になる。
頭だけは打たないように、中学や高校でやった柔道の受け身を、手だけで実行する。少女が胸元に収まっているため、脚を上げることは出来なかったが、子供の体は軽いので充分だ。
背中は少しばかり痛いが、それは我慢しよう。
レイナの背中に手を回し、強めに抱きしめる。
影が二つ通り過ぎ、二つ俺たちの近くにやってくる。
通り過ぎた影から剣が閃き、鮮血が舞った。先程聞いたものよりも、数段悲痛な叫びが響く。
転んで、空を見ていて良かったと思う。
事実の断片しか確認できず、残酷なものを直接見ないで済んだのだから。
ましてや、レイナには断片すら見せずに済んだのは僥倖だ。
とはいえ平和に呑まれて合計二十三年、断片だけでも恐怖を感じてしまう。
レイナのこと抱きしめる力が強くなり、しかし、彼女も俺の胸元を掴んで震えている。
「殿下、流石です」
「殿下、お嬢様、無事ですか!?」
近づいてきた影が発した言葉には、温かみがこもっていた。
片方は若干納得いかないが。
「俺もレイナも怪我はない。しかし、流石ってなんだ流石って」
結構ギリギリで命懸けだったんだぞ。三歳児がやって良いことじゃない。
「信頼していたのですよ、殿下」
そういって差し出されたカリンの手を受け入れる。
引っ張ってもらって身を起こし、レイナを立たせてから、自分も立ち上がる。服についた砂を掃い、改めて状況を確認する。
今いる場所は細い通りだが、日の当たる場所だ。
直ぐ近くにいるのは、レイナ、カリン、アリアの三人。
レイナはアリアに抱きしめられていて、アリアは泣き笑いを浮かべている。カリンは薄い笑みを顔に貼り付けているが、汗が出ていたりして、焦っていたのが良く分かる。
助かった。今度こそ確信と根拠がある。両目から熱いものが溢れ、頬を伝って落ちた。
良い光景だ。いつも見ていたのに、少しばかり危機にさらされただけで素晴らしいものに感じるのだから、現金なものだなと思う。
いや、元々良いものであったのに、それに慣れ切っていただけかもしれないな。
ともあれ、背景は赤い。紅い。
護るための代償だと分かっていても、相手が悪人だと分かっていても、心地よいものではない。元をたどれば自分が猫にムキになったのが原因だと思うと、直接手を下したわけではないが、どうにも気分が悪い。
この世界は日本より数段以上残酷なのが普通だろう。これもまた悪人たちの因果応報というべきものだ。王侯貴族に手を出したのだから、一族皆殺しでも可笑しくない。
しかし、この日本人的感覚を忘れてはならないとも思う。
権力がある立場である以上、人一倍命を大切にしなければ、簡単に虐殺が起こり得てしまうのだ。
勿論、覚悟も決めなければならない。
戦いなどないに越したことはないが、戦いになったのに殺さないのは甘えであり逃げである。
ともあれ残酷な鱗片をレイナに見せたくはなかったので、アリアにはしばらくそのままでいるように頼み、その後ろにいる二人に声をかける。
「ミハイル、ウォルフガング、助かったよ、ありがとう」
「殿下が無事で何よりです」
「光栄です。間に合ってよかったです」
二人は返り血すら浴びていない綺麗な服装で、笑顔で応えてくれた。それがいったいどれだけの技量の高さなのか、剣に精通していない俺には分からないが、とにかく凄まじいものであるのだろう。
元々は俺たちの専属警備だったのだ――超一流のエリートだ。
そんな二人の後ろで倒れている誘拐犯たちは、どちらも右手の手首から先がなかった。綺麗な断面をしていることから、一撃ですっぱりとやられたのだろうと推測される。
脈に合わせてだろう、リズミカルに血が噴き出しているが、二の腕には強く巻き付けられた布も見える。止血の為だと思われるが、赤い噴水はそれ以上のペースで血を出しているように見える。
殺したり傷つけたりするのは抵抗があるし、初めて感じる濃厚な血の臭いは吐き気がするが、視覚的なグロテスクさにはあまり抵抗がない。自分でも意外なほど冷静に分析出来た。
「こいつらはどうするのだ?」
顔をしかめながら問う。
「最終的には処刑されると思いますが、先ずは情報を聞き出すことが先決ですね」
情報か。確かに、俺たちより先に攫われた子供がいるのだ。それらも助け出さなければならない。
あのような適当な止血では死んでしまいそうだが、大丈夫なのか。治療魔術で傷を治すとか、火属性魔術で傷を焼くとかあるだろうに。
焼くと言えば、粉塵爆発で倒した男は――。
「――もう一人いる。すぐそこの建物に!」
咄嗟に叫ぶことが出来た。
ウォルフガングが俺たちを庇うように立ち、ミハイルが剣を手に突っ込んでいく。
数秒後、男が引きずられてきた。
火は消えていたが、なんとも無残な感じだった。息はあるので、情報を聞き出すことは出来そうだった。
「帰ろう。皆には心配と迷惑をかけたから、ありがとうとごめんなさいを言わなきゃならない」
見たくないものを見て、完璧な笑顔は作れなかったが、言わなければならないことも、言いたいこともたくさんあった。
先ずは、宣言通りありがとうを言おうと思う。
◆
こうして、俺とレイナの誘拐事件は一応の解決をした。
俺の知り合いには犠牲者を出すことなく、しかし、俺が覚悟を決めることになった事件だった。
――戦う時は戦おう。
――レイナのことは護り抜こう。
たった、それだけの覚悟だ。