粉塵爆発 1
この世界の噂の拡散は非常に早い。
どれくらい早いかというと、王都でも現代日本の田舎並に早い。次の日には殆どの人が知っている感じだ。ちなみに村とかであると、一時間後には狩りなどで外に出ている人以外全員が知っていたりする。
メディアが掲示板くらいしか無い世界なので、個人レベルの情報拡散力が異様に高いのだ。
さて、どこから情報が流れたのだろう。
恐らくは護衛の兵士が酒でも飲んで話したのだろう、近衛兵とかの専門家ではないから、一般的な訓練しか受けていないであろうし。
噂の内容はこうだ。
曰く、「王爵家の『神童』ヴァイス殿下が、ユグドーラ大公爵家の『聖女』レイナお嬢様に求婚したらしい」と。
三歳児がその風習を知っているという前提で話すのはどうだろうと思う。俺の認識としては、値段こそ高いものの、花や菓子をプレゼントしたのとなんら変わりはなかったのだ。
しかしながら、彼女の態度を見るに、あちら側は知っていたみたいだ。男女の差なのか、レイナが早熟なのかは分からない――恐らく両方だろうが。
俺たちが普通の貴族の子供なら、親が利用するだけで、それ以上の噂は立たなかったかもしれない。
だけど、俺たちは王爵家と大公爵家なのだ。
いや、それ以上に、称号持ちだ。「神童」と「聖女」のカップルなのだ。
社会的な地位が向上し発言力も有せる称号は、本人の意思にはかかわりなく、そこに責任を生じさせる。俺たちは半ば大人扱いされたうえで、貴族の恋愛として、もてはやされているのかもしれない。
気が付けばレイナと恋人扱いされていたが、まあ、それはそれだ。
恥ずかしくて顔がほてるのを感じるが、嫌な気持ちはしないのでそのままにしておくことにする。
今日は他にやることがあるのだ。
「魔術の実験をやろうと思う」
精々初級魔術を詠唱で使えるようになった程度で実験と言われても馬鹿にする人は多いだろうが、前世から持ち込んだ知識を活かせば、魔術以上の効果が見込めるだろうと思う。
だから正確に言うのならば、魔術を利用して科学実験をする、となる。
俺がやろうとしているのは「粉塵爆発」。
粉を空気中にばらまいて、そこで火を使うと一気に燃え上がるというアレだ。
大麦やらライ麦が混ざらない純粋な小麦のパンが貴重な世界ではあるが、一キロ程度にはなるであろう、そこそこの量の小麦粉を確保してもらった。調達を任せたカリンは、何に使うのかと怪訝な目を向けられたらしいが、俺が求めているというとすぐに納得されたらしい。
「神童」と呼ばれるのも行動の自由度が上がると考えると悪くないなと、初めて思った。半ば変人扱いされているのは解せないが。
「カリン、頼む」
「はい。【魔力よ、我らに吹く風として、形を成せ】」
自分が粉に包まれていたら大惨事になってしまうので、カリンに風を作ってもらう。初級の魔術程度無詠唱で出来るが、発動のタイミングを知らせるために詠唱をしてくれたのだ。
小麦粉を両手で持って、それを風属性魔術でうまい具合に散らす。俺も初級魔術くらいは無詠唱が出来るようになっていたが、カリンと同じ理由でしっかりと詠唱する。
広がった小麦粉から一歩離れ、手元ではなく少し離れたところで火が付くようにイメージする。というか、手元で出たら手に残った小麦粉が燃えて、火傷してしまう。
「【魔力よ、温もりを与える火となり、形を成せ】」
同じものでも、魔力の量とイメージで、いくらでも微調整が聞くのが魔術のいいところだ。
今回の魔術は上手くいった。
三十センチほど離れたところで火が生じ、そこをトリガーにして粉塵が一気に燃え上がる。粉塵爆発は粉の密度が高すぎても低すぎても上手くいかないので、一発で成功したのは僥倖だ。
しかし、思ったよりも威力が高く、驚いてしまった。
風を操ってもらっていなかったら危なかったかもしれない。
「これは、特級魔術……?」
いつも引き締まった表情をしているカリンが、呆然とした表情でそう呟いた。
確かに中々の威力であったし、殺せるかは兎も角、怪我をさせるのは容易い威力にはなった。でも、特級魔術ってこの程度なのかよ。
後に調べてみると、この程度であった。
魔術というのは本来、生活の為に発展した技術であって、地球人が考えるような戦いに使うような代物ではない。特に何も考えずに魔術のみで戦おうとする場合、特級魔術以上のものでなければ、素手にも勝てるか微妙なところだ。
ちなみに「級」は難易度ではなく、その魔術の標準的な威力で使う魔力量によって決まる。
しかし、級が高い魔術が燃費が悪いというわけではない。むしろ逆だ。初級魔術で上級魔術と同じ威力を出すこともできるが、そのために必要な魔力量は幻級魔術に匹敵する。
けれども、そもそもの基礎レベルでの必要魔力量が多いので、やはり級が高いほど使い手は減ってしまう。
難易度や手間などよりも、役に立たないから、というのが一番の理由ではあるが。
特級魔術以上は戦闘用の魔術なので、魔術を極めようと思っているものや、剣や槍に自信のない戦士が保険に覚えるだけである。貴族が一つのステータスとして覚えることはあるが、平民となると酔狂な変人しか覚えない。
各難易度の魔術がどのくらい生活に必要かといえば、次の通りだ。
初級魔術:生活に必須
中級魔術:ないと不便
上級魔術:あると便利
特級魔術:威力がありすぎて役に立たない
超級、幻級、神級も特級魔術と同じくだ。
級が高い程燃費がいいならば、それの威力を下げれば燃費が良く魔術を使えるのではないかと思うかもしれないが、威力を下げる方でも魔力の消費は増えるのだ。
「3×2+1=7」と「3×2-1=5」で、符号の数が同じだといえば、なんとなくわかるであろうか。結果こそ7と5で違うが、そこに至るまでの計算の労力は同じなのである。
特級以上の魔術は、その威力を買われて戦闘用として独自に発展した。故に一般人には殆どと言っていいほどに普及していないのである。
さらに言えば、戦闘魔術として発展したにも関わらず、幻級や神級レベルの使い手ならばともかく、そうでなければ身体強化魔法使って剣を振るった方が強いのである。
閑話休題。
魔術の才能があるとか勘違いされても困るので、正直に種明かしをする。
「初級魔術だよ」
「確かに呪文はそうでしたが、こんな威力になるはずが……」
「一度蝋燭に火をつければ、魔力を注がなくても蝋燭の火は消えないだろう? 基本的にはそれと同じことだよ。粉塵爆発――粉を燃やしたんだ」
粉塵は体積に対する表面積の占める割合が大きい。そのため燃焼反応に敏感な状態になり、火気があれば爆発的に燃焼する。
理屈は兎も角、中学校レベルの教育を受ければ、そうなるという事実は知っている簡単なトリックだ。厳密に言えば酸素が一定以上必要だったりと色々あるのだが、それは練習で粉の量や撒き方を調整すればいいのだ。
粉塵爆発は火花程度でも起こる。初級火魔術が使えれば、充分以上だ。
「そんなことが……。よく思いつきますね」
何処で知ったのか、誰に聞いたのか、そう問われなかったのは非常にありがたかった。
昔から変なことをしていた印象が強いであろうから、思いついたことを実験していると思っているのだろう。これを思いついたのは自分ではないから、地球の天才たちに感謝しよう。
改めて日本の教育水準は高いと痛感する。
そして、科学知識が一応は通用することに安堵する。
魔術が存在している異世界だ。魔力管というものがある(解剖にて判明している)時点で、少なくとも生物学はそのままではないのだ。物理や化学もやはり違うとすれば、粉塵爆発が起きない可能性も零ではなかった。
単純に失敗の可能性もあるが、少なくとも今回は成功したので、粉塵爆発は起きると証明できたのだ。
不可能を証明することは、まるで悪魔の証明の如く難しい。可能が証明されると助かるのだ。