初めての外出
念願の外出許可がようやく下りた。
前から行きたいとは思っていたのだが、護衛の人材を確保することが出来なかったのだ。兵士は元々決まった配属先があり、例えば門の警備だとか、街の巡回だとか、担当の仕事から離れることは中々に難しい。
だからこそ護衛の専門家として、近衛兵や親衛隊が存在しているわけだが、彼らは根本的に数が少ないので、王爵家全員に均等に割り振ると、外出する許可が下りる人数に達しないのだ。
許可が下りる人数は、最低十人であった。
そんなに必要かと疑問に思ったのだが、どうやら普段は四人も付けば充分すぎるほどであるという。
「カリンは何故か知っているか?」
「護衛が通常より多く必用な理由についてならば、最近、貴族の子供をターゲットにした誘拐犯がいるようなのです」
殺人事件が起きたとか変質者が出たとか、そういったときに集団下校をさせたり、警察や地域住民の交通指導員が増えるのと同じことである。古来より、犯罪の被害にあわないようにするには、人の目を増やすことがなによりも効果的だ。
それが戦闘や警備の専門家となれば、まともな神経をしている人間ならば襲おうとは思わないだろう。まともならばそもそも誘拐なんざしない、というツッコミは聞かないものとする。
「身代金? 変態?」
「さあ、そこまでは……。というか、殿下、それを聞いてどうするつもりなのですか?」
「後者なら俺の護衛は要らないかなって……」
「『変態』かもしれませんよ?」
「……」
なんとなく、で余計なことを聞いた結果、なんとも嫌な言葉が返ってきた。
しかしそれも一理あって、ローマ帝国の歴代皇帝だって、同性愛者が多数いたというではないか。男だからといって安心は出来ない。というか、むしろ不安かもしれないな、尊厳的な意味で。
誘拐されることは危険が伴う。迷子などとは比べ物にならないくらいに。
例えば身代金目的だ。犯人たちの目的はあくまでも金銭だが、人質は元気であるというフェイクさえ成り立てば、傷をつけようが何しようが関係ない。この世界では、同時に交換する以外の人質交換は「信用できる要素がない」と拒否されるため、それだけが安心要因だ。
これが「販売」目的だと更に恐ろしい。
最悪、息が有って、顔が綺麗ならば、他は何がどうであろうと買い手はつくものだ。値段に影響するから普通は丁重に扱われるが、そういった事すらも犯人のところまでである。
販売された後はお察しだ。高確率で死ぬか、死んだ方がマシだと思うことになる。
色々と余計なことを考えてしまったが、つまるところ、三歳児の安全を確保するのが面倒なので、黙って警護されていろとカリンは言っているのだ。
彼女は俺のことをそれなりに理解してくれている。大人がいなくても、身体的スペックさえ考えなければ、大人と同等以上のことが出来ると知っている。
それでも今回重要なのは戦闘能力なのだから、肉体は年齢相応である俺は、多少は窮屈でも我慢しろということだ。
納得せざるを得ないので、小さく肩を竦めておいた。
十人もの屈強な男たちに囲まれて、王城の門の外で人を待つ。
今日外出することは三日前には決まっていて、それをレイナに話したら、曰く、「私も行く!」と。大凡予想通りなので許可すると、彼女は大輪の華が如く笑った。
先日からどうにもレイナを意識してしまっていた俺は、不覚にも心臓を跳ねさせてしまった。顔には出ていないと思いたい。
数分もすれば、同じく屈強な男を十人連れたレイナがやってきた。真ん中を歩く少女が笑顔でなければ、貴族のクソガキ同士の決闘にでも勘違いされたに違いない。
しかしながら喧嘩と事件が大好きな人たちのご期待には全力で逆らって、組み合いではなくハグをして、笑顔で文字通り挨拶をする。
「おはよう、レイナ」
「おはようございます、ヴァイス様」
そんなことをしていると、兵士の誰かが呟いた。
「殿下たちは本当に三歳なのだよな?」
「神童様と聖女様だぞ。嫉妬してるのか知らないが、お前なんかと比べるのも失礼だよ」
聞こえてるからな、お前ら。
俺が視線を向けると、彼らはあからさまにそらした。
しかし彼らの言うことを冷静に考えると、中々に恥ずかしいことをしているのではないかと思えてきた。
実際、妹に対してハグをしている感覚だったのだが、第三者からみればそうではないことは明白だ。子供のじゃれ合いとはいえ、天下の往来でいちゃついている輩がいるわけである。
俺は王爵家のお坊ちゃんで、レイナは大公爵家のお嬢さんだ。曰く婚約者であるらしいし、それは明らかにされなくとも、半ば確定事項みたいなものだろう。今まで当然だったことが、当然に思えなくなってきた。
笑顔を見てドキドキし、匂いを嗅いではドキドキしていた俺が、ハグをしてドキドキしない道理はないのだ。
鼓動の変化を悟られないように、自然な動作でレイナを引き離す。
微笑みながら手を差し出して。
「さて、遊びに行こうか」
無意識に出した手を握られて、再び心臓が跳ねた。
もしかしてだけど、好きな女の子に触れたい一心で手が伸びたのかもしれない。恋心は、三歳児レベルに落ちているのかもしれなかった。
ローラレンス王国王都は、小高い丘の上にあり、王城を頂点に少しずつ標高が低くなっている。
四方に広がった大通りを初め、中心に蜘蛛の巣状に道が広がり、街の外側に向かって水が流れるように設計されているのだ。夏の雨も冬の雪も然程多いわけではないが、石畳で固められた王都ではこういった工夫は重要なのだ。
石造りの建物と、石畳の敷かれた街道は統一感があり、整頓されていてとても美しい。噂にある中世ヨーロッパのように道に汚物が放置されているということもなく、驚くべきことに地下に下水道が整備されているという。水も流れていて、魔術道具を使っているうえに、魔力は地脈から吸収する仕組みをとっているので、絶えることはないのだとか。
当然といえば当然だが、王城に近いほど清潔で、芸術的にも美しく、住んでいる人の格も高い。
中心から順に、上級貴族街、下級貴族街、商人街、職人街と続く。
流石に王都ともなればあからさまなスラム街は存在しないが、貧乏人が集まる地域というものは必然的に出来てしまうらしい。しかし、彼らも最低限の税金は払えているらしいので、文明レベルが中世であることを考えると王都の生活水準は非常に高いとうかがえる。
美しいと言えるのは間違いなく洗練された貴族街であろうが、人々の活気があって心地よいのは商人街であろう。職人街は行ったことはないが、基本的に己の技を極めることが目的である以上、内向的な場所であるという。
商人街の大商店は、高いものを売る高級店から、薄利多売で儲けを出す大衆店まで、堂々とした店構えで大通りに座している。
それに加えて大通りには露店も多数出ていて、様々な食べ物や、良く分からない物体を売っている。
本当に様々な人が居る。
大声を出して客寄せをする大商人。客とくだらない話をして爆笑する露天商たち、指定外の場所に出店して憲兵にしょっぴかれている間抜けな男、etc. etc.
歩き回る客や使用人も多く、道の広さに余裕はあるはずなのだが、思わず人の奔流に流されてしまうような錯覚を覚える。
「凄い……」
思わず呟く。
人の数だけならば、あるいは新宿や渋谷なんかの方が圧倒的に多いだろう。だけどここはなんというか、生命力が違うというか、そんな感じだ。
俺たちは最初に、大衆向けの大商店に入った。食べ物以外は何でも売っているような店だ。
建前上はお忍びとはいえ、合計で二十人もの兵を連れて歩けば嫌でも偉いと分かるわけで、身なりの良い小太りの男が出てきて挨拶をしてくる。
「私はこのケスラー商会の商会長をしている、カール・ケスラーと申します。以後お見知りおきを」
カールは頭を下げて、
「しかし、このような大衆向けの店です。美しい貴族のお嬢様方、この度はどのようなものをお探しでしょうか? 質に拘れば商会内の別の店を紹介することになりましょうが、物だけならば何でもあると自負しています」
いやらしさを一切感じさせない完璧な営業スマイルを、カリンとアリアの二人に向けた。
言われた二人は自分に来るとは思っていなかったのか、反応することが出来ていない。しかし、成る程。言われてみればこの二人も貴族のお嬢様なのである。
カリン・リューネ・フォン・プレヴィン。王国の東端、他大陸との海峡に面していて、貿易により栄えている地域を治めるフレヴィン辺境伯家の第二女だ。
アリア・リリィ・フォン・ミュラー。王国の西端、王国でも有数の広い平地を有する、農業で栄えている地域を治めるミュラー辺境伯家の第一女だ。
すると俺なんかはお付きの小僧といったところだろうか。こんな小さな子供が奉公することは流石にないだろうが、一種のジョークだと思って乗ってみるのも悪くはない。
ちょっと悪い笑みを浮かべて、演技に興じてみる。
「ご丁寧にありがとうございます。僕はお嬢様たちのお付きをしております、ジークと申します。お嬢様たちは今回、良い髪飾りがないかと探しに来たのです。ありますか?」
「え?」
二人はそれに驚き、更に混乱する。
信頼できるとは言われていても、それと教養は別なのだろう、数人の兵士が笑いを堪え切れずに声を漏らす。
しかしカールはそんなことに気が付かず、話を進める。
「それならば、あちらの方に幾らでも。安価な木彫りのものから、職人街の銀細工職人の新作まで、手広く揃えております」
カリンとアリア、女官二人は、混乱のままに女の店員に連れられていった。
俺は心の中で舌を出した。
ドッキリ成功である。