辺境伯邸へ
次の日の朝、といっても早朝ではなく皆が動き出すような時間帯に、俺達はプレヴィン辺境伯邸を訪れた。
アポイントメントは取っていないが、カリンの「自分の家に帰るのに許可が居るのですか?」という、至極当然な意見で皆が納得した。少なくとも建前はそうなのであるから、そうしないと違和感が出てしまうのだ。
プレヴィン辺境伯には負担をかけるが、こればかりは許してほしい。
「お父様を呼んで頂けますか? カリンが帰りました、と伝えてください」
「お嬢様……!? は、はっ!」
カリンがフードを上げて顔を見せると、門番の若い二人組の兵のうち一人が、慌てて中へ向かって駆けて行った。
そちらも大変そうだが、可哀そうなのは残されたもう一人の方で、彼は自分の主の娘を前にしながらも、門の前で待機し続けなければならなかったからだ。
彼の緊張を解きほぐそうと、実際にカリンの侍女でもあるフランツィスカが話し掛けたのだが、彼はフランツィスカの顔を見ると、後ろめたそうに眼をそらした。過去に何かがあったのだろうか。
見ているだけで居た堪れない。さりげなく顔を横へと逸らすと、偶然にもレイナと眼があって、お互いに微妙な笑みを浮かべて小さく肩を竦めた。
結局、会話は途切れて暫くすると、先程の門番が戻ってきて、中に入るように案内された。
カリンを先頭に、それ以降は年齢の若い順に続いた。但し、外見年齢なので、アルーヴはフランツィスカの隣である。
プレヴィン辺境伯邸は比較的実用的な造りで、最低限の絢爛さはあるものの、使いやすさが重視されているように思う。表部分の導線の分かりやすさもその一つだ。
建物に入って直ぐにある扉を開けると、執務室になっていて、デスクではなくソファに腰掛けているプレヴィン辺境伯が待っていた。
その傍らに立っている若い男性は、雰囲気からしてカリンの兄弟であろう。
俺達が全員部屋の中に入ったのを確認すると、プレヴィン辺境伯は右手を上げて、軽く振った。
それが人払いの合図だったのだろう、二人を除いて、全員が部屋から出て行った。
プレヴィン辺境伯は俺達に座るように勧めて、真面目な表情を残しつつ笑った。
「ヴァイス殿下、レイナお嬢様、ようこそプレヴィンへ。
正五位辺境伯家当主ヘルムート・エーリヒ・フォン・プレヴィンです」
「従五位辺境伯家第一子エーリッヒ・オイゲン・フォン・プレヴィンです」
「私も息子も概要は把握しておりますし、問題の推察も出来ております。おおよそ、私の愚娘がいればこの街では目立ちましょう。――しかし、逆に隠れ蓑にすることもできる」
流石親子というべきか、カリンと辺境伯の意見は一致していた。
恐らくわざとなのであろうが、カリンは悪びれないで言った。
「お父様の考えも同じようで安心致しました。お願い致しますね」
「そのために辺境伯家当主には情報が回されているのだ、当然引き受けよう」
「ありがとう。助かるよ、辺境伯」
「ありがとうございます」
娘のむちゃぶりには慣れているのか、辺境伯は嫌な顔一つせずに引き受けてくれた。
それに対して俺達が礼をすると、彼は頭を掻いた。
「光栄です。……さて、平民の生活が本来の目的なのは承知の上ですが、折角ですから、貿易都市としてのプレヴィンの魅力も紹介致しましょう。フランツィスカ、茶を。あと、エーリッヒ」
カリンの兄、辺境伯家の長男であるエーリッヒは、辺境伯から名前を呼ばれると、予め打ち合わせをしておいたのだろう、要件を告げられずとも直ぐに動き出した。
一方でフランツィスカは行動が一拍遅れた。俺としても何故彼女が指示を出されたのか、一瞬理解出来なかったが、そもそもフランツィスカは侍女としての仕事を辞めたわけではない。再就職は大変なので、基本的に臨時である三等女官ならば、兼業も珍しいことではない。フランツィスカは現役でプレヴィン家の侍女なのだ。
それに気が付いたフランツィスカは、恥ずかしそうにしながら、速足なのに足音を立てずに部屋から出て行った。
二人が戻ってくるまでは、簡単な雑談に興じた。
プレヴィンがどのような街なのか、王都に出てくるまでにカリンはどのようなことをしていたのか、そんなことを尋ねた。
前者については色々と教えてもらったので、後で実地で知的好奇心を満たそうと思う。後者に関しては、含み笑いを返された。滞在中に分かるということだろう。
先に戻ってきたのはエーリッヒだった。
彼が持っているのは、見た目で言えば西洋梨とマンゴーを足したようなもので、少なくとも果物であることは見当がついた。金色にも見えて、見た目に綺麗な果実だ。
しかし、アルーヴがそれを興味深そうに見ていることが気になった。短い付き合いだが、それでも彼女がレイナ――というかリア――以外に興味を示すことは非常に珍しい。
すぐにフランツィスカも戻ってきた。
彼女は王爵家である俺に加え、人間よりも高位の存在である精霊のアルーヴがいる状況に、どうするべきか迷ったものの、結果的には俺のところに紅茶を置いた。その後は、護衛の二人の分も含めて、身分の順に紅茶が置かれていった。ちゃっかり自分の分まで淹れていた。
アルーヴは、別に要らないと謝絶した。そういえば、食べられないことはないけれど、食べる必要もないのだとか。むしろ、食べない方が効率が良いらしい。
「紅茶に関しては王国内のものなので、王都では珍しくもないと思いますが、ここプレヴィンにも輸出の為に集まってまいります。
こちらの果実は『デルピア』といって、シルフィア大陸の希少品種です。梨の仲間なのですが、名称を翻訳するならば『清らかな有の果実』と言ったところでしょう。食しても美味ですが、魔物でもないのに魔力を蓄える性質があり、ロマーナの者が研究用に多くを求めています」
あくまでも研究用であり、具体的な実績は聞かないと辺境伯は笑った。
この世界の魔力は基本的に体内で自己供給だ。地脈レベルの膨大な魔力でもない限り、魔法陣を使ってくみ上げるよりも、自分の魔力を使った方が早くて効果的だ。
ただ、アルーヴが興味を示していたことが気になった。
「アルーヴ、何か気になることが?」
尋ねてみると、アルーヴは首を振って笑った。
「いいえ、この大陸のものでないのは珍しいだけよ。味覚もない訳じゃないし、それならば、食べてみたいわね」
「では、食べてしまいましょうか。間違いなく美味ですよ」
辺境伯がそういうと、エーリッヒは何処からともなくとりだした果物ナイフで、デルビアの皮をむいて人数分に切り分けた。
一人当たりの量は少ないが、その一口を食べるだけで、非常に美味しいことが分かった。
見た目に反して味は日本梨に近く、癖の少ないスッキリとした味だ。しかし、梨よりも瑞々しいのに、梨よりも味が濃い。非常に甘いのに、後味が悪くない。
「凄く、美味しいです……!」
甘味ということもあって、一番感動したようだったのは、やはりレイナであった。
彼女は目を瞑って味を噛み締めたあと、幸せそうに頬を緩めた。
食べたことがあるからだろう、カリンを含めたプレヴィン家の人は若干リアクションが薄いが、皆が美味しいと思っているのは疑いようがなかった。
やはり、美味しい食べ物は場の雰囲気を自然に柔らかくする。
その後は具体的にどうするのかを話あった。
また、プレヴィンの魅力も教えてくれた。人と物が集まるのが貿易都市の魅力であると。
雑談も交わしたのち、俺達は辺境伯家を後にした。
カリンの帰還を発表するのは、明日の午前中とのことだ。