初雪
精霊のアルーヴが仲間に加わって、俺達の旅は賑やかさを増した。
四頭の馬がバイク並みの速度で走る横を、神聖さを感じるとはいえ人型の存在が低空飛行しているのだから、正直な所シュールさは否めない。
しかも、天翼族のようにはばたくわけではなく、そもそも「実体」に深い意味を持たない存在であるが故に、物理法則を無視してロケットのように飛んでいるのだから何とも言えない。
「ふふ、実体を持って飛ぶのも悪くないわね!」
彼女自身はそんな風に楽しそうに笑っている。
俺達は彼女が精霊であると理解しているので、今更驚くようなことはないが、誰かが見たらどうしようもなく驚くのではないだろうか。
街に着いたら自重するようには言ってあるが、それでもここは主要な道ではあるので、俺たち以外に人が全くいない訳ではない。今のところは、まだ、運よく出会っていないだけだ。
そう思っていたのだが、俺達は誰にも出会うことなく次の街の姿を見ることになった。
イェーガー辺境伯領テニッセン。イェーガー辺境伯の北端の街で、緯度で言うとガイエスよりもやや北側と言ったところであろうか。
生憎と、この国には伊能忠敬に匹敵する人物は現れていないので、地図を信じられるかは微妙なところであるが。
「何かあったら、魔力に感情を乗せながら放出しなさい。力になるわ」
アルーヴはそういって姿を消した。
理屈は分からないが、レイナはその状態でも会話できるみたいだが――具体的な言葉ではなく、感情の塊みたいなものらしいけれど。
そうして、外見だけは普通の冒険者一行といった体裁を取り戻した俺達は、堂々とテニッセンの中に入って行った。
テニッセンは緯度こそ高いものの、バールバーレと同じ雰囲気だ。
というよりは、イェーガー辺境伯領は基本的にどこもかしこも狩人ばかりである。
農業をしない訳ではないが、それでもこの地域が狩猟採集中心で成り立っているのは、それだけここが自然豊かである証拠とも言えるだろう。
初代ロアの遺跡があるということは、それだけ古い歴史を持つ場所であるとも言えて、これは根源的に豊かな証拠である。人間はまず「住みやすい場所」に住み、そこから居住区域を広げていくわけである。
参考としては地球の文明から考えることが出来るだろう。イラク、エジプト、インド、中国――そういったところは一見乾燥していると思われがちだが、実際にはそれなりに豊かな土地であるからこそ文明が栄えた訳である。
もっとも、それら地球の古代文明は、どちらかというと農業に適した環境であるから、比べるのはおかしいかもしれないが。
イェーガー辺境伯領は小さい領ではないが、大きい領というわけでもなく、テニッセンとバールバーレの気候的な差はあまりない。領内ならば、どこも基本的には同じような条件で狩猟採集が出来るというわけだ。
と、ここまで語った訳だが、テニッセンには一泊するだけだ。特に何かがある街ではないし、バールバーレの時のように報告をするわけでもないので、通過するだけである。
テニッセンとった宿は、六人部屋だ。
一人部屋や三人部屋は空いておらず、というか三人部屋はそもそもなく、男女が二人きりで同じ部屋になるのはよろしくないということで、いっそのこと大部屋ということになった。
部屋が広いからなのか、いつもの宿よりも冷え込む気がする。
「――寒いな」
翌日、日が昇るかどうかという頃、布団から起き出した俺はマントに包まりながらそう呟いた。
キンと張りつめたような冷たい空気をしているように思う。
日々北上していて、季節も冬に向かっているのだから、寒くなることは当然のことであるのだが、それにしても寒いと感じた。
「――雨の、いや雪の相が出ていますね」
窓を開けて空を見ながら、カリンが応じた。窓が開けられたことでより一層寒くなったのだが、もう起きる時間であることを考えると、天気を予想する方が大切か。
当然だが、この世界には天気予報などという便利なものはなく、しかし多くの人が天気を科学的に占う方法を知っていた。
農民は勿論のこと、商人や貴族であっても、天気というのは様々なことに影響してくるのだから、知らない俺の方が少数派であった。
特段教わるものではなく、普通に生きていれば自然と知れるものではあるのだが、側近の皆が優秀過ぎるので覚え損ねてしまった。普通に自分の怠慢のせいである。
もっとも、今日の寒さと暗雲を見れば、季節も考慮して「雪が降りそうだなー」と思うことはあるのだが、カリンのように自信を持っていうことは出来ない。
ちなみに、天気に関しては、軍の士官である二人や、身分が低いフランツィスカの方が得意だそうだが。
「ん……おはようございます。寒いですね」
外の寒気に当てられて、レイナも目を擦りながらではあるが、起き出したので、俺達は朝食に向かうことにした。
ローラレンス王国の朝食はガッツリと摂るものだが、この宿のものは特に多い気がした。メニューはパン、スープ、ソーセージと普通なのだが、ソーセージの量が多い。
さすがは狩猟採集の街と言ったところか。非常に満足感があった。
朝食を取った後、すぐに荷物を纏めて、出発する。
宿から出て、マツカゼたちを迎えに宿の馬屋に移動するまでの間、大人たちが空を見て風を受けつつ、少し憂鬱そうに声を漏らした。
「ああ、成る程、これは確かに雪が降るな」
「ええ、リューネの言っていた通りになりそうだ」
「二人から見てもそう思いますか」
「ここまであからさまでは疑うまでもないだろう。運が良ければすり抜けることはあるだろうが」
「いえ、もう……」
フランツィスカが零した声は、雪が降り始めたことを告げるものであった。
空から粉雪が舞う光景は美しいものではあったが、それ以上にうっとおしいものであった。
これが王城にいる時ならば、俺としても気分が上がるのだが、これから騎乗して駆けることを考えると憂鬱だ。
「綺麗ですね」
レイナはそんな風に感想を漏らした。
純粋さが半分、ポジティブシンキングが半分といった声音だ。
俺達は無言で首肯を返しつつ、プレヴィン辺境伯領までの行程を考えた。というのも、あちらは北端というほどではないが、相当に寒いからな。
馬に乗って、テニッセンの街を出た。
舞うといった程度であった雪は、降ると表現できるレベルになっていて、思った通り中々にうっとおしい。というか、少し痛い。
布としては薄いものになったしまうが、ユグドーラで購入したスカーフが思いがけず役に立った。
「――中々に美しい光景よね。白は好いわ、穢れが無くて素敵よ」
後ろに見える街が小さくなったころ、ふいにそんな風に呑気な感想を漏らしたのは、そもそも人間ではない彼女であった。
精霊のアルーヴはいつの間にか姿を現して、俺達の横を飛んでいた。
俺達としてはうっとおしい気持ちが勝るのだが。そんな微妙な心情を読み取ったのか、彼女は勝手に自己完結した。
「ああ、人類にとっては単純に美しいとはいかないのね。せっかくの初雪なのに……。そうね、私の気持ちを共有させてあげましょう、造作もないわ」
彼女がそう言うと、風が起こって、それは俺達の周りをドームのように包んだ。
それは単純な風属性魔術で、しかし魔力のことを考えてやらなかったことである。細胞で自己生成する魔力量を超えてしまえば、魔力が足りなくなって、身体的に怠くなることは明白であったから。
俺達には、直接に雪が当たることはなくなった。
雪はまだ積もっていないので、うっとおしいのは降ってくる雪のみであって、つまり今、雪は純粋に風景になったのだ。
そう考えると、純粋に美しさを理解できる。先のことを考えると無条件に是とは言えないが、少なくとも今この瞬間は美しい。
「凄いです、アルーヴ!」
最初に声を出して褒めたのはレイナであった。
アルーヴは満足気に笑った。
精霊の凄さを神聖さではなく、実用的な部分で実感しつつ、初雪の美しさに息を吐いた。