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幼い聖女 3

 幼い肢体が不意にぶれ、力を失って重力のままに崩れ落ちる。


「――!」


 咄嗟(とっさ)に叫ぼうとするが、準備していなかった喉は正確に音を紡がない。

 咄嗟に駆け寄ろうとするが、幼い己は二十歳の(からだ)のようには動けない。


 スローモーションとなった世界で、少し前の思考行動を悔いる。

 代償のない奇跡があるであろうか、否、そんなものは存在しない。化学には火や電気が必要で、魔術には魔力が必要で、然らば奇跡には何が求められようか。




 レイナの体は床に伏せることはなく、ルーカスによって受け止められる。彼は冷静に呼吸と脈を確認した後、冷静に口を開いた。


「魔力切れ、ですね。余剰魔力以外も使ってしまったようです」


 俺の過剰な心配は、これ以上ないくらい最速で払拭された。

 かといって、走り出した足を止めることも出来ず、勿論止める必要もなかったので、そのまま寄って、ルーカスからレイナを受け取って床に優しく横たえる。

 レイナはこちらの心配とは裏腹に、穏やかな寝息を立てていた。労いとお()びを兼ねて頭を撫でると、くすぐったそうに笑みを浮かべながら身をよじった。


 レイナを撫でながらふと思う。――魔力切れを起こすということは、それだけ強力な魔術を彼女は行使したのではないか、と。

 しかし、ルーカスの顔を見ても、右目の傷は残ったままである。先程のアリアの指のように傷が消えたわけではないのだ。

 ならば、効果がなかったか、それとも見た目ではないのかだろう。


「ルーカス殿、失礼ながらお聞き申し上げる。貴殿の右目はどのようになりましたか?」


 俺の言葉を受け、ルーカスは左目を閉じたり、左目を手で覆ったりする。

 最初の内は細めていた灰色の目は、次第に見開かれていく。


 ルーカスが息を吸う。

 大臣たちが額の汗を拭う。

 兵士たちが唾を飲み込む。


 一瞬だけ場を静寂が支配し、己の鼓動が強く意識出来た。子供故に早いうえに、緊張で更に僅かばかり早くなった心臓が、二回ほど波打った時、静寂は割れた。


「見える、見えるぞ!」


 嬉しさが抑えられない様子で、叫んだ後に笑い出す。

 そんな彼の様子を見て、アルトリウスは深く一度頷いた。




 レイナは、アリアに頼んで俺の部屋に運んでもらった。夜になっても目を覚まさないようなら相応に考える必要があるが、とりあえずはベッドに寝かせておけば問題ないだろう。

 俺はカリンだけを従える形で、先程と同じように(ひざまず)いていた。


「従一位王爵家第二子『神童』ヴァイス・ジーク・フォーラル・ローラレンスの意見の正当性を認め、ローラレンス王国元首アルトリウス・ハルト・フォーラル・ローラレンスの名において、従二位大公爵家第一女レイナ・マリーナ・フォーガス・ユグドーラに『聖女』の称号を与える」


「我が進言を受け入れていただき、至極光栄の至りです」


「うむ。

 本人には起き次第伝えるとしよう。

 伝令、ユグドーラ大公爵への通達を急げ。一週間後には国中に発表するため、少なくともそれより早くだ。アイツは意外と根に持つからな……」


 アルトリウスは食事の時の豪快で優しい父親からは想像できないような、非常に早く的確な判断でこの事案を(さば)き切った。最後に少しばかり素も出たが、ユグドーラ大公爵はアルトリウスと同い年というのだから、そういうことなのだろう。

 彼はやれやれといった様子で、自分の肩をもみながら、声音や態度をオフの時のものにして言う。


「さて、ヴァイス、いつまでも堅苦しいのは何だし、ここからは親子として話そうか」


 彼の顔に貼り付けられた苦笑いは、まさか本当に謁見をすることになるとは思わなかったと、言外に語っていた。

 同じく苦笑いをしながら、謁見の間から順に出ていく大臣たちもそれは同じようで、所詮は子供が親と遊ぼうと「えっけんごっこ」をやりに来たとしか思っていなかったのだ。建前上は職務時間で、実態は何もない休憩時間であったから受け入れてみれば、予想外の仕事を押し付けられたというわけである。

 彼らとアルトリウスとの苦笑いの差を強いて見出すのならば、そういうことをする三歳児が将来的に、上司になる可能性の有無であった。


 余談なのだが、何故休憩をしても怒られないかといえば、一応は優秀な彼らは既に仕事を片付けているし、そもそもから時給ではなく年給なので、労働時間は関係ないのである。自分の仕事さえ終えていれば誰にも文句は言われないし、言わせないのだ。

 これが、「何もなければ半日休み」の実態である。


 俺はアルトリウスの言葉に従い、姿勢を楽なものに変えて、軽く伸びをする。表情も真面目なものを作るのは止め、自然体にする。


「分かりました父上。思い当たることは当然ありますが、何の話を?」


「そうだな……先ずは単純に興味なのだが、何故レイナに称号を与えようと思ったんだ? 子供がそういうものに憧れるのは分かるが、普通はごっこ遊びで我慢するものだし、そうでなくとも『自分に称号を付けたい』だろう?」


 それは本当に純粋な問いだった。子供の目線に立って、というよりも自分が子供だった頃と比較して、俺の思考がどういうものなのか推し量ろうとしていた。

 打算や計略ではなく、父親として息子を知ろうとしているだけであった。

 だから俺も隠さずに答える。


「自分が書架に通っていたことはご存知だと思います。

 聖女の伝説や伝記として最も新しいものは、『ミリアの聖女』。この国で過半数の国民が信じるミリア教の祖である『聖女ミリア』が、戦いで傷ついた心優しい戦士を癒やすという伝記です。レイナが諳んじた言葉はそれのものです」


 一拍置いて、言葉を続ける。


「あまり大声では言えませんが、自分は宗教というものを好ましく思っていません。正確に言うならば、心の拠り所としての神や救世主を説く宗教は必要な物だと思いますが、彼らが力を得んとすることは忌諱(きい)されるべきことです。

 事が露見すれば、仮にそれに及ばずとしても、始祖たる聖女ミリアと同じくする能力を持つレイナを、彼らは必ず担ぎ上げようとするでしょう。それを防ぐために、王国の法を利用したまでです」


 意を得た納得と、予想を超える息子の知恵に対する驚愕が、複雑に混じり合った表情がアルトリウスの顔に浮かぶ。あまり自覚はないが、俺はあくまでも三歳児であるのだから、神童などではなくただのバケモノですらあるだろう。

 しかし、なんとなくだが、今回は急ぐ必要があった気がするのだ。自分の権益を拡大できるときの人間はどこまでも貪欲で、遠慮がない。そこで遠慮するのは本物の聖人か、馬鹿で無謀な偽善者か二択である。賢い偽善者はこういったものでは人に譲らない。要点は抑えているからこそ、この比較的過酷な世界で偽善を行いつつも生き残れるのだ。


 俺もある意味では偽善者だが、可愛い子を助けるのは自己利益であると自負しているので、そのカテゴリには入らない。異性として意識しないほどに幼かろうと、美少女は美少女なのだ。

 それに、俺はあくまでも王侯貴族――国側の人間――なので、レイナが国の鎖に繋がれることは、将来的に利益となるはずだ。

 自分を納得させることに成功した。


 先程から何か考えるように黙っていたアルトリウスが、不意に目線を向けてきたので受け止める。

 ヴァイスと呼ぶので、はいと答えると、次の質問だというので頷きで返す。


「父親として息子にマナーを教えようと思うのだが、そもそもお前の『神童』もまた称号だと自覚はあるか?」


「初耳です」


 彼は溜め息を一つ吐いた。それを返事と解し、言葉で返す。


「非常に光栄な物ではありましたが、あくまでも渾名(あだな)であると考えていました」


「構わない。伝えていなかった俺が悪いからな。

 ただ、称号を持つということは、国公認の実力者ということだ。本人の意思には関係なく責任が増す。爵位や階級をひっくり返すほどの力はないが、同じ身分の中では一番になるし、そうでなくともその意見は尊重されるようになる」


 つまるところ、(はく)が付いているから、言動に気を付けろよということだ。

 俺は立派とは言えない青二才とはいえ中身は大人であるから兎も角、純粋な少女であるレイナに大変な重荷を背負わせてしまったのではないかと、少しばかり自責の念に駆られることになった。

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