ユーリ、礼拝堂に監禁される
人々がざわつく中、司祭の男が大きなそれでもゆっくりとした声で言った。
「みなさん、落ち着いてください。我々が水の宝珠を盗んだ者を捜索するために動いています。
現場検証を行うため、しばらくの間、みなさんにはこの場にいていただきます。その間、外部のとの接触はしないようにしてください。
水の宝珠が盗まれたことを外部に告げるのは禁止させていただきます。っと言っているさきに、そこの女性の方、ミラーホンを使わないでください」
声をかけられた女性は、慌てて右手に持っていたミラーホンを閉じた。
「え。はい。すみません」
ミラーホンというは遠くにいる人と通話ができる魔法道具である。
「不安でたまらなくて、夫に連絡を取りたくて……」
「気持ちは分かります。不安な気持ちは皆も同じです。その不安な気持ちをむやみに拡散させないようにしてください」
「はい」
女性はうなだれた。
「ひゃあ」
ステンドガラスがなくなり、外とつながった空間から誰かの声があがった。
シルフという風の精霊だった。そのシルフは大きさは両手の手のひらに収まるほどの大きさをしていた。見た目は、五、六歳くらいの子供の姿をしている。
全体的に淡い色彩をしていて、乳白色の背中まである長い髪。髪よりは少し色の濃いミルクにオレンジジュースを混ぜたような瞳の色をしている。
瞳孔部分が大きくて白目のところがほとんど見えない。
そのシルフは空中を滑るように飛んでくると、学級委員長のゼルジュの胸に抱き着いた。
「ゼルジュ、なんか邪魔されて外にでられないよー」
「シーナ、大丈夫ですか? 外にでられないということは結界か何かが……」
ゼルジュがすべてを言い終わる前に、神官が声を上げた。
「礼拝堂の周りに結界を施しました。魔法や魔法道具を使用しての外部とやり取りは現在できません」
「やっぱり……」
「痛かったよー」
「大丈夫ですか?」
ゼルジュは顔色を変えた。
シーナを抱きかかえ、シーナの様子を観察するゼルジュ。その様子は、いつもの沈着冷静な学級委員長ではない。
「うう……」
そんなゼルジュをうるうるとした表情で見つめる風の精霊シーナ。その表情は、庇護欲をそそわれる。
「目立った怪我はないようですね」
「でも、痛かったんだよぅ」
「ひどいことをするものです」
ゼルジュはきっと神官を睨んだ。
ユーリはゼルジュの肩に手をかけた。ゼルジュが神官に文句を言いに行きそうだったからだ。
「ゼルジュ、ちょっと冷静になってよ」
「冷静になんてなっていられますか! 契約をしている精霊が傷つけられたんですよ」
「けれど、ここで騒ぐのは得策じゃないと思うよ」
ユーリはシーナという名のシルフに目線を移した。
「どれくらい痛かったの? 我慢できないほどだった?」
シーナは悪いことをした子供のように即座に目をそらす。
シーナは自身、ゼルジュに甘えたいばかりに、大げさに騒いだことを自覚しているのだ。
「本当は……ちょっと痛いなぁていう感じだった」
「そうなのですか?」
「うん。だから神官に怒りにいかなくてもいいよ。勝手に外に出ようとしたボクも行けなかったんだし」
「シーナがそう言うのなら……」
ゼルジュは優しくほほ笑むと、片方の手でシーナを抱き上げ、もう片方の手で乳白色の髪をなで始めた。
シーナはゼルジュの胸の中で、くすぐったそうなうれしそうな表情を浮かべた。
精霊はこの世界のいたるところにいるが、シーナのように人前に姿を現すことはほとんどない。
ゼルジュとシーナは魔法契約を結んでいるため、気軽にゼルジュとその知り合いであるユーリ達の前に姿を現しているのだ。
精霊と魔法契約をしている場合、神との契約と区別するために、精霊契約と呼ぶことが多い。
精霊契約を結ぶと、その精霊が属している魔法を使用できるようになる。シーナは風の精霊でシルフという種族の精霊だ。精霊シルフは風の神エアレスの眷属である。
そのためシーナと精霊契約を結んでいるゼルジュは精霊シルフを通して風の神エアレスの魔法を使用することができる。
多くの人は神と魔法契約をしているが、精霊と精霊契約を結んでいる人の割合は三十人いたら一人という割合だ。当然、アクアディア学院の生徒の中には、精霊契約を結んでいる生徒もいる。しかし、学院内ではむやりやたらにその姿を現さないようにと、学院規則で取り決められている。
学校というところは、勉学するためであり、精霊とのなれ合いをする場ではないという理由からだ。
精霊たちは自分の意志で姿をくらますことができるため、生徒の契約者が学院にいる間は、姿を見せないようにしているのだ。
自分の存在が契約者にとって不利になることを望まないからである。
精霊たちは人間とは違う空間に位置する存在のため、精霊が遠くにいても、契約者がその名を呼べば瞬時に移動してこれる。
今日はシーナはずっとゼルジュの傍にいたが、その姿は見えないようにしていた。
しかし、今回水の宝珠が盗まれたところに出くわし、喧噪感をあらわにしたゼルジュのために、自分が盗人を追うとして、結界に妨げられたのだ。
神官が、皆を落ち着かせるようなゆっくりとした口調で話し始めた。
「現場検証をして問題がないことが分かった場合、すぐに皆さんを開放します。それまでご協力をお願いいたします」
このとき礼拝堂にいたのは、一般人が五人、アクアディア学院の学生が十五人。司祭が一人に、神官が一人、そして警護中だった騎士が三人だ。
「盗人が見つからないかぎり、ここを出られないだろうね」
ユーリの言葉に、ラクロスは憤った表情を浮かべる。
「ひどいことするやつがいたもんだな。水の宝珠はこの国の宝なのによ」
他の級友達もそれぞれ言葉を交わす。
「制服を着ていたってことは、同じ学院の生徒だよな」
「知らない子だったけど」
「なあ、ユーリ」
級友のダグラスがユーリに話しかけてきた。彼は体育館に移動しようとしたとき、ユーリに故意にぶつかってきた男子生徒だ。
「水の宝珠を盗んでいったやつは、さっきおまえとと話していなかったか?」
どこかとげのある目でユーリを睨らむ。
「水の宝珠のある場所を聞かれただけたよ。どんな子なのかまったく知らないよ」
「本当にそうなのか?」
なおも言いつのろうとするダグラス。そこに、司祭の声がかかる。
「割れたステンドグラスをこのままにしておくのは危険です。皆で手分けして片付けましょう」
皆で手分けして、と言っていたものの、実際に作業をするのは、その場にいる学院の生徒たち、すなわちユーリ達だった。
一般の人たちは、生徒達が司祭たちの指示に従って掃除をしているのを、不安そうな表情を浮かべながらただ黙って見ていた。
ユーリは「どうして君は運動着なんだ?」と、司祭に聞かれ、「制服は洗濯中なので」と会話を交わした。
一日にいろんな人に何度も同じことを聞かれ、ユーリは気がめいった。思わずつきそうになるため息をこらえる。
ほどなくして掃除がすんだ。ガラスのかけらに混じって、制服の袖のボタンが一つ見つかった。その場にいる学生はそれぞれ自分の袖を確認したが、彼らの袖にはきちんとボタンはついている。
そういえば、とユーリは思い出した。昨日、自分の制服を洗っているときに、右袖に三つついているうちの一つが取れそうになっていた。
気づいたときは、後で付け替えようと考えていたが、その制服を物干しざおに干しているときには、すでに忘れていたのだった。
まさか、と思う。じゃっかん不穏な予想が鎌首をもたげたが、それ以上は考えないことにした。
時間はこくこくと過ぎていく。
いつの間にか、この礼拝堂に絶えず聞こえていた水の流れの音はしなくなっていた。水の宝珠がなくなったからだ。
それはこの国の未来をいやがおうにも想像させる。
枯れる泉水。それに伴い枯れる湖、枯れる川。植物が枯れ、砂色と化した大地となるアクアディア聖国。
不安がじわじわと人々の心を支配し始める。
トイレに行きたい者は騎士の警護つきで、礼拝堂の外に出ることはできたが、すぐに用をすますと、すぐに戻された。
そのうち、水がなみなみと入った一抱えのある壺が礼拝堂にもたらされ、一緒に複数のコップが持ち込まれた。
それはここに閉じ込められる時間が長引く可能性を暗に物語っていた。
閉じ込められている時間が長くなれば長くなるほど、閉じ込められた者の喧噪感は募っていく。
ラクロスが苛立だしく叫んだ。
「いつまで閉じ込められればいいんだ」
「きっとみんな同じような気分だよ」
ユーリは、ラクロスを落ち着かせるように静かに言った。
「俺たちはスフィアをするために礼拝堂に来たのであって、閉じ込められるためじゃないぞ」
ラクロスはどこにも向けることのないいらだちをこぶしに込めて、壁をなぐりつけた。ドスン、という音がし、かすかに空気が揺れた。
司祭がそんなラクロスを静かに窘めた。
「そこの学生、人々の不安を掻き立てる言動はやめなさい」
ラクロスは一瞬顔をゆがめたが、すぐに素直に返事をした。
「はい……」
それからはただ扉が開くのを待つだけだった。
礼拝堂に閉じ込められて四時間ほど経過しただろうか。
ようやく扉が開いた。