ユーリ、再びの偲びの店
店に入ると、
「こんばんは。いらっしゃい」
昨日と同じくしっとりした雰囲気の女将が笑顔で出迎えてくれた。
「お連れ様は先にいらしているわよ」
昨日と同じ席にジェノサイドがいた。
「ジェノ、こんばんは」
「ユーリ、お疲れ。空飛ぶキノコはどうだった?」
「とても混んでいて、一時間並んでようやく八日後に出発するチケットを手に入れたよ」
「一枚? そうか……。ユーリは俺と一緒にブリジット様のもとに行ってくれるつもりはないんだねぇ」
言ってジェノサイトは、はあっと重いため息をついた。
「え、あの、ごめん。ジェノ」
「謝らなくていい。ますます腹がくくれたからねぇ。これで今やっている門の修理に、なんの気がかりもなく精がだせるとうものだよ」
「本格的に建築会社で働くことになったんだね」
「それが俺の職業だからねぇ。で働くとなると、そうなると、いろいろと口を出したくなってしまうんだよねぇ。とくに門のデザインとか開閉の機能性とか。
まあ、もともといる職人の気分を害さない程度に少しずつ意見を言っていくつもりだよ」
「そうだね」
「それにしても、空飛ぶキノコのチケットを買うのに、一時間も並んだなんて、観光客が一気に帰ろうとしているだねぇ」
「キラット村は観光地なんだね」
「観光客なんだか探検家なんだか俺にはあまり区別はつかないけれど、どちらにしろ彼らの助力があっての今回の勝利だと思うよ。ありがたいことだねぇ」
「ジェノのほうは今日はどうだったの?」
「ユーリと別れてから真っ先につり橋を見に行ったんだ。つり橋は破壊されていたよ。魔物の軍勢はつり橋を渡って襲って来たらしい。それに気づいた村の誰かが意図的に破壊したんだねぇ」
「意図的に?」
「また魔物の軍勢に襲われたらと気が気じゃなんいだろうねぇ。
魔物も考えたものだよ。こちら側にタイトスの町があるから、それ以上先に進むのは困難だ。けれど、渓谷のあちら側は、簡単に襲撃できる村ばかりだったからね。それで進路を進められたんだろう」
「なるほど」
ユーリは頷いた。
「その後、役所に行っていろんなことを聞いたんだけど。それはコウが来てからでいいかな」
ちょうどそこにおかみさんが聞いてきた。
「何をめしあがりますか?」
「そうだね。おかみさん、何かおすすめはありますか?」
「川魚のピリ辛煮がおすすめよ」
ユーリはすぐに答えた。
「それ、いただきます」
「即答だねぇ」
「鹿肉ばかり食べていたから、魚が食べたくて。昨日のアライっていうのもおいしかったし」
二人が食事を終えたところに、コウがやってきた。
「おまたせしてもうしわけない。若者たちに夕食に誘われて同行したのはいいが、いろいろと質問されましてな」
「コウ。お疲れ様」
「お疲れさまでした」
コウが席に着くと、女将がお茶をもってきた。
「コウ先生はお食事はすでにしてきたんでしょう。ごゆっくりしてくださいね」
「ありがとう」
お茶のカップをテーブルの上に置き、そのかわりにテーブルの上に置かれたままだった空いた皿をてきぱきとか片付けると、女将は去って行った。
「コウに聞きたいことがあったんだ。橋がなくなって村の人が困ることってあるかい?」
「向こうの森では山菜が良く摂れますな。それに鹿の数もこちらより多いですから、食に若干難がでるかもしれません」
「そうか……。けれどそれくらいなら、思ったより支障はなさそうだね」
「俺としては、ジェノサイド様とジオラルド様が協力して造り上げたものですぞ。それを破壊されたことのほうこそ心が痛みます」
「しょうがないよ。橋を渡ってまた魔物が襲って来たら事だしねぇ」
ユーリは目を丸くした。
「つり橋を造ったって?」
「俺が村をでる前までは、つり橋じゃあなくて、川の中に土台を作って作られた橋だったんだ。その橋は川が氾濫するたびに壊れてしまってね。どうにか丈夫な橋を造れないかと思っていたんだよ。
そんな時、たまたま商人から手にいれた本があってね。建築に関する本だったんだ。そこにつり橋の構造と設計について書かれているページがあって、自分でも設計図を描いてみたことがあったんだよねぇ」
「ジェノサイド様が出ていかれてから五年くらい経ったころでしたかな。ジオラルド様が地の魔法で作ってくださったんです。ジェノサイド様の設計図を見ながら試行錯誤しながらでしたがな」
「ジオは頑張ったんだね。俺がやろうとしていたことをやったんだから」
「ジオラルド様はジェノサイド様が家を出て行ってから、ジェノサイド様のようになることを目指して、日々勉学に励んでおられました」
「そうかぁ」
ユーリはジェノサイドの偉業に驚いていた。
「つり橋をジェノが設計したときってまだ十代半ばくらいだったんだよね。そんな歳で設計するなんてすごいな」
「まるまる設計したわけじゃないよ。参考になるつり橋の設計図があったからねえ」
「けれどやっぱりすごいよ。ジェノって頭がいいだね」
「さあ」
ジェノサイドはユーリの言葉に肩をすくめてみせた。
「頭が良いかどうかはともかく、何かを作ったり設計するのは昔から好きだったな」
「つり橋になってから洪水で橋が壊れることはなくなりましたが、こまめに点検や補強をする必要がありました。ジオラルド様にとって、あのつり橋はジェノサイド様との共同で造った橋だという思いがあったようです。
そして、あの日も前の日に振った雨の後が心配で点検に行ったのだと思います」
「そうか……」
コウの言うあの日というのが、ジオラルドがつり橋の下で遺体となって見つかった日だとユーリも分かって口をつぐんだ。
話題を変えるようにコウはジェノサイドに質問した。
「ジェノサイド様、役所のほうはどうでしたか?」
ジェノサイドは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
「昔のことすぎて忘れていたけれど、十六でこの村を出るとき、後腐れがないように、一人でいろいろと手続きをしていたんだよ。ヤンソン家から籍を外したり、学校を退学したり、当時付き合っていた彼女と別れたり。
で、役所の答えとしては籍をぬいているから、俺にはヤンソン工房をどうこうする権利はなんだって。屋敷もしかりだよ」
「そうですか……。ジオラルド様が蘇ってくれたら、金の糸も造れて工房も立て直しができるでしょうに……」
ジェノサイドとユーリの声が重なった。
「そのことだけど」
「あの……」
二人はお互いを見た。
「なんだい、ユーリ」
「ジェノこそ、何か言いかけたでしょ?」
「いや、なんでもないんだ。ユーリは?」
「僕も、何でもない。そうだ、ジェノは泊まる宿はもう見つけているの?」
「あっ、しまった。何もしてないよ」
「だったらよかった。二人部屋を借りたんだ。その部屋しか空いていないというから、即決した。同室だけどよかったら一緒に泊まらない?」
「それは助かるよ。野宿しなければならいと一瞬思ったからねぇ」
コウは無念そうにつぶやいた。
「家があるのに、野宿やら宿やらと、嘆かわしいことです」
その後、おかみさんの料理を堪能し、三人は椅子から腰を上げた。
「今日もおいしかったよ。ごちそうさま」
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした。魚の煮物、おいしかったです」
「今日も来てくださってありがとう。またいらしてくださいね」
女将の笑顔に見送らせて店を出る。
「いい人だよねぇ」
「そうですなぁ」
「きれいで、美人で料理がうまい」
「そうですなぁ」
「コウはあの人に惚れているんだね」
「そうですなぁ。――えっ?」
相槌を打っていたコウは驚いたような戸惑ったような声を上げた。
「口説いてみればいいのに」
「な、めっそうもない。俺はあの人の笑顔が見れて、あの人の手作り料理が食べられればそれで満足なのです。薄給で、仕事のほかにはこれといった取り柄のない俺には、一生手が届かないでしょう」
「そうかな。けっこう見込みがあると思うけどねぇ。そう思うだろう、ユーリ」
「うん、そうだね。あのおかみさん、コウ先生に向ける笑顔は僕たちとは違う気がする」
「ば、ばかな。大人をからかわないでください」
「俺はもうけっこうな大人だよ」
「俺よりは子供です」
「まあ、俺よりおじさんなのは確かだねぇ。ユーリから見たらもうおじいさんなんじゃないかい?」
「そんなことはないよ。コウ先生はまだまだ若いもの」
「そうですぞ。若い者には負けませんぞ」
「じゃあ、その若さでアプローチしなよ」
ジェノサイドはにやにやと笑った。
「むむ。だからそれとこれとは違うのです」
そんな会話をしているうちに別れ道にたどり着いた。
「コウ、気を付けて帰るんだよ」
「ジェノサイド様とユーリ殿も、お気をつけて」