ユーリ、ヤンソン家の事情を聞く
しばらくしてから、ジェノサイドは口を開いた。
「ジオはどうして死んだんだい?」
「東の大橋の下で亡くなられていました。転落死とみなされました」
「事故死かい? それも自殺?」
「事故死だと判断されました。当時は前の日に大雨が降って、ゴールドライン川も氾濫していたのです。つり橋の様子を見に行って、誤って足を統べられたのでないかということです」
「親父とお袋が一年以上も戻っていないというのはどういうことだい?」
「ジオラルド様が亡くなった後、ジグ様と奥様は大変お嘆きになりました。そして、ジオラルド様を蘇らせるために大賢者ブリジット様の元を訪ねることにしたのです」
ブリジットの名前がでてユーリはどきりとした。ここでブリジットの名前がでるとは思っていなかった。
「無事に目的が成されていれば一か月、遅くとも二か月もかからない道のりです。それが一年以上も戻らないとなると……」
「もちろん護衛はつけていたんだよね? どういう行程で行ったんだい? 一年前ならもうゴルディア鉱山は危険地域となっていたよね?」
「はい、ですから中央街道ではなく、空飛ぶキノコで大地の牙山脈を超えて、シャンロンという町から南下する行程を選びました」
ジェノサイドが声をあげた。
「空飛ぶキノコだって?」
ユーリは先にミスティから話を聞いてたので、さほど驚かなかった。
ジェノサイドの反応にコウは目をぱちくりし、すぐに納得したように頷いた。
「そういえば、空飛ぶキノコを使っての空路が開かれたのは、ジェノサイド様が屋敷を出て行った後でしたか。時が流れるのは早いものですなぁ」
「まあ、空飛ぶキノコのことはまたあとでゆっくり聞くとして、親父達が一か月の行程のはずなのに、一年も戻らないとなると、最悪の事態を想定しないといけないねぇ」
「はい……」
コウが控えめに相槌を打つ。
ジェノサイドはそのままうつむいて何かをこらえるように両こぶしを膝の上で握った。ユーリはそんなジェノサイドに何も話しけることができなかった。どんなに慰めの言葉も今のジェノサイドにとっては気休めにならないと思ったからだ。
ジェノサイドはしばらくしてしてからようやく顔をあげた。その表情は悲観にくれたものではなく、真剣そのものだった。
「コウはまだヤンソン家の専属医療師なのかい? 昔のように会話をしていたけれど、コウが専属医療師ではなくなっているなら、接し方を変えなければならないからね」
「俺は今も昔もヤンソン家の専属医療師ですぞ。ジェノサイド様がいらしたときと違って、今は怪我をする職人も少なくなりましたが」
「そうか、安心したよ。今まで通りの接し方でいいね?」
「もちろんですとも」
「親父がいない今、工房は動いているのかい?」
「ええ。一応、稼働はしています」
「誰が采配しているんだい? ジオもいないんだろう」
「牛耳っているのはベインという男です。ジェノサイド様が出たあとに、工房で働き始めた男ですよ」
「工房がきちんと稼働しているなら、いいんだ。一番困るのは、事業がうまく回らなくて、職人たちに賃金を払えなくなることだからね」
「……きちんと稼働しているとは言い難いのです」
「どういうことだい?」
「ジェノサイド様がご存知のように、ヤンソン工房で作られる金細工は、金の糸を使用した品物を売りとしていますよね」
「ああ、そうだね」
「その金の糸を生成できるジグ様もジオラルド様もいない今、在庫していた金の糸は使用すればする分、減る一方となりました。
金の糸が尽きたら、金細工が作れなくなってしまうという懸念から、多くの職人が離れていきました」
「なんだって? 金の糸がなくなる前に、通常の金細工の製造に移行すればいいじゃないか」
「普通はそう考えますな。しかし、ベインは違った。三十人ほどいた職人のほとんどを解雇し、今は五人しかおりません。ベインは残った金で贅沢三昧をしています。
今や、工房の資産は減ることはあっても増えることはありません」
「親父はどうしてそんな男に工房を任せたんだ!」
ジェノサイドは怒鳴るように言った。
「ベインは腕はいいんですよ、腕だけは。そのことを鼻にかけ、工房の中でもいばりちらすようなころがありました。そのことで、ジオラルド様と衝突することもあったのです」
「あのおとなしいジオがねぇ」
「ジェノサイド様は、まだ身体が病弱だったころのジオラルド様しかご存知ないのですね。ジオラルド様は成長して、だいぶたくましくなりました。
つり橋を建築できたのは、ジオラルド様の地の魔法があってのことです。金の糸の生成ができるようになってからは、めきめきと頼もしさを増しました。もとも心の優しい方でしたから、職人たちもジオラルド様を好いていました」
顔をほころばせて、まるで自分の息子を自慢するように話すコウ。コウもジオラルドのことを好いていたのだろうとユーリは思った。話だけしか聞いていないが、ユーリもジオラルドに好感を持った。
「近いうちにジグ様の跡を継ぐだろうと言われていたところに、あの事故ですから……」
「成長したジオに会いたかったねぇ」
ジェノサイドはぽつりとつぶやき、気持ちを切り替えるように、
「ベインの話に戻そう」
「そうですな。ジグ様は、現実的な方ですから、ベインの性格に難があろうとも、多少は目をつぶっていたのです。
誰よりも早く誰よりも美しい金細工を作る、それがベインでした。そんなベインだから、自分が少し不在になるときに、ベインに工房を任せたのです」
「現実的で計算高い。使えないものは切り捨てる、それが親父だからな。それは今も昔も変わらなかったのか」
ユーリにはコウの説明だけでは分からないことがあった。だから言葉の端々を拾い取って推測するしかない。
まずは金の糸という言葉だ。それを作れるのはジグという人と、ジオラルドだけらしい。ジグというのは、ジェノサイドとジオラルド兄弟の父親のことだろう。
工房の名はヤンソン工房というらしい。そのヤンソンという名前をユーリはどこかで聞いたことがあるように思った。どこでかはすぐには思い出せないが。
「屋敷はどんな状態なんだい?」
「工房がこのような状態ですので、屋敷の使用人も多くが解雇され、残っている者も給料をだいぶ減らされました。先のない工房に見切りをつけて自主的に屋敷を去る者もいましたよ。
ああ、でもジェノサイド様と仲が良かったユウナはまだ屋敷で働いています」
「ユウナが……。彼女ももういい歳だろう。結婚はしているのかい?」
「いいえ。まだ独身です」
「ジオラルドの一つ下だから今は三十二か。どんな女性になっているのかな」
「きれいな女性になりましたよ。かつてジェノサイド様とジオラルド様に交じって、三人で泥だらけになって遊んでいたころとは想像がつきますまい」
「そうか……」
ジェノサイドの瞳に懐かし気な光が宿った。
「コウ、説明をしてくれて助かった。ありがとう」
言ってジェノサイドは挑むような笑みを浮かべた。
「さあ、それじゃあ、我が家に帰ろうか。
家と工房の状況を見て、どうするべきか判断することにするよ」
コウは頼もしげなまなざしをジェノサイドに向けた。
「ジェノサイド様は大人になったんですなぁ。自分の悲劇を嘆くだけでなく、工房のことを気にかけ、俺のことを気にかけてくださるとはありがたいかぎりです。
二十年前に、今のような心根であってくだされば、世継ぎ問題があがったときに、啖呵を切って家を飛び出すこともなかったでしょうに……」
ジェノサイドは苦虫をかみしめたような表情をした。
「昔の話をまぜっ返さないでくれよ。俺も若かったんだ。二十年も人生経験をつめば、少しは懐も広くなるさ」
照れ隠しに頭をぽりぽりかいてから、ジェノサイドはユーリに目線を移した。ユーリの表情を見て、しまったというような表情を浮かべ、すぐに笑みを取り繕う。
「暗い話を聞かせてしまったねぇ。ユーリは気に病むことはないよ」
「ジオラルドさんのこと、ご愁傷様です。ご両親も無事、戻ってくるといいね」
「ありがとう。ここまで引き留めて悪かったよ。今から宿を探すのも大変だろうから、当初の予定通り、屋敷に来てくれ」
「いいの? ジェノの屋敷は今……」
「ベインという男も、主の息子が戻ってきたら、無碍にはしないだろう」
「ジェノサイド様……」
コウは何か言いたそうだったが、結局何も言わず口をつぐんだ。」
個室の引き戸を開けると、ますます客が増え、女将がカウンターの向こう側にいて、洗い物をしていた。
「あら、お帰りですか?」
「ああ、今日の料理もおいしかったぞ」
「おほめいただいて光栄ですわ」
女将の後ろの壁にかけられている掛け時計にコウは目をやった。時計の針は九時を過ぎたところを指している。ここに来たのは、七時過ぎだったから二時間ほどいたことになる。
「だいぶ話し込んだようだな。遅い時間まで失礼した」
「とんでもないわ。またいらしてくださいな」
「ああ、また来るよ」
「ありがとうございました」
女将の優しい声に見送らせて店を出る。
ジェノサイドがユーリに話しかける。
「少し歩くよ。十五分くらいかなぁ」
「かまわないよ」
ジェノサイドの屋敷は、このあたりどこよりも大きかった。隣りの敷地には工房らしき建物が隣接してある。
ジェノサイドが家にたどり着き、ドアベルを鳴らして少し待っていると、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。
「どちらさまですか?」
女性の声が誰何してきたので、相手が誰だかピンときたジェノサイドは、気取った口ぶりで言った。
「ジェノサイドという者だよ」
「――っ!」
ドア越しにも女性が息を飲むのが分かった。
急いでドアを開ける様子が伝わってくる。
ドアが開き、夜の空間に光が一筋できる。
おそるおそるドアの間から顔をのぞかせる女性。逆光で表情は分からない。背中まである長さの黒髪が、光を反射して輪郭だけぼんやりと光っている。
「本当にジェノサイド様、なのですか?」
「君はユウナだね?」
ユウナと呼ばれた女性はジェノサイドの問いかけには答えなかった。答える気持ちの余裕がないようだ。
「ああ、ほんとうに……?」
警戒するように扉の外に出る。
窓から漏れる光だけを頼りに、女性はジェノサイドに目を凝らす。
「だいぶおっさんになっただろう?」
ジェノサイドは女性に微笑みかける。もともと目が細いのにますます細くなる。
ユウナは口元を両手で抑えながら、信じられないという表情を浮かべた。
次の瞬間、ユウナはジェノサイドに抱きついた。
「ジェノサイド様なのですね」
ユウナは抱きつきながら涙を浮かべた。
ジェノサイドはいたわりのこもった両腕で抱きしめた。
「おいおい、泣くことはないだろう」
「嬉しすぎて……」
ジェノサイドはユウナから少し上半身を離すと、彼女の目の縁に溜まった涙を指で拭った。
「泣き虫なのは、昔とは変わらないんだねぇ」
「一年前に散々泣いたので、涙は枯れたのだと思っていました」
ユウナはふわりとほほ笑む。
「この涙は悲しみの涙ではなく、喜びの涙です」
ユウナの喜びの目線をまっこうから受け止めてジェノサイドは、そのまま身体を硬直させた。