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アクアディア聖国物語  作者: 中嶋千博
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コウたちと食事を楽しむ

 時刻は夜の七時過ぎ。キラット村は魔物の軍勢に勝利したということで、大いに賑わっていた。

 その賑わいはユーリに、カルロスという名を持つ魔族インキュバスを倒したときのアルデイルの町の様子を思い起こさせた。


 みんな、ふってわいた災いを撃退したことで、心から喜び、祝っている。

 それは狂気に近い驚喜だった。


 通りにある食事処は居酒屋も飲み屋も、勝利を祝う人々で賑わっていた。


 コウがユーリたちを連れて入った店は大通りからそれた小道の中にある一件、民家のような佇まいの店だった。黒調の木の板でできた看板には、「なごみ」という店の名とその周りに五枚の花弁をもつ花がつつましげに舞うように彫られている。

 その花がサクラの花であることにユーリは気づき、ふと懐かしい感情に駆られた。

 故郷のサクラの花びらが舞う公園で、ひっそりとラナと会ったときのことを思い出したのだ。月明りのもと、ラナの青い瞳は優しく輝き、その唇には笑みが浮かんでいた。

 ラナの手のぬくもり、ラナの自分を呼ぶ声がまざまざと蘇る。まるですぐここにラナがいるかのように。

 コウが店の扉を開ける。

 明かりか店内からあふれてきた。そのあたたかな色合いの光と、「いらっしゃい」という優し気な女の人の声で我に返る。


 店内は入って左側にカウンターがあり、椅子が五脚並んでいる。店の奥には、六人掛けのテーブルがある。


「いらっしゃい。あらコウ先生、今日はお疲れさまでした」


 カウンターの向こうでやわらかな表情で微笑みかけるのは、白いエプロンに、黒髪を後ろでまとめた、妙齢の女性だった。


「お連れの方々もいらっしゃい」

 コウの後ろにユーリとジェノサイドに目線を向けると、にこりと微笑みかけた。


「どうも」

「こんばんは」


 ジェノサイドとユーリはそれぞれ軽く頭をさげた。


「コウ先生、昨日今日と、医療院でだいぶご活躍されたのではありませんか?」


 コウはにやりと笑みを浮かべた。


「まあな。若者にはまだまだ負けないつもりだ」

「でしょうね」

「若手が気を利かせて先に休むようにと言ってくれたからね。言葉に甘えて上がってきたところだ」

「まあ、こういう時ばかり、歳をかざすんですから。ほほほ」


 ころころと鈴を転がすような笑い声をあげる女性。


「歳で悪かったな」

「コウ先生はまだまだお若いですわよ」

「お世辞を言っても何もでんぞ」

「わたしは世辞はいいませんわよ」

「奥の席を借りるぞ」

「どうぞ」


 コウは勝手知っている我が家のように、ずんずんと店の奥に向かっていく。

 その後をジェノサイドとユーリが続いた。


 席に着き、真っ先にジェノサイドが小さな声でコウに質問した。


「コウ、あの女性がこの店の店主なのかい?」

「そうなんです。なかなかの美人でしょう。それに彼女の作る料理はうまいのですよ」

「それは楽しみだねぇ」


 それそれが席につく。一息ついたところで、ユーリは口を開いた。


「あのう、一つ質問していいですか?」


 相槌を打ったのはジェノサイドだ。


「なんだい、ユーリ?」

「コウ先生とジェノはどういう関係なの?」


 ジェノサイドは目をぱちくりした。


「そうか。まだ説明していなかったねぇ。俺としたことがうかつだった。コウは俺の家の専属医療師なんだよ」

「ええ? ジェノはお金持ちなの?」


 普通の家庭では、専属で医療師は雇えない。


「俺の実家は金細工工房を営んでいてね。従業員が多いから、その分怪我人や病人も多い。そのために医療師を住み込みで雇っているんだよ」

「そうなんだ。それじゃあ、ジェノは偉い人なんだね。ごめん。普通に接していた」

「普通でいいんだよ。俺は家を出た身だからねぇ。家のことは弟のジオが継ぐし」


 コウが言いにくそうに口を開いた。


「そのことなのですが……」


 ジェノサイドとユーリの目線がコウに集まったところに、女将がトレーに水の入ったコップを三つ持ってやってきた。


「食事はお任せでいいかしら?」


 コウは言いかけた言葉を閉じて、女将に目線を向けた。


「ああ、よろしく頼むよ。若い者がいるから、二人には肉多めがいいな」


 コウの言葉に重ねるようにジェノサイドが言う。


「俺より、この子に多めで頼みします」


 ジェノサイドが指したのは、ユーリだ。

 女将はにこりと微笑んだ。


「かしこまりました」


 女将の後ろ姿を見送ってから、コウは再び口を開いた。


「まずは食事をしてからにしましょう。そのほうが落ち着いて話せますからな」


 女将の料理にユーリは舌鼓を打った。

 上品さがありながらも親しみのある家庭的な味付けだ。料理の盛り付け方が繊細で、目で楽しめて舌で楽しめる。

 ここ最近、大衆食堂で食事をすることが多かったユーリは、こうしたこじんまりとした店で、少しずつ出される料理をゆっくりと時間をかけて味わうのは久しぶりのことだった。


「ニジマスのアライ、久しぶりに食べたよ。故郷の味だなぁ」

「これ、なんの肉なの?」

「川魚だよ。近くにゴルディア鉱山から流れてくるゴールドライン川が流れていていてね。この川は今日日中通った谷の底を流れている川と同じなんだ。鉱山近くは深い谷の底を流れているけれど、ここまで下ってくると水面がだいぶ近くなって、浅瀬になっているんだ」

「不思議な色をしているね。白っぽいオレンジ色みたいな。一見、魚だとは分からないよ」

「通常、川魚の身は白いけれど、ニジマスは赤身を帯びているだよ。それを薄くスライスして、さっと熱湯で湯がいたのがこのアライという料理なんだ。川魚独特の泥臭さがなくなって、さっぱりいただけるこのあたりの郷土料理だねぇ。醤油を酢で割ったこのつけだれで食べるのが最高なんだ」」


 ユーリはジェノサイドの説明を受けながら、それを食べてみた。熱湯で湯がいただけだから、表面こそ湯がかれているが、中は生の状態で、不思議な口当たりだ。塩辛さと酸味がほどよく合わさったつけだれとよく合う。


「魚を半ナマの状態で食べるのは初めてだよ。けれど、意外にいけるね」

「海側の人たちは、半なまどころかナマでも食べるらしいよ」

「魚をナマで?」


 ユーリは目を丸くした。アクアディア聖国では魚をナマで食べる習慣がないし、ノースグランドの医療部隊にいたときもそのような料理を口にしたことも聞いたこともなかった。。そこからここまで内陸を横断してきたため、海そのものを見たことがない。


「僕は海を見たことがないんだ」

「海はいいよ。広くて大きくて、一度見てるといいよ。人生観変わるからねぇ」

「そうなんだ。いつか見てみたいなぁ」


 食事を終え、食後の茶が運ばれてくる。

 このころになって、ようやく他の客が二、三人ぱらぱらと入ってきた。一人でやってくる男性の客ばかりで、全員すでにどこかの店で料理も酒も味わい、最後の締めとして、女将の顔を見に来てがてら、女将の料理を食べに来た、という様子だ

 今何時だろうと壁にかけられている時計を見ると、八時を過ぎていた。ユーリは泊まる宿のことが心配になってきた。

 これだけの大きさの村なら、いくつも宿はあるだろうが、昨日魔物に襲われたばかりだけに、空き部屋があるか心配だ。遅くなればなるほど部屋は埋まっていく。


「コウ先生、ごちそうさまでした。おいしいお店に連れてきてもらってありがとうございます」

「礼を言うのはこちらのほうですぞ。ユーリ殿からみれば、運悪く村が魔物の軍勢に襲われているところに通りかかっただけなのに、力を貸していただき、その後は怪我人の治癒までしていただいて、ありがとうございます。礼を言っても言い尽くせない」

「いえいえ、頭を下げないでください。お役にたててよかったです。

 そろそろ僕は行きますね。泊まる宿を探さなければならないし」

「それなら、俺の屋敷に泊まればいいよ。部屋の一つや二つは空いているよね?」


 後ろの言葉はコウに向けられていた。


「う、うむ……。そのことなのですが……」

「どうしたんだい?」

「これからジェノサイド様にとって、悲しい話をしなければなりません。心して聞いてください」


 ジェノサイドは表情を硬くした。


「ああ」

「あのう、僕、本当にそろそろ行くね」


 ユーリが控えめに言って、腰をあげようとすると、ジェノサイドがユーリの肩に手を置いた。


「気を使わなくてもいいよ。ここまで聞いたら気になるだろう?」

「うん、まあね」


 気にはなるが、好奇心でコウの話を聞くのはジェノサイドに悪い気がした。それに、話を聞いてしまうと、それが厄介なものだった場合、ジェノサイドとここまで親しくなったのだ。放っておけなくなるだろうという懸念もある。


 ユーリが戸惑いながらも、再び椅子に腰を下ろすと、コウは女将に声をかけた。


「ここを閉めさせてもらうぞ」

「はい。おかまいなく」


 にっこりと笑みを返す女将。コウは椅子から立ち上がると、引き戸になっている扉をスライドさせた。

 完全な個室になった。六人掛けのテーブルが収まるほどの部屋の大きさで、圧迫感はそれほど感じない。


 コウは重々しく口を開いた。


「ジオラルド様は一年前に亡くなりました。ジグ様と奥様はそのあとすぐに屋敷を出ていまだ戻らず不在です」


「なんだって……」


 信じられないというようにジェノサイドはつぶやき、呆然となった。


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