ユーリ、ハリーと友達になる
ある日、自分と同じ歳くらいの兵士を治癒させているときだった。
「ちきしょう、俺をかばって友人が殺されたんだ。この敵は必ずとってやる」
彼は目を血ばらせて、呪うように叫んだ。
治癒魔法を施しながらユーリは静かな声で言った。
「相手も同じようなことを思っている人がいるかもしれないよ」
「憎しみが憎しみを呼ぶってやつだな。俺だって、最初兵士として徴兵させたときは、他人事だったけどな。こうして自分の身に降りかかってみるとその通りだと思うぜ」
「……」
ユーリはただ頷くことしかできない。彼の言うことは真理だ。
「俺たちだって、したくてしているわけじゃない。誰だって命はおしいさ。けれど上からの命令じゃ逆らうわけにはいかない。それに、最初の話に戻るけど、敵に対する憎悪がたまっているんだ。
早く治してくみれよ。そうしたら戦場に戻って敵が取れる」
次の日の朝、朝食の配給場所で列を並んでいると、ふと前に立っていた男がこちらを振り返って、ユーリを目にとめ、目を大きくして驚きの声をあげた。
「ああ! おまえ」
「え?」
ユーリは彼が誰なのかぱっと見、分からなかった。
「昨日はありがとうな」
言われて思い出す。昨日、自分が治癒魔法をほどこした兵士の男だった。自分をかばって友人がやられたことを悔やみ、その敵を取ると気色ばんでいたときの形相とはうってかわって、穏やかな表情になっている。戦で汚れた身体も昨日のうちに洗ったらしく、清潔感があり、昨日とは雰囲気が違ってみえた。
少し癖のある赤茶色の髪にはハシバミ色の瞳。頬にうっすらとそばかすがある。彼の気さくな態度と相成って、にくめないいたずら小僧、のような印象を受ける。
食事はそれぞれ自分の好きなところで食べれる。この日は天気が良いため、ユーリは男と一緒にいたるところに設置されている長椅子に座って食べることになった。
「俺はハリーっていうんだ」
「僕のはユーリ。よろしくね」
お互いに歳は聞かなかったが、ユーリはハリーのことを同じくらいの年代だと思った。ハリーも同様のようで、気さくに言葉を続けた。
「実は俺、昨日の戦が初めての戦だったんだ。剣技は学校の授業で振るうぐらいしか手ににじみがなくてな」
「そうなんだ。僕も剣を振るうのは苦手だな」
「普通そうだよな。俺だってはっきり言って、戦に出たくなかったよ。戦に出たは出たで、体が震えてろくに剣を振るえねぇの。
そんなとき、相手がこっちに剣を振り下ろしてきたもんだから、こっちも必死でさ。初めて人を斬った。その時の柄を通して両手に感じた手ごたえはまだこの手が覚えている」
そういって胸の前にかざしたハリーの両手は、そのときのことを思い出してか、小刻みに震えていた。
ハリーは自分に言い聞かせるように言った。
「慣れるしかなんだよな。これは戦争なんだから」
そのハリーは一か月後、再びユーリのいる医療テントに担ぎ込まれた。
背中を矢で射られ、右足のすねを斬られ、右わき腹に剣で叩きつけられたような傷があった。
ユーリはすでに何人もの怪我人を治癒していたため魔力がだいぶ減っていた。この状態は、オルジのことを思い出した。
持てる魔力をもって治癒魔法をかけた。
ハリーの様態が安定したのを見届けてユーリも気絶した。
ユーリがベッドの上で目覚めると、ハリーが近くに座っていた。はしばみ色の瞳に不安の光を宿しながら、その視線は床を見つめている。
「ハリー?」
ハリーは目線をあげた。目を覚ましたユーリを見て、ぱっと顔を輝かせた。
「ユーリ、起きたか。よかったぁ。目覚めてくれて」
ハリーは心底安堵したように大きくため息をついた。
「すまない。俺を助けるためにだいぶ無理をしてくれたんだな」
「僕は大丈夫だよ。それよりハリーは大丈夫? 足は動かせる? 脇腹の傷は?」
「ユーリのおかげで回復した。それでな、明日また戦があるそうだ。今回戦に出た者は休んでもいいということだが、俺は明日、戦に戻る」
「そんな……。傷は回復していも、だいぶ疲労はたまっているはずだよ。しばらく休んだほうがいいよ」
「俺は行く。敵を倒せば倒すほど、死んでいった味方の思いが報われるんだからな。それに……」
ハリーは目を伏せた。
「今日、自分よりも年下の敵を殺したんだ。
まだ幼さの残る顔をしててさ。自分が殺されたことも実感できないような表情を浮かべながら死んだ」
「ハリー……」
ハリーは泣きそうな笑みを浮かべた。
「久しぶりに妹のことを思い出したんだ。三歳年下なんだ。今日殺したあいつはちょっと妹に似ていた。妹と同じところに右目の下にほくろがあってな」
「ハリーには妹さんがいるんだね」
「ああ。今まではまったく違う状況になって、それを続けているうちに、妹のことを考えることを忘れていたけれど、そのときに思い出したんだ。
それで気づいたんだ」
ハリーの声がぐんと重くなった。
「人を殺すことが普通になって、それどころか人を殺すことが楽しくなっていたんだよ。最近では、仲間内で何人敵を殺したか、かけたりしている。
そんなふうになるなんて、ここにくる前の俺は考えもしなかったことなのに……」
ハリーはそんな自分がゆるせないというようにぐっとこぶしを握った。
ユーリはハリーの気持ちが自分のことのように分かった。だからハリーの行動を正当化する言葉を紡ぐ。
「それは、状況が状況だからしょうがないよ。戦場は日常生活とは違うんだから、感覚もそれに習って変化するんだと思うよ。そうじゃないと戦場では戦えないだろうし」
ハリーは目線をあげた。その瞳に光が宿る。
「だよな。しょうがないよな。戦争なんだから。殺さなければこっちがやられるんだ」
ユーリはハリーが、言葉でもって、人を殺すことを正当化しようとしていることに気づいた。
ユーリはそんなハリーの心理に不安を感じた。
「ハリー……?」
ハリーは目の前の霧が晴れたというような、せいせいとした表情を浮かべている。
「妹は結婚を直前に控えていたんだ。その結婚相手は戦争にかり出された。前に話しただろう。そいつは俺をかばって死んだ友人なんだよ」
「そうだったんだ」
ハリーの気持ちは分かる。けれど。
「今は戦争をしているから、相手を殺すにも憎むのも当然だよ。けれど戦争が終わって、元の生活に戻ったときのことも時には考えて。妹さんのためにも」
言いながらユーリは自分は医療テントの中いて、怪我人を治すだけで、戦地には行っていないのに、だいぶ偉そうなことを言っているなと思った。
けれど、誰かがハリーに言わないと、ハリーは抜け出せない闇に心が囚われてしまうように思えた。
ユーリの真剣な思いが通じたのか、ハリーははっとしたような表情になった。
「そうだな」
相槌を打ち、しばらく何かを考えこむ。
「俺は戦に飲まれてしまっていたのかもしれない。いや、また戦に参加したら戦に飲まれる。そんな自分が簡単に想像できるよ。
ユーリと話せてよかった。ゆっくり休んでくれよ」
「うん、ありがとう」
ハリーが去ったのを見計らって、ラーラがユーリの元を訪れた。
「ユーリ、また無茶をして」
「今回はできると思ったからやったんだから、無茶をしたわけじゃないよ」
「まあ、ユーリの魔力レベルがあがっていることは確かだね」
「分かる?」
「分かるよ。治癒魔法の威力も速さもここにきたときと比べると、だんぜん上がっているもの」
魔力保持量が増えているのはユーリ自身、感じていることだった。
「それに以前の倒れ方と違っていたから、前よりは心配していなかったんだ」
「どんな感じだったの?」
「以前は死んだような顔をしていた。でも今回はやることはやった、みたいな満足したような穏やかな表情を浮かべて気を失っていたよ」
「そうなんだ」
「魔力が増えたことで、ユーリが治すことができる怪我人の数も増えた。それはありがたいことだと思っているよ」
ラーラの言葉で、むくりとユーリの心の中にいらだちが膨れ上がった。
「それだけじゃ駄目なんだ。僕は蘇りの魔法を使えるようになりたいんだよ」
「蘇りの魔法だって?」
ラーラは目を見開いた。
「本気でそんな伝説級の魔法を使えるようになりたいって思っているの?」
「そうだよ」
「死者を復活させるなんて。そんなことができたらそれはもう神の領域だよ」
「神様になりたいというわけじゃないんだけどね」
あははと明るい声が響いた。アンが笑っているのだった。
「へんなやつだと思っていたが、やっぱりへんなやつだったんだな」
ユーリは頼りなげに微笑んだ。
「勝手に思っていてよ」
その日の夜、ふたたびハリーがユーリのもとを訪れた。
「今のうちに、ユーリに託したいものがある。もし俺が戻ってこなかったら、妹にこれを渡してほしい」
それは手紙だった。きちんと封がされている。
「そんな戻ってこないことを越したようなことを言わないでよ」
「もしも、だよ。もちろん、戻ってくるつもりさ。
じゃあ、頼んだぞ。俺は戻る。明日の戦の準備をしないといけないしな」
「明日、ほんとうに戦に出るの?」
「もちろんさ」
「あまり無理しないでよ」
俺は無理はしてない。俺よりユーリのほうが心配だ。まだ顔色が悪いぞ。もう少し休んでいろよ。それでまた俺が怪我をしたら治してくれ」
「うん……」
ユーリはあいまいに頷いた。以前、オルジにも同じようことを言われ、ユーリは笑顔で請け合った。
そのオルジは大けがをして戻って来て、そしてユーリはオルジを治すことができなかった。
また同じようなことを繰り返しているような気が、ユーリにはした。「ゆっくり休めよ」と言って、ハリーは去って行った。
それからほどなくしてのことだった。
この日、ヤナックはラーラと複数の兵士をつれて山へ薬草採りに出かけた。
収穫はいつもより少なかった。
「森の魔物が以前よりも狂暴になってきて、以前のように気楽に薬草採りができなくなってきた」
ヤナックがぼやいた。ラーラが言った。
「畑で栽培しているものもある。もっと畑の面積を広めて栽培できる薬草の数を増やそう」
「それしかないな」
治癒魔法が使えない外科医のヤナックは、薬草がなければ施術するのもより神経を使うことになる。
傷口を縫うのも、骨折した骨を繋ぐのも、手先の器用さだけではなく、その患部を速やかに治す薬草があるからこそ、充分にその効果を発揮できるのだ。
ユーリはヤナックに質問した。
「魔物が強くなったって何かあったの?」
「さあな」
ヤナックの回答はにべもない。一緒に森に入った兵士の一人がヤナックにかわって、説明してくれた。
「ここ何年かで少しずつ強くなっている気がしてはいたんだけどな。最近はそれが顕著だ。理由は分からない」
「そうなんですか」
「何か良くないことが起こる前触れじゃなければいいんだが。戦争のほかに、魔物の狂暴化なんてことが起こったら、この国は終わりだぞ」
日を追うごとに、不安と恐怖が徐々に人びとの胸に広がっていく。
人々の思いが同じ方向を向き、その思いが強くなれば、その思いは具現化するのがこの世界だ。
だからこそ、アクアディア聖国は国の宝であり水の要である水の宝珠が盗まれたとき、その事実を秘密裡にした。
ユーリは、もともと不安と恐怖の思いがあり、血と死のにおいがあるこの地が、自分がこの地にきたころよりも濃くなっていることを感じていた。
その日も戦があった。
戦を終えて、怪我を負った兵士たちが医療テントに運ばれ、ユーリたち医療部隊がその怪我を癒す。
戦でたけった血が収まらない元気な兵士たちは飲み屋で酒を飲み、馬鹿話をし、娼館で女を抱く。
今日は満月で空も明るい。
遠くの喧噪を聞きながら、配給された食事をラーラとビッドと一緒に食べる。
「今日は満月なんだね」
「本当だ」
「きれいですね」
三人で満月を見上げながら食事をした。
食事を終えて、配給場所にトレーを戻しに行ったときに、ユーリは声をかけられた。
「ユーリ、久しぶり」
「ハリー、本当に久しぶりだね。三ヵ月ぶりくらい?」
「そんなになるか。その間も俺は何回も戦に出ていたんだぜ。そのれまで医療テントのお世話になっていない。腕をあげたってことさ」
「それは何よりだね」
ハリーはラーラに目線を移した。
「ラーラに会えないのは残念だけどな」
ラーラはハリーに笑いかけた。
「元気そうでよかった」
ユーリは目をきょとんとさせた。
「二人は知り合いなの?」
「知り合いっちゃあ、だいぶ前から知り合いだったが、こうして会話をするようになったのはここ何か月かの間だよな」
「いつだったか、ヤナック先生たちと一緒に森に薬草採りに行ったときに、護衛してついてきてくれた兵士の一人がハリーだったんだよね」
「そうそう。あの時は魔物に殺されるところだった。戦場じゃなくて、森で魔物に襲われて死んだなんて、兵士として悲しい死に方をするところだった」
「ハリーが助けてくれなかったら、わたしは大けがをしていたかもしれない。あのときは助かったよ」
「いやいや、あれはたまたま助けることができただけだぜ。火事場の馬鹿力ってやつだ。後から仲間にも言われたしな。よくあんな魔物を倒せたなって」
「戦場で鍛えられているだよ」
ユーリはラーラとハリーが親し気に話しているのを見ていて、なぜだかいらだちを感じた。
「どうだい、久しぶりだし、一緒に飲まないか」
ハリーはユーリとラーラを交互に見て、親指で後ろを指さした。そこには直接地面に座って、食べ物を広げ、酒を飲んでいる兵士たちが五、六人いた。
「せっかくだけれど、僕は今日は早めに休むよ」
「わたしも同じ」
「そうか。近いうちにまた会おうぜ」
「そうだね」
ラーラが言った。
「医療テントでは会わないことを祈るよ」
ユーリたちはハリーと別れた。
「ラーラ、ほんとうによかったの? ハリーともっと話がしたかったんじゃない?」
「ハリーはともかく、お友達の中にはけっこう出来上がっている人がいたからね。あんなところに女の子が一人はいったら、いろいろといじられるのは目に見えている」
「それはそうだ」
テントの前でラーラとも別れ、ユーリはビッドとともに自分の休むテントの中に入った。
ビッドが言った。
「さっきの兵士さんたち、楽しそうでしたね」
「戦に参戦して生きて戻ってきたんだから、うれしいのは当たり前だよ」
「いつもあんな顔をしていればいいのに。ここに運ばれてくる兵士さんたちはみんな、苦しそうな表情をしているから」
「……そうだね」
「早く戦争終わらないかな。いや、終わったら俺の外科医の夢を叶える道が閉ざされるのか」
「外科医になる夢はここじゃなくても、叶えることができると思うよ」
「そ、そうですよね」
「そういえば、どうしてビッドは外科医になりたいの?」
「人を笑顔にするのが好きなんです。笑顔にするためなら、外科医でも治癒魔法使いでもどちらでもいいですよ。
けれど以前、師匠からもらったアドバイスで俺が持っているものを活かすことにしたんです。だから、今はやっぱり外科医になることが夢なんです」
「夢はないよりあったほうがいいからね」
自分が経験してきたことを心にかみしみながらユーリは言った。
ビッドは素直に頷いた。
「はい」
ベッドに横になっていると、ほどなくして向こう側のベッドから、すやすやと気持ちいい寝息が聞こえてきた。ビッドはもう寝てしまったらしい。
残りの二つのベッドはまだ空のままだ。大人の男たちはいつものように今夜は酒盛りらしい。
ラーラはもう寝ただろうか。
ラーラがハリーと親し気に話していたことを思い出し、ふたたびいらだちを感じて、ユーリは寝返りを打った。
なんどか寝返りを打ったが、どうしたわけか眠気が襲ってこない。
ユーリは気分を変えるために、一度、起きることにした。テントをでて、これといってあてもないので、井戸のほうに向かう。
するとそこに先客がいた。ラーラだった。いつもはポニーテルにしている髪をほどいて、背中に垂らしている。
「ラーラ」
声をかけられたラーラは振り向いて、驚いたようにユーリを見つめた。ふわりとほどかれた金髪の髪の一房がラーラの頬を流れていく。
「ユーリ、こんな時間にどうしたんだい?」
「なんだか眠れなくてね。ラーラは?」
「同じく。少し夜風に触れようと思ってここまで来た。畑のほうまで行きたいけれど、最近物騒だからね」
「そうだね。魔物がこのあたりまで出てくるようになったんでしょ?」
「医療部隊の保持している薬草もかぎりがあるからね。このまま戦が続くようなら物資が不足するだろうな」
「不足したら大変なことになるね」
「そのことなんだけど、そろそろ戦争が終結するという噂があるんだよ」
「ほんとう?」
「戦はもう一年以上も続いている。物資も人材もお互いに足りなくなってきているんだ。
それに魔物が近ごろ強くなってきていて、国民を魔物から守るのにも戦力を裂かなくてはならなくなっている。
戦は終わらせたいのはどちらも同じ。今は終わりどころを探り合っているような感じだろうね」
「早く戦が終わるといいな」
ため息をつくようにラーラは言った。
「心からそう思うよ」
金髪の髪が夜風にゆれる。今日のラーラはいつもと違って見えた。頼りない普通の女の子のように見える。
「ラーラ?」
「なに?」
問われて気づく。思わず自分が彼女の名を呼んでいたことに。
「ううん、なんでもない」
ラーラは笑った。
「おかしなユーリ」
その声がユーリの愛しい人の声と重なる。
ラナのためにここまできた。いや、もとをたどれば自分のためだ。ラナの記憶から自分に関する記憶がなくなるのことに抗ったのだ。
ラナに会いたい。
ラナは今、どこにいるのだろう。
ラナ……。
「ストーップ!」
ユーリとラーラの間にアンが現れた。
「おまえ、ラーラに何をするつもりだった?」
「えっ?」
なにをするつもりだった? アンに言われて自分の行動を再確認する。ラーラの頬に自分の手をあてて、それで……。その先のことを想像してユーリは飛び跳ねた。
「うわっ!」
ラーラのほうをみると、ラーラはユーリに触れた頬のあたりに手を当て、どこか放心したような様子で宙を見つめている。
「ラーラ、ごめん。本当にごめん。僕はどうかしていた」
「ユーリ……」
「こらラーラ、しっかりしろ」
「ああっ!」
ラーラは悲鳴をあげた。
「わたしとしたことが、心の隙が生じた。アン、割り込んできてありがとう。助かったよ」
「ほんとだぜ。今日は二人ともどうかしているぞ」
「満月のせいかなぁ」
「そういうことにしておこう」
二人は頷きあった。欲を言えば、今あったことを時を戻してなかったことにして欲しいくらいだ。
アンは憤怒のこどく目を吊り上げてユーリをにらんだ。
「ラーラを想い人の代わりにしようとしたな」
「そんなつもりは……」
「いや、そうなんだ。一年以上も好きな人に会えないでいるから、おまえはいろいろと溜まっているんだ。そんなところに、おまえと仲のいいラーラが他の男と親し気に話したものだから、やきもちを焼いた。そんないろんな感情がぐちゃぐちゃになってさっきの奇行にでたんだ」
「理論的に言われるとそんな気もしてくる……」
アンは今度はラーラをにらみつける。
「ラーラもラーラだ。自分がハリーのことを好きだと今日はっきりと自覚して、じっとしていられなくなっていたところに、気心のしれたユーリが現れて気が緩んだんだ」
「わ、わたしがハリーのことを好きだって?」
「そうだ」
「そんな、まさか……」
「ユーリがラーラを思い人の代わりにしたのと同じように、ラーラはユーリを思い人の代わりにしようとした」
「そんな……」
ラーラはうちひしがれたように、その場に膝をついた。
「わたしはハリーのことが好きなのか。そうなのか」
口にして自分の気持ちを確認している。
「そうだったのか……」
ようやくラーラは自分の気持ちを受け入れて、立ち上がった。
ユーリがラーラに話しかけた。
「実はさっき、ラーラとハリーが仲良く話しているのをみていらっときたんだ。それは嫉妬だった。それは好きな人が他の男と親し気に話しているのに対する嫉妬ではなくて、心を許した友達が自分以外の人と仲良くしているのに対する嫉妬だったんだよ。うん、きっとそうだ」
ラーラが自分自身のことなのに、他人事のように言った。
「女の子は自分を守ってくれた人に対して、恋心を抱くものなんだな」
「それは男にも言えることだと思うよ。僕はいつもラナに助けられてばかりいたから。そんな強いラナに惹かれたんだ」
「ふふ。ユーリの気持ちの中には乙女チックな面があるんだね」
「そうかな」
「驚きすぎてどっと疲れた。これならすぐに眠れそうだ」
「僕もそうだな。はやくベッドに横になりたい」
「おやすみ、ユーリ」
「おやすみ、ラーラ」
二人は井戸の前で別れて、各々のテントに向かった。
本人たちが言う通り、ベッドに横になると、すぐに眠りに落ちた。
それからはハリーは、なんだかんだと理由をつけてユーリたちのところにやってきた。
食事の時はもちろん、畑の仕事も率先して手伝ってくれる。
「ハリー、いつもありがとう」
「これくらいお安い御用だ。俺もラーラに会えてうれしいしね」
そんな会話する二人をユーリは微笑ましく見ていた。
また戦をすることになり、その戦にハリーも出ることになった。
「怪我をして医療テントにくるつもりはないぜ。夜の祝勝会に呼びにくるとは思うけどな」
笑顔で言うハリーに、ユーリとラーラも心から無事を願うエールを送った。
「くれぐれも怪我はしないでね、ハリー」
「気をつけて」
その日、ハリーは帰ってこなかった。他の兵士たちが戻って来ても、ハリーは戻ってこなかったのだ。
「うそ、一緒に祝勝会をやるっていたもの」
ラーラはハリーの無事を信じた。
ユーリも信じたかった。
しかし、数日経ってもハリーは戻ってこなかった。
目にみえて、ラーラは悲しみに沈んだ。
ビッドが言った。
「遺体が見つからないんじゃ、信じたくもなりますよね」
「そうだね」
ユーリは痛ましげにラーラをみつめる。ユーリもハリーが無事に戻ってきてくれるの事を信じたかった。
ハリーは一か月たっても戻ってこなかった。
ユーリはハリーから受け取った手紙を見つめる。自分が戦から戻ってこなかったときには、妹にこれを渡して欲しいとハリーは言っていた。
戦が終わったら、ハリーの妹のところをたずねなければならない。
縁起の悪い事を言わないでと言っていたのに、それが事実となってしまった。
いつまで続くのだろう。
いつまた誰かと仲良くなって、いつまたその誰かが亡くなるのを見つめなければならないのだろう。
戦が終わるまで?
蘇りの魔法が使えるようになるまで?
いつ、使えるようになる? もう一年以上もここにいる。
けれど、まだ使えない。タイムリミットはいつだ。
今は何月だ?
毎日が忙しくて今が何月何日なにかも忘れていた。
ユーリは医療テントの壁に掲げられているカレンダーを確認した。今日は六月三日。二十歳の誕生日まであと三ヵ月。
三ヵ月しかない。
その事実が数字となって目の前に突き付けられ、猛烈に焦りを感じた。