ユーリ、戦場に立つ
目の前が光に覆われ、その光が収まったとき、ユーリとネクロスは再び森の中に立っていた。
いやよくあたりを確認すると周りが森なだけで、ユーリたちが経っている場所は畑のようなものが広がっている。すぐ近くに畑道具を納めているらしい小屋があり、そのすぐ近くにユーリたちは立っていた。
ブリジットの森よりも空気が暖かく感じるのは、標高が低いからか、それともより南側に位置するからか。
空気に異臭のようなものが混じっているような気がする。
「すごい。ほんとに転移したんだ。転移魔法なんて初めて体感したよ。ここはどのあたりなんだろうね」
「さあ、そのうちわかるでしょう。ここからはワタシたちは分かれたほうがいいでしょうね」
言うと、ネクロスはその姿を小さい姿に変化させた。見た目は五歳児くらいの少女だ。大きさは赤ん坊くらいの大きさである。背中にに闇色の蝶のような羽が出現した。
驚いたが、それだけだった。いままでユーリが見てきた精霊はだいたいこのような姿をしていたから。
「それが本来の君の姿なの?」
「ワタシくらいになると神と同様に自由に姿を変えられるのよ。さようなら、人の子」
「さようなら、精霊ネクロス」
精霊ネクロスは黒い羽をはためかせながら、去って行った。
「さて、どこに向かえばいいのかな」
ユーリは当たりを見回した。畑の向こうに人が出入りしているらしい小さな道を見つけたので、その道を進んでいく。
そのうち人の話し声が聞こえてきた。あわただしく動いている音。痛みをこらえる誰かの声。
血と、そして腐臭のにおい。
ユーリが向かった先は、大きなテントが建てられたその裏方だった。表側に向かおうと、テントの横をよぎるとき、テントの柱に寄り掛かるようにして、たばこを吸っている男を見かけた。
黒髪を後ろで適当に縛り不精髭が生えている。白衣を着ていることから、医者だろう。その白衣のところどころが汚れている。
テントの中から痛みに耐えるうめき声や、奇声とも呼べる声が聞こえていた。
それらを意にかえさずに、ゆっくりとたばこをくゆらせている男をユーリは責めるような目で見た。
医者なら助けにいくべきではないのか。それなのにのんきにたばこを吸っているなんて。
男はユーリの目線に気づいたのか、こちらに目線を向けて、「それがどうした」とばかりに口の端をあげてみせた。
「……!」
ユーリはあっけにとらわれた。
「おまえ、何者だ? 森から来たようだが。まさか精霊でもあるまい」
「僕は人間です。賢者ブリジット様の元から転移魔法でやってきました」
「ブリジット? あの若作りのばばあのところからか。ラーラが依頼書を出したと言っていたが、本当に手を回してくれるとは驚きだ」
「そうですか」
「兄ちゃん、当然、治癒魔法が使えるんだよな?」
「はい」
「ここには怪我人がたくさんいる。たくさん活躍してくれよ。そうすれば俺のような外科医がその分楽になる」
「あの、まずは責任者に挨拶をしたほうがいいですよね」
「ここには責任者はいない。いるのは治療する者と治療される者だけだ」
まさかそんなはずないだろうとユーリは思った。もっと詳しいことを聞こうとしたところに、
「……ったい。痛い……」
と、テントの中から声が聞こえた。
男はユーリを促すようにあごをしゃくってみせた。
ユーリはテントの出入り口に向かって小走りに向かった。
テントの扉をあける。薬草と消毒液のにおい。そして血と腐臭のにおいが濃くなった。
テントの中には幅の狭いベッドが二十台ほど置かれ、半分ほどが埋まっていた。そのベッドの間を縫うように看護している人が三人、忙し気に働いている。
「あら、あなたは?」
入口近くにいた患者の一人を診ていた少女が顔をあげた。ユーリと同じ年くらいだろうか。金髪の髪を後ろでポニーテールにしている。
「僕はユーリ。賢者ブリジット様の意向でここに転移してきたんだよ」
「それはありがたい。わたしの嘆願がブリジット様に伝わったんだ」
少女は嬉しそうに顔を輝かた。
「わたしはラーラ。よろしく」
ラーラと名乗った少女は右手を差し出してきた。ユーリは自分の手を差し出すのを忘れて、驚きの声を上げた。
「ラナ?」
「ラーラよ。なによ、そのラナって。ラナってカエルのことじゃない」
「カエルって?」
「あ、ごめん。このあたりの方言なんだ。ラナはカエルのことを言うの。鳴き声がラナラナって聞こえるから」
自分の名前がカエルという意味があるなんて知ったら、ラナはどう思うだろうとユーリは思った。怒るだろうか、それともおかしそうに笑うだろうか。後者のような気がした
「そうなんだ。国が違うと呼び名も違うんだなぁ」
ユーリは感心した。そしてまだラーラの手が差し出されたままだったことに気づき、あわてて自分の手を差し出して握り返した。
「こちらこそ、よろしく」」
ラーラの手は働き者の手をしていた。その手の感触を感じて、ユーリは剣だこのできたラナの手を思い出した。
「来たばかりでここがどこなのかすらも分からない状態なんだ。いろいろと教えて欲しい」
「もちろんだ。なんでもわたしに聞いて」
ラーラは友好的かな笑みを浮かべた。
と、ユーリとラーラの視線を妨げるように小さな精霊が現れた。エメラルドの瞳に緑色の髪。その髪を左右に分け、複雑に編み込みをいれて後ろでまとめている。緑色の透き通った羽をせわし気にはためかせながら、ユーリをにらむ。
「おい、おまえ、いつまでラーラの手を握ってんだ? コロスぞ」
驚いてユーリは、ラーラと握手をしていた手を離した。
ラーラが困ったような表情を浮かべて、精霊をたしなめた。
「アン、せっかく来てくれた助っ人なんだ。仲良くしてよね」
「ちぇ。ラーラがそういうなら仲良くしてやらないことはないけどさ」
ユーリは、こりやり取りで、二人は精霊契約を結んだ関係なのだと悟った。
ラーラにアンと呼ばれた精霊は、敵愾心の宿る瞳でユーリをにらむ。
「おまえ、アタイの目が黒いうちはラーラに色目を使うなよ」
「えっと、色目って……?」
ユーリは困惑した。
愛らしい外見とはうらはらに、なかなか過激な性格のようだ。
「ラーラとは今初めて出会ったばかりだよ。確かにラーラはかわいい子だけれど、性格も分からないうちに、いきなり色目を使ったりはしないよ」
「ちょっとユーリ、いきなりかわいいなんて言われると照れるんだけどな」
ラーラが顔をほんのりと赤らめながらそれでも自己主張した。
「かわいいのは本当のことだよ」
「……」
ラーラはますます顔を赤くする。アンがジト目でユーリを見つめた。
「おまえ、天然なのか?」
「え? 天然って?」
「自分が天然なのを知らない天然なんてある意味、無敵だ」
一人で納得するアン。
「言っている意味がよく分からないんだけど…。ところで、君はラーラの契約精霊なんだよね?」
「その通り。えっへん」
「僕はユーリ・フローティア。よろしく」
ユーリはアンに右手を差し出した。その指先に、ペシッという感じで、アンは手を当てた。手の大きさが違うからしょうがないのかもしれないが、乱暴なしぐさだ。
理由は分からないが、アンに嫌われてしまったらしい。
「アン、初対面な人にそんな態度はいただけないよ」
「普通だよ、普通」
アンはつんとすまして答えた。
ユーリのもとに患者を看ていた二人もやってきた。一人は四十歳くらいの女性。もう一人は十五歳くらいの少年だ。
最初に話しかけてきたのは、女性のほうだった。
「わたしはテレサ。はじめまして」
「じめまして。ユーリです」
「わたしは治癒魔法がいちおう使えるわ。けれどラーラとは比較にならないほどレベルが低いの。だから、ここではもっぱら助手役ね。あなたは治癒魔法が使えるようね」
「はい」
実力を審査する審査員のような目でユーリを見ながら十五歳ほどの少年が質問する。
「魔力レベルはどれくらいなんだ?」
「八十くらいかな」
「八十? ほんとかよ」
疑いのまなざしを向ける少年にユーリは苦笑いを浮かべた。
「こんなことで嘘はつかないよ」
ラーラがとんとユーリの肩に手を置いた。
「さすがは大賢者ブリジット様が遣わした方だけはある。頼りにしているよ、ユーリ」
「話が盛り上がっているところすまないが、もう少し痛め止めをもらえないか?」
すぐ近くのベッドからためらいがちな声が聞こえた。見ると、そこには三十歳ほどの男が苦し気な表情を浮かべながらベッドに横になっていた。
ラーラが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんなさい。薬草が不足していて、多くは出せないんだ」
ユーリが口をはさんだ。
「どんな怪我をしているんですか? 怪我の様子次第では緩和できるかもしれないので、みせてください」
「それはありがたい。右足なんだがね。敵の剣で骨を叩きおられた。今はギブスをあてている。あのなまくら外科医の話じゃあ、薬草とギブスで一週間ほどで治るということだったが、痛みがひどくてな。心臓の鼓動と一緒に痛みも鼓動するんだ」
怪我の具合を確認するとそれはユーリの治癒魔法で治せるものだった。
「これならすぐに治せますよ」
「それはありかだい」
うれしそうな表情を浮かべる男に、ラーラが重い口調で言った。
「あなたのそれは一週間で治る怪我だ。痛みもそのうち引く。それまでおとなしく寝ていなさい」
今度はユーリに目線を移す。
「ユーリ、先に言っておくけど、過剰な施しはここではないようにしているんだ。自分の魔力を無駄に使用する必要はない。今日は戦争がある日だ。これから患者がぞくぞくとやってくる。それまで自分の魔力を温存しておいたほうがいい」
「すぐに治せるのに、治るまで黙ってみておくことなんて僕にはできないよ」
ユーリは男の怪我をしている箇所に杖を掲げた。
「あ、ちょっとユーリ!」
ラーラが止める間もなく、ユーリは呪文を唱えた。
「癒しの神キュアレスの加護を
傷ついた者を
汝の慈悲なる力をもって
癒したまえ
治癒せよ」
呪文を唱えたことで、ラーラは止めるのをあきらめ、かわりにため息をついた。
それほど時間はかからなかった。ユーリは杖を納めた。
「これで治ったと思います」
「ほんとうかい?」
おそるおそるギブスをとっていく男。そしてそこにあった切り傷がなくなっていることを確認して驚きの声を上げた。
足を動かしてみて痛みがないことも確認する。
ベッドの端を支えにして、床に足を下ろした。
「すごい。なまくら外科医に治るのに一週間はかかると言われていたのに、すぐに治った」
喜びを表現するようにその場で何度もジャンプしてみせた。
その様子を見ていた怪我人たちも目を輝かせた。
「おお、すげぇ」
「俺の怪我も治してくれ」
いたるところから声があがる。
先ほどはユーリのことを審査するような目で見ていた少年が、今では、憧憬の表情を浮かべていた。
「すげぇ。師匠と呼ばせてください」
「師匠だなんて、そんな……」
「あ、自己紹介が遅れました。俺はビッドといいます。将来はヤナック先生のような外科医になりたいと思っていたけど、今、師匠の魔法を見ていて意趣替えしました。将来は師匠みたいな治癒魔法使いになりたいです。なによりすぐに怪我を治せるのっていいですよね」
「外科医のことは僕はあまり知らないけれど。そのヤナック先生という人が外科医の人なんだね。今はここにいないの?」
ユーリに怪我を治してもらった男が説明した。
「どうせどこかでたばこでもふかしているんだろうよ。一週間も俺をベッドに縛り付けておこうとしたなまくら外科医のことさ。必要最低限の施術しかしてくれねぇ」
「そうなんですか……」
別の男が口をはさんできた。
「そんなことより早く俺の怪我を見てくれないか」
「いやいや、あいつより俺のほうを先に」
いたるところから催促の声があがる。
「えっと……」
ラーラがそんな怪我人たちを落ち着けるような口調で言った。
「ちょっとみんな、落ち着いて。そんなに急がなくても怪我はいつか治るんだ」
「そんな悠長なことを言ってられるか」
「ラーラは怪我をしていないから俺たちの気持ちは分からないんだ」
「分かるよ。わたしだって怪我はしたことがあるしね。けれど、みんなも知っている通り、今日は戦争がある日だ。これから続々と怪我人がやってくる。彼らのためにも無駄な魔力を使わせたくない」
「ラーラ、大丈夫だよ。これから怪我人がたくさんくるということだね。だったら、彼らが来る前に、ここにいる人たちを僕が治す。そうしたら、使えるベッドも増えていいでしょう?」
患者たちが一斉に叫ぶ。
「そうだそうだ」
ユーリも言った。
「僕ができることをするだけだから」
ラーラはあきらめのため息をついた。
「ユーリ、くれぐれも無理はしないでよ」
「もちろんだよ」
ユーリはテント内の怪我人を治癒して回った。すぐに治せる怪我も治せない怪我もある。骨折、やけど、毒薬による体力低下でベッドに寝かせられている者が多いようだ。使用している薬草、骨折箇所えの添え木、包帯の巻き方は完璧で、あとは時間さえあれば治るものばかりだ。
体内に回った毒薬を浄化することはユーリはできない。しかし体力を回復させることはできる。これで身体をめぐる痛みを若干防ぐことができる。
「こんなことをして、ヤナック先生が戻ってきたらなんと言われるか」
テレサが心配げにつぶやいた。ラーラが言った。
「ユーリは自分に自信があるんだよ。ここにいる全員を治癒させる自信がね。もしそれができたとしても、ここは普通の医療所じゃない。それはすぐに分かることだから、今は彼がやりたいようにやらせておこう」
ラーラが両腕に抱えるようにして抱いていたアンがうんうんと頷いた。
「それでもって、ヤナックにこっぴどく怒られればいいんだ」
「アン、ずいぶんユーリに辛辣だね」
「ああいう都会風の男は、ラーラの周りには今までいなかったからな。さらに魔力もラーラの上のようだ。アタイはラーラがあいつに惚れるじゃないかと心配なんだ」
「な、なにを言ってるんだよ、アン」
「ラーラ、今動揺したよね? 動揺したでしょ?」
「し、してないよ。第一、ユーリとはまだあったばかりだよ。会ってすぐ恋に落ちるほど、簡単な性格じゃない。そんな性格だったら、今までだって、恋のチャンスはあったはずだしね」
ユーリのあとを助手のようにビッドはついて回っていた。ちょうど五人目の男を治療するところだ。この男を治療したらあと五人。ユーリはまだ余裕で魔法を駆使できることを感覚で実感していた。だから焦りはなかった。
「この人は三日前の戦争で、毒矢に腕を刺されてここに運ばれてきました。毒はヤナック先生が緩和してくれました。だから今は傷口に薬草を練りこんで、傷が回復するのを待っている状況です」
「そうなんだ。ビッド、状況を教えてくれてありがとう」
「俺が知っている情報で少しでもユーリ師匠のお役に立てれば本望です」
「師匠というのはやめて欲しいな」
苦笑いを浮かべるユーリ。
「怪我の具合を確認してもいいですか?」
「もちろんだ。早く頼むよ」
「尽力します」
言っている先に、てきぱきとビッドが包帯をほどいていく。毒矢が刺さった箇所は、肉が盛り上がり回復している最中だった。この様子では黙っていても三日あれば完治するだろう。しかし、治癒魔法を使用すればすぐに完治することができる。
ユーリは傷口に杖を当てて、呪文を唱えた。
ほどなくして傷はあとかたもなく治った。
「すごいなぁ。傷跡も残さないなんて。ありがとう、ユーリさん」
「できることをしたまでです」
にわかに外が騒がしくなった。
「どうしたんだろう?」
ラーラが叫んだ。
「戦から兵士たちが戻ってきたんだ。これから忙しくなるよ」
「ちょっと待て。俺の治療は?」
ユーリの治癒魔法の施しを待っていた男が叫んだ。
「それは後」
ラーラの言葉はにべもない。
「そんなぁ」
情けなさそうな表情を浮かべる男。そこに、テントの出入り口の幕が上げられ、外から担架が担ぎ込まれてきた。
担架に乗せられた男が必死の声で叫んだ。
「誰か助けてくれ。神でも悪魔でもいいから」
男の顔は蒼白だた。近くにいたラーラがすぐさま駆け寄った。
「診せてください」
その間でも、ぞくぞくと怪我人が運び込まれてきた。
混乱するテントの中、ユーリは途方にくれた。怪我人一人一人を治療することはできる。けれど、誰から治療すればいいのか。もともとテントにいた人か。それとも今運び込まれてきた今にも死にそうな人か。
「師匠、この人、早く治してください。このままじゃ、時間の問題です」
ビッドに言われ、その怪我人に目線を向けると、ベッドを自らの血で染めながら、横たわる兵士がいた。まだ甲冑をみにつけているため、どこを怪我をしているのか、一目では分からない。
「どこを怪我しましたか?」
「左足が痛い。左足のつま先が焼けるように痛んだ」
ユーリは兵士の左足に目線を走らせ、背筋が凍った。そこに足はなかった。膝から下の足がなかったのだ。
誰かが応急手当をしたのか、ちぎれた部分に止血の処置が施されていた。しかし、完全に止血しているわけではなく、そこからにじむように血がこぼれ、甲冑を、そしてベッドのシーツを赤く濡らしていく。
ビッドの「時間の問題」という意味がよく分かった。このままでは十分もせずに兵士は死ぬ。
自分ができることは、血が流れている箇所を治すことだ。
ユーリは幹部に杖を当てた。
「治癒せよ」
外側から肉が盛り上がり、傷口がふさがっていく。流れていた血が止まった。
額に浮かんだ汗を袖で拭い、兵士の身体全体に治癒魔法を施す。
無い足の痛みを訴えていた兵士は、このときには意識を失っていた。しかし、呼吸はしている。
よかった。この人の命は助かった。ユーリは安堵のため息をついた。
「いたいたいたいたいたい。誰か助けて。神様助けて」
すぐ近くで悲願の声が聞こえた。その声のするほうをみると、腕をたたき切られ、かろうじてつながっている兵士がいた。
ユーリは兵士のその幹部に杖をあてた。
「治癒せよ」
兵士に治療を施しをしている間にも、いたるところから助けを求める声が聞える。
時間が足りない。時間があれば、彼らをみんな、治療することができる。彼らの命を救うことができるのに。
「ちんたらやっていたら、患者は減らねえぞ」
横から割り込んできたのは、さっきテントの裏方でたばこを吸っていた男だった。
テレサが医療器具の入ったボールをもってきた。
「ヤナック先生、熱湯消毒は済んでいます」
テレサの言葉で、男が患者いわくぬまくら外科医だということが分かった。男、ヤナックはにやりとテレサに笑ってみせた。
「さすがテレサ、ぬかりねぇな」
その後、展開されたヤナックの施術にユーリは目を瞠目した。器具を操り、折れていた骨をつなぎ、血管を縫い合わせ、皮膚を縫う。あっという間の施術だった。それこそ加速魔法をかけられたかのような動きだった。
「まだいたのか。兄ちゃん、治癒魔法が使えるんだろ? 治す相手はたくさんいるぞ」
ヤナックの施術に魅せられていたユーリは我に返った。
「あ、はい」
「重体な患者はこっちにまわせ。兄ちゃんは軽傷の患者たちを治癒しろ」
「分かりました」
ユーリは頷いてあたりを見回した。軽傷の人といっても誰から手をつければいいのか。
自分が手掛けている患者を施術しながら、ヤナックがラーラに指示を飛ばす。
「ラーラ、新人に指示しろ」
「え、はい」
ラーラはほかの怪我人を診ていたが、あわててうなづいた。
「ごめん。ユーリの実力をみて安心していたら、この状態になったときの配慮がぬけていた」
「うん。それで僕はどうすればいいの?」
「テントの前でビッドが怪我の状態で、外科か治癒魔法かで振り分けているんだ」
言って、ラーラはテントの出入り口のほうに目線を移した。
「ビッド、治癒魔法の患者、いつもより増やしていい。ユーリがいるからね」
いつの間にか出入り口に立ってたビッドは頭の上に両手で輪を作り、了承の意を示した。
「重傷の人は特別に割り込みはありだけど、基本は列順で治療していって」
「わかった」
ラーラは今日は戦争があると言っていた。ここに担ぎ込まれている兵士たちはその戦争に加わった人たちなのだろう。
兵士たちは剣と魔法を打ち合う戦争をするのだろうが、治癒を施すこのテントもまた戦場だった。
時間がかかるが治せる怪我のため、治癒魔法をかけていると、すかさずヤナックから激が飛んだ。
「そいつは血止めだけして、後に回せ」
「あ、はい」
「ラーラよりも治している人数が半分以下だぞ。何やってんだ」
「はい」
戦争のような時間が過ぎた。
魔力はまだ半分はある。その魔力を使って、後回しにしてしまったけが人の治癒にあたることにした。
ユーリが最初に向かったのは腕が千切れそうになっていた兵士のところだった。時間があれば治すことができたのに、それがなくてヤナックに怒鳴られ、その治癒ももっていかれたのだった。
「傷の様子はどうですか?」
「ああ、君はさっきの……」
さきほどは顔が泥と血に汚れて、様子が分からなかったが、治療された後の彼は、思ったよりも若く、ユーリと同じくらいに見えた。
「さきほどはきちんと治せずにすみませんでした」
「いや、俺よりも重傷な兵士はたくさんいたからね」
「治癒魔法をかけさせてください。そうすればもっと早く治ります」
「それはありがたい」
ユーリが治癒魔法を施していると、ラーラがやってきた。
「まだ魔力は大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ」
「そう。わたしはもう限界。これ以上魔力を使ったらあぶないと思う」
「無理はしないほうがいいよ」
ユーリはあらためてあたりを見回した。
さっきまでそれこそ戦争のような騒ぎだったが、怪我人たちは原因治療を終え、テントの外に出ていき、すぐに治らない怪我をした人はベッドに横になっている。
いつの間にかヤナックがテントからいなくなっていた。
「わたしとテレサはタオルや器具を洗ったり消毒しなくちゃいけないから、ここをまかせてもいい?」
「うん」
ラーラは頷き返すと、ユーリの隣にぴったりとついていたビッドに目線を移した。
「ビッド、ユーリの補佐をお願いね」
「もちろんだ」
腕を曲げたり伸ばしたりしている兵士が目にはいり、ユーリは彼に話しかけた。
「痛みはありますか?」
「まったくない。本当に治ったんだな。助かったよ。腕が折れたときけっこう精神的に参っていたんだ。
剣が握られなければ兵士として戦にでることはできないし、地元に戻ったとしても振るえないから、稼ぎができなくて妻に苦労をさせるところだった。
優れた外科医と優れた魔法使いさんのおかげで助かった。本当にありがとう」
「どうしたしまして。あなたは結婚されているんですね」
「ああ、去年結婚したんだ」
「そうなんですか。僕とほとんど歳が変わらないようなのに、戦に出たり結婚していたりして、ほんとうに感心します」
「戦は好きで出ているわけじゃないんだけどね」
「そうなんですか?」
「領主が人を徴兵しているのさ。一家族のうち何人ってね」
「そうなんですね」
「俺は今は兵士として参加しているけれど、本当は農夫なんだぜ」
「普段は農業をしているのに、今は剣をふるっているんすね」
「驚きだろ。俺自身、こんな経験をさせられると思っていなかったぜ」
男は笑った。
ユーリは笑い返した。
テントの幕が開き、木の枝を杖かわりに右足をかばいながら兵士がはいってきた。
「あなただね。こちらのテントに腕のいい治癒魔法使いがいると聞いてやってきたんだ。俺の怪我を治して欲しいんだが」
その男の後から他の怪我人たちも押し寄せてきた。
「診せてください」
再びユーリの周りにひとだかりができる。ビッドが人々を誘導した。
「みなさん、きちんと並んでください」
十人ほど治癒魔法をかけたところで、ユーリはようやく自分の体調に気づいた。
目の前が暗く感じる。と思うと、キーンと耳鳴りがした。
「どうしたんだい、ぼうっとして? はやく治してくれよ」
「あ、すみません」
ユーリは怪我をしている箇所をよく見ようとした。
「あれ……」
視界が掠れて何度も瞬きをする。
このあたりだと検討をつけて治癒魔法をかけようとしたとき、ごつんと背後から頭を殴られた。
「いたいっ」
振り向くとそこには怖い顔をしたヤナックが立っていた。
「何するんですか?」
「それはこっちのセリフだ。それ以上魔力を使うな。死ぬぞ」
「でも……」
ユーリが抗議の声をあげるまえに、ヤナックは怪我人に厳しい目を送った。
「あんたもあんただ。これぐらいのけがでびーびーわめくんじゃねえ。三日も黙っていれば動かせるようになる」
「でもよぅ、せっかく治癒魔法を使える人がいるなら、治してほしいじゃないですか」
「で、こいつを殺すってのか? あんたにだってわかるだろう。この兄ちゃん、これ以上魔法を使うとやばいんだぞ」
男の目がせわしなくさまよった。
「お、俺に他人の魔力の量なんて、分かるわけねぇじゃないか」
「知らねぇふりをして人を殺すか。あさましいねぇ」
「こっちは命をかけて戦ってきたんだぞ。こんな安全なところで、胡坐をかいているお医者様には言われたくねぇな」
「胡坐をかいているだと? だれが施術したと思ってんだ。俺たちが治療しなかったらお前の足なんざ、今頃腐って魔物の餌食になっていたぞ」
「ひええ」
そこにラーラが戻ってきた。
「ユーリ、大丈夫? 顔色が真っ青だよ」
「……大丈夫だよ」
そう言う自分の声がひどく遠くから聞える。
ヤナックが言った。
「少し寝てろ。お前、そんなに元気ならベッドをあけろ」
後半の言葉は、ベッドに寝ていた男に向けられていた。
「なんでい。ひでぇ」
文句を言いながらも、ヤナックににらまれて、男はベッドを譲った。
「すみません」
ユーリは男に頭をさげた。ベッドは男の体温で暖かった。それを感じるよりも先にユーリは意識を手放した。