ユーリ、ブリジットの森でゴブリンと戦う
「魔物がいるという話だけど、どれくらいの頻度で出くわすの?」
ユーリは道中、ファリスの質問してみた。
「一日に三度出くわせば少ないほうだ。多いとには十回以上戦うこともある」
「そんなに出くわすの? この森には狂暴な魔物がたくさんいるんだね」
「住んでいる魔物の数も多いし、人を襲い慣れている魔物も多い。なかでもゴブリンは徒党を組んで襲ってくるんだ」
「徒党を組んでまでどうしてゴブリンは襲ってくるんだろう」
「聞いた話では、彼らは人間に憧れているだとよ。それは本当かもしれないぜ。俺も今まで、ゴブリンは自分が倒した奴の服や武器を奪っていくのを何度もみたことがあるからな。あしつらは臆病者だが心の中は残虐だ。一人では黙って震えているだなのに、数がそろうと襲ってくる。人間の邪の心だけを持ち合わせた魔物さ」
ファリスはゴブリンの説明に、そう締めくくった。
ファリスの言う通り、ユーリたちはときどき魔物の襲撃を受けた。
魔物には多種多様の魔物がいた。ユモレイクの森で出くわした見た目は愛らしいが、狂暴な性格で、蹴りには多大な威力があるブラックラビットもいたし、ファングレオに似た猫科の魔物もいた。
「あれはファングレオの亜種なの? 体に模様があるね」
「ファングピューマというやつだ。ファングレオはコミュニティを作るがファングピューマは孤高を好む」
傭兵たちの腕は確かで魔物たちを撃退した。小さな怪我をする者がいたら、それを治すのはユーリの役割だった。
三日目の午後、ゴブリンの襲撃を受けた。通常のゴブリンよりも一回り体が大きくより狂暴そうな面構えをしたゴブリンが通常のゴブリンを指揮しているようだった。
数は多かったが、ファリスたちはなんなく魔物たちを蹴散らした。
最後に身体の大きなゴブリンを倒すと、そのゴブリンは大きな断末魔をあげた。
「こいつ、魔物のくせにアクセサリーなんかつれてますぜ」
傭兵のひとりが、倒れたゴブリンに近づき、そのゴブリンが首につけていた、何かの獣の牙を加工したネックレスを引継ぎった。
ファリスが仲間をたしなめた。
「魔物とはいえ、遺体を雑に扱うなよ」
「へいへい」
ユーリがファリスに質問した。
「このゴブリン、普通のゴブリンと違うよね?」
「ゴブリンの上位グレイドゴブリンさ。ゴブリンが徒党を組むときは、対外こいつが頭にいる」
「そうなんだ。このゴブリンが身につけているのは、服、だよね」
「あらかた襲った人間から奪ったんだろう」
「言葉を話したら、ほんとうに人間みたいだ」
「どんなに人間らしく着飾っても、魔物は魔物さ」
その日の夜、野営をしているときに、ファリスがみんなに聞えるに言った。
「明日の昼近くには、賢者様のところに着けるぞ」
「それはよかった」
ユーリはほっとした。
「はやくお風呂に入りたいものですわ」
富豪の妻、エストラが扇でぱたぱたと自分に風を送りながら言った。その扇には豪奢な薔薇の絵がかかれていて、仰ぐたびにささやかな甘いにおいがした。
扇ににおいを閉じ込めているのか、その扇の材料である木そのものににおいがあるのか、ユーリにはわからなかった。
そんなユーリにファリスが小声で言った。
「あの扇の素材はサンタルウッドっていってな、甘い香りのする木なんだ。その木自体が希少だから、根もはる」
「そうなんだ。いい香りだね」
「俺の見立てでは、あれほどの意匠が施されているのだから、十万シャランはくだらないだろう」
「十万シャランといったら、一千二百万エルだ。扇にそれだけのお金をかけるなんて、すごいね。オーランシャンは金持ちの国なの?」
「誰もが金持ちというわけじゃあないだろうが、オーランシャンは鉱石が発掘できる土地がたくさんあるからな。持っているやつは持っているだろう。一山あてて一躍金持ちになるやつもいるという話だ」
「想像つかないよ。お金より大切なものはあると思うし」
「ユーリ、世の中はなんだかんだいっても金なんだぜ」
誰かもそんなことを言っていたなぁとユーリは思う。誰だったか、と記憶を回想して頭の中に浮かんだのはシグルスだ。
そういえば、ファリスはシグルスとどこか似ている。姿は似ていないが、持っている雰囲気が似ているのだ。
傭兵をやっていると雰囲気が似てくるものなのかとふと思う。
その日の夜中、敵襲があった。襲ってきたのはグレイドゴブリンが率いるゴブリンの集団だった。
そのグレイドゴブリンは今日の昼間、倒したグレイドゴブリンと兄弟なのか、同じネックレスのアクセサリーをつけていた。何かの動物の牙を加工したものだ。
「仲間を倒されて、その復讐にやってきたんだな。
数が多いが、どうにかなるだろう」
どうにかならなかった。グレイドゴブリンは数体のゴブリンに指示をだして、彼らが持っている袋にいれていた虫を放った。その虫はミミズのようなもので、人体の皮膚を突き破り、内側から肉を溶かしていくのだ。その虫が通った箇所は皮膚の上からみても、へこんで見えた。
ジグとエストラがすぐさまその餌食になった。
「ひゃああ、助けてくれ。金ならいくらでもだすから」
「ああ、わたしの中に虫が……」
「しまった!」
ファリスはすぐさまジグたちのもとに向かおうとしたが、ほかのゴブリンに妨げられた。
「くそっ!」
「火の神イフリータに願う
我が声を聞き
言葉を具現化せよ
ともし火は
火種をもって熱き火となる
火球」
「風の神エアレスに願う
我が声を聞き
言葉を具現化せよ
見えざる刃よ
現れよ
カマイタチ」
傭兵たちのの火の魔法や風の魔法が飛び交うが、小さな虫にはなかなか当たらなかった。ゴブリンたちは虫に動転しながら攻撃魔法を放った傭兵たちをちゃくちゃくと仕留めていく。
彼らは皮膚が人よりも厚いからか虫には平気のようだ。
「時の神クロノスの加護を
彼の者の時の流れを
変えよ
求める速さは
太陽、月、太陽
加速せよ
ユーリは後方に回って支援した。加速の魔法が近くにいた傭兵にかけられ、みるからにスピードが増した。
ゴブリンをあっという間に三体倒したが、すぐにその場に崩れ落ちた。
「ぐわああ、足が足が虫に食われている!」
悲鳴をあげる傭兵。
そのうち、ユーリも戦わざるを得なかった。護身用として杖のほかに、ショートソードを携帯している。
ゴブリンの攻撃は計算されたものではなく、ただやみくもに襲ってくるだけなので、ユーリも対処しやすかった。
足がもぞもぞするなと思ってそこに目をやると、虫が衣類を突き破って今にも皮膚に食いつくところだった。あわててそれを払い、足の裏で踏みつぶした。
「とうとう俺たちだけになってしまったようだな」
ユーリの近くで声が聞こえた。振り向くと、そこにはファリスが立っていた。
ユーリはファリスに言われてあたりを改めて見回した。確かにこの場で立っているのは自分とファリス。そしてグレイドゴブリンだけだった。
「この場所は何度も野宿している場所なんだ。やつらはそれを覚えていて罠を張っていたんだよ。くそ。ゴブリンだからといってバカにしすぎていたな。まさか人食い虫まで使うなんて、ゴブリンにしては頭が回るようだ。
それでももうあいつで最後だ。ぼうず、支援頼んだぞ」
「はい。今からあなたに加速の魔法を使います。通常の二倍の動きになります。同時にあのグレイドゴブリンに減速の魔法をかけます。通常の二倍の速度に減速します」
「十秒もあれば決着はついている」
「時の神クロノスの加護を
彼の者の時の流れを
変えよ
求める速さは
太陽、月、太陽、月
加速せよ」
ファリスに加速の魔法がかかった。
ファリスがグレイドゴブリンに向かって駆けていく。ファリスの剣が魔物に振り下ろされる瞬間、ファリスの身体を左右から槍が突きぬいた。
「な、なに……?」
グレイドゴブリンはその場所に罠を張っていたのだ。ファリスがいる場所に重みが加わった瞬間、槍がそこに突き刺さるように。
グレイドゴブリンは腕を振り回すだけで、ファリスの首を落とした。
その血走った目がユーリに向けられる。
最後の傭兵がやられた今、自分しか戦える者がいない。
ユーリはグレイドゴブリンにむかって、杖を振り上げた。ファリスが時間を作ってくれた間に構築していた魔法を発動させる。
「時の神クロノスの加護を
彼の者の時の流れを
変えよ
求める速さは
月、太陽、月、太陽
減速せよ」
」
グレイドゴブリンに減速の魔法がかかる。
ゆっくりとした足取りでグレイドゴブリンは向かってきた。
ユーリは掲げていた杖を納め、かわりに剣を構えた。
狙うのは心臓。心臓を一突きすれば、いくらグレイドゴブリンであろうとも、倒すことかできる。もし外してしまえば、やられるのは自分だ。
グレイドゴブリンが腕を振り上げた。減速の魔法によりその動きはユーリにも見えた。ユーリは、グレイドゴブリンの隙だらけになった胸にショートソードを突き刺した。しかし、途中で止まる。剛毛と皮が固いので、心臓まで届かないのだ。
グレイドゴブリンがユーリを自分から離そうと暴れる。魔物の爪が背中に突き刺さる。
「ぐぁっ」
ユーリは悲鳴をあげた。しかしショートソードは離さない。全身の体重を乗せるようにして、ショートソードを押し込む。足をもたつかせたグレイドゴブリンはそのまま仰向けに倒れた。重力を利用してさらにショートソードがグレイドゴブリンの胸に突き刺さった。
「ギャアアアア」
それは死を伴う叫び。昼間聞いた別のグレイドゴブリンと似ている。
そして、人間のそれによく似ていた。
魔物の身体がぐったりとなった。
ユーリはそっとグレイドゴブリンから離れた。
背中がひりひりする。はやく治癒魔法をかけないとばい菌が入って化膿してしまう。そんなことを頭の隅で考える。
「きゃははは。死の匂い。死の感情。とっても甘味だわ」
血の臭いが蔓延する場に似合わない明るい声がした。
そちらを見ると、少女が一人、槍に串刺しになってその場に立っているファリスの死体をいとし気に撫でていた。
男の身体がみるみる腐敗し、骨だけになる。
「うわ……」
ユーリの喉の奥で呻いた。
その気配を察したかのように少女がユーリに目線を移す。
濃い青い色の髪に、金色の瞳をした少女だ。髪を左右におだんごにしていて、オレンジ色のリボンで結んでいる。ふわふわの白いかわいらしいドレスのような服を着ている。
見た目だけなら聖女のように見える。しかし、やっているの事は死体を瞬時に腐敗させ、その場に残っている死の感情を味わっているのだ。
「あなた、今、恐怖している……という感じではないわね」
不思議そうに小首をかしげる。
ユーリは律儀に答えた。
「恐怖している……というよりも、恐怖しすぎて感情がついてこれてないのかもしれない」
「わたしのことが怖い?」
「分からない。君は何者なの? 人間、じゃないよね」
「どのような存在に見える?」
「魔族、とか?」
「はん。あんな存在と一緒にしないで。わたしは精霊ネクロス。死の神ハーディス様の眷属よ」
ユーリは顔をしかめた。
「死の神……」
「ハーディス様に対してはあまり良い印象をもっていない人間が多いと思うけれど、あなたもそうなのね」
「そりゃあ、人を死に導く神様だからね」
「今のわたしの行為もおぞましいとあなたは感じるでしょう」
言うと精霊ネクロスは足元に転がっていた男の頭を両手で抱えるように持ち上げた。
「還れ」
ファリスの顔がみるみる腐敗し、骨と髪の毛だけになる。
ユーリは今度は冷静にその様子を見ることができた。
髑髏となったそれを再び優しく地面に置く。
「死体が腐敗し、そこから疫病が発生するのを防いでいるんだね」
「あら、知っていたの?」
ユーリは首を左右に振った。
「今の君がやっていることを見てて気づいたんだ。魔族や魔物を倒したとき、その死体を焼いて、燃えて灰になったものに浄化の魔法をかける。それはそこに残っている瘴気を浄化するためなんだ。
君のそれは浄化と似たような役割があるんだね」
「具体的には違うけれど、考え方としてはあっているわ。死を恐怖し、死を認めず、体は朽ちてもこの場にとどまり悪霊化するのを防いでいるのよ。
それにわたし、死のにおいが大好きなのよ。生きている存在が死を感じるときの恐怖の甘味さったらないわ」
「そういう発言がなんだか悪い人みたいに聞こえるよ」
ユーリの指摘に精霊はただ肩をすくめた。
「君はどうしてここへ?」
「たまたまブリジットのところらに行くのにたまたま通りかかったら、たくさんの死の感情を感じたから、やってきたのよ。おかげで人間と魔物の感情をいただくことができて満足だわ。わたしってついているぅ」
言って、再び精霊ネクロスは近くの死体に向かっていった。ほどなくして、ネクロスはすべての死体を白骨化させた。
「ああ、おいしかった」
ネクロスはにこりと笑った。
ネクロスが死を味わっている間に、ユーリは背中の傷の治療をした。
それからユーリは自分を雇ってくれたヤンソン夫婦と、ともにここまでやってきたファリスたち傭兵たちの亡骸を一か所に集めはじめた。
亡骸を弔うためだ。
穴を掘る道具はなかったため、上に枯れ枝や草木をつんでこんもりとした山を作る。
その山の上には、彼らの持ち物を一つづつ供えた。
タグがしていた指輪、エストラのネックレス。傭兵たちには剣や弓矢。
そして、ユーリは祈りを捧げた。
彼らが無事に世界の輪に戻り、新たな命を紡むことができるように。
ほどなくして瞳を開けると、それを見計らったように、ネクロスが声をかけてきた。
「あなた、律儀ね」
「まだいたの?」
「亡骸を集めだしたから何をやるのかと思ってみていたのよ。そんなことをしなくても時間の経過とともに、それらも土に還るのに。それに実用的なことを言えば、その宝石もその剣も持って帰って、質にでも売れば小遣い稼ぎになるわよ」
「これらは遺品だよ。勝手に持って帰ることはできないよ」
「誰かここを通る人が盗むかもしれないじゃない」
「それはそれだ。僕はそんなことはしたくない」
「あなた、馬鹿がつくほど正義感が強いのね」
ユーリは少し考えてから答えた。
「それは違うかな。僕にあるのは正義感よりも、遺体をそのままにして帰ったり、遺品を盗んだりしたあとに感じるだろう、うしろめたさだ。僕は小心者だから。ずっとやましさをひきずるようなことはしたくない。自分がかわいいだけなんだよ」
「ふーん。あなた、面白いわね。気に入ったわ。ブリジットのところにいくつもりなんでしょう? ここから近いし、このわたしが連れて行ってあげるわ」
「ほんとう? それは助かるよ。ここから近いというけれど、どれくらい近いの?」
「ブリジットに気に入られれば、十分もかからないわ。ブリジットが気に入らなくても、わたしがいればむりやり行くことができる」
「どういうこと?」
「彼女は、自分の住んでいる土地周辺に空間操作の魔法をかけているのよ。自分の気に入らない人が土地に入らないようにするためにね。それでも三日間この森を彷徨った者にはその努力と執念に敬意を払って門を開くのよ」
「だから傭兵の人たちは三日かかるといったんだね。そういう魔法でもかけておかないと、蘇りの魔法にすがってやってくる人は多いだろうからね」
「あなたもそうなんじゃないの?」
「僕は蘇りの魔法を使えるようになりたい。ブリジット様の弟子になりたくてここまできたんだ」
「なにそれ? 本気なの?」
「本気だよ」
真面目にユーリは答えた。
ネクロスは手をたたいて哄笑した。
「きゃはは。あなた、ほんとうにおもしろい人間ね」
戦いがあり、死人まででた場所で朝食を食べるほど神経は厚くないので、その場を少し離れてからユーリは朝食を取った。本当なら、ジグが連れてきた食事係が作ってくれるのだが、今となってはそれは期待できない。
そのため後でゆっくりおやつがわりにみんなで食べようと思っていたクッキーが朝食替わりだ。
「それ、クッキーというものでしょう。何か混ざっているわね」
」
「これは干しブドウだよ。こういうものが入ると、日持ちはしないけれど、味はよくなるし、栄養にもなる。ブリジリアの村で買ってみたんだ。みんなで食べようと思っていたんだけどね」
そのみんなはもういない。
「わたしにも食べさせて」
「君は死の感情を食べるんじゃなかった?」
「それとこれとは別バラよ」
「いいよ。たくさんあるから」
ユーリはクッキーが入った箱を差し出した。一口口にほおばるとみるみるネクロスはうれしそうな表情になった。
「おいしいわね。なかなかいけるわ」
言って、ユーリから箱ごと受け取るとぱくぱく食べ始めた。
感心しながらその様子を見つめるユーリ。
「おいしいのはわかるの?」
「わかるわよ。わたしみたいにそれなりに力ある精霊になると、人間ができることはたいがいなんでもできるんだから」
「それは今君と話していても思うよ。君と契約している人は、君のことをかけがえのない友達と思っているんだろうな」
途端にネクロスの顔色がくもった。
「……?」
ユーリが声をかけるまえにネクロスのほうが顔をあげた。
「はらごしらえはすんだでしょう。そろそろ出発するわよ」
「そうだね。道案内をよろしく頼むよ」
「はいこれ」
空になったクッキーの箱を差し出される。
「はいって、あんなにたくさんあったのに一人で食べたの?」
「そうよ。スウィーツは別バラなのよ」
「人間の女の子みたいなことを言うなぁ」
ユーリは空になった箱を受け取ったが、その所在に困った。しかたがなく、背負いのバックの中に押し込める。
一瞬、顔色を曇らせたネクロスの様子が気になったが、それにはふれたくなさそうだったので、あえてつっこまず、ユーリは立ち上がった。