ユーリ、旅立つ
春休みが明け、新学期が始まった。高等部三年生。最後の学院生活が始まる。
ユーリは日ごろのそれこそ死ぬほどの努力を経て、保持量は増えた。しかしいまだに蘇りの魔法を使う域には達していないことを自覚していた。
ユーリは自分でできることの限界を感じていた。
新学期が始まると同時に、希望職のアンケートがとられた。ユーリは空白のまま提出した。
ホームルームの時間に担任の教師は言った。
「希望職が空白のままの生徒がいる。家族とも相談して、どういう職業に就きたいかよく考えるんだ。場合によっては、自分が望む職に就けない者もいるだろう。
そうなったとしてもその職を通して学ぶべきものはあるし、楽しく感じることもある。新しい出会いもあるんだ。
希望職が空白のものも、自分の希望ではない希望職の名前を書いたものも、将来就く職業に、適度のあきらめと適度の希望を持つことだ」
ホームルームが終わって教師が教室を出て行ったあと、昨年に引き続き、学級長になったゼルジュが感極まった声で叫んだ。
「適度のあきらめと適度の希望。
なんてあいまいで、なんて耳に心地よい言葉なんだ」
「どうしたゼルジュ。大きな声を出して」
聞いたのはラクロスである。
「僕は今、先生の言葉に猛烈に感動しました。精いっぱい努力して、努力が成果とならず、打ちひしがれるより、心から期待して、期待どおりにいかず絶望するより、適度に努力し、適度に絶望したほうが自分を守ることになります」
「ゼルジュ、何かあったのか?」
「僕はね。将来、裁判官になりたいのです。裁判官になって、悪人に正義の鉄槌を打つのが僕の夢なんです。学級長になったも、生徒委員会に所属しているのも、そのための布石です。それがなんと、この前の模擬テストで不合格になってしまいました。
ここにきてそれはないんじゃないかと思うのです」
「ゼルジュ、かわいそう。よしよし」
どこからゼルジュの契約精霊であるシーナが現れてゼルジュのあたまをよしよしとなでた。シーナは風の神エアレスの眷属の精霊でシルフ。シーナと言うのはゼルジュが名付けた固有名だ。
両手の手のひらに収まるほどの大きさをしており、見た目は、五、六歳くらいの子供の姿をしている。全体的に淡い色彩をしていて、乳白色の背中まである長い髪。髪よりは少し色の濃いミルクにオレンジジュースを混ぜたような瞳の色をしている。
瞳孔部分が大きくて白目のところがほとんど見えない。その背中にはレイクの契約精霊のリーフのように透き通った羽がある。シーナはぱたぱたと羽をはためかせて宙に浮いていた。
「シーナ、ありがとう。君はいつも僕の味方ですね」
ゼルジュは愛し気にシーナを抱きかかえた。
ユーリがゼルジュに話しかけた。
「模擬試験で落ちただけでしょう。本試験じゃないんだから、これから頑張ればいいんじゃないかな」
「そう思いますよね。けれど、模擬試験を受けるために僕は努力したんです。その努力が実らなかったんですよ。きっと本試験でも無理です」
「今まで以上の努力をして勉強すればいいんじゃない?」
「今まで以上の努力をしてそれが成果として実ればいいですよ。けれど実らせない可能性のほうが高いんです」
ユーリが何か言おうとしたとき、先に横やりから言葉を投げてきたのはラナだった。
「でもやらないよりは、やったほうがいいわ」
「ラナは希望職にどんな職業を書いたのですか?」
「あたしは空白でしたわ。やりたいことはあるけれど、それがどんな名前の職業か分からなかったから」
「どういう仕事ですか? それは?」
「正義の味方、みたいな仕事よ」
「はい?」
「そういう意味では裁判官と似ている仕事ね」
ゼルジュがもっと詳しく聞こうとしたところにユーリが口をはさむ。
「ラクロスは探検家だよね?」
「もちろんだぜ。俺の夢はぶれないんだ。フィリアちゃんは?」
「わたしは家の手伝いかしら。だから卸売業と書いたわ。二番目の希望はお嫁さんね」
「おおう? 俺、フィリアちゃんの旦那に立候補するぜ」
「フリィア、ラクロスはやめたほうがいいですよ。仕事だと称して、家をずっと留守にして、世界のいたるところに愛人をつくることが目に見えています。
それなら、裁判官の妻になったほうが収入も安定してるし、夫の食として誇れるでしょう」
「おい、ゼルジュ、言ってくれるじゃないか。今しがた、裁判官になる努力をしたくないと言ったばかりだろうが」
「そんな単刀直入に言っていませんよ。まあ、全精力をあげて取り組んだ模擬試験で思わしくない成績を上げたのは事実で落ち込んでいましたが、みるみるやり気がおきてきました。
裁判官になって、フィリアを妻に迎えます」
「妻、だなんて……」
フィリアが顔を赤くした。
ラナが不思議そうに言う。
「今のはプロポーズなのかしら」
ますますフィリアは顔を赤くしてうつむいた。
「プ、プ、プロポーズだなんて、そんな。僕たちはまだ学生ですよ。しかもここ学院の教室。そんなところでプロポーズだなんて」
「ゼルジュが夢を叶えた暁には、考えてあげてもいいわ」
「ほんとうですか? よしますます燃えてきました!」
教室はいつもの通りにぎやかだ。
このことで、ユーリは自分だけではなく、みんなも将来のことに不安を持っているのだということが分かり、同じなんだなぁと思った。
それから三ヵ月ほどがすき、夏の期末テストも終わり、後は夏休みを迎えるだけとなった。この夏休みの間に、就職活動は激化する。夏休みに入る前に内定をもらっている生徒も何人かいた。
そんな折、ユーリは担任の教師に呼び出された。場所は指導室だ。
内容は「そろそろ希望職を定め、活動を開始しなさい」というものだった。
「はい」
「まあ、君の場合は、父親が神官で、お姉さんが聖騎士なのだから、聖職者になるのがよいとは思うが、他にやりたいことがあるのか?」
「やりたいことというより、やらなければならないことがありまして」
「そうか。ともかく、家族を悲しませるようなことはするなよ」
「はい」
指導室を出るのと入れ替わりにラナが指導室に入っていった。
ラナも希望職についてどう答えるのだろうとユーリは思った。
ユーリはラナが教室に戻ってくるのを待っていた。
「やあ、ラナ。おつかれ」
「おつかされさま。待っていてくれたの?」
「最近、ラナとゆっくり話ができていなかったし」
「そうね」
ラナは頷いた。ラナは学校の帰りはバイトがあり、ユーリはユーリで魔力量を高める特訓をしているため、話す機会が減っていた。
「ユーリはどんな仕事に就きたいか決めたの?」
「まだだよ。父さんや姉さんは、僕は聖職者になるものだと思っているみたいだけど」
ユーリ自身、昨年のあの出来事を経験しなければ、今でもそう考えていたはずだ。決められたレールの上を歩んでいく人生。自分のやりたいこともなく、目指すものもない。ただ時間が流れるままに身をまかせていたころのことを思い出し、ユーリは一人苦笑した。
「ラナはどう?」
ユーリの質問には返答せず、ラナはおもむろに言った。
「この前、ルリカと会ったわ」
ユーリは驚いた。
「ルリカは中央に来ているの?」
ルリカは西部にある村で司祭をしていると噂で聞いていた。
「たまたま用事があって中央にきたそうよ。そのときに聞いたのだけど」
ラナはあたりに目を走らせ、近くに誰もいないことを確認してから声を潜めて言った。
「新しい機関を新設する話があがっているそうだわ」
「新しい機関って……、もしかして教会を監視する機関?」
「そうよ」
「噂だけかと思っていたけれど、本当に新しい機関を作るつもりなんだ」
「来年には立ち上がげるらしいわ。その事業にあたしも手伝って欲しいと言われたの」
「そのことについてグランデ校長先生は何か言っているの?」
「新機関のことはあたしからは言っていない。グランデが新機関のことを知っているかどうかもさなかではないわ」
「そうなんだ」
「あたしについては、グランデはこのまま中央にとどまって、仕事の手伝いをしないかと言ってきているわ。それは聖職者という職業でなくて、秘書みたいなものだから聖職者の試験を受ける必要はないんだって。グランデはあたしのことが心配だから、近くにいて欲しいのだそうよ。
先生もさっき、就職先としてはそれがいいって言っていたわ」
「教師としてはそういうだろうね。グランデの下で働いたら将来安泰だもの」
「そうね」
「ラナはグランデ校長に大事にされているんだね」
ラナは首を左右に振った。
「そうかしら。ただ監視されているようにしか思えない」
「……」
ユーリは何と言っていいか分からず口を閉ざした。
ラナの言葉は事実だと思ったからだ。この国の守護神であり、水の女神アクアミスティアは、ラナの水色の瞳を通してこの世界を見る。もちろん、いつもではないだろうが、時々は見ているようだ。
それは、礼拝堂の水の宝珠を改築時により高い位置に設置しようとしたきに、礼拝者の顔が見えないから、見える位置に変更しなさいと、命令していたことでもわかる。
神は万能ではない。自分が守護している国だからといっても、いつでもどこでもその国をことを見れるわけではないのだ。
だからこそ、ラナに自分の力を一部を預けた。
ラナの瞳の色は本当は水色ではなく、金色に近い茶色なのだから。
そんなアクアミスティアの御使いともいえるラナを、アクアディア教会の最高神官であるグランデが手放すわけがない。
自分の元において、ラナをかこっておきたいと考えるはずだ。ラナがこの国の嫌な部分を見ないように。
「僕の意見を言っていいかな」
「もちろんよ」
「新機関にラナが中心に立つなら、教会もおいそれと口だしはできないと思うよ。それが最高神官であろうともね。ラナの瞳の向こうにいるアクアミスティア様の姿を想像するだろうから」
「そうね。ほんとうにそうね」
ラナは深く頷いた。
ラナは自分の役目を薄々と悟ってきているとユーリは感じる。
世の中は動き出そうとしている。そこにラナの存在は必要不可欠だ。
「ラナの周りにはますますラナの力を利用しようとする人たちが集まってくると思う。
誰が自分の味方で、誰が敵なのか見極めなくちゃいけない。
そしてラナに協力してくれる人たちの意見を取り入れながら、この国を正しい方向に導いて欲しいな」
ラナは思わず笑った。
「導くだなんておおげさね」
「この国をよりよい国にしたい思っているんでしょう。それが今、進み始めたところなんだよ。ルリカの誘いはその一歩だよ」
「これからどうなっていくかとても不安だわ。ユーリは何をしたいの?」
やらなければならないことがある。やらないければならないことと、やりたいことは別ものだ。
「ラナの近くにいて、ラナの助けになってあげたい」
「ユーリがいてくれると心強いわ」
けれど、大事な時期に自分はラナの傍にはいられないかもしれない、とユーリの心の中で感じていた。
夏休みに入る直前、ユーリは再びルチアのもとを訪れた。
「単刀直入に聞きます。ルチア先生、蘇りの魔法を一年半まで使えるようになりたいんです」
「一年半……。それがあなたが二十歳になるまでの期間なのね」
「はい。蘇りの魔法を使える人を、誰か紹介していただけないでしょうか?」
「はい?」
ルチアは生徒の突拍子のない意見に目を白黒させた。
「あなたは蘇りの魔法を使える人がどれだけいるか知っているの?」
「最大の国土を誇るシルベウス王国の賢者マーラー。その国より東にある山奥に住むブリジットという百歳越えのおばあさん。南の大陸にいるとされるキルディアという人。その他、三人ほど蘇りの魔法を使える人はいるようですが、今どこにいるかまでは調べられませんでした」
「よく調べましたね」
「マーラー様でも、ブリジット様でもいいんです」
「ごめんなさい。わたしにはそんなつてはないわ」
ルチアの回答は予測はしていたが、ユーリはがっかりした。。
「そうですか……」
「ただね、アドバイスとして言えることはあるわ」
ルチアは言った。
「シルベウス王国に在籍している賢者マーラー様は、居場所ははっきりしているから、会いに行きやすいと考えるでしょう。シルベウス王国はアクアディア聖国と比較するとその国土の十倍以上もある大国よ。そんな国なのだから、蘇りの奇跡を求めていろんな人がやってくるわ。だからマーラー様の元にたどり着くまでのは困難よ」
「ということは、ブリジット様のほうが良いということですか?」
「可能性は高くなると思うわ」
「ブリジット様は僕のような人間を受けいれてくるでしょうか?」
「それはあなた次第よ」
「ブリジット様はどのようなお方ですか。書籍で読んだのですが、お歳は百歳以上とか」
「あの方に対して、歳の話は禁物よ。それこそ、そこいらの合コンよりも禁物なの。歳の話は絶対に自分からはしないようにしなさい」
「えっと……、ゴウコンってなんですか」
「あなた、合コンを知らないの? 年頃の学生なのに信じられないわ。ああ、でもこの言葉は女子の間で流行っている恋愛マンガに出てくる言葉だから男子生徒が知らないのは当たり前なのかしら」
「恋愛マンガ……?」
「そうよ。あなたの周りに、イケメン、シティーボーイ、美魔女といった言葉を使う女子生徒がいるはずよ。これらの言葉は恋愛マンガから出てきた外世語なのよ」
「僕たちが読むヒーロー物のマンガにも同じように外世語があります。科学技術、ロボット、スマートフォンなどです」
「マンガから新しい世界を学ぶことは多いわ」
「そうですね」
教師と生徒の意見が一致した。二人はしっかりと頷きあった。
「ところで、ゴウコンについてなんですが?」
「そうだったわね。合コンというのは、同じ年頃の男女がカフェや居酒屋で楽しく語り合い、あわよくはそこで恋人を見つけてしまおうという、会合のことをいうのよ」
「そうなんですね。どうして合コンの話をブリジット様の前でしては駄目なんですか?」
「ブリジット様はお歳は召しているけれど、見た目は若いそうよ。だから歳の話をしては駄目。同年齢の男女が集う合コンの話もご法度なの」
「そうなんですか。ルチア先生、教えてくださり、ありがとうございます。
ブリジット様とお会いしたら、歳の話と合コンはしないようにします」
「まさかあなた、本当にブリジット様に会いに行くつもりじゃないでしょうね?」
目を見開くルチアに、ユーリは笑みを浮かべた。
「可能性があるならば、実行したいと思います」
「ちょっと待ってユーリ。正気なの?」
ルチアがユーリを呼び止めようとしたが、その時には、ユーリはすでに背中を向けて遠くまで移動していた。
夏休みになった。ラナは去年と同じようにラクロスとセリリアンバーム退治のアルバイトに行った。
しかしユーリは中央にとどまった。
夏休みの間にやらなければならないことがあったからだ。
ラナがバイトを終えて寮に戻ると手紙が来ていた。差出人はユーリだった。
「僕はちょっと旅にでるよ。
ラナはアクアミスティア様の加護をその瞳に得ているから、ラナのその力を利用して、自分の私欲を満たそうと考える人もいると思う。
けれどきっとラナはそういう人たちを見抜くことができると思うんだ。
だからそういう面で僕は安心している。
ごめん、ラナ。
一番大変な時期になるに傍にいてあげられなくて。
それでも、僕の気持ちだけはいつもラナの傍にいる」
夏休みが明けて通常の学院生活に戻った時、いつもの席にユーリがいないことで、ラナは手紙の内容が本当だということを知った。
『ちょっ旅にでてくる』
ラナはこのときはまだ、ユーリはすぐに帰ってくるだろうと思っていた。