キュアレスの契約を全うするための下準備を始める
「あなただれ?」
「ラナ、僕だよ、ユーリだよ」
「何を言っているの? あんたのことは知らないわ。近づかないで」
自分を見つめるラナの瞳は冷え冷えとしていた。
「ラナ……?」
協力してユモレイクの森から脱出したこと。
初めての学院生活の中に僕という存在がいたこと。
夏休みにセリリンバームを退治するアルバイトをしたこと。
ラナがバイトしているカフェで、僕が砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら、ささやかな会話をしたこと。
図書館で一緒に勉強をしたこと。
そんな記憶をラナは、全部忘れてしまったのだ。
二十歳になっても自分が「蘇り」の魔法を扱えなかったから、その代償として。
「ラナ、思い出してよ。僕とラナは強いきずなで結ばれているんだよ」
「気持ち悪いことを言わないで。あたしはあんたのことなんて知らない。これ以上、付きまとわないで」
「ラナ……」
絶望がユーリの心の中を埋め尽くす。
「ラナ!」
ユーリは目を覚ました。
夢だった。今の自分の状況を思い起こす。高等部卒業を半年に控えたアクアディア学院三年十七歳。三ヵ月に十八歳の誕生日を迎える。
これが事実であり現実だ。
去年の春休みを明けて、ユーリは二年生になり、ラナが同じクラスに転入してきた。
ユーリはすぐに蘇りの魔法を使えるようになるために動き始めていた。
自分自身の魔力をあげる訓練をしなければならないとユーリは考えた。
これには二つの方法がある。
一つ目は神に祈りをささげることで、加護が強くなり、魔力レベルがあがる。しかしレベルの上がり具合は緩やかだ。
二つ目は、自分の持てる魔力を限界ぎりぎりまで使いこみ、魔力が回復したら、またぎりぎりまで使い込む。これを繰り返していくと、おのずと保持できる魔力の容量が増える。しかしこの方法は、自分の命を削ることと等しい。
それでもユーリはやろうと思った。どのみち、契約が遂行できなければ五十年の寿命が削られるのだ。
とはいえ、これを実行するのは難しかった。治癒魔法を使用するには、治す相手がいなければならない。しかし日常生活の中で、大きな怪我をする相手というものはなかなかいないのだ。
ユーリは魔法科の教師のもとに質問をしにいった。どうしたら「蘇り」の魔法が使えるようになるのか、と。
魔法科の教師ルチアは、最初ユーリの質問を受けて笑って受け流した。
「蘇りの魔法なんて、生きているうちに使えるようになるのは無理だわ」
「無理ではありませんよね。現に使えている人がいるじゃないですか」
「そりゃあね、でのあの方々は普通の人じゃないのよ。もともと特性があったり、キュアレス神の寵愛を受けていたり、使えるようになるまで何年も何十年も魔法の練習をしたりしてきた人たちよ。
あなたが治癒魔法を得意としていることは、わたしも知っているし、認めているわ。けれど所詮は普通どまり。
蘇りの魔法を使えるようになりたいなんて、夢みたいなことを望むのはやめなさい。そんな時間があるなら、他の勉強をしたほうが将来のためよ」
「重々分かっています。それでも僕は蘇りの魔法を使えるようにならなければいけないんです。二十歳になるまでに」
「二十歳になるまでにっていう期限付きなの? 何かの契約みたいね」
ユーリはルチアの鋭い感想にぎくりとなった。顔には出さないようにしたが、ルチアには見抜かれていた。
ルチアはようやくユーリの相談に対して真摯に向き合った。
「蘇りの魔法を使えるようにするために、あなたは何かやっているの?」
「手詰まりな状態なんです。怪我をしている人がいつも近くにいるわけじゃないし、魔力の枯渇状態をどうやってつくればいいのかわからなくて……」
「それでわたしに相談に来たってわけね」
「その通りです」
「魔力を枯渇させるなら、なにも治癒魔法だけにこだわらなくてもいいのよ」
「え?」
「あなたが契約している神はキュアレス様のほかにどんな神様がいるのだったかしら?」
「時の神クロノスと、風の神エアレスです」
「時の魔法ね……『加速』は習得済みよね。『減速』は?」
「使えます」
「風の魔法は何が使えるの?」
「少しの間、物を宙に浮かすぐらいしかできません」
「それなら、今思いツインたんだけど、今使える魔法だけで、魔力を枯渇状態にする簡単な方法があるわ。自分自身に加速と減速を同時にかけるのよ。風の魔法で常に自分を地面から数センチ浮かし続けるとか」
ユーリは目を輝かせた。
「なるほど、それはいい考えですね」
「でしょう?」
「クロノス様とエアレス様の魔法を常日頃から使用していれば、魔力の枯渇は頻繁に起きて、僕の魔力の保持量は増えて、そのうち蘇りの魔法も使えるようになるということですよね?」
体を乗り出すように話しまくるユーリとはうってかわって、ルチアは次第に冷めた表情になっていく。
「今のわたしの話は忘れて。安易に言い過ぎたわ」
「どういうことですか?」
「そんなことをしたらあなた、死ぬもの」
「え、死ぬって、そんな……」
「あなた、自分に都合よく考えすぎです。加速減速の魔法を使用しつつ、浮遊の魔法も使用するだなんて、そんなことはできません」
「でも……」
「魔力を使い続けて気づいたら死んでました、なんてジョークとしては笑える話でしょうけどね」
ユーリはうなだれた。ルチアの言葉はごもっともだと納得したからだ。
しゅんとなるユーリにルチアは優しく微笑んで見せた。
「ところで、あなたは他の神の加護も受けるつもりかしら?」
「浄化の魔法が使えたらと思っているので、清浄の神ホーリーと契約したいと思っています」
それは春休みに経験した出来事から思うようになった。浄化の魔法は不浄の地を浄化し、ほうっておいたら瘴気を発する魔物の亡骸を浄化する。エルダたちがその魔法を使用しているのを見て、自分も使えるようになれたらいいなと思っていた。
しかしまだ契約を実行するまでには至っていなかった。
癒しの神キュアレスと交わした契約を成すための手段を見つけることを優先したのだ。
「もし本気で蘇りの魔法が使えるようになりたいと考えているなら、これ以上、他の神と契約をするのはおすすめできないわ」
「どうしてですか? 浄化の神ホーリーは治癒の神キュアレスとも相性がいいので、契約しようと思っているのですけど」
「複数の神と契約すれば、使える魔法は増えるわ。けれど保持している魔力も分割されるのよ」
ユーリははっとした。確かにそうだ。初歩的な知識なのに忘れていた。
分割といっても、きっかりと分割されるわけでない。例えば癒しの神キュアレス、風の神エアレスと契約している場合、保有している魔力量の中から、常駐するための魔力は常に必要とする。残りの魔力量を消費して魔法を発動させる。
つまり、契約魔法の数が多ければ多いほど、常駐させる魔力が多くなるために、一度に使用できる魔力量が少なくなってしまうのだ。
「分かりました。当分新しい魔法と契約することは控えるようにします。
僕にできることは、ひたすら魔力の枯渇を促して魔力の保持量を増やすことですね」
「その通りだけれど、さっきわたしが思いつきで言ったようなことを実行しようとは思わないでね」
「え?」
実行しようと考えていたため、一瞬ユーリは口ごもった。真剣な表情を浮かべるルチアに、ユーリはしぶしぶ頷く。
「……はい」
「ほんとにほんとよ。わたしの思いつきを実行して生徒が死んだなんて話、ジョークでも笑えないから」
「分かりました」
ユーリはゆっくりと頷いた。また嘘をついてしまったな、と思いながら。
ユーリは家に帰ってから、自分の部屋でさっそくさっそく加速と減速を使ってみた。
先に加速、次に減速を発動させる。
そのとたん、体に過重がかかり、一気に集中力が散漫になり、魔法効果が霧散した。
「これ、無理かもしれない……」
たった一回の取り組みでユーリはあきらそうになった。
しかし、これしか今の自分にできることはないのだと思いなおし、その後も何度か繰り返した。
最初は一秒しか同時にできなかった。これでは魔力を枯渇させる域までいかない。しかし千里の道も一歩から。毎日こつこつと練習を重ねていくうちに、一秒が三秒、三秒が五秒、五秒が十秒と増えていった。練習すればそれが成果となって現れる、ということをユーリは自分自身を実験台にしてつくづく実感した。
そこまでいたるに一か月かかった。
加速と減速の効果を持続させる時間が長くなってくると、その時間の間に何かをしてもいいと思えてきた。一秒や二秒だったら、何もできないが、数分持続できるようになってきたため、その短時間を有効に利用しようと思ったのだ。
最初は食事をしながら魔法を使用してみた。これは難しかった。何がむずかしいかというと、スプーンを持ち上げるのに意識をもっていくだけで魔法は霧散し、食べ物を口の中にいれて咀嚼しようとするだけで霧散する。
いきなりこれは高難度すぎる、とユーリは自分でやっておいて、自分のご都合主義に笑った。「自分に都合よく考えすぎ」と言ったルチアの言葉が耳の奥に蘇る。
学校に行く時に使ってみた。目的がきちんとしており、たどり着く時刻も決められているなら、何が何でも頑張るだろうと考えたからだ。
最初は歩くという行為が魔法を使用しながらだと負担だった。それでも数歩は歩くことができた。この日、ユーリは遅刻した。考えがあまかったと反省する。
生活に支障をきたすため、これもしばらくは保留にすることにした。
そして行きついたのが、魔法を使用しながらマンガを読むこと。次のページをめくるまで魔法を持続させる、という目標をもとに魔法を使う。これは案外、良い方法だった。
魔法を持続するまでの目標が定まるし、絵と文字を目で追うだけなので肉体的な負担も少なく、好きなマンガを読むため、心理的にも明るい。
そんなことをしているうちに、加速と減速の魔法を使用しながら登下校ができるようになった。
しかしそれは意識を集中しながらのことで登下校の最中に、誰かに声をかけられると途端に集中力がそがれ、霧散した。
ここまで来るのに加速と減速の魔法を同時使用に取り組んでから、六ヵ月が経っていた。
季節は秋のはじめ。月日が経つのは早いと実感させられた。
年が明けた。その日、前から歩いてきた主婦が左右に持っていた買い物袋が裂けて、中身のトマトやら玉ねぎやらがユーリのほうにころころと転がってきたのだ。
そのときユーリは自分自身に二倍速の加速と、二倍減の減速をかけていた。
自分のところに転がってきた野菜を受け止めようと、さらに加速の魔法を自分自身にかけた。
あたりの音が消え、目の前が暗くなった。
すぐ近くで声が聞こえた。
「拾ってくれてありがとう。助かったわ」
ユーリは無理やり笑みを浮かべた。
「できることをしたまでです」
「これはお礼よ。チョコレート」
真っ暗な視界の中、自分の手の平の中に何かが乗せられた。
「ありがとうございます」
主婦の気配が去ったことを感じてから、ユーリは手探りで手のひらの中に載せられているものをつつんでいる包み紙を破いて、中身を一かじりした。
口の中に甘い味が広がる。
呑み砕くと、胃を通して、栄養が体の中に取り込まれるのを感じた。
「今のは危なかったかも……」
ユーリは独りごちた。このチョコレートがなければ、本気で死んでいたかもしれないと思った。
春休みになった。ラクロスはラナに声をかけ、ユモレイクの森に小遣い稼ぎに行った。ユーリも本心では行きたかったが、自分が課した課題を克服するため、中央にとどまった。
加速減速を自分に使用し、さらに、飛行を使う。飛行で自分の体を床から数センチ浮かばせるのだ。
この状態を朝起きてから寝る直前まで持続させること。
このころには、自分が魔力がなくなって気絶する、もしくは死ぬかも、というタイミングが分かってきていたので、気絶することはなくなっていた。
だから自信があった。枯渇状態になる前に魔法の使用を止めることができると。
だから時の神と風の神の魔法を同時使用して、一気に枯渇状態になったときには、あせった。
その場に倒れ、三時間くらいそのままの状態だった。
窓の外が暗くなってきて、ユーリはのっそりと身を起こした。
「そろそろ起きないと、父さんと姉さんが帰ってきてしまう」
ユーリは夕飯を作るため、疲労感に似ただるさを感じながら、台所に向かった。
春休みの間、家事のことを全部ユーリは引き受けたのだ。
もちろん大量の宿題もやる。
去年の春休みでは、捜索隊のメンバーになったことで、春休みの期間は、外に出ていたため、宿題ができる日数は始業式が始まる三日前からだった。そのため家族に手伝ってもらったのだった。
家族に手伝ってもらったことは、担任の教師にはすぐにばれた。しかし、担任は教会から何か言われていたのか、それについては追及しなかった。
しかし、耳打ちをされた。
「宿題によっては字の自体が違うぞ。違うやつが解いたと一目で分かる。
それからこの読書感想文、『魔法構築と数学の共通性について』。こんなムズカシイ本は、まだおまえの歳には早い。大人が書いた感想文だ。書いてもらうなら、文学系にしてもらえ」
「はい」
担任の言葉にユーリはなにも反論できなかった。
数学の宿題は父親に手伝ってもらい、理科の宿題は姉に手伝ってもらったが、そのうちの半分は回答が間違っていたことは、手伝ってもらった手前、本人たちには言えない。なにより、本人たちの自尊心を傷つける。
ユーリは一気に枯渇状態になった理由を考えた。考えて結論づけたのは、浮遊の魔法を使うことに慣れることだった。加速と減速と使い慣れているため、今ではすんなりとできる。しかし、浮遊はあまり使用したことがないため、より集中力を必要とするのだ。
次の日から浮遊の魔法を自分自身にかけて過ごすことにした。
一週間後にはだいぶ慣れてきた。一時間程度であれば、ずっと自分の体を床から数センチ浮かし続けることができるようになった。加速と減速を同時使用する域まで達した期間と比べるとだいぶ短い。
その日、ユーリが浮遊の魔法を使用しながら、夕飯を作っているとドアベルを鳴らす音がした。
ユーリはドアに向かった。
「ユーリ、いるか」
父親の声だった。
「おかえりなさい、父さん」
ドアの鍵を開けてユーリはドアを開けた。
フローティア家では、家に誰かかいるときでも鍵をかける習慣がある。家族は全員、鍵を持っているが、家の中に誰かがいるときには、家の中にいる者が鍵を開けてあげることが習慣になっているのだ。
ドアを開けると、思った通り、そこには父親が立っていた。
「ただいま、ユーリ」
父親の隣には姉がいた。
「ただいま。あら、いいにおいね。このにおいはカレー?」
「おかえり、姉さん。その通りだよ。姉さんのこのみに合わせて辛めに作ってみた」
「それは楽しみね」
「父さんと姉さんは一緒に帰ってきたんだね」
「職場をでるときにたまたま一緒になってね」
食事をしている合間に姉がユーリに聞いてきた。
「今回が最後の春休みなのに、ずっと家にいるのね」
「去年の休みがいろいろあって忙しかったでしょう。だから今回は静かに過ごそうと思ってね」
「あれから一年も経つのね。早いものだわ」
「僕もそう思うよ」
「そういえばユーリ、今年は就職活動があるね。何をしたいか、決めているのかい?」
「それはまだ……かな」
「悩んでいるうちに、あっという間に時間は流れるよ。早めに決めておいたほうがいい」
「わたしはユーリがどんな職業を望んだとしても、応援してあげるわ」
「ありがとう、姉さん」
「父さんとしては……、いや、言うのはやめておこう」
ユーリは父親の言いたいことが手に通るように分かった。父は息子には聖職者になることを望んでいる。
それも自分と同じ神官だ。去年まではユーリも、神官か司祭になるものだと漠然と考えていた。それが自分が進む未来に用意されたレールなのだと。
けれど、今は。
自分にはやらなければならないことがある。
脳裏に浮かぶのはラナのことだ。
自分が二十歳になるまで、あと二年。それまでに、蘇りの魔法を使えるようにならなければならないのだ。
考え事をしていたら、手からスプーンが滑り落ちた。
「あっ」
床に落ちる前に、「浮け」と強く念じる。スプーンは宙に浮いた。それをさっと手で持ち上げる。
「ユーリ、今、スプーン浮かした?」
「かもしれない」
「かもしれないって自分でやったんでしょう?」
「呪文を唱えていないし、心の中で強く思っただけだから。僕の動きが早くて、落ちる前にスプーンを取ったのかもしれない」
「それはないわ。確かにスプーンは浮いたわよ。ユーリ、あなた、何かやっているでしょう?」
「何かってなに?」
「ここ最近、魔力量が増えているもの。何かしなきゃそんなに短期間に魔力量は増えるものじゃないわ。ねえ、父さん」
「うん、そうだね。そのための努力をしなければね」
「分かる?」
「分かるわよ」
「父さんも気になっていたんだよ」
ユーリは白状した。
「成長期だからかな」
エルダは驚いたようにユーリの言葉を繰り返した。
「成長期ぃ?」
父親が小さく笑った。
「成長期かぁ。何かをきっかけに莫大に魔力量が増えることがある話は聞いたことがある。しかし、ユーリ、無理はしないようにね」
「分かってるよ」
ユーリは頷いた。