ユーリ、アンナたちの来訪を受ける
次の日の朝、エルダは出勤する前にユーリに言った。
「同僚にもそこはかとなくラナの行方を聞いてみるから、ユーリは宿題を進めるのよ」
「うん、ありがとう」
宿題を進めていると、玄関のベルが鳴った。父と姉が出勤してからまだ三時間となっていない。
こんな時間に誰だろうと訝し気に思いながらもユーリは玄関に向かった。
「誰ですか?」
ドア越しに質問する。ドアの向こうから明るい声が返ってきた。
「ユーリ、あたしよ。ミスティよ」
「と、わたしアンナよ」
ユーリはドアを開けた。
「おはよう、ミスティ、アンナ。ミスティはひさしぶりだね」
ミスティはにこりと微笑んだ。ミスティは背中に弓を背負っていた。今すぐにでも旅にでるような服装だ。
「そうね。ひさしぶり。ユーリも変わりないみたいでよかったわ」
ミスティの隣に立っていたアンナが言った。
「あたしはこれからアルデイルの町に向かうわ。お父さんたちが待っているからね。それでね、ミスティが護衛がてらそこまで一緒についてきてくれることになったの。あなたとは、あの屋敷の牢屋で初めて出会ってから、いろいろあったから、いちおう町を出る前に一言告げてからにしようと思って来たのよ」
「そうなんだ。わざわざありがとう。うれしいよ」
ユーリは微笑んだ。昨日会ったときも思ったが、アンナはセドリックの屋敷の牢屋で出会った時と比べて、顔が丸くなった。本人が言うように、毎日おいしいものを食べていることが理由の一つだと思う。
水が毒され、草木も枯れたクランシェの村のことが脳裏をよぎる。同時に、クランシェの近くの森で、世の中の苦という苦を体感したことまで思い出しそうになり、ユーリは無理やりそれを脳裏の奥に押しやった。
アンナが戻るところは、クランシェの村ではない。商業都市として栄えてるアルデイルの町なのだ。あの町は栄えているから、お腹を空かせることもないはずだ。
ミスティが遠い目をして言った。
「ほんと死ぬ思いをしたけれど、無事で帰ってこれたし、みんなと旅をしたのは楽しかったわ。ありがとう」
ユーリは苦笑した。
「最後の別れみたいなことを言うね」
ミスティはまっすぐにユーリを見た。
「そうなるかもしれないのよ。アンナをアルデイルまで見送ったら、また探検家の仕事に戻るのだもの」
ユーリは驚いた。
「この国を出るの? ここにいても、ミスティならきっと仕事はあるし、なにも探検家なんて危険なことをしなくてもいいじゃない?」
ミスティはとんでもないというように首を左右に振った。
「あたしはいろんな国を回っていろんな人と出会って、いろんな魔物と戦いながら、経験値を積んでいくのが好きなの」
腰に手をあてて、ささやかな胸を張る。
「いつかは探検家といったらこの人ありっていう人になってみせるんだから」
「名が知れても、死んだらそれまでだよ。自ら進んで危険に飛び込まなくてもいいと僕は思うよ」
「あたしとユーリとでは根本的な価値観が違うのよ。大前提として、あたしは一つのところに留まることが苦手なの。たぶん、あたしみたいな人はたくさんいるわ。シグルスもエイジもそうだと思う」
「そう、なんだ……」
ユーリはミスティたちの気持ちを充分には理解できない。しかしゆるぎないミスティの眼をみて、自分では引き留めることができないことを悟った。そんな資格も権利も自分にはないのだ。
心配することすら、彼らにとっては余計なお世話なのかもしれない。
アンナが言った。
「アルデイルに来ることがあったら、声をかけてね。今よりも、幸せになっているわたしを見せてあげるんだから」
「うん。ぜったいに声をかけるよ」
ユーリは請け合った。
そして言葉を続ける。
「昨日の夕方、みんなが泊まっている宿を訪れたけど、二人とも外出していたから、今日来てくれてよかった」
ミスティとアンナは顔を見合わせた。
「昨日の夕方の時間、あたしたちどの辺にいたのだったかしら?」
ミスティが言うと、アンナは小首をかしげた。
「時間的に、教会の礼拝堂の水の宝珠を拝見したあとくらいね」
「あ、思い出した」
ミスティはぽんと手をたたいた。
「この町でスウィーツで有名なアンジェリーナでケーキを食べていたころね」
「そうだわ。あそこのケーキ、ほんと、おいしかったわぁ」
アンナはそのときのケーキの味を思い出したのか、頬に手をあてて幸せそうな表情を浮かべた。
「さすが有名店なだけのことはあるわね。アルデイルに着いたらみんなに自慢しちゃうおうっと。ユーリはいいなぁ。あんなおいしいケーキがいつも簡単に食べられる場所に住んでいるんだから」
「そこはうらやましいところね」
ミスティも素直に認める。
「あはは……。毎日は食べないけどね。
ところで昨日、じゃない一昨日か。姉さんに聞いたんだけど、ラナも同じ宿に泊まっていたんだよね。
昨日二人を訪ねたときに、ラナのことも宿屋の人に聞いたけど、部屋を引き払っていたんだ。宿屋の人に聞いたけど、ラナのことを迎えにきた馬車があったとか。
その馬車が誰の馬車でラナがどこに行ったか、二人は何か知っている?」
ミスティはからかう口調で言った。
「わたしたちに会うのは口実で本音はラナに会いに行ったんでしょ?」
ユーリは慌てて取り繕った。
「三人に会いに行ったんだよ」
「そいうことにしておいてあげるわ」
「ところでラナのことなんだけど……」
「ああ、そうね。知ってるも何も、ラナを迎えにきたのは、グランデよ」
「グランデ校長が? どこに行ったんだろう?」
「さあ。――ラナは自ら進んで馬車に乗っていたわよ」
「ええ?」
「そんな不安な顔しないで。あのグランデっていう人、最高神官とかいう立場なんでしょ。この国では偉い人らしいじゃない。そんな人ならラナが嫌がることはしないって」
「……」
ユーリの脳裏には記憶にも新しい、ラナのことを拉致したセドリック神官に化けたインキュバスのカルロスの行為だ。
グランデがカルロスがラナにしたようなことをラナにするわけはないとは思うが、やはり心配だ。
今すぐにでもラナに会いに行きたい心境にかられる。
アンナが口を開いた。
「ラナのこと大丈夫よ。馬車の中からわたしに笑顔で手を振って、落ち着いたら手紙を書くって言っていたくらいだもの」
「そうそう、あたしにもね」
「そろそろ乗合馬車が出発する時間だから」
「あ、そうなんだ。道中気をつけてね。元気で」
「ユーリもね。ラナをこと、これからもお願いね」
「え、うん」
ラナの友達にラナのことをお願いされて、ユーリは戸惑い、次の瞬間には大きく頷いた。
ミスティが言った。
「それじゃあ、また、どこかで」
「ミスティも元気で」
アンナとミスティは笑顔を残して去って行った。