ユーリ、女神アクアミスティア再び現れる
水の宝珠があるところがひときわ輝きだした。
ほどなくして、その光は滑らかな動きで降りてきた。ユーリたちがいる位置から五メートルほど高い位置で静止した。
光がさままると、そこには水の女神アクアミスティアの存在があった。
少女の姿ではなく、最初に会った時と同じく二十歳くらいのように見える外見。白く長いドレスを着ている。
背中を波打つ長い髪が見事な青い色で、瞳の色も水の宝珠と同じ青色だ。
「わたしはアクアミスティア。この国を守護する者」
グランデが感極まった声をあげた。
「アクアミスティア様……」
その場にいる誰もがその場にかしずき、頭をたれた。
アクアミスティアは自分に頭をさげる人々をゆっくりと見つめた。
「ラナがわたしの力の象徴である水の宝珠を盗んだ理由を忘れてはなりません。
一部の聖職者の中で、そのの役割と使命を忘れ、義務として成すべきことをする風習が蔓延している実情が明るみになりました。
わたしはそのことに心を痛めるとともに、この国の未来を憂います」
グランデが慌てた口調で言った。
「それはほんの一部の聖職者であって、多くの聖職者はきちんと自分の使命を果たしております。ですから決して、我らを見放すようなことはしないでください」
アクアミスティアは無表情にグランデを見つめた。
水の宝珠と同じ色合いの瞳と目が合い、グランデは「うっ」と口の中でうなり、わずかに身を引く。
アクアミスティアは厳かに言った。
「確かに多くの聖職者はきちんと自分の使命を果たしているのでしょう。しかし、そうではない者たちもいることをわたしは人の子らと行動を共にし、観る機会を得ました」
グランデは最高神官という立場の威厳を込めた口調で、アクアミスティアに申し出た。
「不正を働く者や、手を抜く者がないよう今後、監視を厳しくしましょう」
アクアミスティアは何も言わずにグランデを見つめた。グランデはアクアミスティアの目線を真っ向から受け止めた。
ユーリは少女の姿のアクアミスティアを知っている。少女の姿のアクアミスティアは明るくて竹を割ったような物言いをする性格だ。意外に人間くさくて、親しみやすいと感じた。
今のアクアミスティアには、神にふさわしい圧迫感がある。
その瞳に見つめられたら、威圧感に堪えきれず、目線ほそらしてしまうかもしれないとユーリは思う。
グランデはその目線をそらさず、真正面からアクアミスティアと目線を合わせていた。よっぽど意思が強く、そして、そらしてはいけないという強い思いがあるのだろう。
それはどんな思いだろうか。そんな疑問がユーリの中でわいてくる。
異様な沈黙が礼拝堂の中に漂った。
どちらも視線をそらさない。それでも、グランデが極度に緊張していることは、グランデの頬を流れる汗が物語っていた。
時間にしてはほんの数秒、体感としては十分にも二十分にも感じる沈黙を破ったのはラナだった。
「仲間内で監視をしたら、それこそ手を組んでいけない事を隠しするんじゃないかしら」
信念のこもった強いまなざしで、ラナはグランデをにらんでいた。
アクアミスティアから目線をそらす絶好の機会を得たとばかりに、グランデはラナに目線を移し睨みつけた。
「我々聖職者がそんなことをするわけがなかろう。
この国はアクアミスティア様を信仰する国だ。それを統治しているのが教会で、その教会に勤めているのが我々聖職者だ。
その聖職者を愚弄するのは、アクアミスティア様を愚弄することと同意だぞ」
ラナは聞き返した。
「愚弄って?」
グランデは難しい言葉を知らないラナにいらだちを隠さずに、早口で言った。
「馬鹿にするということだ」
ラナは顔をゆがませた。
笑ったのだ。
「あたしは聖職者を馬鹿にしたわけじゃない。
なにより、聖職者を馬鹿にすることが、アクアミスティアを馬鹿にしたことと同じだという意味が分からないわ」
「我々聖職者は、一般人とは違うのだ」
「あたしもそう思っていたわ。力があるのに、その力を人々のために使わず、ただ威張っているだけの人たちだと思っていた。けれど、そうではないことを知った。今回の旅で聖騎士や司祭や神官たちと直接話し、旅をすることで知ることができた」
ラナの目線がユーリを、そしてエルダとソレイユへと移動していく。ユーリたちはラナと目線が合うと、やさしく笑い返した。
ラナは再び、グランデに目線を戻した。
「あなたは聖職者以外の人に監視されることを嫌がっているみたい。
やましいことを隠したがっているみたい」
ラナの頭に思い浮かぶのは、育ての親であるミカルが残した管理元帳のことだった。
「おまえにそこまで言われたくはない。何も知らないくせに」
「あたしは何も知らない。だから何でも言えるのよ」
「そうだ。おまえは何も知らないバカ者なのだ。この国も教会の役割も何も分っていない田舎者だ」
たまらずユーリが言った。
「グランデ校長、それ以上は言葉が過ぎます」
グランデははっとした。「神官」ではなく、アクアディア学院の生徒に「校長」と呼ばれたことで、より自分の立場を思い出させた。
「ぐおっほん」
変な咳払いをしてから言葉を続ける。
「今のは言葉が過ぎたことを認めます。
申し訳ありませんでした」
言葉とともに、ラナに頭をさげるグランデ。
「……」
ラナは許すとも許さないとも言わずに、ただ黙ってグランデをにらんだ。
グランデは困ったような表情で頭をかくと、アクアミスティアに向き直った。
「アクアミスティア様、お見苦しい小競り合いをお見せてしてしまい、申し訳ありません」
「人間同士の意見交換、感情のやり取りを観られて、とてもおも……、おもむきぶかったですよ」
ユーリは絶対に、アクアミスティアは「おもむきぶかい」ではなく「おもしろい」と言いかけたのだと思った。
アクアミスティアはこの場にいる人々をぐるりと見渡した。
「わたしがここに姿を現したのは、ラナの罪を許すためです」
神様の爆弾発言に、礼拝堂がざわめいた。
「なんと……」
グランデは呆然とつぶやき、そのまま硬直した。
とうのラナは、信じられないことを聞いたというように目を見張った。その表情には「何いっているんだろう、この人」という感情が表面に出ていた。
ラナは、自分の望みをかなえるために、アクアディア聖国の宝を盗んだことは、罪だと重々承知している。だから罪を受けるのは当然だと覚悟していたのだ。
アクアミスティアは柔らかな声で言った。
「ラナは水の宝珠が台座に鎮座したままでは観るのことのできなかったことを、わたしに観せてくれました。
このことはラナが水の宝珠を盗んだ罪よりも、より大きな価値があるとわたしは思います」
アクアミスティアは宙をすべるようにラナに近づいた。
「ラナ」
名を呼ばれ、ラナはアクアミスティアを正面から見据え、返事をした。
「はい」
アクアミスティアがそっとラナを縛っている紐に触れると、紐はするするとほどけた。 アクアミスティアは静かに、それでも厳かに言った。
「アクアディア聖国の守護神アクアミスティアが告げます。
ラナの罪は、アクアミスティアにこの国の実情を一端を観せたことで償われました。
このことは、この国に新しい風をもたらすことでしょう」
金に見える琥珀色の瞳を大きく真開き、驚愕の表情を浮かべるラナ。その瞳に、やさしげなアクアミスティアの表情が映る。
「人の子よ。自分の信念にまっすぐな人の子よ。
あなたにわたしの力のひとかけらを与えます」
アクアミスティアはラナの額に人差し指を当てた。その部分がほんのりと光り、次の瞬間には、ラナの金に近い琥珀色の瞳の色が、さあっと水色に変化した。
「うわぁ……」
すぐ横でその様子をみていた見ていたユーリは思わず声をあげた。ラナ自身はまだ自分の瞳の色の変化に気づけない。
「台座に鎮座するだけの水の宝珠とは異なり、あなたは自ら考え、行動することができる。
あなたの瞳を通してわたしはこの国を観るこができるでしょう。
あなたの思うがままに、行動しなさい」
「思うがままに?」
「あなたの信念が崩れたとき、わたしの加護は失われます。その時、この国がどうなっているのか。
これからが楽しみです」
アクアミスティアは微笑み、ラナから離れた。
アクアミスティアは事の次第を見守る人々を今一度、見回した。
「ここにいる者たちは今ここで起きたことをゆめゆめ忘れてはなりません」
ユーリたちは再び、その場でかしずいた。
アクアミスティアは満足げに頷くと、後ろの高い柱を見上げた。そして小さくため息をつく。
「それから、この台座、高すぎです。
祈りにきた人たちの顔が見えないではありませんか。
今までと同じ高さにしなさい」
事の次第に呆然となっているグランデに替わり、神官のイザークが口を開いた。
「し、しかし、手に届きやすい位置ですと、またいつ盗まれるか……」
「それはそれでスリルがあって楽しいでしょう」
「はい?」
アクアミスティアは、口が滑った、というように口元に手を当てた。そしてすぐに平静を装う。
「わたしはあなたたちと常に近いところにいたいのです。
それにいままでだって、この宝珠に触れた人間は何人もいます」
「え?」
その場にいる多くの者の驚く声が見事にはもった。
「ここから持ち出したのは、ラナが初めてですけどね」
アクアミスティアはくすりと笑った。水の宝珠を持ち出すことなど、大したことではないというように。
口調を改め、アクアミスティアは言った。
「この宝珠はこの国に水をもたらします。その力はあなたたちのわたしに対する祈りが源です」
アクアミスティアの言葉に、この場にいるすべての者が気持ちを引き締める。
「祈りなさい」
その言葉とともに、アクアミスティアは、天井近くの台座まで移動していった。一瞬大きく輝き、再び元の水の宝珠の輝きに戻る。
ラナの罪は許された。
この場にいる全員が立会人となった。
グランデはアクアミスティアが姿を消した後、あたりが騒がしくなってからようやく、呆然自失から立ち直った。
立ち直るとは、次の行動は早かった。