ユーリ、落石事故に見舞われた怪我人の治療に取り組む
「ありがとう。頼りにしているよ」
二次災害を避けるために、人びとを崖崩れが発生している場所から遠ざけ、治療する者には、治療に集中させる。
動ける人たちに指示を出して、岩の下敷きになっている人を助け出す。
逃がした馬を心配している業者には、馬を探しに行かせた。乗合馬車の御者にとっては、馬は商売道具の一つだから、失うわけにはいかないのだる
ファウストの指示は適切で、予期せぬ落石事故で混乱していた現場は時間の経過とともに、落ち着きを見せていった。
そのうち、荷馬車が三台やってきた。
怪我人とともに、ユーリたちは乗合馬車に乗って、レイトの町に戻った。
徒歩で中央に向かうのは無理だった。魔法で無理やり傷ついた体を再構築させ、命をとどめたラナが目を覚まさなかったからだ。
ラナはユーリたちが落石事故の対応に追われている間、雨が当たらない岩間の陰に寝かせられていた。
そのラナは今、毛布を体に巻き付け、ユーリに頭を預け、目をつぶっている。
ラナの反対側にはリックがいた。
リックはここに来たときは、二人乗りで馬に乗ってきたが、帰りは乗合馬車に余裕があるということで、ユーリたちと同じ乗合馬車に同乗したのだった。
リックは着ていた上着を脱いで直接毛布を体に羽織っている。雨に濡れた体を冷やさせないためだ。ユーリも同じような恰好だ。
馬車に乗っている者は、みんな毛布を各々のやり方で羽織っている。
毛布は乗合馬車の中に、人数分以上の枚数が用意されていた。
ファウストたちの準備の良さに感心する。
ユーリはリックに話しかけた。
「リック、大活躍だったね」
「ユーリさんこそ、すごかった。どうすればあんなに膨大な治癒魔法が使えるの?」
「僕なんてまだまだだよ。ルリカのほうが魔力が高いもの」
「あのお姉さんもすごいですよね。やっぱり聖職者ってすごい人ばかりなんだなぁ」
「そんなことはないよ」
「え?」
「リックは以前、アクアディア学院に入学したいって言っていたよね」
「はい。覚えていてくれたんですか?」
「もちろんだよ。あの時はおいしい料理をありがとう」
「とんでもない。むしろ、あんなものしか出せなくてすみませんでした」
「あんなものなんかじゃないよ。作った人の愛情ともてなしてくれた人の真心がこもっていたのだから」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「リックはどうしてアクアディア学院に入学したいの?」
「そりゃあ、聖職者になりたいからです。将来はみんなに慕われる司祭になるのが夢なんです」
「みんなに慕われる、か。いいね。そういう夢があるのは」
「ユーリさんもそうなんじゃないですか? だからアクアディア学院にいるんでしょ?」
「僕はリックが思っているような人間じゃないよ。だけどそうなりたいと思っている」
リックは不思議そうな表情を浮かべた。
「リックは僕に対して憧れを抱いているよね。その憧れをそのままにしておくはできる。けれど、それは君をだますことになる。
僕は好きでアクアディア学院の生徒でいるわけじゃないって言ったらリックは驚くだろうね。けれど本当のことなんだ。親の進めるがままに、アクアディア学院に入っただけ。
僕は怠けもので、無駄に疲れることは嫌いだし、努力も嫌いだったんだ。
アクアディア学院の生徒だからって、みんながみんな模範生というわけじゃないんだ。僕みたいな怠惰な生徒もいるんだ。聖職者もきっとそうだよ。人なんだから。
そのことを知っておいたほうがいい。知ったうえで憧れの人を目標にするんだ」
リックは感心した。
「すごいなぁ」
「ええ? 今の話のどこが? なにが?」
「僕は憧れしか見えていないけれど、ユーリさんはその憧れの向こうまで見えているんですね。人生経験の違いだなぁ」
うんうんと頷くリック。一人で何かを納得している。
自分の人生経験なんて、シグルスたちと比べれば、大したことはないけれど、リックから見たら自分もまたリックよりも経験を積んだ人物と見えるのだろう。
そう考えたら、自分が大仰なことを言ってしまったのではないかと思えてきて、気恥ずかしくなった。
「偉そうなことを言ったね。今のは聞き流しておいていいよ」
「聞き流すなんてとんでもない。ここにノートとペンがあったらメモするのになぁ」
ほどなくして、リックがユーリの腕のあたりに頭を押し付けてきた。寝てしまったのだ。魔力の使いすぎがたたったのだろう。リックはあどけない表情を浮かべている。ユーリは思わず微笑んだ。
「ユーリ……」
隣で声をした。ラナが目を覚ましていた。ユーリの肩に預けていた頭をもたげ、ユーリを見つめている。瞳がうるんでみえるのは寝起きだからか。とてもかわいらしく見える。
「あたし、どうしたの……?」
「助かったんだよ」
「すごく体が重く感じるわ。それにすごく眠い」
「大けがをしてそれを治癒魔法で治しから、体に負担がかかっているんだよ。しばらく寝ていれば回復するから大丈夫だよ」
「あの時、あたしは夢をみたわ。ユーリの呼びかけがあったから、あたしは戻ることができたのだと思う」
「治癒の神キュアレス様が助けてくれたんだ」
「その神様に祈ってくれたのはユーリでしょう……」
「ラナ、話すのは後にして、今はゆっくり休んで」
「ユーリはは強くなったわ。お母さんを助けられなかったときよりも、ずっと……」
ラナは言いたいことを言い終えると、瞳を閉じた。
その日は教会側が用意してくれた宿屋に泊まることになった。ファウストにあらかじめ、教会に寄らずに直接宿屋に行ってかまわないと言われている。
ファウストたちに礼を言いたかったし、やさしい目をした司祭にも会いたかったが、濡れた服を着たまま会うのも失礼だし、自分たちも気が引けた。
そのためファウストの言葉に甘えることにしした。
宿では二人部屋の部屋が二つされていた。
自然とユーリとラナ、レイクとルリカという組み合わせの部屋分けとなった。
ユーリとレイクと二人がかりでラナをベッドに寝せると、ラナが寝せられているベッドと反対側にあるベッドに、二人並んで腰を下ろした。
ルリカはラナに近づいて、掛布団を首元まで引き上げてあげた。
ラナはぐったりとしている。深い眠りについているのだ。
レイクがつぶやいた。
「よくラナ回復したよなぁ」
ユーリはレイクに質問した。
「あの時、僕、どんな感じだったの?」
「覚えていないの?」
「無我夢中だったから」
「一瞬、ユーリとラナがいるあたりがぴかっと光って、次の瞬間にはそれが消えていて、ラナの怪我が治ってたんだ」
「一瞬……?」
キュアレスと話していた時間は一瞬ではなかったが、あれは精神世界のようなところだった。自分たちがいるこの場所とは時間の流れが違うのかもしれないとユーリは考える。
「ほんと、奇跡みたいだったよ。ユーリ、いったい何をしたのさ?」
「必死にキュアレス様に祈ったんだよ」
ルリカがどこか不安そうな表情を浮かべて聞いてきた。
「ユーリはそのとき、キュアレス様と会ったんじゃないですか?」
「ルリカはどうしてそう思うの?」
「ラナの怪我はとうてい今のユーリの魔力では治せるものじゃありませんでしたよ。もちろんわたしでも治せませんでした。それなのに、ラナの怪我は治った。
それができたのはキュアレス様が、力を貸したからだと思うんです」
ユーリはルリカの洞察力に内心舌を巻いた。
「もしそうだとしても、問題はないよね?」
「神様が無償で力を貸すわけはありません」
ルリカはユーリを見つめた。
「ユーリ、何か対価を払ったんじゃないですか?」
ユーリは笑った。
「そんなことを心配していたの? 大丈夫だよ。心配しないで」
「ユーリ、ラナを助けるために何かを犠牲にしたんじゃないですか?」
「犠牲なんて出してない」
「ユーリ……。わたしはあなたを心配しているんですよ」
「だからそれは無用な心配なんだ。
ラナは助かった。そのことに対して犠牲はない。これで話は終わりだよ」
犠牲にしたもの、いやこれからするかもしれないもの。
一生治癒魔法を使えなくなること。自分の五十年の命。ラナの記憶。
犠牲と代償は同意ではない。
犠牲はそれを甘んじて受け止めなければならない。
しかし代償は、問題を解決すれば、払う必要はないのだ。
ユーリがキュアレスに対価を払っても、犠牲になるのは自分だけだ。ラナは自分のことを忘れるだろうけれど、ラナ自体はその後も暮らしていくだろう。
だからこそ、ユーリはキュアレスと交わした対価を誰にも話すつもりはなかった。
今から五年後、二十歳までに「蘇り」の魔法を使えるようになること。
これは自分自身の問題だ。誰も巻き込むことはしない、したくない。
ラナにも当然、秘密にする。
ラナの命を救うことを条件に、キュアレスと契約を交わしたと知ったら、ラナのことだから、何をしでかすか分からない。
余計なことをしたと激怒して、一生口をきいてくれなくなるかもしれない。
それはいやだな、とユーリは思う。
そんなラナの様子を容易に思い浮かぶことができて、ユーリは苦笑した。
「そこまで言うなら、もうこれ以上は言いません。けれど本当に困ったらわたしたちに相談してくださいね」
「ありがとう。ルリカ」
ユーリはルリカに微笑んでみせた。
その後、ユーリはエルダにミラーフォンで中央に戻るのは明日に延長されたことを報告した。
エルダはラナが大けがをしたが、治癒魔法で助かった話を素直に喜んだ。弟が言葉の奥に隠した決意には気づかなかった。