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アクアディア聖国物語  作者: 中嶋千博
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ユーリ、治癒の神キュアレスに会う

 ユーリから外の世界の音が消えた。

 そのことに気づかず、ユーリは血に染まったラナに治癒魔法をかけ続けた。


「治癒せよ!」


 魔法を使うたびに、自分の魔力が減っていくが、そのことすら今のユーリにとってはどうでもよいことだった。

 一歩一歩、死に自ら歩みを進めているという自覚もない。

 ユーリの心はラナを助けたいという感情でいっぱいだった。


 だから、直接、心に響くようなその声が聞こえたとき、はっとした。

 

「おやおや、強い人間の思いにひかれてやってきてみれば、トリウス家の血筋のものか」


 その声は頭上から声が降ってきた。顔をあげると、そこには見たことのない美しい人がいて、ユーリを見下ろしていた。

 緑色の瞳に、金色の髪をしている。突然現れたその人物に驚きながらも、緑色の瞳の輝きは自分がよく知る輝きだと感じる。母の瞳に色に似た輝き、それは姉も持っているものであり、母の形見のエメラルドの石と同じ色だ。


 瞳と同じエメラルド色の髪は輪郭だけが淡い黄色のように見える。足首に届くほどの長さで、一本一本が絹のように滑らかだ。


 エメラルドの色は癒しの象徴。ユーリは気づく。この目の前にいる人物こそが、治癒の神キュアレスだということを。


「治癒の神キュアレス様……?」


 呆然とした表情を浮かべるユーリを、もおもしろそうに見つめ、キュアレスは言った。


「しかもおまえさんはいつだったか、エルナの命と引き換えに救ってやった子じゃないか」


 エルナというのはユーリの母親の名だ。そしてトリウスというのは母のファミリーネームだ。

 どういうこと? ユーリは混乱した。治癒の神キュアレスはそっと手をのばし、人差し指をユーリの額に触れた。


 途端に、ユーリの頭の中にとある場面が展開された。


「お願い、神様!

 私の命はどうなってもいい。だからこの子だけは救ってください」


 心からの叫びをあげる女の人。女の人は幼い子供を抱きかかえている。子供は頭から血を流し、ぐったりとしてた。

 近くには倒れた馬車があり、馬車につながれた馬二頭がその場で暴れている。


 彼女の前にキュアレスが立っていた。


「おまえさんの望みは聞き入れた。本来なら坊やが死ぬ運命だが、その運命をお前さんと入れ替えよう。これにより未来が変わるかもしれないが、それは世界の目からみれば些細な事。エルナよ、私にありったけの祈りを捧げよ」

「はい――!」


 エルナは息子を抱きかかえたまま、目をつぶり、祈った。エルナの祈りの強さを物語るように、エルナの輪郭が、ほのかな光に包まれる。

 その光はそれぞれがより合わさり、太い光の束となり、キュアレスが差し出した手の平に吸収されていく。

 それは日常の光景とはかけ離れた幻想的な光景だった。

 エルナの命の灯が消えていくのをユーリは感じた。


 そうだったのか……。


 あの時、本当は自分が死ぬはずだったのだ。それを母さんは自分の命を引き換えに僕を生かしてくれたのだ。

 知らなかった。しかしそのことを知った今、神を見限っていた自分の無知を呪わしく思う。

 母親の願いを叶えてくれた神様のおかげで、生きてこれたのに、そのことを知らず、ただ虚無な祈りしか捧げてこなかったのだ。


 ユーリの目の前で、若き母親が、幼いユーリの手をとった。


「ユーリ、わたしの分まで生きて……」


 我が子の瞼がぴくりと動いた。命を振り返したのだ。そのことに安堵し、エルナは微笑む。


「願いは叶えてやったぞ」

「あり、がとう、ございます……」


 エルナは我が子を押しつぶさないように、地面に身体を横たえた。

 その視界にはすでに何も映らない。


 母親の命が消える瞬間を、ユーリはキュアレスが観せる幻の中で観た。観せられた。


「母さん――!」


 自分の声で我に返る。


 目の前には、先ほどと同じように、倒れているラナがいる。

 ユーリはラナを抱え、キュアレスを見つめた。


「キュアレス様、どうかラナを救ってください」

「おまえさんは、エルナの命の対価で今生きているのだぞ。それを無碍にしようとは、エルナも浮かばれないのう」

「くう……」


 ユーリは唇をかんだ。押し殺すような声で言う。


「……ラナを救ってください。僕にできることならなんでもします。どんな対価でも払います」

「今のおまえさんが持っているもので、対価になり得そうなものなんてないねぇ」

「そんな……」

「とはいえ、せっかく来て、何もせずに帰るのもつまらぬ」


 キュアレスは目線をあげ、何か考えを巡らせていたが、ほどなくして、いいことを思いついたというように唇を三日月の形にした。


「おまえさんが二十歳になるまでに『蘇り』の魔法を使えるようになっていることを条件に、その人間を生かしておいてもいい」


 ユーリは目を大きく見開いた。


「蘇りの魔法?」


 その魔法のことは多くの者が知っている。死んだ者を生き返らせる魔法だ。魔法を使える域に達するには、相当の努力をしなければならないはずだ。

 現在、その魔法を使用できる者は数人しかいない。それも長年、修行を続けた末に使用できるという代物だから、高齢の者が多い。


「最近、蘇りの魔法を使える人間の数が減ってきていてねぇ。もともと蘇りを使える人間は、高齢の者ばかりだ。彼らは近い将来寿命なりなんなりで亡くなるだろう。このままでは私の信仰心に影響がでると危惧していたのだ。だからちょうどいい」


 だから、ちょうどいい、で対価の条件にさせられてはたまったものではない。

 ユーリは自分に自信がない。だから、キュアレスの条件を素直に飲むことはできなかった。


「『蘇り』は簡単には使用できない魔法ですよね」

「その通り」

「十歳といったらあと四年くらいしか時間がありません。それに二十歳で蘇りの魔法を使える人なんて、前例がないですよね」

「それがどうした?」

「二十歳になるまでに、蘇りの魔法を使用できるようになる自信がありません」


 困惑の表情を浮かべる人の子を、キュアレスはただ笑みを浮かべたまま見つめた。


「対価としては、かなりの好条件だと思うぞ。これがでなければ、その娘は死を待つだけだ。ほら、すぐそこまで死はやってきている」


 ユーリは即答した。


「やります」


 無理でもなんでもやらなければならない。


「二十歳になるまでに蘇りの魔法を使用できるようになってみせます。だから、ラナを助けてください」


 キュアレスは、にいっと笑った。


「よく言った」


 その視線を左手に向ける。


「そこに何か持っているな?」


 ユーリは杖をもった左手を掲げてみせた。エメラルドの石が手首できらりと光る。


「父の杖と、母の形見の石です」

「ほほう。それもいただこう」

「杖と石ですか?」

「石のみで良い」

「どうしてこの石を対価に加えるのですか?」


 エメラルドの石は、治癒魔法力を少しだけ高めてくれる効果がある。この石のおかげで、今回の旅では何度もユーリは助かったし、助けることができた人もいた。

 そして、これは母の形見でもある。


「その石にはお前の十年間の思いが込められている。思いが込められたモノは、私にとっては金よりも価値あるものなのだよ」


 この宝石は、もともとは母が大切にしていたエメラルドの宝石のイヤリングだった。母が亡くなった後、形見分けとして、イヤリングの装飾だったエメラルドを一つはペンダントに、一つはチャームに通して、それぞれ姉と自分が父から譲り受けた。

 ユーリにとっても思い出深い品であり、そう簡単に手放せるものではない。

 しかし、大切な子の命を助けるためだ。自分のためではなく、大切な人のために手放すのなら、母も許してくれるだろう。

 ユーリはそう自分に言い聞かせ、頷いた。


「分かりました」

「うむ」


 キュアレスは大仰に頷いた。


「二十歳になっても僕が『蘇り』が使えなかったら、どうなるんですか? ラナはまた……」


 今のような状況になるのだろうか。


「私は治癒の神だ。癒しはするが傷つけはしない」


 ユーリはほっとした。


「しかし対価が支払えなかった場合、代償を払ってもらう」

「代償?」

「おまえさんの五十年の寿命をいただく。

 そして、その娘からおまえさんの記憶を消てやろう」

「ええ?」


 ユーリは批難じみた声をあげた。


「一気に五十年も歳をとるのはしょうがないけど、ラナの記憶から自分の記憶がなくなるのは嫌だ!」


 キュアレスの片方の眉がぴくりと持ち上がる。


「不服か?」


 ユーリはあわてて首を左右に振った。


「いいえ」


 キュアレスが提示している対価も代償も、神と交わす通常の条件と比較したら、かなり好意的な条件であることは、まだ十六年しか生きていないユーリでも理解できる。


「分かりました」

「契約完了だ」


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