ユーリ、井戸の中を覗く
「どこに行ったかと思ったよ。目を覚ましたら二人ともいないんだもの」
ユーリは答えた。
「まあ、いろいろあって」
「いろいろってどんないろいろだよ?」
「一言でいえば、またアクアますティア様が現れたんだ」
「え? またアクアますティア様にあったの?」
「うん、それもこの前とは違って女の子の姿だったよ」
「女の子の姿って、どういうこと?」
「神様って気分で姿を変えられるんだって」
「なのそれ、初耳。まあ、ともかく子供の姿もきっとアクアミスティア様はかわいんだろうなぁ」
ルリカがじと目でレイクを見つめた。
「なあにレイク、あなたロリコンなんですかぁ?」
「違うよ。ぜんぜん違う」
「必死になって否定するところがあやしいですよぅ」
「だから違うよ、誤解さ」
「はいはい、分かりました」
ラナが冷たい目をユーリに向ける。
「ユーリ、アクアミスティアの見た目より、まっさきに話さなければならない重要なことがあるでしょう?」
「その話さなければならないことを話すために、アクアミスティア様が現れたことを話さなければならなかったんだよ」
ルリカが問う。
「なんですかぁ、その話さなければならないというのは?」
「アクアミスティア様が言ったんだ。この土地は当分、人が住む土地にはならないんだって。それは北の大地の影響があるんだそうだよ」
レイクがふむふむと頷いた。
「北の大地? 砂漠の向こうにある大地か。シルなんとかって国のことかな」
ルリカが補足する。
「シルベウス王国ですよぅ」
「そうそう、そのシルベウス」
「国の名前までは聞かなかったけど」
レイクが不安げな表情をうかべた。
「北の大地の影響が悪さをしているんだよね。それってこの国すべてに影響を及ぼすってこと?」
「それはないんだって。そこまでの力は感じないって言っていた」
途端にぱっと顔色を輝かるレイク。
「よかった。さすが女神アクアミスティア様、この国の守護神だ」
ラナが足を止めた。
「たどりついたわ。これがその井戸よ」
「これが? ただ草が盛り上がっているだけに見えるよ」
ユーリは驚いた。枯れた森に入るときも、この近くを通ったはずだが、まったく気づかなかった。それは暗かった、ということが理由ではない。
レイクも言った。
「まわりと同化して、いっけん見ただけじゃわからないね」
井戸の周りの枯れ草を取り除く、ようやく井戸の姿が現れた。井戸の穴は板でふたがされている。そのその板をはずしていくと、その隙間から嫌な臭いが漂ってきた。
「ひどい臭いね」
ラナが鼻をおさえた。
「くさいです。なんですかぁ? どぶのにおいですか?」
「いやいやいや、どぶの臭いどころじゃないよ。この臭さはどぶと死体と毒薬が混じった臭いだ」
「レイクはそんな臭い、かいだことあるの?」
「ない! ないけど俺にはわかる! この臭さは劇薬だ。こんなに濁っていたら、さすがに俺の浄化でも浄化しきれないよ」
レイクが悲鳴じみた声をあげた。
ユーリはしみじみとつぶやいた。
「神は全能ではない、という言葉をしみじみと実感するなぁ」
嫌な臭いがする井戸の穴を見つめながらラナはつぶやいた。
「ガッシュさんたちに、この土地を捨てなければならないことを告げなけばならないのね」
「ラナ……」
ユーリはどんな慰めの言葉もかけられなかった。
「土地を捨てたとして、どこにいけばいいというのよ」
この国の守護神たるアクアミスティアから直接、生きることを望むなら、この土地を離れ、どこかに移住することを勧められ、そして今、腐敗した井戸の水を確認した。
ラナの目の前にまざまざと「移住」という現実が突き付けられる。
「移住する先としては普通に考えたら、近場のアルデイルだと思う。クランシェを管轄している教会もあるから」
「そう簡単に受け入れてくれるものかしら……」
ラナの言葉に、ユーリは答える術を持たない。
悲壮感にくれるラナの様子を目の端にとらえながら、ユーリはミラーフォンを取り出した。
朝早い時間のため、エルダは応答してくれるか若干心配だったが、意外にもエルダはすぐに応答した。
「こんな早い時間にどうしたの?」
通話が夜ではなく朝であることに、心配と不安をにじませながらエルダは聞いた。
「姉さん、実は……」
ユーリは説明した。
「状況は分かったわ。クランシェの村の人たちの今後については、中央に報告し指示を仰ぎます」
「クランシェの村の人たちが行く場所は用意してくれるよね?」
「難民の受け入れは、たいがいどこの町も嫌がるものよ。けれど今回は同じ国内のことだから、思うより容易だと思うわ」
「よかった……」
「ユーリもラナも朝からお疲れだったわね。朝ごはんはまだでしょう? 気分を変えてご飯を食べなさい。食べ終わったころには、指示がでるだろうから。というかそのようにせかすから」
「うん、わかったよ」
「近くにみんなもいるわね?」
「うん、いるよ」
ユーリはミラーフォンの角度を変えて、順番にみんなの姿が鏡の中に映るようにさせた。
「レイク、これからまた井戸の浄化をすることになると思うけど、気絶ぎりぎりまで頑張るのよ」
「もちろんです」
レイクは頷いた。
「ルリカ、レイクのそばについてあげて」
「はい」
「それじゃあ、いったん切るわね」
通話は切れた。
ルリカが感心するようにつぶやいた。
「エルダ様、いつ寝てるんでしょうね」
ルリカの言葉に答えられる者は誰もいなかった。
誰かが誤って落ちないように、再び井戸に蓋をして、ユーリたちは教会に戻った。
そして、立ち尽くした。
この建物には、食べるものが何もなかったからだ。
レイクが情けない表情を浮かべた。
「ラナ、せめて保存食くらいは保存しておいてほしかったな」
「保存食は中央に向かうときに、全部持っていったのよ」
「朝食は携帯食料だね。干し肉と堅いパンと。おなかが空いているから、食べられるものなら、なんでもおいしく感じそうだ」
レイクは自分を鼓舞するように言った。
「と、その前に水を調達だ。あ、その前に、村の井戸の水を浄化しないと」
レイクが外にでようとすると、先に教会の扉がノックされた。
扉を開けると、そこには村の人々が集まっていた。
「おはようございます。昨日は新鮮な水をいただいたので、そのお礼に朝食のおすそ分けにきました。とっておきのために保存していたビーフジャーキーを煮込んだスープだよ。どうぞ召し上がって」
「固パンを水でふやかして戻してつくったピザだ。ぜひ食べてみてください」
あれよあれよという間に、教会の奥にある住居のテーブルに、おいしそうな朝食が並んだ。水も昨日汲み置きしたものを持ってきてくれた人がいた。
「このスープおいしいね」
「ありがとう。みんな」
「朝からこんなごちそうをいただけるなんてうれしいですぅ」
「おいしいわ」
ユーリたちは口々に礼を言い、村人たちが作ってくれた心のこもったおいしい料理をいただく。
食事が終わり、一休みしたところで、ガッシュがやってきた。心から申し訳なさそうに、それでも期待のこもった目で、レイクを見つめ、頭をさげる。
「申し訳ないのだが、またお願いしてもよいだろうか」
「もちろんだよ」
レイクは元気よく椅子から立ち上がった。
レイクにユーリたちも続いた。
井戸では、今か今かと待ち構えていた四、五人の村人たちが手に桶や瓶をもって待っていた。
「おはようございます。お待たせしました」
レイクはにこやかに彼らに声をかけた。
「浄化せよ」
井戸にはまたたく間に列が並んだ。
レイクが井戸の水を浄化している最中に、ユーリのミラーフォンが振動した。
ユーリはあわててミラーフォンを取り出した。
「はい、ユーリです」
「そこに全員そろっている?」
「レイクが井戸の浄化作業にあたっているよ。それ以外は全員いる」
「レイクには後から伝えてちょうだい。今から中央からの指示を伝えるわ」
「うん」
「クランシェの村の住人は全員、アルデイルの町が受け入れることが決定しました。
飲める水がないのなら、移住はできるだけ早いほうがいいわよね。
クランシェの村からアルデイルの町までは、徒歩半日の距離よね。
今から移動したとしても、夕方前には到着する計算よ。そのため、セドリック神官に確認したところ、はちょうど春祭りが終わって、旅館も民宿も空き室が出てきているそうよ。三十人くらいなら、宿は別々になったとしても、全員泊まれる段取りができています。
その後の住居や仕事は全面的にアルデイルの町の教会が協力します。
だから、クランシェの村の人たちには安心して、アルデイルの町に移住してかまわないことを伝えてちょうだい」
「うん」
「ただ、長年住み親しんだ土地を離れるのを嫌がる人もいるでしょう。本来なら移住するには心の準備も持っていく道具の準備も必要だから、数日必要とするものよ。それを今の今、他の土地に移住というのは、クランシェの人たちも動揺するでしょう。
だから今すぐにとは言わないわ。ただ、その土地に飲める水がないということが気がかりよ。それに、浄化できる人がレイクしかいないということもわたしとしては気になるわ。クランシェの村に浄化ができる人を派遣するという手段も考えてはいるけれど、なんといっても教会も人手不足なの。
アルデイルはアルデイルで、セドリック神官に入れ替わって、好き勝手なことをしていたカルロスの後始末で右往左往しているから、すぐにクランシェの村に浄化ができる人を派遣するのは難しいのよ」
「うん」
「だからこちらの希望としては、今日中にクランシェの村の人たちがアルデイルの町に移住することを希望するわ」
「うん」
ルリカがミラーフォンの向こう側にいるエルダに聴こえるように大きな声で言った。
「ここの人たちは、このままこの土地にいても、死を待つばかりだって口々に言っているので、移住先があるなら、嫌がるより喜ぶと思います」
「それだといいのだけれど」
エルダは思案気に目をふせた。しばらくして目を上げると口を開いた。
「いきなり村の人たち全員に移住の話を持ち掛けるのでなく、誰か代表者の人に話を聞いてもらって、その人の口から村の人たちに相談、という形で伝えるのが良いかもしれないわね」
ルリカは頷いた。
「それがいいですね。そのようにします」
「それじゃあ、村の人たちの意向が分かったらまた報告してちょうだいね」
「わかりましたぁ」
「うん」
通話は切れた。
この村の代表者といえばガッシュだ。そのガッシュは遠巻きから井戸の様子を見守っていた。
「ラナ、この村の人たちは素直に移住を受け入れると思う?」
「受け入れると思うわ。理由はルリカが言ったことと同じよ。あたしとしては複雑な心境だけど」
「どうして?」
「クランシェの村の人たちがさっさと移住をしていれば、あたしは青の宝珠を盗もうだなんて考えなかっただろうから」
「……。ラナが水の宝珠を盗んだから今の状況があるんだよ。ラナが何もしなければクランシェの村の人たちは本当に死を待つだけだっただろうから。そうなっていたら、ミカルさんも浮かばれないよ」
「そうね」
ラナは自分自身に言い聞かせるように頷いた。