ユーリ、火の魔法を使う者同士の対決に立ち合う
部屋割りが決まり、食事となった。一階の食事処に向かう。
ここの食事処は人気があるようで、テーブルはあらかた埋まっていた。運よく空いていた六人掛けのテーブルにおのおの座る。
メニューには肉料理が並ぶ。コロイノシシのショウガ炒め、コロイノシシのすき焼き、コロイノシシの丸焼き。
最初、コロイノシシの丸焼きを頼もうとしたが、時間がかかるだろうということで、厚さ五センチのコロイノシシのステーキをメインとして頼む。
注文すると、すぐさまステーキがやってきた。
鉄板トレーの中でジュウジュウと良い音がし、おいしそうな匂いが立ち上がっている。
「おっ! うまそうだ」
シグルスが言う横で、ユーリは心配そうにステーキを見つめる。
「注文してからくるの早かったよね。中まできちんと焼けてるかなぁ」
ユーリの不安は懸念するだけにとどまった。中まで火が通り、おいしく食べることができた。
シグルスも感心しながら肉を咀嚼する。
「こんな分厚い肉、よく中まできれいにやけるもんだ」
そこに話しかけたのは、たまたま横を通った食事処のおかみさんだった。
「この焼き方はうちの人の奥義なのよ。普通の人には絶対に真似できないのよ」
「ほほう、奥義ときたかぁ」
隣のテーブルから注文の声がかかる。
「おかみさん、コロイノシシの丸焼き、一本くれ」
「はいよ」
おかみさんは答えると、オーダーを伝えるべくに、厨房に向かった。コロイノシシの丸焼きが隣のテーブルに届いたのは、それから一分ほど経ってからだった。
コロイノシシは普通のイノシシよりも小ぶりで、直径十五センチほどだ。もし五人で食べるなら、足りないかもしれない。そう思ってユーリは改めて値段を確認した。値段はそのサイズのこともあるのか良心的な値段だった。
それにしても、いくら小ぶりとはいえ、一分で焼きあがるものだろうかとユーリは思う。ユーリの疑問をそのままレイクが口にした。
「はやすぎない?」
相槌を打つエルダ。
「そうね。初めから焼いていたのかしら」
と、さほど時間が経たないうちに、隣のテーブルの家族連れのところにイノシシの丸焼きが運ばれてきて、家族連れは歓声を上げた。
「こっちも一本よろしく」
「はいはい、ただいま!」
ユーリ達は顔を見合わせた。五センチ厚切りのステーキに中まで火が通っていたことに驚いたのがもう過去となり、今ではいたるとこから声があがるコロイノシシの丸焼きが、さほど時間をかけずに厨房からでてくる不思議さに、驚いている。
ユーリの頭の中に浮かんだのは、次から次へと、皿に並べられた生のコロイノシシが、ベルトンベアーで移動していって、機械みたいなものの中を通ると、ジューシーなイノシシの丸焼きができている、というものだった。ユーリが愛読するマンガの影響のたまものである。
突然エルダが声をあげた。
「わたしは分かったわ」
シグルスがエルダに聞いた。
「わかったのか? エルダ」
「ええ、これはこのメンバーではわたしにか分からないことね」
得意そうに言うエルダ。ユーリが質問する。
「どういう原理なの?」
「フタを開けてみれば簡単なことよ。きっとわたしでもできるはずよ」
「ええ?」
レイクが手を挙げた。
「あ、俺、分かりました」
エルダはにこりと笑ってレイクに頷くと、近くを通りかかったおかみさんに声をかけた。
「おかみさん、厨房を見せてもらってもいいですか? 同じく火を使う魔法使いとして、見学させていただきたんです」
「そういうことなら、無碍にはできないわね。ちょっとうちの人に聞いてきてみるわ」
おかみさんはそう言うといったん厨房にもどり、すぐに戻ってきた。
「うちの人、『聖騎士様に自分の実力を見てもらう良い機会だ。ぜひ厨房にお連れしろ』ですって。どうぞ」
「ありがとうございます」
厨房は燃えていた。まさにそういう言葉がぴったりな現場だった。
「燃やせや燃やせや」
「メラメラ商売繁盛、オレっちも燃えるぜ。燃えれば燃えるほどヒャッホー!」
頭に鉢巻をした壮年の男が皿に生肉を盛り付け、そこにかたっぱしから火をつける存在がいた。姿は火の玉という形状だ。しかし、二つの目と口があり、ときどき手足が出ている。
エルダがしたり顔でつぶやく。
「火の精霊ね」
なるほどとユーリは合点する。厨房の男性は火の精霊と契約関係にあるのだろう。火の精霊の力を借りて、肉を程よい焼き加減で客に提供しているのだ。
「ウィルプかしら? 人と契約したことによりその性質が少し変化しているようだけど」
火の精霊で有名なのは火の中で踊ると言われるサラマンダーが有名だが、それと同様に有名な精霊がいる。それがウィルプだ。ユーリは頭の中で火の精霊ウィルプについて情報を思い起こした。
火の精霊ウィルプは、通称火の玉と呼ばれ、火の気のないところに、火を発生させ火事を起こしたり、生き物にはりついて、その生き物を燃やしたりする。
それらの行為は本人はただのいたずらと思っていて、悪気はないと言われている。
しかしいたずらで家を焼かれり、やけどをした人にとってはウィルプという精霊は、悪霊としか思えないため、意図的に退治されることもある。
ウィルプと精霊契約をすれば火の魔法が使えるようになるが、いたずら好きの性格のウィルプと仲良くやっていかなければならないため、良い関係を継続していくのが課題となる。
そのため普段はおとなしくとも、いざとなるとその力を悠然と発揮してくれる気質のサラマンダーと契約をする人が多い。
精霊にも心があり性格があるため、一概にウィルプという精霊全員がいたずら好きとは言えないし、サラマンダー全員がおとなしい性格というわけではない。
火の魔法を使うエルダは、火の神イフリータの眷属である精霊のサラマンダーやウィルプとは契約はしていない。直接、火の神イフリータと契約している。
男がこちらにやってきた。
「料理長のカガリだ。長と言っても、俺とメーラしかいない厨房なんだけどな」
「聖騎士のエルダです。仕事中に大勢で押しかけて申し訳ありません」
「なあに、厨房の見学をするなら、厨房が動いているときが一番だ。店が繁盛したら何人か人を雇おうと思って、最初から大きな厨房をこさえたから、五人くらい入ってもたいした邪魔にはならない。ただ、メーラの飛び火には気をつけてくれよ」
「カガリさんはウィルプと精霊契約をしているんですね」
「そうなんだ。メーラ、ちょっとこっちにきてくれ」
厨房を飛び回っている精霊ウィルプの固体名はメーラというらしい。
「ちょいと待ちな。
メラメーラ」
メーラは目の前にあった生肉に自らの身体を近づけて、生肉を焼くと、こちらにやってきた。
「なんだい、おおぜい押しかけて」
「この人たちが俺たちの仕事ぶりをみたいんだってよ」
「メラ?」
「こんにちは。火の精霊ウィルプ。
あなたの炎は素敵な炎ね。まるで太陽の光のようね」
精霊は言葉でほめるとても喜ぶ生き物であることを知っているエルダはウィルプを過度にほめた。
「へええ。太陽みたいだって? オレッちの炎は太陽よりも暑いぜ」
火の精霊はうれしそうに身をまとう炎を一瞬だけぼうっと強くした。
「まあ、すごいわね。わたしはエルダよ。火の神イフリータと魔法契約をしているの。あなたが焼いてくれたお肉がとてもおいしかったわ。
それであなたの力を拝見したくてもここまでおしかけてきたのよ」
「メラメーラ。それはうれしいかぎりだぜ。オレっちの名前はメーラだ」
「よろしく、メーラ」
「よろしくな、エルダ。ヒャッホー! 火の神イフリータと契約している人間がわざわざオレっちに会いにきてくるなんて、とうとうオレっちも格上げかぁ。神になる日も近いかも!」
メーラはあたりを飛び回って喜んだ。
精霊はその力を高めると神に昇格できる。そのためには、精霊を信頼する人々の強い思いが必要だ。
逆に神という存在は、人に信仰されなくり神から精霊に格下げになることもある。火の神イフリータや、一国の守護神となっているアクアミスティアといった有名な神たちならば、その存在は長期に渡って安泰だ。
しかし名があまり知られておらず、信仰する人が少ない神は、いつ精霊という存在に変化してしまうか分からない。
しかしほとんどの神はのんきなので、気づいたら精霊になっていた、といいうパターンが多いのは知っている者なら知っている事実である。
「おいおい、メーラ、燃えたままあちこち飛び回るな。厨房が本当に燃えたら神になるどころか、精霊としての力も失っちまうかもしれないぞ」
カガリが軽くたしなめると、メーラは動き回るのをやめた。
「おっと、それもそうだな」
メーラは静かになってらカガリの近くにやってきた。
エルダはそんなメーラをやさしい目を向けた。
「メーラは元気のいい火の精霊ね」
えっへんとばかりに少しだけ火の力を強くするメーラ。
「メラメーラ!」
カガリはメーラを我が子を見るような愛情のこもった目で見つめながら言った。
「こいつは厨房のかまどから生まれたやつでな。こいつと一緒に焼いた肉が大当たりして、夜の食事時になるといつも厨房はてんてこ舞いさ。それがまたこいつの力になっているみたいだから、しばらくは付き合うつもりだかな。ははは」
カガリはからからと笑った。
メーラはエルダに二つのつぶらな瞳を向けてきた。
「エルダ、オレっちと勝負してみないか?」
「勝負?」
首をかしげるエルダ。精霊から人間に勝負を挑むことは珍しい。
「火の神イフリータと魔法契約しているねえちゃんと、火の精霊のオレっちが焼いた肉、どっちがうまいかな」
エルダは苦笑いを浮かべた。勝負は勝負でも肉の焼き加減勝負とはエルダは思ってもいなかった。
「そんなことに魔法を使ったことがないもの。遠慮させていただくわ」
「なんだい、エルダ、オレっちに負けるのが怖いのか?」
「まさか、負けるつもりはないわよ」
エルダは本気で言った。カガリが横から口を出す。
「面白そうだ。生肉はたくさんあるから、好きなものを選んで焼いてみな」
「そんなに言うなら仕方がないわね」
言葉ではそんなことを言うが、エルダの表情はやる気満々だった。
結果としてエルダは負けた。火の調整が難しく、外はカリカリでもなか生とか、外も中も黒焦げ、というものしか作れなかったのだ。
「次こそは!」
意気込むエルダにストップをかけたのは、ユーリだった。
「食べ物を大切にしようよ」
その言葉で我に返るエルダ。気づけば、犠牲になった肉の塊が三つあった。
「……そ、そうね」
気落ちするエルダに、カガリが追撃の言葉をかける。
「それじゃあ、あんたが焼いたこの三つの肉は買い取ってくれよ」
ため息をついてエルダは答えた。
「分かりました」
席に戻る一同。
「無駄なお金を払ってしまったわね。ごめんなさい。宿代を倹約しても、食事代が高くついたら意味がないわよね」
シグルスが言った。
「これくらいの駄賃であんなものがみれたと思えばめっけもんだ。何事も経験だからな」
「そう言ってくれるとうれしいわ」
普段は快活なエルダはこのときばかりしょんぼりとしていた。
そこにおかみさんがコロイノシシの丸焼きをもってきた。
「あの人からサービスよ。メーラと聖騎士が料理対決をして、メーラに自信をつさせることになったみたいだからって」
苦笑いを浮かべるエルダ。
「そうですか」
ユーリはテーブルの上に置かれた、コロイノシシの丸焼きに目線を向けた。ジュウジュウとかりかりに焼けた表面の皮が音を立てている。いい匂いも漂っていて、見るからにおいしそうだ。
自然とエルダも笑顔になる。
「ありがとう。おいしくいただくわ」
すでにコロイノシシのステーキを腹の中に収めていたユーリ達にとって、コロイノシシの丸焼きはちょうどいい大きさだった。
コロイノシシの丸焼きは、見た目以上においしく、ユーリ達は舌鼓を打った。
食事を終え、食後のお茶を飲みながらエルダはしみじみと言った。
「食は大事ね」
「そうだね」
ユーリが相槌を打つと、エルダは言葉を続けた。
「食の世界は武術と同じで一朝一夕ではいかないものなのね。厨房の人もメーラも、この領域にたどり着くまでに、さまざまな試行錯誤をしたはずよ」
エルダは自分と分野が違うプロの世界を垣間見て、しみじみと言った。