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アクアディア聖国物語  作者: 中嶋千博
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ユーリ、メルレの町で出くわした馬車事故を目の当たりにしたときの心境を語る

 ユーリはラナの質問に対して、どこから話そうか頭の中で考えた。その間、ラナは何も言わずに待っていた。

 ようやくユーリは口を開いた。


「母さんが僕をかばって馬車の下敷きになって亡くなった話はしたよね」

「うん、聞いた」

「メルレの出来事は今から十年ほど前僕が経験した出来事とよく似ていたんだ。近くにいた大人たちが馬車を持ち上げて、母親を馬車の下から助けようとしていたところも同じだった。そして血だらけになっていたのも……」

「そう、なの……」

「あの時、いろんなことをあきらめた僕は魔法の訓練もしないでここまできた。

 だから僕は恐かったんだよ。今回もまた、あのときと同じように助けられなかったからと思ってね。

 六歳の時はまだ子供だからと言い訳ができた。けれど今はあれから十年近く経っている。それでまたあのときと同じように助けられなかったら、それは僕が魔法の技術を高める努力をしてきなかったことがあからさまになる。

 それが恐かったんだ。

 恐すぎて恐すぎて、現実から逃避した。

 メルレの町であの時、あそこに立っていたのは現実を逃避して空虚になった抜け殻だったんだよ」

「抜け殻……」

「僕がそうなったために、ラナが水の宝珠を使って女の人を助けてくれたんだよね。それでアウネイロスに捕まってしまって。僕がふがいないばかりに本当にごめん。今更謝っても遅いけれど、謝らせて」


 ユーリは椅子から立ち上がると、百度のお辞儀をした。ラナも慌てて立ち上がった。


「あたしこそ、勝手に水の宝珠を取り出してごめん。それにアウネイロスに捕まったのはあたしが油断していたからよ。ユーリが悪く思うことはないわ」

「本当にごめん。これからは決して、ラナを危険な目になんかさせない」

「その言葉だけで充分よ」


 言ってラナはユーリの頬に触れた。


「ラナ?」

「ユーリは確かにここいるのね」

「当たり前だよ。どうしたの? 急に」

「さっきも、あんたがどこか遠くに行ってしまいそうな気がしたのよ。だから手を握ったの。遠くに行ってしまわないように」


 説明してからそっとラナはユーリの頬から自分の手を離した。


「ラナの感は当たっていると思う。二人でいるこの時間が幸せすぎて、明日なんか来なければいいと思っていたんだ。けれどもそれも現実逃避なんだ。ラナのおかげで逃避しないですんだ。ありがとう」


 二人はどちらともなく再び椅子に座った。その間にキャットを挟んで。


「今夜、あたしが青の宝珠をエルダから奪うことができたらそのままクランシェの村に向かう。罪に罪を重ねたとしても。だから明日からはあたしたちはまた敵同士になると思う」

「そう、なるよね。僕はラナが村を救いたいという気持ちも知っているし、それを応援したい。けれど……」

「分かっているわ。あんたが全力であたしを捕まえようとしてもかまわない。だって、あたしは強いから」


 ユーリは思わず笑った。


「久しぶりに聞いた気がする。ラナの『あたし強いから』っていう言葉」

「そうそういつも宣言しているわけじゃないもの」


 ラナは肩をすくめた。


「僕も今からでもがんばってみるつもりだよ。心とか体とか、その他もろもろ強くなるためにね」


 自分の言葉で「がんばる」と宣告したことが鍵となって、「後悔と悔しさと無念を背負ってがんばりなさい」と言ったエルダの言葉を思い出した。

 もう、どんなことがあっても現実からは逃げない。がんばると決めたんだ。再び強く心の中に刻む。


「あたしもがんばるわよ。もっと強くならなくちゃ。心も身体もね」

「それ以上強くなる必要ないんじゃない?」

「そんなことないわ。今回だって麻痺の抗体がなくてあっけなくアウネイロスに捕まったり、カルロスに暗示にかかって言いなりになっていたんだもの。屈辱よ」


 言って何かを思い出したように大きな声をあげた。


「あっ!」

「ど、どうしたの?」

「あたし、あの変態キスをしちゃったのよね。うわぁ!」


 顔をしかめて泣きそうな表情になりながら懸命に手の甲で自分の唇をぬぐうラナ。その様子があまりにも可愛くてユーリは静かに笑うと、ラナの手を優しく自分の手にとった。


「そんなにぬぐうとタラコくちびるになるよ」

「タラコくちびるって何?」


 上目遣いで聞いてくるラナ。その表情が愛らして無防備すぎる。

 タラコくちびるというのは、ユーリが愛用しているマンガにでてくる言葉の表現だ。タラという海に住む魚の卵を発酵させた食べ物で、ピンク色で、むっちりとしている。だから厚いくちびるをタラコくちびるというのだ。ユーリはタラコというのを見たことはないが、マンガの世界にあるくらいだから、この世界のどこかにも存在するのだろう。海がある国では、普通に食べているのかもしれない。

 それよりも、今は、ラナのくちびるから目が離せない。


 気付けばユーリはそんなラナの唇に自分のそれを重ねていた。


「ちょっと何すんのよ」


 ラナがあわてた様子でユーリから離れた。

 ユーリ自身、なんでそのような行動にでたのだろうと思う。

 ラナに見つめられて、無防備な唇が近くにあって。

 キスしたい、と思っていたらキスしていたのだ。


「ごめん。なんていうか、そのぅ……そうそう浄化だよ」

「なにそれ、意味わかんない」


 唇をとがらせるラナ。ラナは少しだけ何かを考えるしぐさをすると、いつものラナらしくなく小さな声でつぶやくように言った。


「もう一度、今度はいきなりじゃなくて、ちゃんと……」

「え? 何?」

「ちゃんとして、よ――」


 え? と思う。なんなんだろうこの展開。まさかラナから自分にキスを迫ってくるなんて。

 やばい。うれしすぎてやばい。はやるな僕。ユーリは踊りだしたいほど胸が高まった。

 ラナが目をつぶる。どきどきしながら自分の唇を近づける。


「いて」

「いたい」


 鼻と鼻が当たった。


「ご、ごめん、ラナ」

「あは。おかしい。自分たちのことなのに笑える」


 ラナは笑った。


「唇より鼻のほうが高いから、顔をまっすぐにしてキスをしようとすると、鼻があたってしまうんだね。ごめん、慣れてなくて。さっきはうまくいったのにな」

「もしかしてファーストキス?」

「……うん」

「よかった。ユーリにとってあたしが初めてのキスの相手で」


 にっこりと微笑むラナ。

 ユーリはそっとラナにキスをした。今度は首を軽くかたむけながら。

 初めてのキスは甘い味がした。

 ラナとキスを交わした時に感じた甘い匂いと味は、かなり後で気づいたが桃の香りだった。

 ユーリはラナを抱きしめながらこの気持ちを、なんと言葉で表すのか理解した。


 ユーリとラナに挟まれる格好になったキャットは、むずむずする体を動かさないようにずっと耐えていた。

 そんな自分をほめてあげたいとキャットは思ったが、誰もそのことには気づかなかった。


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