ユーリ、笑顔で出迎える少女たちに戸惑う
食堂のテーブルの上には、さまざな料理がすでに置かれていた。オリビアとマールを筆頭にセドリックの屋敷にいた少女たちが腕によりをかけたのだ。
彼女たちは、カルロスの暗示の魔法から解放された当初は、呆然自失となっていたが、自分の状況を認めるにつれ、自分のやるべき任務を遂行することにしたのだった。
つまりは、来客用のベッドを整えたり、花瓶の花を替えたり、湯船の準備をしたりということだった。
エルダたちが町の様子を確認するために、屋敷から出て行った後、自主的に動き出した少女たちに、セドリックのほうが戸惑ったほどだった。
だからセドリックは少女たちに言ったのだ。
「カルロスの支配から解放されて君たちはもう自由なんだよ。ここから出て行ってもいいんだよ」
少女たちを代表して、マールが言った。
「セドリック神官、わたしたちはあなたに雇われている身です。雇われているからには賃金に見合った仕事はいたします」
「しかし……」
マールの言葉に納得できずに思案の表情を浮かべるセドリックに、今度はオリビアが言った。
「こうして動いてるほうがわたしたちにとっては、気が紛れていいんですよ。この屋敷に雇われた時期は人それぞれですが、その間、魔族インキュバスにいいようにされていたことは今となっては想像できます。自分の気持ちを整理するためにも、動いていたほうがいいんです」
「そういうものなのか」
セドリックの自分に問うような言葉に、オリビアとマールの声がはもった。
「そういうものなのです」
「そういうものなのです」
少女の把握に押されがちになりながらセドリックは相槌を打った。
「う、うむ……」
曖昧に頷き、セドリックはせわしなく働く少女たちを、居心地なげに見つめていた。そのうち、マールが話しかけてきた。
「そこで立っているだけだと時間の無駄なので、この時間を利用して、湯でも浴びますか? 湯を浴びて着替えてそのお鬚もお手入れすれば、気持ちも切り替わりますよ」
マールの言葉は惹かれたが、すぐにセドリックは首を横に振った。
「君たちが働いているのに、私だけ湯に入ったり身支度の手入れをするわけにはいかないよ」
マールはほうっとため息をついた。
「よかったぁ」
「はぁ?」
「失礼しました。思わず本音が」
「本音? その本音とはどういうものなのか。ぜひ教えてくれないか」
「――わたしたちの雇い主がそのような考えの方で良かったと思ったのです」
「はぁ。それはどういう意味なのだろうか」
「わたしたちはインキュバスに意思を操られていたとはいえ、うっすらと覚えていることはあります。ほんと、あの偽物のセドリックは自らは動かないで、なんでもかんでもわたしたちに命令して嫌な奴でした」
「ほんとうにすまなさい。みんなには不自由な思いをさせてしまった……」
セドリックは少女たちに深々と頭を下げた。
その真摯な態度は少女たちの胸を討った。
少女たちはセドリックの元に集まった。
「セドリック神官だって、辛かったでしょうに」
「わたしたちのことまで気づかってくださるなんて」
「さすが神官ですわね」
感極まって、涙する少女たちもいる。
それに感化されてセドリックも涙を流した。自分の元に集まってきた少女たちを、順番に抱擁した。
セドリックと少女たちはカルロスに騙されたという同じ身の上ということも相まって、絆を深めたのだった。
しかし、いつまでも抱擁しあっているわけにはいかない。
「私にも何か手伝いをさせてくれ」
マールがセドリックに提案した。
「それでは、セドリック神官の寝室の掃除をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「わかったよ」
「掃除用具は階段を上ったところの右側にある小部屋にあります」
「ありがとう」
礼を言うと、セドリックは掃除をするべく二階に続く階段を上がっていった。少女たちはセドリックの後ろ姿をそれぞれの思いを浮かべながら見送っていたが、セドリックの姿が視界から消えると、自分の任務を全うするべく再び動き始めた。
セドリックは自分の寝室を再度訪れて、部屋の様子の凄惨さに改めてショックを受けた。
そんな状態でありながらも、ふらふらとした足取りで向かうのは、時を止めた妻がいた場所である。
そこには妻の姿はなく、灰色の砂のようなものが床に広がっていた。それも壁に空いた大きな穴から入り込んでくる風にさらされ、最初の時よりも量が少なくなっている。
その砂の中に埋もれるように、小さな指輪を見つけた。
それを拾い上げ、セドリックは喉の奥で呻いた。
「アントニーナ……」
その指輪は、セドリックがまだ若かりし頃、故郷でアントニーナ愛を誓い合った時に、アントニーナにプレゼントしたものだった。
まだ学生の頃だ。だから高いものは買えない。しかし、精いっぱい心を込めた贈り物だった。
指輪を受け取ったときのアントニーナのうれしそうな笑顔が今でも瞼の裏に浮かぶ。
セドリックは誰もいない荒れ果てた部屋で、号泣した。
こんなに号泣したのは一生のうち初めてかもしれないと思うほど泣いた。涙はとめどく流れ、悲しみの声は意図せずとも口から吐き出された。
掃除をお願いしたが、そのあと一向に戻ってこないセドリックを心配して、マールはセドリックの寝室を訪れた。
人の気配でセドリックは我に返った。振り返ると、マールが入口の近くに立っていた。
号泣して涙とともに、心にたまっていた澱が流されたのかセドリックの心は澄んだ泉のように穏やかになっていた。
「すまない。思い出に浸ってしまって、まだ掃除に手がつけられていない」
「掃除はあとからでもできます。食事の用意もできましたし、そろそろ聖騎士様たちが戻ってくる頃合いでしょう。食堂に戻りませんか」
「そうだな」
セドリックはアントニーナの指輪を自分の左手の小指にはめると、寝室を後にした。人差し指はアントニーナの指輪は入らなかったからだ。
そんなことがあった後、ほどなくして、ユーリたちが戻ってきたのである。
エルダたちはセドリックに食堂に通されると、テーブルの上に並んでいる様々な料理に目を輝かせた。
少女たちもにこやかにユーリたちを出迎えた。
「おかえりなさいませ」
「寝床の準備も湯船の準備もできていますよ」
少女たちに、友好的なもてなしを受け、ユーリたちのほうが戸惑うほどだった。