ユーリ、セドリックから魔族と入れ替わった理由を聞く
セドリックが向かったのは、もとセドリックの寝室、もう部屋とはいえない瓦礫だらけの空間だった。
そんな惨状の中、部屋の奥で一糸の乱れもなく、椅子に腰掛けている女性のところへとゆっくりと足を向けた。
この部屋に最初に入ったときも、この女性の存在は目立っていた。どんなことが起きても、瞬きもせず、微動だにしないことから、人形なのだろう。
人形の前で足をとめ、切なさと絶望の織り交ざった目線を人形に注いだ。
「妻です」
ユーリは驚愕した。人の姿をしているが、彼女は生きてはいないのは一目瞭然だ。それに、セドリックの妻というには歳が離れすぎているように見える。セドリックはどうひいき目にみても、四十代は超えているだろう。しかし、目の前の彼女は二十歳前後のように見える。
ユーリの心境を代行するようにエルダが戸惑いの声をあげた。
「あなたの奥方は、一年半前に病気で亡くなったと聞いたけれど」
「事実です」
「それなら……」
「私は妻を失ったことを信じたくなかったのです。妻をもとに戻せるのなら、どんなことでもやろうと思いました。
そこに声をかけてきたのがあの魔族インキュバスです。
インキュバスは私に言いました。
妻を死ぬ前の状態にしてやると。その対価として、私の身分が欲しいと。
私は妻が目覚めるなら、自分の身分などどうでもいいと思いました。
だから私は、すぐさま頷いたのです。
妻は死ぬ前の身体になりました。さらに私が出会ったころのようなみずみずしい姿となって。しかし一番わたしが望んでいた妻の心は戻ってこなかったのです。妻の体はそのままです。しかし、心はここにはありません。
契約違反だと叫ぶ私をカルロスは牢屋にいれ、彼は私に入れ替わり、好き放題をし始めました。
私が今まで牢屋に入れられながらも生かされていたのは、神官としての知識が時々必要だったからです」
セドリックはエルダたちから目線を再び物言わぬ女性に向けると、愛し気に抱きしめた。
「あなたの気持ちはわかるわ。けれど……」
「言いたいことは分かります。私はおろかで身勝手でした。自分の望みを叶えることばかりに目がくらみ、この町を管理する役割がありながら、安寧どこか混乱と不安を蔓延させてしまいました。
そしてアントニーナの魂をも冒涜するような所業をしてしまった……」
セドリックは抱きしていた女性から上半身を離すと、優しいげにその髪を手ですくった。
「アントニーナ、愛している。心の底から愛している。
だからもう、君をこの世に留まらせない。
時の流れにその身を預け、世界の理によって、再びこの世に生まれてきておくれ。
此処とは違う時間と場所で、再び巡り合うことを願うよ」
セドリックは呪文を唱えるように、それでも切なさと悲しみを含んだ口調で言うと、その額にキスをした。
恋を初めて知った少年が恋する少女にするようなやわらかで優しいキスだった。
ユーリはそんなセドリックの行動をみて、自分がそうしているかのようにドキドキした。
エルダはセドリックの心境を感じ取って、泣きそうな表情を浮かべている。
セドリックはふたたびアントニーナを抱きしめ、抱きしめながら魔法の詠唱を始めた。
「聖なる神ホーリーの加護を
清き光によりて
穢れを霧消せん
浄化せよ」
カルロスがどのような方法でアントニーナの身体を若々しい身体のまま、この世にとどめたかはユーリは分からなかったが、悪しき力を使ったのだろうことは簡単に想像できた。悪しき力で作られたものに浄化の魔法は有効だということも理解できた。
浄化の魔法により、アントニーナの身体が白く淡く輝きだした。その身体の表面からきらきらと光の粒が放射され、宙に溶けていく。同時にアントニーナの身体もその部分から消えて行った。
ぱさりと、アントニーナが身に止まっていた衣装が椅子の上に落ちた。
浄化の魔法はいままでいろんな人のものを見てきたが、こんなにも美しく、そして物悲しい浄化は見たことがなかった。
抱きしめる存在を失ったセドリックの両手の平をアントニーナの名残を惜しむように強く握られる。
ほどなくしてセドリックは立ち上がると、椅子の上と、そして床にも散らばったアントニーナの衣装を丁寧に椅子の上にたたんでおいた。
そしてエルダに向き直る。
「聖騎士殿」
セドリックはその場でひざまづいた。
「皆様にただいな迷惑をかけてしまいました。どうか、私を裁いてください。私の背負った罪は大きい」
「あなたをどう裁くかは、中央が決めるでしょう。中央に今までのあなたの経緯を報告はさせてもらうわ」
エルダは後ろで一つにまとめていた髪の一房が肩に流れてきているのを手でふさりと払うと、穏やかな笑みを浮かべた。
「ひとまず、今日は休みましょう。あなたには休息が必要のようだわ」
「……」
セドリックはだまったまま頷いた。
ユーリはエルダの言葉で、セドリックを握らうエルダ本人も相当疲れているはずだと思った。
ここ最近、ずっと戦い尽くしだったのだ。フルレの村では、廃墟と化した教会で上位の魔物サンダーマンティコアと戦い、次の日にはろくに休む間もなく、ユモレイクの森でたくさんの魔物達と戦った。そして今回は魔族インキュバスと戦っている。
自分も疲れているが、姉のほうがもっと疲れているはずだ。それでも疲れた表情を浮かべない姉の体力に改めて感心した。