ユーリ、セドリックの屋敷に戻る
「姉さん、これを渡しておくよ」
ユーリは道具袋からハンカチにくるまれた水の宝珠を取り出して、エルダに差し出した。
「そうね」
エルダはハンカチごと受け取ると、ハンカチを少し開いて中の水の宝珠を確認し、すぐにハンカチにくるんで、自分の胸元に入れた。胴当てがあるから、一番安全な場所だと判断したのだ。
「ハンカチは借りておくわね」
「かまわないよ」
騒動が落ち着いたところを見計らって、警備員の男がやってきた。
「魔族を倒してくださったんですね。さすがは聖騎士様方です。町の人にどうしてこのような状況になったのか、説明をしていただけませんか?
本来ならば、この町管轄の聖職者に行って欲しいのですが、セドリック神官が行方不明で、司祭も騎士もこの町にいないときたら、あなたがたにお願いするしかありません。それにあなたかたは、今回の騒動に詳しそうですし」
「わかったわ」
エルダは頷いた。
「それから治癒魔法を使える人がいらますよね。お察しかと思いますが、さきの騒動で怪我人が多数出ています。私どもも、医者や治癒魔法を使える人たちに声かけして手伝ってもらっているのですが、人の手が足りません。ですから、皆さまにも治癒を手伝ってもらいたいのです」
「それはもちろんだ」
ソレイユが頷いた。
避難場所は中央広場から一番近い学校だった。そこまでユーリはラナを背負っていった。
学校の校庭では人々があふれ、校内では、治療を求める人たちであふれていた。
エルダたちがやってくると、人々はいっせいにエルダたちのことを見た。
「さっきの魔物はどうなったのかしら? きちんと倒してくれたのかしら」
「教会の人たちだ」
「あの人、聖騎士だぞ。彼、いや彼女が町を救ったのか?」
不安と期待が織り交ざった目が注がれる。
校庭に設えた演説台に、警備員の男が上がって声をはりあげた。
「みなさん、静かにしてください。中央からいらした教会の方々が今回の想像について、説明をしてくださいます。それでは聖職者の皆さまこちらへ」
警備員の男が台から降りると、入れ替わりに、聖騎士エルダ、司祭ソレイユ、騎士レイクとアルベルト、そして新米司祭のルリカが壇上にあがった。
「中央教会の聖騎士エルダと申します」
「司祭のソレイユという。後ろにいるのは、若手の騎士と司祭だ」
「まず最初にお伝えします。この町を襲った者は倒しましたのでご安心ください」
どっとあたりに安堵の空気が立ち上った。
「よかったよかった」
「アクアミスティアの加護をありがとうございます」
家族抱き合って喜び合ったり、ひたすら感謝の言葉をあげたり、この国の守護神であるアクアミスティアに祈りを捧げる者がいる中、
「さっそく祝いの酒を飲もうぜ」
と、気の早い者の声があがる。
エルダとソレイユは交互に状況を聞く者に分かりやすく説明した。
アルデイルの町の教会から提出された帳簿に不穏な数字があったため、その調査に来て、今回の事件に出くわしたこと。
騒ぎをもたらしたのはインキュバスという魔族で、美少女の性欲を糧としていたこと。そのインキュバスがこの町の神官セドリックに化けていたこと。神官セドリックの行動がここ最近おかしかったのは、そのせいだということ。
本物のセドリックは行方不明だということ。
これらの状況を説明してから、これから自分たちがするべき事柄を話した。
今回の騒ぎで怪我をした人々に治療を施すこと。町の復興に尽力すること。
セドリックを探すこと。
突然、中央の聖職者がやってきたことや、魔族が現れた理由が分かり、そしてこれから復興のために尽力してくれるという説明を受けた町の人々は納得し、安心した。
ユーリはエルダとソレイユの説明の中に嘘が混じっていることに気づいた。「アルデイルの町の教会から提出された帳簿に不穏な数字があった」という点だ。これは明らかに嘘だ。
自分たちは水の宝珠を盗んだ人間を捕らえることが目的で集まった探索隊で、アルデイルに来たのはその延長だ。しかし、そのようなことを人々の前で説明するのは、禁句であることも分っている。
今現在、中央協会には水の宝珠はなく、ここにそれがあり、盗人もここにいるということを正直に語ることはできない。
物事を円滑に進めるためには、嘘をつかなければならない時もあることをユーリは実感した。
壇上から降りたエルダは懐中時計を取り出し時刻を確認した。時計の針は、十時十分になるところだった。
今まで魔族と戦っていた仲間たちは体力、魔力とも消耗し疲れている。本音を言えば、過酷な状況に慣れていない若手のユーリやルリカは休ませてあげたかった。しかし、二人とも、治癒魔法が使える。警備員の男からも要望があったように、今、この町では、治癒魔法が使える人間の手が一人でも欲しい時なのだ。
それでも、無理をして自分がつぶれてはいけない。人を助けることも大事だが、自分の体をいたわることも大事だということをエルダは知っている。
ユーリとルリカの様子を見ようとそちらに目線を向けようとしたとき、エルダに声がかかった。
「聖騎士様」
そちらに目をやれば、悲愴な表情を浮かべた男がすがるようにエルダを見つめていた。スーツをきちんと着こなし、胸ポケットにはレースのついた白いハンカチがさしてある。商社の幹部のようないで立ちだ。普段は髪型もきちんときめ、ひげも朝と夕方きちんとそり、清潔さを売りにする営業マン、というような感じだが、今は髪型もほつれ、ひげも少し伸びている。
「娘が……私の娘がセドリック神官の屋敷に行ってから戻ってこないのです。門番はセドリック様の命令だからと言って、一向に中にいれてくれませんし、中の様子も教えてくれません。どうにか娘の状況を知りたいのです」
ルリカが男に問いかけた。
「あなたの娘さんというのは、マリーナさんですか?」
「はい。そうです。よくご存じで」
「あ、えっと、今日美少女コンテストで二位になられたかわいらしい人ですよね。だから覚えていたんです」
「そうですそうです。そりゃあ、マリーナは目にいれても痛くないほどかわいくて、将来は玉の腰かどこかの妃かっていう話題でよく花を咲かせるのです」
男は嬉しそに目を細めた。ルリカが美少女コンテストでマリーナに続いて三位だったことも、ルリカの近くに立っているユーリが背負っているラナが、マリーナを差し置いて一位だったことにも気づかない様子だ。
男にとっては、娘こそがどんなときでも一番なのだ。
「それは心配でしょう。セドリック神官の屋敷のことはわたしとしても気になるところです」
ソレイユが言った。
「エルダ、ここは二手に別れよう。このままここで人々の手助けをするものと、セドリックの屋敷に向かうものと」
「そうね。それから、みんなを交代で休ませたいわ」
「ここの治療は俺がしばらくは引き受ける。ルリカとミスティはやすめ」
シグルスが言った。
「俺も休みたいんだが」
「何を言っている。あなたはまだまだ体力があるだろう。アルベルトとレイクを先に休ませよう。アルベルトは慣れない戦い方をしてそうとう疲れているだろう?」
「お、俺はまだ大丈夫です……」
シグルスはため息をついた。
「大丈夫じゃなさそうな声をだしていうなよ。しょうがないな。体力を使うだけならまだやれないこともない」
レイクが言った。
「俺は大丈夫です。まだ動けます」
「そう。それじゃあ、ここはソレイユとシグルスに任せるわ。レイクはわたしと一緒にセドリックの屋敷に行きましょう」
言ってから、エルダはユーリに目線を向けた。
「僕もセドリックの屋敷に行くよ。残してきた子たちも心配だし」
ユーリは牢屋で出会った、本好きな少女や耳が聞こえない少女、そしてここでならおなかいっぱい食べ物が食べられると言った少女のことを思った。
エルダはそんなユーリに気づかわしげに質問した。
「まだ体力は残っている?」
「うん、大丈夫だよ」
ユーリは頷いた。本音をいえは、休みたいが屋敷のことが気になるのも確かだった。なにより、自分を牢屋から出るのを手伝ってくれたあの男に礼も言っていないのだ。ここで言えなかったから、一生伝えられないかもしれない。
エルダたちの会話を聞いていた男が目を輝かせた。
「それでは、私と一緒にセドリック神官の屋敷に行ってくださるのですね」
「はい。ご同行します。娘さんのこと、心配ですよね」
「そうなんです。とても心配で。娘はあの通り、かわいいものですから、セドリック神官の屋敷で、他の女の子にいじめられていないか心配なんです。なんでもセドリック神官の屋敷にはかわいい少女が何人かいるということですから」
「はあ……」
親バカな男の言葉にエルダは曖昧な返事をし、セドリックの屋敷に足を向けた。
まだ目を覚まさないラナは校内で休ませることになった。中央広場からここまでラナをずっと背負いっぱなしだったユーリは本当に肩の荷が下りた気分になった。ついで、背中に感じていたラナのぬくもりがなくなって少し寂しく思った。
セドリックの屋敷の前にたどり着くと、そこでは一人の若い男がうろうろしていた。彼はユーリたちに気づくと、近づいてきた。
「君たち、俺が昨日話しかけた人たちだよな」
この町にたどり着き、夜食を取っているときに、話しかけてきた男だった。セドリックに化けたカルロスが牢屋に閉じ込めていたキャシーの恋人ギルバートだ。思えばセドリックの情報を初めて聞いた相手がこのギルバートなのだ。
「君たちの仲間が美少女コンテストに出場しているのを見たときは驚いたよ。あの女の子はどうしたんだい?」
エルダが答えた。
「今は、広場の近くのに学校で休んでいるのよ」
「そうか。よかった。てっきり魔族にやられたのかと思って心配したよ」
セドリックの屋敷の門前には、門番が一人だけいた。彼はやってくるユーリたちをみて顔をしかめた。