記憶の扉
暗い闇の底で座り込んで、耳を塞いだ。
自分を責め立てる声が聞こえないように。
封印した記憶が見えないように目を閉じて。
どうして、己が罪を忘れているのか。
周りに渦巻く闇は、強く強く責め立てた。
自分は、途方も無い罪人なのだと。
『ねえ、どうして?』
聞き覚えのある声が自分に訊ねる。
その声はどんなに耳を塞いでも、手をすり抜けるように聞こえてくるのだ。
『許されるとでも思っているの』
「分かってる」
だから、それ以上は聞きたくないと頭を振る。
聞いてはいけない。
それを聞いてしまったら……、自分は。
『本当は忘れてなんかいないでしょう?ただ、目を逸らしているだけ』
ゾッと不快感が込み上げて、堪らず目を開けて"声の主"を怒鳴っていた。
「だから、もう聞きたくないって!!」
視界には相変わらず闇が広がっている。
その奥で、見覚えのある姿がゆらりと揺れた気がした。
『だって、どうしようもない----』
「っ----!!」
そこでふっと目が覚めた。
外はまだ薄暗く、日の出まで時間がある事が分かる。
背中を伝う冷や汗と、荒れた呼吸。
「夢……」
嫌な夢だったと、レイシェルは顔を顰めた。
夢の内容は覚えてはいないのに、それだけは分かっている。
「……前にも見たような……?」
同じ夢を見た事がある気がして首を傾げるも、思い当たらずに沈黙する。
しかし、夢のせいですっかり眠気も覚めてしまった。
少し早いけれど仕方ない、とレイシェルは起き上がる。
そして、また森へ飛び出して行く。
太陽が空の真上に昇る、正午。
過ぎゆく季節に合わせて、吹き付ける風も温かい。
レイシェルは心地良い風を感じながら、泉の中に差し入れた足をバシャバシャと動かした。
「冷たくて気持ち良いわ~」
泉の水はヒンヤリと冷えてはいるものの、陽射しに温められたのか丁度良い温度。
レイシェルは、やはり水浴びに来て正解だったなと自分の行動を振り返る。
事の発端はやはり、レイシェルの思い付きだった。
ネイトの傷が完全に塞がったのを確認した後、最初に発した言葉が「水浴び行こう」だったのである。
というのも、森に来てから瀕死の状態だったネイトは水浴びの機会がなく。
血を吸い込んだ服が乾燥し、日が経った今悪臭を放っていた。
それに耐えられず、今回のように強引な水浴びを決行したというわけである。
レイシェルは泉に浸かっているネイトを見る。
(改めて見ると、綺麗な顔してるのよねー)
青白くヤツれた顔は、傷が癒えて元の精悍さを取り戻し、瞳には生気が戻っていた。
あまり気にしたことが無かったレイシェルも、イケメンだと認める端正な顔立ちをしている。
(……リアルイケメン半端ない)
それは宛ら漫画から出て来た主人公の如く、その存在感を示す。
「……そんなにガン見されると、流石にやりづらい」
苦笑混じりに言われて、レイシェルをネイトをガン見していた事を思い出した。
「あ、ごめん。ついつい、イケメンだなーて」
悪びれる様子も無くケロリと笑うと、ネイトは溜息を付く。
レイシェルはその反応に違和感を感じて、首を傾げる。
(いつもはこんな事で呆れたりしないのに…….、もしかして機嫌悪い?)
普段ならば、笑って誤魔化して終わりだ。
でも、今日のネイトは少し引っかかる反応をする。
(ああ、いや。改めて現状を振り返ったとか……?)
今までドタバタとしていたから、現実味が無かったのかもしれないとレイシェルは納得する。
だから、こうして傷が治った今、現実を直視したということだろうか。
思考をフル回転させるレイシェルを遮ったのは、ネイトだった。
「ずっと気になっていたんだが、此処には君一人で住んでるのか?」
いつの間に目の前に来ていたネイトが、レイシェルを見下ろす。
「そうだけど……」
何で?と疑問を口にする前にネイトは更なる質問を投げてくる。
「家族は?」
ドキリと、心臓が嫌な音を立てた。
「え、居ないよ」
「居ない?」
「居ない、というか……。正確には、気付いたら一人で此処に居たんだよね」
だから、そもそも存在しているのかも分からないと言うと、目に見えてネイトの顔が険しくなる。
一方レイシェルは、ネイトの真意が分からず戸惑いを隠せない。
「気にはならないのか?」
「え?」
ネイトに言われて、こちらの世界に家族が"居ない"と思い込んでいた事に気が付いてしまった。
こちらの世界にだって、探せばいるのかもしれないのに。
何の疑問も持たず、存在しないと思っていた事にレイシェルは驚く。
そう、何故疑問に思わなかったのだろうかと己に問い質した。
家族が居るとして、どうしてレイシェル一人が此処に居るのか。
家族は何処に居るのか、謎は山のようにあるのに。
「探したいと、思わないのか?」
だから、ネイトが繰り返す質問が刺さるようだった。
「思わないよ。別に、不自由はしていないし」
多分、それはレイシェルの本音だったと思う。
少なからず、疑問に思ってもそれを変えようと思った事など一度も無い。
だから、どうしてもと指し迫られなければ探そうなどと考えなかったはずだ。
「……そうか」
(あ、……この顔)
心底軽蔑するような、違うものを見るような目。
「やはり、……魔族と人間は」
違う。そう言ったネイトの声が、夢の記憶が二重線で重なる。
『だって、どうしようもない人殺しなんだから』
(そうだ、どうして忘れてたんだろう……)
レイシェルは、恨まれる覚悟は元よりしていた。
死を願うものに生を与えたのだから、当然だろう。
しかし、こうして自分が如何に薄情なのか。
人間味が無いのかを他人に指摘されるとは夢にも思わなかった。
(そうか、私は普通じゃないんだ)
ネイトの、冷たい瞳がレイシェルを見る。
「……ごめん、なんか怒らせちゃったみたいね。私が居ると刺激しちゃいそうだから今日は帰るよ」
ちゃんと笑えているか不安に思いながらも、逃げるようにその場を後にする。
(本当に、馬鹿だ、私)
思い出したことで、気付いてしまった。自分の愚かしさに。
(贖罪のつもりだった、なんて)
なんて馬鹿な事を考えていたのだろうか、とレイシェルは自分を殴り倒したくなる。
「恨まれる覚悟?やるべき事があるから、生かすべき?本当は、……ただ許されたかっただけじゃないか」
ポツポツと、胸から溢れ出した感情を吐き出した。
空は憎々しくなる程に、青い。