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irregular  作者: 二次元逃避中
序章
4/10

リセット*

特別貧乏でもなく、特別裕福でもない。

しかし、どちらかと言えば裕福な家庭に汐沢しおさわ××は生まれた。


幼い頃に両親は離婚し、母親に引き取られて育ったが、毎月養育費が振り込まれていた為生活に困る事もなく。たまの贅沢ができる程度には裕福な暮らしだった、と今なら分かる。


そうして何事も順調に思えた幼少期だったが、小学校の頃から不登校気味になり、中学に上がってからは完全に引きこもりになってしまった。


この頃の自分は、思い出したくもない黒歴史だと××は思う。


今振り返っても、この時の思考も言動もさっぱり理解出来ない。昔から中二病の傾向はあったものの、中学に上がってからは本格的に悪化したのである。ここまで改善出来たのはもはや奇跡に近いと××本人ですら思ってしまうほど酷かった。まあ、その話は割愛しよう。思い出すだけで悶えたくなってしまうので。


思うに××はコミュニケーション能力が壊滅的だったのだろう。人と接する事も苦手で、その場かぎりの社交辞令もよく理解していなかった。そんな××が集団生活に溶け込めるはず無かったのだ。


アニメや漫画、ゲーム等の世界にハマりこんだのはそういった事が原因だったのかもしれない。


夢や希望がある世界。現実とは違って暖かくて--だからこそ憧れた。羨ましかった。


そんな××ではあったが、当時通っていた中学校の勧めで市の管轄の通級学級に通い始め、もう無理だと思われていた進学も、通信制の高校ではあるが合格し、なんとか社会復帰を果たす事が出来た。


けれど--。


(……最底辺の学校だった)


はぐれ者の集まるその高校は、非常識的な人間が多く、中途半端に真面目な××には合わなかったのだ。


一つだけ良かった事があるとすれば、それはその三年で無事厨二病を脱して、趣味の合う友人が数人出来た事だろうか。


オススメのゲームとか、アニメとか、色々話したのはとても懐かしい記憶だ。


高校を卒業した後、××がそのまま就職したこともあって徐々に連絡していた頻度も下がり、今では連絡が来ることも無いけれど。


それでも、たまにカラオケで遊んだり、趣味の話に花咲かせられた数少ない友人であった。


唯一××に心残りがあるとするならば、それだけだろう。


そう、それだけなんて酷く軽薄な人間なのだろう、と××は自分でも思わなくもないのだ。


でも、人間の本質というか、その個人を形作る根本的なモノはそう変わるものではなく。


湧き上がった本音を隠す事も出来ない。


(相も変わらず、私は薄情な汐沢××をしているわけか……)


--??


××----??


ふっと××の意識が浮上した。


(名前……、何だったっけ?)










××の意識は揺蕩う。ふわふわとした視界が揺れて、水面に浮かび上がるように眠りから覚めた。朧気な視界に焚き火の炎がゆらゆらと揺れている。


(ああ、そうか……あのまま寝ちゃったんだ)


久方ぶりの満腹感、そしてその後やって来た眠気には修行僧だって到底抗うことが出来ないだろう。あれから××は、結局二頭とも食べつ尽くしてしまったのである。いくら空腹でも食べ過ぎかもしれないが、それ以上の満足感に満ちていた。


まだ寝惚けながらももそもそと起き上がると、夢の内容を思い出す。それは××がつい先日まで日本で生きてきた記憶だったけれど、そこには大きく欠け落ちた物があった。



「そうだよ、名前…………。忘れてたなんてそんな馬鹿なことって……………」


呆れるように自分に苦笑する。どんな阿呆でも自分の名前を忘れる奴は居ないだろうと笑い飛ばそうとして、しかし、どんなに思い出そうとしても全く思い出せないので自分はその阿呆より酷いのかもしれないと肩を落とした。


汐沢(しおさわ)


それが、××の苗字でまず同じ苗字の人に会ったことも無いし、珍しい苗字故にあまりいい記憶も無い。何かと失敗の多い××は叱られる事も少なくない。一度でも失敗すれば名前で覚えられてしまい、目をつけられる。


中学時代も変な噂が流れた事があった。その噂の中に下の名前は出ていなかったけれど、それが誰かあっさりと特定されてしまうのである。噂自体が事実無根だったが周りにそんな事は関係なかった。ただ騒ぎたいだけなのだから。


『あれがあの汐沢さん?』

『大人しそうなのに。人は裏で何やってるか分かんないね』


耳に響く嘲笑。蔑んだ視線。暗い記憶が湧き出るように蘇る。××の心を黒く染めるように記憶の断片は止まることを知らなかった。


『ちげえだろうがよ!! っち。本当に使えないな 』


(これって、先輩が切れた時のだ……。懐かしい)


何処か他人事のように自身の記憶を眺める。巡りゆく季節の変わり目を見るように、テレビのチャンネルが切り替わるように視界もパッパッと変わっていく。


『媚び売ってんなよ。……気持ち悪い。本当に目障り』


吐き捨てるように絞り出された言葉。これはいつの記憶だったろうか。確か、姉の機嫌がすこぶる悪かった時だった。機嫌が悪いと周りに当たる人だったので、この時も理不尽に怒られた時だったと思う。こういう時の姉は何をしても何を言っても烈火の如く怒る。だから××はただ存在を消すように布団に潜り込んでやり過ごしていた。

何時だって家に居場所なんて存在しなくて。名前で呼ばれることも……。


社会復帰しても、結局××を取り巻く環境は変わらなかった。否、変わるどころか社会の中で自分がいかに無能なのか知ることになる。


(仕事……いきなり抜けたら大変だろうな)


居なくなった後の職場は少し気にはなるけれど……、どうとでもなるだろう。代わりはいくらでも居る。元々人手が無くて、ギリギリの人数で回していた会社だった。一人抜けたとなると新しく人が入るまでは地獄だろうが。


(私でも惜しんでくれ……はしないかなやっぱ)


忙しい時くらい思い出してくれないものかと思うものの、直ぐにそれも無いかと××は自身の考えを否定する。自分が居るよりは新しく仕事の出来る人間を入れた方が、効率が良いに決まっている。それに、××を毛嫌いしていた先輩は泣いて喜ぶかもしれない。

家にも、職場にも××の行く場所は無い。ならば……××を待つ人間など何処にも居ないのではないだろうか?名前を思い出したところで、なんになるのだろう。もう呼ばれることの無い名前を……。



「……どうせもう、異世界に居るなら名前ぐらいどうでも良いか」


元々名前に関して執着らしい執着も無かった××はあっさりと思考を放棄した。


だいたい、家に帰れるのかどうかすら怪しいのである。仮に帰れたとして自分から帰ろうなどと思わないが。


(もう頑張らなくても良い……)


ずっと気を張っていた。役に立たないならばと出勤日数と残業で自分の価値を見出そうとしていていた。娯楽も無い世界で、そうしなければならないのだと。


だからこれはきっと気まぐれな神様の、気まぐれな救済措置なのだと××思った。とはいってそれが全て××にとっていい方向に進むわけでないらしいが。こんな辺鄙な森に送られたのがその証拠だ。でも、何だっていいのだ。救われたから。


毎日毎日、仕事三昧で疲れ果てていた。今まで頑張って生きたぶん、第二の人生として今を楽しんでも良いのではないだろうか。


「いや、良いに決まっている!」


結論。確定。


決めるのが早いというツッコミも有るだろうが、理由は適当で良い。こじつけでも理由が有るなら良かった。神様なんて信じていない。居るという過程で、都合の良いように解釈しているだけで、解放される。


そうだ、この際名前を変えてしまおうと、××は決める。



「……レイラ、なんか違うな」


ブツブツと名前の候補を思案する。


「レイチェル……レフティ」


なかなか決まらず、××は焚火の周りをグルグルと回る。


(そういえば、この家の持ち主の名前ってなんだろう?)


不意に湧き上がった疑問。そういえばキッチンから拝借したナイフの裏に名前のような物が書いてあったのだと思い出す。キッチンも埃こそ被っていたものの、綺麗に整頓された後なのだろう。道具も食器も丁寧に並べられていた。家主は几帳面だったに違いない。


ナイフを手に取って、裏返す。やはり、ほとんど潰れてしまっているが、何か文字のような物が書いてある。掠れていて上手く読めないが、興味を誘われた××は、解読してみようと意気揚揚と読み上げた。


「……レイ?いや、レイシェル、か。レイシェル、エ……駄目だ読めない」


辛うじて読めたのは、名前の部分。


姓らしき部分は掠れが酷く、読むことが出来なかった。


(気になる……)


これが家主の名前なら、こんな森の奥に洋館を建てた相当な変わり者の名前だということになる。


とはいえ、読めないのなら仕方ない。


「レイシェル、か」


××は、何故だかその名前がしっくりとハマった気がした。


(……他に良い候補も無いし)


なら、理由はそれで充分だろう、と悩んだ結果××は自分の名前にする事に決める。


××改め、レイシェルはこうして異世界で生きる事を決意したのだ。

    

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