現実__02*
狼の魔物を右肩に担ぎ、えっちらほっちらと歩く。左肩にはもう一体同じ狼の魔物を乗せていた。
血の匂いに寄せられてやって来たのを今度はあまり傷付けないように倒すことに成功したのである。
力の加減は難しいけれど、この身体は大変頑丈な作りをしているらしい。自分の身長の何倍も有る魔物を二体担いだくらいでなんとも無いのがいい証拠だが……やり過ぎな気もしなくもない。まあ、気にしても仕方ないだろう。
(さて、………どうするかな)
緩かな坂になっている地面にポイッと死体を放り投げて、××は腰に手を当てた。
「……とりあえず、皮を剥ぐんだっけ?」
無謀も無謀。獣を捌いたことなんて勿論ない。参考になりそうなのは興味本位で見た熊の解体動画ぐらいなものだが……如何せん昔の記憶だ。何処まで当てになるのか。
××は記憶を探りながら準備を始める。洋館の中から持ってきた包丁やノコギリ等を地面に広げた布の上に並べ、その中からナイフを手に取った。
専用の道具らしき物は見つからなかったので、使えそうな物をキッチンから漁ってきたのである。
この洋館、人が居ないくせに物だけは一通り有るので、違和感だらけだ。有難くはあるものの、釈然としない。
しかし、今は解体中なので思考を切り替えた。
まず、顎から肛門の上あたりまでナイフを入れて、手、足は関節の部位から外してから剥いでしまう。それから毛皮を破らないようにナイフで慎重に皮を剥いでいく。この時毛皮を破くと肉に毛が付いてしまい、余計な手間が増えてしまうらしいので、それに気をつけるのも忘れない。
ナイフを見つけられたお陰で、覚束無い手の動きでも思ったよりはすんなりと皮を剥ぎ終わった。
剥いだ皮を下敷きにして、次の段階に移る。その前に、と××皮剥に使ったナイフを置いて包丁に取り替えた。一応念の為に変えた方が良いだろうと思っての事である。今更かもしれないが。
そして内臓を取り出す為に腹部、胸部を開く。この後は内蔵を傷付けないように取り出す作業になるが……。
狼の肉体構造を知らないので、様子を見ながら慎重に手を進めた。慣れない手つきで内臓を抜き取っていく。肋骨等の根元の硬い骨をノコギリで開いた時、少し内臓に刃を引っ掛けてしまった。
「やっぱ難しいな、これ」
顔をを顰めながらも、硬い魔物モンスターの肉に四苦八苦して、なんとか一体目の解体を済ませる。そして一体目の失敗を生かして、初めよりは慣れた動きで二体目の解体を終わらせたのだった。
××は達成感からか、ふう、と大きく息を吐く。
解体が済んだ所でこのまま食べれるわけではない。とりあえず血で濡れたナイフや包丁、そして自分の手を水で流しにキッチンへと戻る。
埃を被ったままのその場所は、日本の一般家庭にある台所と似た構造をしていて、普通に蛇口から水が出るようだ。だが、ガスコンロに当たるものは無い。竈らしきものもないので、火を起こすなら外で焚火をしなくてはならないだろう。
幸い此処は森のど真ん中である。薪広いには困らない。洋館の周りから火種となる小枝や枯葉を集め、薪となる太い枝は見つから無いので軽く木を倒して拝借する。
(ホームセンターが有ればこんな面倒な事も無かったんだけれどね……)
日本では基本的に下に落ちている枝、松ぼっくり等や市販の薪使うけれど、此処は日本ではない。すぐ近くにホームセンターなんていう便利なお店も無く、薪を買うことも出来ないのである。悪戯に木を採伐しているわけではないが、××は少し罪悪感を覚えた。
石を隙間を開けながら小さな丸の形に並べ、かまど作りをする。中心に着火剤になる針葉樹の葉などを置き、あらかじめ用意しておいた木の板を一枚と丸く持ちやすい枝を手に火を起こしを試みる。
木の板の下に太めの薪を置いて安定させて、垂直に枝と板を擦り合わせるように手を回す。昔小学校時代に校外学習で体験したやり方だ。前のように便利な道具もないし、やり方も色々と違うけれど、とりあえず何とかなるだろうか。
(…………)
ぐるぐる。回す。
(……………………)
ぐるぐるぐるぐる。回す。回す。回す。
ひたすら手を動かして、枝を回し続ける。
無心で回し続け。いい加減疲れて来た頃、もくもくと煙を吐き出した枝から、ようやく火種が生まれた。慌ててそれを大きめの葉に移し、着火剤の中に入れて火を灯す。
このままでは消えてしまうで、着火剤の上に爪楊枝くらいの太さの枝をギュッと束ねて置いて、その上に更にもう少し太い枝を斜めに立てかけていって屋根のようにする。
後は様子を見て薪を足して行けば大丈夫だろう。初めはとても頼りなかった灯火が、徐々に小枝を飲み込むように大きく燃え上がっていくのをぼんやりと見ていた。
暖かい。特に寒さを感じていたわけでは無いが、ぬくぬくとするのに丁度いい温度である。
「ふー、ぬくい……」
思わず手を出してぬくぬくと焚火を堪能してしまう××だったが、直ぐにやるべき事を思い出す。
「その前に、肉焼かないとね。あんまり暖かいからついダラダラしちまったぜ……」
よいしょとおっさんのような事を呟きつつ、重い腰を上げた。空気の通り道を塞がないように気をつけて、平らな石を焚き火の左右に積み上げて台にする。
石台の上に網を乗せれば簡易焚火の完成であるが……。あまり気は進まない。というのも、この金属製の網はキッチンに放置されていたもので、かなり汚れていたのを落ちるところまで洗い流したのである。
他に使えるものが無いのだから、此処は我慢するしかないが、やはりいい気分はしない。野宿するよりはマシなのだろうと分かってはいるけれど。
(どうしようもないことを考えてても仕方ない)
××にとって今は目の前の肉を焼くことが最優先なのだ。些細なことはこの際気にしない事にして。
「ではお待ちかねのお肉を焼きますかね」
ふへへ、なんて変な笑い声を漏らしながら、先程ブロック型に切った肉を網に置並べる。
「薪を足して、と。いつ焼けるかな」
ポイッと薪を追加して、と肉の焼ける音を聞きながら、今か今かと焼けるのを待つ。だんだん肉の焼ける匂いが漂ってきて涎が垂れてしまいそうだ。自分の鼻が食べ物の匂いにひくひくと反応している。お腹が空いてどうにかなりそうで。××はお腹をさすった。
なんとか食欲に対抗することわずか数分程度、いい感じに表面が焦げてきたのを見計らって一塊掴み取る。もう火傷するとか熱すぎて食べれないとか、そもそも塩すらなくまんま食べても美味しくないだろう事ととか、そんなこと××の頭からはすっぽり抜け落ちていた。
がぶり。齧りつく。肉汁がぶわっと溢れて口の中に広がった。
「美味い……」
少し獣臭い嫌いはあるけれど、それどころかちょっと血抜きが甘くて血なまぐさいかもしれないけれど、美味しいと感じた。
「く、ふふ。やっぱ最初はこんなもんだよね」
気の抜けたように笑う。××はこの森に来てからというもの、信じ難い事が起きすぎていまいち現実味が無い夢の中に居るような、そんな感覚だった。
だが、こうして素人なりに焚火をし、肉を焼いて食べてみて、ようやくここが現実なのだと実感出来た気がしたのである。
前の世界とは比べくもない程何もかも違う世界で、たった一人放り出された。分からない事だらけで、どうしていいかも××には分からなかった。死にそうになったりもした。
--けれど。この先も何とか生きていけるかもしれない。困難な出来事にぶつかっても、今日みたいにどうとでもなるだろうと。焼けた肉を見てそう思った。