ある商いの物語
明治35年夏。外は夏らしく蝉の鳴き声がとてもうるさかったが、「株式会社山城」の大広間には、多数の新聞記者と有名な政治家や華族、士族など総計120名程が集められた。聞けば今日は、山城が商社として仕事を始めて25年になる日という。つまりおめでたい日の、記念祝賀会というわけである。どう考えても暑苦しい空間に、スーツを着たふたりの男を両端に添えた袴の男が入って来た。前方の壇上で、その男は挨拶を済ませて言った。
「江戸時代、我が社はもと商家でした。私の祖父に当たる男は、商いを継いだときこう言ったそうです。「急なことも面白いもんじゃね」」。
「山城」は総合商社だが、徳川が世を治めていた時代は商家であった。江戸日本橋に元禄15年(1702年)に、初代の川下商兵衛が開いた質屋(厳密には百貨店の要素があった)が起源であり、以来江戸時代は質屋として各藩の大名御用達の有名な店として栄えた。有名になったのは、名物店主の滑稽さにあったと言われる。初代店主の商兵衛は、店を営むに当たりある決まり事を作った。
内容としては、
1.売るときは押しつつも強引にならず
2.会話を忘れず
3.面白おかしく悩まず
の3ヶ条からなり、これは初代からずっと引き継がれて、今は山城の経営戦略基本規定に姿を変えている。何よりそれを作り出した初代は、来た客を笑わせることばかり考えていたという。残る日誌によれば、彼は来た客の出身を聞き、その客の住む土地ではあまり手に入らない物を勧めた。例えば会津藩の客には、海産物を、「江戸参勤の手土産に、干物干しいかお酒はいかが」と歌いながら品を勧めたらしい。気を良くした参勤の侍達は、その後彼らが通じた人にお店を進め、やがて参勤交代に来る多くの藩士が訪れるようになった。江戸時代はそうして商家として、いち拠点から各地から集まる人々に様々な品を届けたわけだが、商家として栄えた時代には、商社になった今に通じるものが当然ながらあるのかもしれない。