第97話 ルーシアvs.ガラード
準々決勝、第2試合。
ルーシアはコロシアムの舞台の上に立っていた。
目の前の相手は、因縁ある貴族の男、ガラード・フールバレイ。
フールバレイ家はこの国で最も力のある貴族だ。ガラードは三男でありながら、その家の中で最も強い権力を持っている。
見た目は短い顎髭を蓄えた厳つい顔をした、筋骨隆々の大男だ。歳は37歳。
今は全身に鎧を纏い、脇にフルフェイスの兜を抱えて、腰に剣を穿いている。
ルーシアは誰にも話さず、密かに可能ならばこの男を殺そうと決めていた。
主人であるリヴィオを侮辱し、吾郎を殺そうして、コンスタンティアたちにも害を為そうとするこの男は危険だ。
闘技大会がある為にリヴィオが婚約を破棄した件も後回しにしただけで、今後なにかしてこないとも限らない。
殺害したせいで後々フールバレイ家と揉めることになっても、この男よりはマシそうだというのは、国からの情報で把握済みだ。
「アンバレイ家の使用人が、これほど戦闘を得手にしておるとはな」
ガラードが話し掛けつつ、ルーシアの傍に近寄る。
魔法によって選手同士と審判たちの間で会話が出来るので、試合開始前にこうも近寄ってくる理由をルーシアは考えた。
ガラードの今までの戦い方は、すべて剣による接近戦が主だった。その為に近付いてきたのだろうか?
そんなことをしなくても、ルーシアの遠距離攻撃はナイフを投げ付けるくらいしかないので、おそらく魔装だと思われる鎧を全身に纏ったガラードには、コンスタンティアから貰った魔剣である短剣くらいしか効かないだろう。
「ほう……。やはり器量のいい女だな。どうだ? 貴様の主とともに我が元へ来ぬか? 側室にしてやろう」
その言葉をルーシアの脳が理解すると、嫌悪感と不安と敵愾心が彼女の中に滲み広がっていった。
「……リヴィオ様は、きちんとお断りの手紙をお渡ししたはずです」
「ふん。フールバレイ家に対してそのような真似が許されると思うか?」
「ええ、思いますね。許されないなどと、身勝手な……」
「強気だな。最近は国や王家とも親しくやっているそうではないか。それでか?」
確かに強気な発言の裏側はその通りだった。
事前にアグレイン国にリヴィオとガラードの縁談について相談しており、身勝手な真似が出来ぬよう、取り計らって貰えることになっていた。
ルーシアがそのことを話すと、ガラードが笑う。
「アグレイン王家は近く滅びることになろう。我らフールバレイ家が何もせずともな」
「それは、金色の主義による陰謀の所為ですか?」
「やはり耳に入っておるか。そうだ。近く戦争になるやも知れぬな」
「貴方がたフールバレイ家は、それでいいんですか? 彼らは同じ主義を持たぬ者は……。あっ。貴方たちももしや……」
「ああ、その通りだ。我々も金色の主義者だ。尤も、そういうフリをしているだけだがな」
ガラードが厳つい顔にニヤリと笑みを作る。
「フリ? 利用していると?」
「ヤツらの持つ技術は素晴らしいものだからな。だが、あれはくだらぬ思想だ。もともと貴族主義である我らからしてみれば、レンヴァント国で貴族主義が斜陽に向かった際に、貴族どもがすがったものに過ぎん」
「……そのようなことをおっしゃって宜しいんですか? 審判たちも聞いていますよ?」
すると、ガラードは篭手の上から付けたいくつものゴツい指輪をルーシアに見せた。
その内の1つの指輪の魔石が鈍く発光している。魔法が発動しているようだ。
「審判どもは、我々が小声で何か話をしていると思っておるだろう」
成程、と納得したルーシアは次の瞬間、目を見張った。見覚えのある剣がガラードの腰に穿かれていたからだ。
「そ、その剣は!? 主が持っているものによく似ていますが……」
「ようやく気付いたか。今までの試合でも使っていたのだがな」
「ど、どういうことでしょう……。なぜそれを貴方が……。まだ数日かかると……」
「数日かかる? そうか、修理にでも出しておるのか。それで貴様は使っていなかったのだな、偽物の魔剣ロンドヴァルを」
「なぁっ……!?」
「貴様の主の父は騙されたのだ。貴様も主を想うのならば利口になれ。主とともに我が元へ来い。そうすればこの本物のロンドヴァルをくれてやってもよいぞ」
ルーシアは絶句した。
名剣と呼ばれたロンドヴァルはリヴィオが騎士になった祝いにとリヴィオの父が領地の一部を手放してまで手に入れたものだ。
それがまさか偽物だったなんて……。リヴィオ様になんて言おう……。
「王家が滅べば他の選択肢などないぞ。それとも、この地から逃げ出すか? あのヴァンパイアどものように」
呆然として答えないルーシアに、ふん、と不満を発するとガラードは踵を返し離れていく。
「もういいぞ、審判」
10メートルほど離れて兜を被ったガラードが指輪の魔法を解除して審判に声を掛けると、すぐに試合開始の合図の鐘の音が鳴り響いた。
ゆっくりとした所作で、ガラードはロンドヴァルを引き抜く。綺麗な刀身
が現れた。
ルーシアは湧き上がってきた憤りに、今すぐ飛びかかって行きたい気持ちを抑えていた。
ガラードの剣の腕は一流だ。忿懣やるかたない状態で突っ込むのは危険だ。冷静になれ――。
ルーシアは深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「偽物の魔剣ロンドヴァルとやり合うのを、楽しみにしていたのだがな」
「……そうですか。ところで、私が勝ったらそれをくださいません?」
「莫迦を言うな」
「強いほうが持っていたほうが、相応しいでしょう? ましてや、偽物すら使っていない私に負けて、堂々とそれを腰に下げられますか?」
「安い挑発だな。こういった優れた物は、我のような者が持つのが相応しいのだ」
「相応しいのは、リヴィオ様です!」
軽口を叩いて冷静さをそこそこ取り戻したルーシアが、地面を蹴る。
魔力で強化した身体能力で疾風のようにガラードに近付くと、引き抜いたロングソードの鞘をガラードの目元へと投げ付けた。
ガラードは片手でそれを払い除け、地面に沈み込んで全身鎧の股関節の隙間を狙って刺突してくるルーシアの剣をロンドヴァルで弾く。
「……っ!」
弾かれるのは想定内だったが、刃と刃がぶつかる音と衝撃は意外だった。刃を交わすと、ロングソードが折られてしまいそうだ。
それで連続攻撃をためらったところへ、ガラードの剣が振り下ろされた。翻ったスカートが斬られた切れ味に、ぞっとする。
「本当に、本物なのですね……」
「怖気付いたか?」
「誰が……!」
ルーシアはスカートからスティレットという細身で先端の尖った短剣を取り出した。
全身鎧の隙間を狙い、更に全身鎧の下に対策として鎖帷子を着込んでいたとしても、その隙間に突き刺してダメージを与える為に用意したものだ。
剣の先には麻痺毒が塗ってある。
すべて商業ギルドのつてでグリースバッハに用意して貰ったものだった。
二刀を持つルーシアとガラードとの近接戦は、観客たちを大いに魅了した。
ガラードはルーシアのスピードに対抗すべく、両手持ち用の魔剣ロンドヴァルを片手に持って、空いた片手もガードと攻撃に使った。
ロンドヴァルでの攻撃は、上手く受けなければロングソードが折られかねない。素手での攻撃も、筋骨隆々の大男であるガラードが硬質の鎧を纏っている為に、当たりどころが悪ければ骨折、頭でも殴られれば死の危険がある。
魔力によって身体能力を強化したルーシアは、ガラードに攻撃を届かせる為、スピードを限界まで上げていた。そのせいで攻撃を回避できずに大ダメージを負うリスクもあり、神経を削りながら攻防を続けた。
「どうした? 息が上がっているぞ?」
「貴方こそ、重い全身鎧と中に篭った熱で体力が削られているでしょう?」
「ふん。先に有効な一撃が入ったほうが勝者になりそうだな」
「そうみたいですね」
大きく息を吐き、ロングソードを投げ捨てるルーシア。会場がどよめいた。
空いた手にコンスタンティアから譲り受けた魔剣である短剣を握る。
ルーシアは長剣で相手の攻撃を受けることを得手としている為、リーチの短い剣では防御力に不安があった。だが魔装で、且つ特別な金属を仕様しているであろうガラードの鎧の上からではダメージを与えられない重いロングソードで戦いを続ければ、やがて息が上がって先に一撃を貰ってしまうのは自分だろうと、ルーシアは悔しさを噛み締めながら認めたのだった。
それならば、鎧を突き通せる可能性のある魔剣のほうがよい。
それに、ガラードはまだ余力を残しているような気がしていた。
「ふぅ……。私はね、怒っているんですよ……」
冷たいトーンで小さく呟くと、ルーシアはガラードへと疾走する。
回り込み、フェイントをかけ、定めた狙いは心臓。
コンスタンティアの魔晶石を使用した魔剣ならば、その魔力を一気に解放することが出来る。その一撃を、厚い金属に覆われた胸へと走らせた。
タイミングは微妙だった。
だが、この国で一番権力のある貴族ならば素晴らしい鎧を用意していて、きっとその防御力に自信を持っているに違いない。私が持ち出した程度の魔剣など、避けるまでもないと油断すれば――。
しかし、ルーシアのその思惑は見透かされていた。
身を翻して掠めた鎧の胸の部分に、横に大きく傷が出来たがガラードは無傷だ。
「くっ……!」
「それはやはりコンスタンティアの魔晶石だったか。この魔装にこれほどの傷を付けるとはな」
しまった……! ルーシアは顔を歪ませる。
ガラードならコンスタンティアの魔晶石のことは知っていて当然だ。それを使った魔剣の性質のことを知っていてもおかしくはない。
なぜそんなことに思い至らなかったのかと、悔いて眺めた魔剣である短剣の魔晶石は、色を鈍くしていた。もう殆ど魔力は残っていないようだ。
ルーシアは短剣をそっと地面に置くと、スティレットだけを持ってガラードへと向かう。
「ロングソードは拾わんのか」
「軽ければ軽いほど、メリットもありますから」
そうしてルーシアは、その速度を生かしてガラードに迫った。
ガラードは今までと違い、特には脚も使ってルーシアの攻撃を防いでいく。
やはりこの男には余力があった。
悔しい気持ちと憤りが、今は力になることを願い、ガラードの隙を窺っていく。
勝機は訪れた。
ルーシアはスティレットでの刺突をフェイントにして、剣でそれを弾かせる代わりにガラードの隙を突いたのだ。
「何――ッ!?」
跳躍したルーシアはガラードの頭を掴んで逆立ちの状態になると、身体を回転させてガラードの首を捻り、その骨をへし折った。
更に重力に引かれた体重を利用して首をより曲がらない方向へ捻り、念を入れる。
「な、なんとかなりました……」
大きく息をついて、へたり込むルーシア。
歓声を上げる観客に応えようと手を上げようとしたところで、観客の声が変化する。
ガラードを見ると、首が元通りになっていた。
「な……っ!」
理屈は考えず、ルーシアはすぐに身体を動かした。
近くに落ちていたスティレットを拾い上げ、倒れているガラードの首の隙間を狙って振り下ろす。だが、腕でガードされてしまった。
すぐに腕の鎧の隙間に狙いを定め、差し入れる。手応えがあった。剣の先端に血が付いている。すぐに麻痺毒が効くハズだ。
――そのハズだった。
しかし、ガラードは立ち上がり平然としている。
「ど、どういうことでしょう……?」
「毒でも塗ってあったのだろうが、残念だったな。我が魔装の鎧は、着用者の負傷を無かったことに出来るのだ」
「な……!? そ、そんな……それは……作り話じゃあ……」
昔、そんな鎧があると話題になったことがあったのを、ルーシアは思い出していた。
製作者も実物の所在もわからず、結局は作り話だと言うのが定説になっていたのだが……。
「死んだ所有者の話では、詫びにと譲って貰ったのだそうだ。奇妙なことに、譲った者は料理の姿をしていたという話でな。信じ難い話だが、実物はここにある」
「料理の……? ず、随分とおかしなお話ですが実物がそこにある以上、少なくとも鎧に関しては作り話ではなかったようですね……。……ひとつ疑問なのですが、所有者はそんな鎧を持ちながらなぜ死んだのですか?」
ルーシアはガラードが殺したのではないかという疑惑を持った。
「簡単なことだ。就寝時を狙った」
「……殺したのは貴方ですか?」
「我ではない」
「そうですか……」
「フフ……指図はしたがな」
フルフェイスの兜の中で、ニヤリと不敵に笑うガラード。気付くとまた審判へ会話が届かぬように指輪を発光させている。
やはりこの男は危険だ。そう考えたルーシアの脳裏に、更に疑惑が浮かび上がる。
「……魔剣ロンドヴァルの取引をした貴族のことは、私も覚えています。ですがもしや、それも貴方が裏で……?」
「フフ……フハハハ……! そうだ。それだけではないぞ、リヴィオ・アンバレイの父を騙した貴族も、我の差し金だ!」
ガラードはもはや、悪事を隠す気はなかった。
ルーシアはロンドヴァルだけではなく、アンバレイ家を苦しめた張本人がガラードだったということに衝撃を受け、呆然とする。
その隙をガラードは見逃さなかった。
「うう……ッ!」
踏み込んできたガラードの持つロンドヴァルの一撃によって脚を負傷し、ルーシアが呻く。
ルーシアはリヴィオが5歳のとき、19歳の頃から12年間アンバレイ家に仕えてきた。
傍で、リヴィオの両親が苦しむ様をずっと見てきた。その姿が思い起こされる。
長年、無力さと無念さを感じていた。
リヴィオの母の死も看取った。父の死も看取った。
記憶の蓋が開いて悔しさと怒りが渦を巻いて湧き上がってくる。
すべて、この男が仕組んだことだったのだ。
彼女の中で、その身を守ろうとするタガが外れた。
負傷を無かったことにするのなら、鎧の魔力が尽きるまでへし折った首を固定してやる……!
ルーシアは、復讐の塊になった。
「そのような顔をすると、美人が台無しだな。だが、怒りを感じているのは我も同じだ」
だから、過去の悪事を明かした。ルーシアを不快にする為に。
「我を殺そうとした報いを受けて貰うぞ」
そして自分を殺そうとしたルーシアを側室にしようという気は既に失せていた。
「報いを受けるのは、お前のほうだーーーーッ!」
ルーシアがこのような汚い言葉遣いをしたのは一体いつ以来なのか、もう彼女の記憶にないほど遠い昔のことだった。
ガラードへ剣の間合いへと飛び込んだルーシアは、振り下ろされた刃を最低限だけ躱すと、その身に受けた。
ガラードの隙を突くには、完全に躱すより攻撃を食らったほうがいいと考えたのだ。
予想した通り、魔剣の鋭い切れ味はルーシアの服と胸を滑るように切り裂いた。
回避の為の移動を減らした分、ガラードの兜へ伸ばした両腕が届き、首を捻った。だが、ガラードがその身を同じ方向にねじったことで、捻り足りなくなった。
「ぐぶッ……!」
ルーシアの内臓に、ガラードの拳がめり込む。
膝を突くルーシアにロンドヴァルが射し込まれ、身体を貫いた。
「ああぁあ……っ!」
「ふん。危なかったぞ……。先程と同じ方向に首を捻らなければ、貴様の勝ちだったやも知れぬ。身をよじる方向は賭けだった」
そこで試合終了の鐘が鳴り響く。
既に選手を一人殺しているガラードが、ルーシアを殺してしまわないよう配慮されたのだ。
もっとも、ガラードにはその気は無かった。ロンドヴァルで貫いた部分も急所を外している。
それを引き抜かれ、ルーシアは悲鳴を上げてうつ伏せに倒れた。
「うぅああッ! くぅ……っ! な、なぜ殺さなかったのです……?」
「我を二度も殺めかけたのだ。この程度では済まさん。貴様には後々、恥辱の限りを尽くしてやろう」
「くぅう……! うぅぅうう……!」
「フフハハハハ……! 酷い顔だな。我が憎いか? 我に従わぬからこうなるのだ!」
ガラードの嘲り笑う声が響く。
ルーシアの顔には悔しさと苦痛と土と涙とが、塗れていた。




