第86話 ルーシアの第一戦
「やったな、ロゴー」
「すごいすごい! ゴロー、暫く会わないうちに強くなったんだねぇ!」
「おにいちゃん、カッコよかったー!」
試合を終え、宛てがわれていた控室である個室に入ると、アンバレイ家に住む皆が笑顔で出迎えてくれた。
控室は選手の身内も使用することを許されており、外側が一般の観覧席とは隔離された観覧席と繋がっていて、そこは他の参加選手たちの控室とも繋がっている。
その観覧席に皆で移動して2回戦の戦いを見た。勝者は魔術師だった。
「かなりの使い手のようだが……あれは弟なのだろう? なぜ兄が出ない」
「わからんな……」
他に見ている者たちの中からそんな会話が聞こえてきてエステルが尋ねてみると、あの魔術師はレンヴァントの貴族で一騎当千の大魔法使いの弟なのだそうだ。
実はその兄より弟のほうが強いということなのか、兄に何か事情があって出られなくなったのか……。
強敵のようだが、魔法に対してはとっておきもある。優勝が目的だ。負ける訳にはいかない。
試合が進み、第四試合のフランケンシュタイン戦では会場に大きな驚きの声とどよめきが起きた。
フランケンシュタインが対戦相手をドーム状の魔法壁のその高い天井にまで投げ飛ばしたからだ。
「おにいちゃん、あのひと、めちゃくちゃだね……」
菜結はあんぐりと口を開けて驚いた後、そう漏らしていた。
俺もそう思う。やっぱり恐ろしい怪力だよ……。
そうして試合が進んでいき、本日最後、第十試合のルーシアの出番がやってきた――。
ルーシアの対戦相手は、猫背が印象的な男だった。ショートボウと矢筒を背負っていて、装備は軽装で胸当てなどをしているが金属製ではない。
ルーシアが彼について事前に知り得た情報は、ロッコという名と同じアグレイン国の貴族家の雇われの出場選手だということだけだった。
ルーシアはというと見た目は腰にロングソードを穿いている以外は、普段の黒いロングスカートのメイド姿だ。
メイドが出てきたことで、コロシアムはざわついていた。
「女中がこのような場に出てくるとはな……。だが大会に出てきたということは、相応の実力者ということか?」
「さぁ、どうでしょうね」
「見たところ、防具を付けていないようだが魔法剣士とでも言ったところか?」
「いいえ、私は魔法は使えません。体内の魔力を身体能力の強化には使えますけど」
その言葉を聞いて、ロッコはニタリとする。そこには嘲笑が混じっていた。
5メートルほどの近くまで歩み寄ってきてルーシアと対峙するロッコ。これまでの試合では皆が10メートル程度の距離で向かい合って開始の鐘の音を待っていたが、特に決まりがあるわけではない。
ルーシアはそれについては黙って見ていたが、不快な表情には口を開いた。
「そのような顔をされては、女性にモテませんよ?」
「生憎、女は買えばそれでいい」
「あら、そうですか」
やがて、審判からの合図で試合開始の鐘が鳴らされた。その瞬間、ロッコは片腕で背中のショートボウを取りつつ、ぶらりと下げたもう一方の腕のゆったりとした長袖の中から、腕を動かさずに手だけで小さな短剣を取り出すと、やはり手の動きだけでルーシアへと投げ付ける。
ルーシアは顔色ひとつ変えずにあっさりとそれを避けた。顔色を変えたのはロッコのほうだ。ショートボウを取る動きに視線を誘導したこの奇襲には自信があった。成功率も高く、動揺さえしないという者はいなかったからだ。
「……女。只者ではないな」
「ふうん、毒入りですか。掠っても勝負アリと言ったところでしょうか」
「そこまで見抜いたかよ。ああ、即効性の麻痺毒が塗ってある。全身鎧で固めた者が相手でも、隙間に差し込めばそれで終いよ」
「それは、矢にも塗ってあるのですか?」
「ああ、その通りだ!」
会話の間に弓を構えていたロッコが矢を放つ。矢は風の魔法を受け、近距離から高速でルーシアへと飛んだ。躱したが、ルーシアは僅かに顔色を変える。
「今のは驚きました」
「これも避けるとは思わなかったぞ……」
こちらも結構な自信のある攻撃だったロッコはルーシアに脅威を感じ、距離を取りつつ風魔法を纏わせた矢を2本つがえて放った。ルーシアはそれを追いつつ1本を躱し、もう1本を掴み取る。
「ぐっ……! 矢に向かって走りながらだと!? 剣を抜かないのは矢を取る為かよ」
「ええ、器用でしょう?」
「なんて女中だ!」
後ろ向きで逃げるロッコにルーシアはもう一度矢を放つ暇を与えなかった。ロッコの身体を掴むべく腕を伸ばす。だが、その腕は透明な壁に阻まれてしまう。
「――ッ! 魔法壁!」
半ドーム状の魔法の障壁を発動させたロッコは後方に下がる。ロッコが離れたことで魔力が供給されなくなり、次第に消えていく魔法壁。ルーシアは回り込んだりせずに、それを待っていた。
ロッコはルーシアと距離を取ることが叶い、ニタリとする。そこには安堵も含まれていた。
「……道理で軽装だと思いました」
「貴様と同じく、スピードの為でもあるんだがよ。速いな、貴様は……」
ロッコは次の攻撃にも自信を持っていた。今度は3本の矢をつがえて風魔法を纏わせ、ルーシア目掛けて放つ攻撃だ。そのうちの1本はわざと外した。
ロングスカートを翻しながら2本の矢を躱すルーシア。そこへ、軌道を外れた矢が曲線を描いて彼女の元へ飛んでいく。
「なっ!?」
そう叫んだのはロッコだ。ルーシアは斜め横から迫ってきたその矢をあっさりと掴み取ってしまったのだ。
「これも通用せんとは……」
「次はそう来るかと思ってました」
ルーシアは矢を投げ捨てると、ロッコへ疾風の如く駆け迫った。次の矢をつがえられず、ロッコは魔法壁を展開する。ルーシアは半ドーム状のそれを跳躍して飛び越えロッコの頭上から斬りかかったが、ロッコは魔法壁の範囲を広げてドーム状にすることでその身を守った。
「それでは身動きが取れないでしょう。出てきたらどうですか?」
「ぐ……っ」
魔法壁を解除すれば瞬殺される。ロッコは顔色を失った。これほど追い詰められたのは初めてのことだった。心臓が早鐘を打っているのに気付き、気持ちを落ち着けつつ打開策を思案する。
すると、ひとつの考えが頭に浮かんだ。この魔法壁は、何箇所かが横に大きく避けるようにして消えていく。その隙間から追尾する矢を放ち、すぐに障壁を貼り直すというアイディアだ。
障壁の解除のタイミングは自分にしかわからない。上手く目の前の女中の前に隙間が開けば、いくら素早くとも避け切れはしないだろう。
ロッコはニタリと笑いそうになるのを堪えつつ、横向きにした弓に3本の矢をつがえ、ルーシアを追尾する風魔法を纏わせると引き絞った。
「俺が貴様に矢を向けたら、観客どもの声がデカくなったなぁ」
声を掛け、ルーシアが何かを答えようとしたタイミングで障壁を解除した。あまり油断を誘えるとは思っていなかったが、もし誘えるのであれば御の字だ。
そこで、ロッコに幸運が訪れる。ルーシアに向けて弓矢を構えた目の前の障壁に隙間が出来たのだ。矢から手を離すと1本は外れたが、2本の矢がルーシアの衣装を貫いた。
だが、それはルーシアが頭に被っていた白いフリルの付いたヘッドドレスで、彼女自身に命中してはいなかった。
「ギャアアッ!?」
素早くしゃがみ込んで矢を回避したルーシアは、足元にあった魔法壁の裂け目へとロングソードを抜刀して薙ぎ払う。両足のすねを切断され、叫び声を上げながら前のめりに倒れるロッコ。
だが、まだ勝機は残されていた。1本外れた追尾する矢が戻ってきて、ルーシアの背中から襲い掛かっているハズだ。
顔を上げると、ふわりと広がったロングスカートから生白い下半身がお尻まで覗いて見えた。脚は斜め後ろを向いていて、矢を掴んでいる手が視界の上側に映った。
それから、首元へひやりとしたロングソードの刃が宛てがわれ、ロッコは諦めを口にすることとなった。
「降参だ……」
コロシアムに鐘が鳴り響き、観客が沸き立つ。
「貴様、何者だよ……」
「見ての通り、ただのメイドですよ」
「本当か……?」
「ええ」
「……これは近隣諸国から最強が集う戦いの場だぞ。ただの女中がなぜそんなに強い」
「父が厳しいかたでしたので」
「…………。世の中、広いな……」
完敗し、ロッコは清々しい笑みを浮かべた。
「あら、そちらの笑い方のほうが素敵ですよ」
「うるせー」
これを機に、ルーシアは戦うメイドさんとして一躍コロシアムの人気者になるのだった。




