第83話 トリア村、再び
それは、今から40年ほど前の会話――
「いつかエステルにも好きな男が出来て、別々に暮らすときが来るかも知れないな」
「ええ~……出来るかなぁ……? お兄ちゃんがいれば、男の人は別に要らないけど。お兄ちゃんは好きな人いないの? エルフの森では結構モテてたよ?」
「なに? エステル、そういうことは早く言いなさい」
「あはは。だってお兄ちゃんといられなくなるの嫌だったんだもん。本気なら向こうからアピールしてくるでしょ」
「……今度からは教えてくれよ? もし結婚することになっても、なるべくお前も一緒に暮らせるようにしてやるから」
「ええ~。邪魔でしょ?」
「邪魔なものか」
「う、嬉しいけどさ……。相手が迷惑そうだったら遠慮するよ。……あっ。でもあれだな~……。うーん……」
「なんだ?」
「ほ、ほら……わたしたちは耳がいいから……さ……」
「……? 耳がいいからなんだ?」
「わ、わかんないならいいよ!」
「なんだ? 赤くなって。変なやつだ」
「う~~! ニブチン!」
「んん……? まぁ、なんだ。寿命の短い種族がパートナーにでもなれば、別々に暮らしてもまた一緒に暮らすときが来るかも知れないな」
「うーん、わたしにもそんなときが来るのかなぁ……」
「我々エルフの生は長い。今は私にべったりのお前にだって、いつかそんな出逢いがあるかも知れんぞ」
「じゃあもしもそんな相手が出来たら、お兄ちゃんと別々に暮らさないで済むようにわたしも相手に頼んでみるよ」
「いや、それは遠慮する」
「ええ~~!」
夕暮れの近いトリア村では多くの者が仕事を終え、鉱夫たちが村へと成果を持って戻ってきていて、とても賑やかだった。
「こんなに賑やかなとこだったんだねー」
「あれから二ヶ月以上経ってるからなぁ」
俺たちに気付いてくれる村人たちも多く、あちこちから声が掛かる。
村の様子について「前ほどじゃあないけど、ようやくここまで来ましたよ」と鉱夫の一人が言う。
俺とエステルは村長の元へ。以前は代理だった村長も、正式にその座に納まっていた。
「なんと! それが石化を治す秘薬ですか! その噂は聞いておりました。この目で見るまでは信じられませんでしたが、本当だったのですね……」
「うん。兄の石化は特殊だから、これで治せるかはわからないんだけど、他のかたたちの薬も用意してあるよ。ね、ゴロー」
「ああ」
「ほ、ほっ!? 本当ですかっ!? な、なら皆が元通りに……!」
村長の目元に涙が溜まっていくので、俺は慌てて注釈を加える。
「い、いえっ。まだ治せるかどうかは……。他のかたたちに用意した薬は、別の物ですのでっ」
「そ、そうですか……。すみません、取り乱しまして……。で、ではどうぞこちらへ。ご依頼通り、貴方のお兄様は厳重に保護しておりますよ」
以前は納屋に押し込められていた石化した人々も、村外れに作られた建物の中で壊れないように固定されていた。
その中で村長より先に兄の姿を見つけるエステル。
「お兄ちゃん……」
あのときと変わらない兄の姿の前に立ち、彼女は魔晶石で魔力を注いだ秘薬をその身体に垂らした。
「お願い……戻って……」
だが、暫く待ってもなんの変化も訪れない。
やっぱりか……。
「ゴロー、わたし考えてたんだけどね、ゴローの『スライムクリスタル』の力で石化した身体から魔力を吸い取れば薬が効くようになるんじゃないかな?」
振り返って提案するエステルの青い瞳は、涙で揺らめいていた。
「いや、それだとただの石になってしまうらしい……」
さっきラファエルの屋敷に行ったとき、コンスタンティアに俺も同じ提案をしたのだ。そして、そう聞いていた。
「そんな、じゃあ――」
「いや、まだ手はある」
カルボは言っていた。エステルの兄が石化したとき、助ける手段はあったと。
エステルの兄は魔石によって魔力が強化されたメデューサによって石化した。なら、魔力を強化した薬でなら治るんじゃないだろうか。
あのとき、俺たちはメデューサの体に埋め込まれた魔石を使って、その魔力を注ぎ込んだ薬を使えばよかったんじゃないだろうか。
俺は魔晶石を4つ取り出し、エステルの両手に持たせた。
「コンスタンティアに聞いてみたら、使う魔力量的には3つでも充分だろうって話なんだ。でも念の為4つな。俺は持ってる魔力が少なくて、4つの魔晶石から魔力を同時に引き出せないかも知れないからさ、エステルがやってくれよ。俺が薬をかけるからさ」
「……う、うん。わかった」
「使い切るつもりでやっていいからな」
そうして、ラファエルが作った有効成分を水に溶かした薬に、4つの魔晶石の魔力を一気に注いで貰ってすぐにエステルの兄の身体にかけた。
薬のかかった部分が発光し、光が広がっていく。
「あ、ああ……!」
エステルが声を漏らす。
光が消えると、そこには元の姿に戻ったエステルの兄、エルトゥーリ・ブランの姿があった。
「お兄ちゃあん!」
エルトゥーリは抱きついた妹を朦朧とした様子で受け止め、暫くして事態を把握したのか、笑顔で抱きしめ返す。
「お兄ちゃん……! 逢いたかった。逢いたかったよぉお……!」
「すまない。辛い思いをさせたな、エステル……」
泣きながら笑うエステルの横顔を見ていたら、俺も鼻の奥がつんとして涙が滲んできた。
エルトゥーリは妹の頭を優しく撫でている。
鼻を啜る音に振り返ると、一緒に来ていた村長が滂沱の涙を流していた。
あはは。なんでアンタが一番泣いてんだよ。
それから村中に歓喜の衝撃が走るのに、そう時間は掛からなかった。
石化した村人の1人が薬によって回復した時点で、村長はこの建物の管理と見張りをしていた2人に村中に伝え知らせるようにと指示を出した。
夕暮れ時の村外れの建物の前に村中の人が集まり、石化した人が1人出てくる度に歓声が上がる。建物前は大歓喜に包まれた。
「魔晶石、足りてよかった」
「うんっ!」
エルトゥーリと村長にも手伝って貰って手分けして石化を治し、最後の1人の石化が解けて俺たちが建物から出ると、割れんばかりの大歓声が巻き起こった。
涙を流してお礼を言う多くの人たちに囲まれ、俺は照れ笑いを浮かべる。
エステルは嬉しそうにまた涙を流して、皆と喜びを分かち合っていた。
暮れなずむ空の下、村の広場では篝火が焚かれ、宴の準備をしているという。
村の人々やエステルが喜んでいるところに帰ると言い出すのは気が引けて、宴に参加した。
そうして、随分と夜も更けた頃、近くの村から知らせを聞いた人々が馬で広場の入り口まで駆け付けてきた。
「コーネリアッ!」
愛しい人の名を叫び、再会を果たす人々。
あれ、よく見るとあれは以前ここに来たときエステルのポーションを盗んだ男だ。確か、ダーフィットって言ったっけ。
彼は愛するコーネリアと抱き合い、男泣きに泣く。
それから俺のところへやってくると、膝を突いてすがるように俺のスニーカーの片方を掴んだ。
あ、これ覚えてる。リヴィオが俺にやったやつだ。
この国に土下座というものはないが、プライドの高い貴族には土下座以上の謝罪らしい。
「すまなかった……! あんなことをしておいて、いまさら許して貰おうなんて思っちゃいない……。気の済むまで殴ってくれて構わない。金が欲しいなら、出来る限り用意する……」
「いいよ、もう」
「い、いいのか……? お、俺は田舎のしみったれた貴族だが、出来る限り――」
「だからもういいって。よかったな、恋人が元に戻って」
「……っ! う、うぅ……! あ、ありがとう……! ありがとう……っ!」
顔を伏せているダーフィットが泣いているのを、地面に落ちた涙で気付いた。
「お人好しだなぁ」
いつのまにかエステルが隣にやってきていて、苦笑しながらそう言う。
「ア、アンタにも俺は謝らなくては……」
「別にいいよ。その代わり――」
エステルはダーフィットを立たせると、思いっきりその頬をひっぱたいた。
「ま、これで許してあげるよ! ホントはお金でも請求したいとこだけど、ゴローが許したしね」
村の人たちも事情を把握していたのだろう、エステルの言葉を受けて大きな歓声が上がった。
ダーフィットも酒を勧められ、喜び合う人々の中に溶け込んでいく。
「……ねぇ、ゴロー」
「んー?」
「ありがとうね。本当に……」
「ああ……」
泣き腫らし、騒いで少し草臥れた顔をしたエステルが、喜び合う広場の光景を眺めながら傍らで顔を綻ばせている。
俺は彼女の兄が助かり、旅に出た彼女がこうして無事でいることの喜びを噛み締めていた。




