第79話 理を知る者
変身できないのか!? いや、そうじゃない……。
言葉を発しようとして麻痺して出なかった俺の口をリヴィオが塞ぎ、息を吹き込む。そうして唇を離した彼女は、驚いたことに笑っていた。
「心配するな! 変身できずとも人工呼吸を続ければ助かるそうだ!」
そう励まされ、リヴィオは俺を安心させるつもりなのだとわかる。
再び唇を寄せ、息が送り込まれた。
「治るまで続ける。一晩中だって続けるし部隊の皆も代わってくれる。心配ないっ!」
笑顔の目の縁に溢れ出しそうなほど涙を溜めながらそう捲し立てると、リヴィオが息を吸い込む音が聞こえて、また俺は呼吸が出来た。
「オォ……オッェッ……」
リヴィオの口が離れた隙に、言葉を出そうとして失敗する。やはり言葉は出ない。なので、手を懸命に動かした。いや、動かしているつもりだ。頭を動かせないので視界に手が入らず、感覚も無くてわからない。
だが、視界に映るリヴィオの顔が、そちらへ向いた。
「……そ、そうかっ!」
手の動きだけでなく俺の意図にも気付いてくれたリヴィオは、今までより強く息を吹き込んできた後、持ち上げた俺の手を使って魔法陣を叩いた。
それだ。
魔法陣が割れ、変身が始まる。光に包まれた俺の身体に、リヴィオは涙をぱたぱたと零しながら、
「変身しても身体が動かないようならすぐ戻すからな! 心配するな!」
そう大きな声を上げていた。それは、不安を抱えた自分に対して言っているようにも聞こえた。
心配かけてごめんな、リヴィオ。
「助かった~……。ありがとうな……!」
解毒は完了した。
変身して呼吸も出来て動けるようになった俺は、スライムクリスタルの必殺技で解毒を行い、更にさっき食べた魔法の果実由来のものを一応、全部吸収した後、畑に捨てるのもどうかと思い、スライム化した右腕に集めてある。
事が済んで、リヴィオは俺に抱きついてきた後、自分の行為に恥ずかしくなって真っ赤になっていた。
俺も赤いかも知れない。変身してて顔を見られなくてよかった。
「こ、これ、畑の外に捨ててくるわ」
気まずいし、右腕に集めた見てくれの悪いそれを捨てる為にその場を離れ、戻った頃にはだいぶ霧も晴れてきていた。
赤らめた顔をまともに合わせられないリヴィオとともに、部隊員たちの元へと並んで歩く。俺もリヴィオも歩みがぎこちない。顔が赤いのはリヴィオだけじゃないかも知れない。
部隊員たちは負傷者が多かったが、ディップが隠し持っていた中級ポーションのおかげもあって、命に別状がある者はいないようだった。
リヴィオは自分が剣を突きつけたディップに逃げられて部隊員たちが負傷したことに責任を感じていて、彼らに治療費を出すと進言したが、彼らもまさかああなるとは予想できなかったと、それを断っていた。
ディップはというと、縛り上げられていた。俺と目が合うと、睨み付けてくる。
「黒き魔装戦士め……。貴方はこの世界にとって邪魔です!」
「は……? 世界にとってって……どういうことだよ……」
……まさか、魔法とは異質の力を持った俺が、何かこの世界にとって問題なのか……?
「世界は我らが統治してこそ最も良くなるのですよ。それを邪魔する貴方は、この世界の敵です」
自分に問題があるのかとちょっと焦ってしまったけど、違うみたいだな。
「金色の主義か……?」
リヴィオが聞き慣れない単語を口にする。
「ええ……。リヴィオさん、貴方ほどのかたならわかるハズだ……。我らの思想こそが、世界を恒久に平和に、最も良いものに出来るのだと……!」
「わからないな……。私の父は金色の主義に傾倒した者に騙されてな。無念さと恨みにまみれて死んでいったのだ」
「……それは、やむを得ない犠牲に過ぎません……! 我らが導く為に民衆は在るのです!」
「それが、善い行いだというのだろう?」
「ええ、そうです! リヴィオさん、貴方なら我らの思想が理解できる。私の今回の一連の行為も、世界の繁栄と平和の為です。我らが導かねばならないのです……!」
「…………」
リヴィオは沈黙した。ディップの言葉を考えているようには見えない。呆れ、冷めた目をしているように見えた。
「なぁ、リヴィオ。その金色の主義ってなんなんだ?」
「簡単に言えば、選民思想だ。十数年前にレンヴァント国から広まってきた思想でな。その思想を持つ者こそが選ばれた存在であり、民衆を導く存在だという」
「はぁ……」
「噂によるとレンヴァントの貴族は相当数、更に王族までもがその主義に傾倒しているらしい。近年の国境沿いでの争いの規模が大きくなっているのも、それが原因のようだ」
「……マジか……。でも、それでリヴィオの親父さんを騙したり俺らを殺そうとするなんて、間違ってるだろ……」
「瑣末事に過ぎません! 世界の為です!」
ディップが喚く。
「リヴィオさん、貴方ならわかるハズだ! 貴方なら――!」
「もう黙っていてくれ……。あの頃のことは、あまり思い出したくはないんだ……」
背を向けて離れていくリヴィオに、ディップは必死で言葉を並べる。やがて遠のき、相手にされないとわかると頭を垂れて、金色の主義の思想を持たない者をぶつぶつと罵倒し始めた。
俺はちょっとその姿に憐れみを覚えたり、彼の行為に憤りを感じたりしたこと等もあってか、彼に声を掛けた。
「なぁ、ディップ。人ってのは間違える生き物なんだよ。色々な理由で時には間違ってしまうように出来てるんだ。お前の場合は、『金色の主義』っていう先入観を支持する情報ばっかり見て、逆の意見は無視したり軽く見たりして、間違った先入観を確かなものだと思い込んでいっちまったんじゃないかな。反証する情報に注目して、よく考えてみろよ」
確か、認知バイアスの一種の……確証バイアスが原因なんだっけ。前の世界の知識を思い出しながら俺は話して聞かせた。
もう、彼に反証意見を見る機会は訪れないかも知れないが。
「間違いだというのですか……」
「俺はそうだと思うぞ。そんな、その思想を持ってるヤツだけが選ばれた者だなんて……」
「金色の思想を持つからこそ、世界を良く出来るんですよ。それがわからないから貴方たちは思想を持てないのです」
「…………ん~……。お前の言う通り、その思想を持つことによって、世界を良くしようと高い意識を持っていたりすれば出来るのかも知れない。でも、出来たとしてもそれは結果的にそうなったってだけの話だ。出来ないかも知れないだろ?」
俯いていたディップが、顔を上げた。
「出来ますよ。志を同じくする者たちが大勢集まるんだ、出来ないハズがない」
「……出来なかったら、それはまだ道半ばか? 仮に出来るとして、それは一体いつの話なんだ? 何百年先だ? それより寿命の短い人間を理想の為に殺すのはエゴだとは思わないのか?」
「……尊い犠牲ですよ、世界の為の……」
再び俯くディップ。
今、話し合って彼の考えを変えようとは思ってはいなかったけど、これ、もし説得しようと思ったら大変だろうな……。少しは何かが響いてくれていたらいいんだけど。
「なぁ、俺は例えお前たちが世界を良く出来るんだとしても、その為に罪もない誰かが殺されそうになっていたら、戦うよ。そんな犠牲は俺には許せない」
「そうですか……。それではこの世界は愚かな争いをいつまでも続けていくままでしょう」
「どうだろうな……。都市アグレインの人たちは、女王の教えってやつで他人を害するような者は少ないんだろ? 治安だって世界一いいかもって話を聞いたぞ。お前たちが支配して、更に良く出来るのか? それに、仮にお前たちが世界を支配しても、比較できるのは支配する前までの世界だろ? 科学だって魔法だって進歩するし、産業革命だって起きるかも知れない。以前より少しでもよかったらそれでいいって、堕落しそうな気もするんだが……」
「……産業革命……?」
再び顔を上げたディップが、暫く俺と目を合わせた後、
「……得体の知れない人ですね……貴方は……」
そう言って、くったりと下を向いて、それで会話は終わりとなった。
もしかしたらディップの言う通り、金色の主義の思想を持つ者が世界を良く出来るようにカルボが作ってるって可能性も考えたけど、なんとなくカルボがそんな世界にしているとは考えにくいんだよな。アイツだったら逆に否定しそうな気がする。これもなんとなくなんだけど。
仮にそうでも、俺は誰かが殺されそうになってたら戦うけどな。
――――月が雲に切り裂かれ闇が深くなって暫時経ち、女は現れた。
「コンスタンティアッ!」
静まり返った闇を引き裂くラファエルの叫声に、シュタインバレイ家の私兵護衛団は跳ね起きる。殺された見張りの者たち以外は。
闘技大会の為、コンスタンティア・シュタインバレイと彼女の実家の護衛団、それにラファエルとフランケンシュタインとで都市アグレインへと旅立った一日目の野営地でのこと。
夜型の生活が祟って寝付けず、月見をしながらワインを傾けていたコンスタンティアは、その女の存在に全く気付くことが出来なかった。
女はあらゆる無音系の魔法を使いこなし、歩み寄る音も見張りの喉笛を切り裂いた音もその悲鳴も、全てを掻き消した。膨大な魔力は感知されぬよう自身の周囲に防壁を展開し、ラファエルが気付いたときには既にコンスタンティアはその女に頭を鷲掴みにされ、ぐったりとした様子をしていた。
「貴様ァッ! 何をしたッ!?」
牙を剥き出し、敵意を剥き出すラファエルを一瞥すると、女は薄く笑う。
「案ずるな。この者の魔法を奪い取っただけだ」
コンスタンティアから手を離した女の口から、底ごもりした男の声が発せられた。
ラファエルは倒れ伏したコンスタンティアに息があるのを遠目で確認すると、女を観察する。
淡い青い肌をした若い女だった。コンスタンティアを掴んでいた逆の手には、箒を持っている。
「魔族か……。本来の姿ではないな? 女なのか、男なのか……」
「今は女だ。この見た目なら、少しは油断を誘えるかとな」
「ほう……クク、ならばその声と肌の色くらいはどうにかするべきだったな」
「このほうが、少しは恐怖を誘えるかとな」
化けそこなった言い訳かとラファエルは感じたが、その目は本気のように見えた。
人間ならば、得体の知れない者の悪意に恐怖を覚える者も多かっただろうが、同じ魔族であり強者でもあるラファエルは動じなかった。
「ところで、信じ難いことを耳にしたが……。魔法を奪っただと? 本当か、それは……」
この世界では魔法を強奪、又は譲渡する為の魔法は古くから多くの者が生み出そうと試みているのだが実現できた者は存在せず、不可能だろうと言われている。なので、ラファエルがそれを疑うのも無理はなかった。
「なら、見せてやろう。……この箒はもはや要らぬかな」
女は持っていた箒を投げ捨てる。ラファエルは女が魔法の杖ではなく箒を持っていることを奇妙に思っていた。箒で空を飛ぶ魔女は絵本には出てくるが現実には存在しないと言われているからだ。
それから、女はふわりと空中に浮き上がった。
「コントロールが難しいな……」
「浮遊魔法……! 本当に奪い取ったというのか……。貴様ァア……!」
ラファエルは牙を軋ませ、驚きに瞳孔を開いた赤い目に殺意を灯す。
駆け付けた護衛の者たちはその光景に言葉を失った。
「奪ったものは、取り返せるのか?」
怒りを剥き出すラファエルの問いに、不安定に宙を漂う女は愉快そうに答える。
「奪い取ったと言っても、魔法が消えた訳ではない。正確には魔法のプログラムを写し取ったのだ」
「……ぷろぐらむ? なんだそれは、どういうことだ?」
「フフ……わからぬだろうな。私はある人間の少女に出会い、そして魔法の理を得たのだ。それまでは千年かけて創った独自魔法でも、魔法に関する知識しか奪えなかったのだがな、理を知りプログラムの存在を知ったことで、それも奪うことが出来るようになったのだ」
「…………人間の子供が理を知っていたというのか?」
「ああ、その通りだ。その者は箒で空を飛んでいた。目を疑ったな……。幼い故に真理に辿り着けたのかも知れん」
「………………殺したのか?」
ラファエルは目の前の女の危険性を測るべく、問いただす。
「いいや……。お前の令閨と同じだ。有用そうなのは、生かしてある」
「……今後、新たな魔法を覚えたとき奪う為にか……」
「フフフ……。期待している」
令閨などと他人の妻を敬った言い方をしているが、魔法に関してのみだろう。ラファエルの目の端に映る見張りの者は、無残にも殺されている。
「……吾輩の魔法は奪わなくてよいのか?」
「物質生成能力は非常に魅力的だが、貴様とやりあうには時期尚早だ。ヴァンパイアは他にもいるしな」
「なんと……。種族特性の能力であっても魔法によるものならば奪えるのか……! ククク……おもしろいな……!」
「私も驚いている。いずれ、私はこの世界で最強の存在になるぞ。どうだ、私に従わぬか?」
空中から見下しながら、女はラファエルに手を伸ばした。
「……世界でも支配する気か? 吾輩には興味はない」
「そうか。だが、無関係ではいられなくなる。いずれこの国は、レンヴァント国と戦争を始めるぞ」
「何? どういうことだ」
「金色の主義を知っているか? あれは私が創り、吹き込んだものだ」
「あれは貴様が……。成程、戦争は魔法を発展させるからか」
「ああ。しかも今や私は知識だけでなく魔法自体を奪えるようになったのだ! 愚かな人間どもには、精々私の糧となって滅ぼし合って貰う」
「クク……ククク……おもしろいな……!」
「そうだろう?」
「だが、危険だ」
ラファエルの掌から青い放電が樹状に広がり、女の魔法壁に衝突する。ドーム状の魔法壁は雷撃を逸らし、更に広がった雷撃が木の幹を裂き、叢を焦がす。
「魔人と言えど、貴様は敵か」
女は少し残念そうにした後、より高く浮かび上がって後退し、闇夜に溶けていく。
「吾輩から逃げられると思うなよ……!」
「見つかった以上、簡単には逃げられぬとは思っていた。だが、これならばどうだ?」
女は懐から魔法のスクロールを取り出し、それを使ってマンティコアを3体喚び出した。
1体でも討伐隊が編成される、恐るべき怪物だ。人のような顔に獅子の胴体、蝙蝠の翼にサソリの尾の外見をしていて、尾には猛毒を持ち、3列に並ぶ牙は人肉を特に好み、知能が高く、走る速度も非常に速い。
「令閨を守りきれよ? 死なすには惜しいからな」
「貴様ッ……!」
闇に溶け、見えなくなってしまった女のほうを見ながら、ぐぎりと歯噛みするラファエル。
後ろで見ていた護衛の者たちは、3体ものマンティコアの出現に酷く狼狽していた。
「ええい、こんなときにあの大男は呑気に寝ておるのかッ!」
「よ、呼んできます!」
「もう遅いッ!」
「……え?」
フランケンシュタインがいれば女を逃がさないような連携が取れたかも知れぬものをとラファエルは苛立ちながら、鬱憤を吐き出すように『ブラッディ・レイ』を放つ。赤い光線がマンティコアたちを蹂躙し、滅ぼした。
「こんなもので吾輩が愛する者を守りきれぬと思ったかッ!」
その後、ラファエルは腕を蝙蝠化して飛ばし辺りを探したが、女は見つからなかった。
雲も月から逃げ始め、明かりが闇を浅くした頃、コンスタンティアの目が覚めて無事が確認できたが、ラファエルはその夜、落ち着くことはなかった。
この作品でなろうに投稿を始めてから、今日で一年が経ちました。
意欲を保ち続けていられるのは、読んでくださる皆様のおかげです。どうもありがとうございます。
(2017.3.26記 3.29改訂 4.1再改訂(特に問題はなかったのですが、思うところあって一部削除しました))




