第78話 人工呼吸
リヴィオの元を離れ、炎の剣と魔剣の短剣を拾い、白い濃霧の向こうのミストローパーの影を確認する。影は少し移動していて、ほとんど見えなくなっていた。
霧の中にはディップもいるハズだ。右腕を失っているとは言え、アイツがこの状況で大人しくしているとは思えない。それに、ディップに弓矢で射られ、俺に毒を持ったアンネリースという女性とその元に向かった魔術師も1人、この霧のどこかにいるハズだ。
早いとこミストローパーとの戦いに片を付けないとな。面倒なことになったら困る。
「………試しにコイツを投げてみるか」
遠のいていくミストローパーへ、俺は炎の剣を渾身の力を込めて投げ付けてみた。もしミストローパーの体に刺さったら、炎の竜に変えて内部から焼けないかと思ったからだ。
だが、霧の向こうで剣が弾かれ、炎の光が放物線を描いて飛んでいくのが微かに見えた。
「やっぱり無理か」
予定していた作戦を開始しよう。
俺はまず、『ヴァンパイアクリスタル』にモードシフトした。それによって炎の剣が消え、霧の中に落ちて僅かに届いていた炎の剣の光が見えなくなる。
ちなみに『ドラゴンクリスタル』に戻してまた炎の剣を呼び出すことは出来るので、これを利用すれば拾いに行かなくてもオッケーだ。必殺技なので体力は使ってしまうけど。
次に、異空間かどこかに収納しておいたラファエルから貰った空飛ぶマントを出現させて羽織る。これ、鏡で見てみたら変身後の姿と中々に合っていて嬉しかった。
それから、上空へ。白い濃霧の上からミストローパーの影を確認し、その真上の触手で攻撃されない高さの位置に移動した。地上から向かってもよかったのかも知れないが、視界が悪く畑は畝で凸凹しているし、真上からの攻撃は慣れていないだろうと考えてのことだ。
「行くぞ……!」
空飛ぶマントを収納し、消す。ミストローパーの触手に破かれたりしたら嫌なので。マントを無くして身体が落下し始める。
魔剣を左手に握り締めつつ重力に引かれていくと、近付いた俺を探知したミストローパーの4本の触手がしなり、高速で迫ってきた。ベルトのレバーに指を掛け、俺はそれをわざと食らう。4本の触手が身体中に巻き付いたところで、レバーを下げた。
『バットマン』
身体を30匹の蝙蝠に変化させて触手から抜け出し、ミストローパーの本体を目指して羽ばたく。
この必殺技の特徴は、『スライムクリスタル』と違って変化した部位の蝙蝠がやられてもその部分が損傷するわけではなく、やられた数によって怪我の度合いが変わる。そして発動が早い。
ならば、脱出や緊急回避に使える。ラファエルもそうやって俺の攻撃から逃れていたしな。
変化すると、目が見えなくなった。だが、超音波による音の反響で物体の位置がわかる。確か、エコーロケーションとかって言ったっけ。もしかしたらミストローパーもこのエコーロケーションを使っているのかも知れないな。
自分の物ではない借りた魔剣はマントのように収納して消すことは出来ないので、3匹の蝙蝠で、落とさないようにすぐに掴んだ。
俺に逃げられたミストローパーは、4本の触手を鞭のように振るって攻撃してくる。その軌道を察して、羽ばたいて避ける。
体が沢山あって、それを個々で操れるのというのは不思議だ。全部を動かしているときには複雑な動きは出来ないが、3匹の蝙蝠に魔剣を掴ませるくらいは出来る。
(げっ!)
その3匹のうちの2匹が魔剣が重くて触手を避けられずにぶっ叩かれ、やられてしまった。実験で数匹、倒して貰ったことがあるのだが、これがけっこう痛い。
ミストローパーは魔剣を狙ったわけではないだろう。ヤツは鋭利な物体に反応して触手による排除を行っていそうだったので、対策として魔剣は鞘ごとリヴィオから借りて、その中にしまってあるからだ。
1匹だけになり、落下しているのとあまり変わらない魔剣を追い掛けていると、更にミストローパーに近付いた為に控えていた2本の触手がしなって迫ってきた。計6本の触手に、魔剣を追い掛ける余裕が消える。
この蝙蝠化は、十数秒で解ける。だが、その短い時間でも今の俺には長い。
触手を躱しきれず、更に4匹の蝙蝠がやられてしまった。もっと上手く動かせるように練習しておけばよかった……!
触手を掠めて羽などを負傷した蝙蝠も何匹か出たが、なんとかその程度の損害でミストローパーの円錐形の体へと到達できた。これなら初級治癒魔法で治せるだろう。
蝙蝠群になった俺は、ヤツの体の周囲を張り付くように回りながら攻撃を避けつつ、触手の生えている位置を確認していく。そうしているうちに、更に2匹が叩き潰された。
1匹だけで支えていた魔剣は、落下するようにミストローパーの本体にぶつかった後、地面へと落下していた。
時間が来て身体が元に戻り、身体のあちこちが少しずつ損傷しているような感覚が生じる。だが、なんとか初級治癒魔法で治せる程度には収まっているだろう。
俺は素速く魔剣を拾い上げ、そこに取り付けられた魔晶石から魔力を発動させて剣に帯びさせ、根本から触手をぶった切り始めた。
2本、切断できたところで、鞭のようにしなる触手が2本、背中とお尻を叩いてきた。痛みに思わず跳ね上がる。
「いいぃってぇえ!」
3本目を切断したところで今度は足に絡み付いてきて、それを断ち切った。
もしも捕まってしまったときの為に、魔剣を持っていないほうの手の指はレバーに掛けてあり、いつでも蝙蝠化が出来るようにしている。
だが、それは必要なかった。やがて、すべての触手を根本から切断できたので。
「ふぅ……終わりだな」
触手が無くなり、ミストローパーは激しく蠢いて逃げようと移動している。体の穴から濃霧を噴き出そうとしているが、あまり出てはいないし、これだけ近付いてたらもう意味はない。
しかし、こちらも魔剣は短剣なので、でかい本体をこれで斬って倒すのは大変そうだ。魔力を帯びさせないとなかなか切れないだろうし、さっきも余裕がなくてけっこう魔剣の魔晶石の魔力を放出して使ってしまったしな。
そんなわけで、『ドラゴンクリスタル』にモードシフトして炎の剣を出し、その必殺の一撃でミストローパーを縦に真っ二つにして倒した。
「なんとかなったなぁ……」
蝙蝠がやられて受けるダメージは、中級治癒魔法で治せるくらいのところまでは覚悟していたのだけれど、この程度で済んでよかった。
もしもそれくらいのダメージを受けて身体を上手く動かせなくなって触手を切断できないようなら、『ヴァンパイアクリスタル』のパワーアップする必殺技をもう1回使ってでも無理に身体を動かして、切断しようと考えていた。
でも、2回使うとその後は貧血になってぶっ倒れてしまうからな……。ディップがいるから危険だ。倒れる前にリヴィオの元にでも行こうとは思っていたけど……。
ミストローパーのクリスタルは、残念ながら出てこなかった。
「ディップはどこにいるかな……」
ミストローパーが向かっていた先にいるんじゃないか? と見当を付けてそちらへ向かって歩き始めると、すぐにヤツを見つけた。
リヴィオに切断された手首のところは、時間が経って怪我が癒えたように断面が塞がっている。
「それ、初級魔法で治したのか? 骨って中級で治せるんだろ?」
「……ええ。ですが、このように切断されてしまったものは上級でなければ治せないのですよ」
「ふぅん……。その口ぶりだと、やっぱり中級治癒ポーション隠し持ってるのか?」
「なっ……!」
「渡して貰おうか。負傷した部隊員の中には、それで助かる者もいるかも知れないからな」
すると丁度よく、先程の部隊員たちが戻ってきて、呼び掛けてくる声が聞こえた。
俺、だいぶ疲労しているからな。後は彼らに任せよう。そう思い、事情を説明してディップを引き渡す。
その部隊員の中には、俺に毒を盛ったアンネリースを先程まで癒やすべく奮闘していたという魔法使いの姿もあった。魔力をほぼ使い果たし、随分と草臥れた表情をしている。だが、アンネリースは助からなかったそうだ。
少しずつ薄くなってきた濃霧の中を、リヴィオのいる方向に当たりを付けて抜け出した。見当は外れ、少し離れたところに出てしまう。
遠くで嬉しそうな顔を見せるリヴィオに手を上げて、俺は変身を解いた。すると次の瞬間、意識を失くした。
(――――あれっ?)
気が付くと、リヴィオの顔がすぐ傍にあった。十数センチの距離だ。
「あっ! 気が付いたか、ロゴー!」
涙目のリヴィオと目が合う。
ぐっ……。息が苦しい。呼吸が出来ない……!
俺のその様子に気付いたのか、リヴィオが大きく息を吸い込むと俺の口に自分の口を宛てがい、息を吹き込んできた。唇同士の当たる柔らかな感触がする。
こ、これはどういうことだ!? 俺はどうして……!?
「ロゴー、きっと毒が残ってたんだ。変身して治せるか!?」
口を離したリヴィオが早口でそう言って、また俺の口を塞いでくる。
そうか、毒が……!
もしかしたら、この毒は肝臓などの代謝によって初めて毒物に変わるものなのかも知れない。それで、まだ代謝されていなかった毒物になる物質が時間が経つことによって代謝され、毒性を発揮したのではないか……。
そして、その毒性は変身の効果によって抑えられていたが、変身解除したことで本来の効果が現れ、一時的に気を失ってしまったのかも知れない。
俺は変身するべくベルトと『スライムクリスタル』が出てくるように願って出現させる。だが身体が動かない。リヴィオがそれを察して、人工呼吸を繰り返しながら、クリスタルをセットしてくれているようだった。
意識を取り戻してからも、意識が再び遠のきそうな感覚が何度も襲ってきている。リヴィオに人工呼吸されているという驚きや、柔らかな唇の感触や吹き込まれる温かな息の刺激に意識が覚醒され続けていなければ、再び気を失っていたかも知れない。
「へ、変身しないぞ!?」
そして、ベルトの魔法陣を叩く音が何度か聞こえた後、リヴィオがそう叫んだ。




