第75話 解毒
俺がディップを殴り飛ばした、少し前――。
イーサーに運ばれながら、俺は悪化してきた毒の症状に苦しんでいた。
呼吸がかなり苦しくなってきている。押し寄せる恐怖と不安に駆り立てられ、あれこれと思考を巡らせたが、いい案は浮かばない。
こんな不甲斐ない自分に、次第になんだか無性に腹が立ってきた。こんなことで、俺は終わってしまうのか。嫌だ、嫌だ嫌だ……!
「くそっ……目が霞む……!」
更に体調が悪化したようだ。辺りが白く霞んで見えた。
「いや、クロキヴァさん、霧だ! コイツぁ魔法か!?」
ハインツというイーサーの旧来の友人であるという俺を馬で運んでくれる予定の男が、そう言って辺りを見回す。
確かに霧のようだ。白い濃霧がリヴィオたちのいるほうから急速に広がっていく。
「リ……ヴィオ……!」
何かがあったのだ。リヴィオが心配だ。部隊員たちもやられてしまうかも知れない。なのに俺は、こんなところで何をしてやがる。痙攣して震える拳を握りしめ、更にぶるぶると震わせた。
濃霧はやがて、俺たちをも包み込んだ。リヴィオたちも気になるが、イーサーたちは俺を一刻も早く運ぶべく、うっすらと見えるあぜ道を進んでいく。
すると、ヒュンヒュンという風切音が聞こえてきた。いつもはそれを手でキャッチするのだが、担がれているために腕はイーサーの身体に隠れていて、音の正体は俺の背中のベルトにぶつかって地面に落ちた。
「なんだ!?」
「う……クリスタルだ……。拾ってくれるか」
濃霧の中に消えたクリスタルを、イーサーとハインツが地面によつんばいになって探す。
一旦、地面に横たえられた俺は、飛んできたクリスタルは他のクリスタルなんかが収納されてる異空間かどこかに吸収されればいいのにと考えていた。
「………………吸収……自分に……」
あることを思い付いた。試す価値はある。
自己修復の能力を持った『ヴァンパイアクリスタル』からモードシフトするのは危険かも知れないが、いざとなったらイーサーたちに入れ替えて貰おう。
だが、まずはハインツが見つけてきてくれたクリスタルを調べることにする。ベルトに聞いてみると、こんな感じだった。
『アックスビーククリスタル』
・走る速度がアップする。
・熱耐性 (そこそこ)
・必殺技(レバー1回)『ヒートアックス』
刃が高熱の巨大な斧が出現する。
・必殺技(レバー2回)『トマホーク×トマホーク』
手斧。危険。
やっぱりアックスビークのクリスタルだったか。致命傷だったアックスビークが力尽きたのだろう。
しかし、やっぱり都合よく毒を癒やしてくれる能力はなかったか。レバー2回の必殺技、危険っての気になるな……。
だが、今はこれ以上調べている余裕はない。
『ヴァンパイアクリスタル』をベルトから取り出し、イーサーたちにもしもこれから俺の身体が動かなくなったら、これをベルトのクリスタルと入れ替えてレバーを下げてくれと頼み、『スライムクリスタル』にモードシフトした。
そして即座にレバーを下げ、必殺技の『アブソーブ』を使う。
これは相手の身体から栄養分などを吸収して、自身に取り込んだり排出したりする技だが、もしかしたら自分を相手に吸収も可能ではないかと考えたのだ。
そして、それは可能だった。助かることは可能だったのだ。
毒を吸収し、スライム化した腕に集める。これ、どうしよう……。畑に捨てて大丈夫なんだろうか。
俺の手がスライム化したことに驚くイーサーたちに相談し、イーサーの予備の水袋に水で流しつつ捨てることにした。排出したときに空気中に広がる懸念と、水に浸した腕に毒が付くことを懸念したのだ。そこまで気にする必要はないかも知れないけど。たぶん経口摂取しなければ大丈夫じゃないかと思うし。
そういえば、自己修復の能力を使ってなくても身体に違いは感じられなかったな。短時間で済ませたからだろう。
そういったわけで、俺は毒から回復することが出来た。喜びの余り、なんだか目頭が熱くなってくる。しかし、余韻に浸っている暇はない。リヴィオたちの身に危険が迫っているかも知れないのだ。
現に、霧の向こうはさっきまで随分と騒がしかった。どうやらアックスビークが出たらしい。今もまだ遠くの喧騒が耳に届く。
『ヘルハウンドクリスタル』
俺は、ヴァンパイアのラファエルが住んでいる館のそばの森にいた魔物のクリスタルでモードシフトした。
このクリスタルの能力は夜目を効かすことが出来るので、もしかしたら白い濃霧の中でも見えるかも知れないと試してみる。
だが眼が光った分、多少見えやすくなったかも知れない程度の効果しか得られなかった。
「ダメか……。ん……?」
しかし嗅覚が増している為に、匂いでアックスビークの位置を感じることが出来る。
「そうか。だったら……」
『ヘルハウンドクリスタル』よりも嗅覚の増す『コボルトクリスタル』にモードシフトしつつ、俺はアックスビークのいるほうへと急いだ。やがて霧の向こう、ぼんやりと光が見える。アックスビークの斧の高熱の刃だ。
接近すると、後ろを向いているのがシルエットでわかった。俺は飛び上がり、その後頭部へと延髄斬りを叩き込む。どうやら仕留めたようだ。
その際、アックスビークが悲痛な声を上げた為に、こちらに向かって矢が飛んできた。
「うおっ!? うわっ、やめろ! 痛っ!」
1本、ボディの装甲部に当たって痛みが走る。
「ク、クロキヴァさん!?」
遠くから声が聴こえる。
「ああ、俺だ! 1匹仕留めた!」
「も、もう1匹はこっちです! 霧の外っ!」
「わかった、すぐ行く!」
匂いのする方向へ畑の凹凸に気を付けながら走ると、霧を抜けた。少し離れたところで、負傷した女魔法使いがアックスビークから後ろ向きに地面を這って逃げており、その回りを盾役の男たちが囲んで守っている様子が見える。
アックスビークは身体に何本も矢を受けながらも、盾ごと男のひとりを蹴り飛ばした。女魔法使いが杖を掲げて土魔法を使い、アックスビークの足元の地面を崩す。それに反応してバックジャンプで逃げたヤツの元に、俺は飛び込んだ。
そして、脇腹に思い切りパンチを叩き込む。肋骨が砕けたような感触があるが、致命傷には至っていなさそうだ。小さく耳に障る声を上げたヤツの、高熱を帯びた刃の反撃が襲い掛かる。
俺はそれを、躱すことが出来た。
ルーシアがゾンビ戦で見せた高速攻撃の特訓を受けて、レベルアップしていたのだ。
毒で弱っていたときは食らってしまったが、そうでなければ自己修復能力によってだいぶ体力を消耗しているとはいえ、そう簡単にもろに食らうということはないだろう。
それから、アックスビークの頭にハイキックを浴びせた。
「ヴィイイヴヴュッ!」
耳を塞ぎたくなる声を上げ、アックスビークが地に沈む。
「やった……!」
「凄ェ……。クロキヴァ凄ェ!」
「ア、アンタ毒は!? 平気なのか?」
「ああ。治したよ」
そう言うと、皆ポカンとした顔になった。ですよね……。
そんな皆を見回すが、リヴィオがいない。俺の鼻も、霧のほうを告げている。ディップの姿も見当たらなかった。
俺は皆に聞く前に、再び霧の中へと飛び込む。
背後から口々に聴こえる声の中で、「ディップは逃げた!」と誰かが叫んだ。リヴィオはそれを追ったのではないか。無事を願い、畑の凹凸に何度も足を取られつつ、彼女の匂いを追った。
そして、濃霧の出口の近くにいたディップを殴り飛ばしたのである。




