第74話 リヴィオの戦い
「ですが、お人好しですね。私が戦わずに逃げることがわかっていたのなら、隊を前進させればよいものを……」
「そうすれば、迎撃に回っただろう? 被害は拡大する。お前は霧の中でも随分動けるようだったしな」
「フフフ……私以外の人は皆、敵ですからね。見えた人影を片っ端から斬ればいいだけですから。しかし、おひとりで来られるとはね……」
「ロゴーを助ける方法があるのなら知りたいのだ。教えて欲しい」
「成程、それで危険を承知でひとり、ここで待ち構えていたというわけですか」
そう言うと、ディップは鞘からスラリとロングソードを引き抜いて構えた。
「ですが知っていたとして、殺そうとした相手を助ける手段を教えると思いますか?」
「……どうしても、か?」
「ええ。大人しく殺されてはくれないでしょう?」
「それは無理だ……。お前にとっては私を殺せば済む話だからな。ロゴーのそばにいる私も邪魔な存在だろうし」
「そういうことです」
「なら、私が勝てたら教えて欲しい」
抜き身のロングソードを、リヴィオはディップと違って両手で構える。ディップが距離を詰めてきて、ふたりはあと一歩の間合いで対峙した。
「フフフ……それは無理な頼み事です」
「……だめか……」
「ええ。ですが、だからといって見逃して貰うわけにも行かないんでしょうね」
「……私がロゴーを害したお前をこのまま見逃すと思うか」
その口調の怒気は抑えられていたが、リヴィオはその赤い瞳に強い怒りを宿し、ディップを睨んでいた。
「そんなに怖い顔をしないでください。怒った顔の美人というのも、いいものですけどね」
「ふざけるな。アックスビークはどうやって呼び寄せた? 濃霧の中で召喚したのか? お前はそれほどの魔法が使えたのか?」
「……フフフ、あなたのことだ。私が自害するのを警戒して、戦う前に色々としゃべらせようという魂胆なのでしょう? ですが、そもそもあなたでは、私には勝てませんよっ!」
最後の語気を強めながら、ディップは、リヴィオへと剣を走らせた。その一撃は鋭く、リヴィオはただ受けるしかなかった。
二撃目、三撃目、隙がない。刃を交わしながら、リヴィオは瞠目した。ディップという男はこれほどの使い手だったのかと。
「アハハハハ! リヴィオさん、あなたとはこうして剣を交えてみたかったのです! 訓練などではなく、命を懸けてね!」
四撃目をふともものスボンに掠めながら、リヴィオは反撃の一撃を見舞う。ディップの肩の服が切れ、鮮血で滲んでいく。彼は肩を押さえ、よろよろと距離を取った。
「ぐぅっ……!? 驚いた……あれを躱して、斬り付けられるだなんて……」
ディップは、冒険者家業の中でも護衛任務を主な仕事としており、対人戦に長けている男だった。リヴィオと1対1ならば、剣だけでも負けはしない。そう思っていたのだが、幼い頃からルーシアに鍛え上げられたリヴィオの腕前は、その更に上をいっていた。
「どうやら、私は剣ではあなたには敵わないようだ。やれやれ……面倒な女だなぁ!」
ディップが掌を突き出すと、彼のそばにこぶし大の角ばった氷の塊が3つ出現し、リヴィオへと高速で飛んでいく。リヴィオは横に一歩移動すると身体を横向きにし、2つを避け、1つを剣で防いだ。
戦争や部隊での訓練によってリヴィオの戦闘をある程度知っているディップは、リヴィオが氷の塊によるこの攻撃を大きく移動して避けないと踏んでいた。ならば近付いて、その隙を突ける、と。
素速く間合いを詰めた小柄なディップは、更に身を屈めた低い姿勢からリヴィオの膝を狙った。彼女の剣は氷の塊を防いだばかりで間に合わない位置にあると判断し、彼は叫んだ。
「貰った!」
しかし、横から迫るディップの剣の刃をリヴィオは身体を動かして膝を逃しつつ、剣を間に合わせてあっさりと受け取めた。
「……っ!」
顔色ひとつ変えていないリヴィオに予想以上の力量差を感じ、ディップは息を吞む。
だが、その顔はすぐに喜色に変わった。リヴィオの剣の刃の腹の片側が、アックスビークの高熱の刃によって溶けて脆くなっており、3分の2ほど折れてしまったのだ。
「あっ……!」
ふたり同時にそう声を発したあと、すぐにディップはリーチを生かしてロングソードをリヴィオの喉元に突き付けた。リヴィオは動かなかった。
「流石のあなたでも、剣が折れては諦めるしかありませんでしたか。アハハハ!」
「…………そうだな」
肯定し、リヴィオは折れた剣を捨てる。
「フフフ……。先程と形勢が逆転しましたね」
「残念だ……ロゴーを助けたかったが……。せめて、助ける方法があったのなら教えてくれないか」
「……いいでしょう、その状態で何が出来るとも思えませんしね。あの毒は呼吸を奪って殺す毒なのです。魔法なら上級浄化魔法かポーションでないと治せませんが、他にも方法がある。呼吸が止まったら、毒が消えて自力で呼吸が出来るようになるまで、ずっと人工呼吸を続ければ助かるんですよ」
「そ、そうか……っ!」
希望に閃いた瞳で、リヴィオは出し抜けにディップの剣の刃を掴んだ。革の手袋をしている為にそれだけでは切れなかったが、ディップはミスに気付く。剣を片腕で伸ばしきった状態で突き付けていた為に、その剣で喉を突き刺すには、踏み込みが必要だったのだ。
リヴィオが掴んだ腕で剣を喉元から退かした後、一歩踏み込んだディップが剣を突き出した。革の手袋が破れて手が切れたが、剣はリヴィオの頭の横を通り過ぎる。
一閃。
ディップの視界にそれが映ったあと、剣を持っていた彼の右腕が両断され、土の地面へと転がった。リヴィオが腰に穿いた短剣を鞘から抜き放ち、斬り付けたのだ。
それは、ルーシアがコンスタンティアから譲り受けた魔剣だった。ルーシアが今回の討伐の備えとして、リヴィオに貸し与えていたのだ。
「ギャアアァアアーーーーッ!」
ディップの絶叫が辺りに響き渡った。しかし、濃霧の中からは誰も出てくる様子はない。騒がしい様子は伝わってくるが。
ディップから距離を取り、後ろを振り返ってリヴィオは畑の外、遠くに見える木に緊急用の数頭の馬がすべて繋がれていることを確認した。こちら側まであぜ道を辿って視線を動かすが、そこへ向かう人影はない。吾郎たちはまだ、濃霧の中にいるようだった。
「クソ女がぁああーーッ! 殺す! 殺してやる……ッ!」
目を血走らせたディップが、弓を捨てても背負っていた矢筒から細長いスクロールを取り出し、それを地面に広げる。中には魔法陣が描かれていた。
「それが、アックスビークをこの地に喚び寄せた正体か」
「アハハハ……! ああ、そうですよ! 喚んだのは私だけじゃあありませんがね……!」
ディップが魔法陣に魔力を注ぎ込むと、陣が光を放って大地に大きく拡大する。
魔法は使えないリヴィオだったが、戦闘に関わるようなものなど、ある程度の知識のある彼女は魔法陣を見て、それが今まで知っている召喚魔法ではないことに気付いた。
(これは、転移魔法を利用した新しい召喚魔法か……! 画期的だ。今までの召喚魔法ならば喚び出す代償は大きいが、これならば代償も少ないに違いない。アックスビークを2体喚べば、それなりに消耗しているハズだからな)
「来いよ、ミストローパー!」
ディップは残り1枚だけのスクロールでリヴィオを確実に殺すべく、アックスビークではなく召喚にもっと魔力と体力が必要な魔物を喚び寄せた。
魔法陣から高さ4メートル程度、横幅1.5メートル程度の円錐形をした緑色のスライムのような魔物が出現する。その体には6本の触手が生えており、いくつも空いた体の穴の一部から、白い濃霧が少し噴き出した。
「さっきの霧の正体はこれか!?」
「ええ、喚んだのは霧だけですがね! 噴き出したばかりで、流石に尽きてしまったようですが」
そう推察したあと、魔笛を失ったディップはミストローバーの体に直接触れて、自身の魔力に意志を乗せ、リヴィオを攻撃しろと命令した。
召喚が成功した為、召喚士の命令に逆らえないミストローバーは、リヴィオに襲いかかる。
4本の触手が両側面から鞭のように飛んできて、リヴィオは背面跳びをして3本の触手の隙間を潜り抜け、腹に斜めに飛んできた1本を魔剣で断ち切った。そして後ろ向きに身体を逸らし、地面に手を着き転回することで、バク転を行う。
そうしてなんとか回避した彼女だったが、断ち切った触手も短くなっただけで弱ることはなく、繰り返される攻撃に近付くことも逃げることもままならない。そしてとうとう、激しい身体の動きに付き従っていた腰まで伸びるピンク色の髪が、緑の触手に捕らえられてしまった。
「痛ッ……!」
すぐに魔剣を持つ手首、そしてふとももと胴体へと触手が巻き付き、地面から持ち上げられて動きを封じられる。2メートルほど持ち上げられた身体を触手が這いずり、締め付けてくる。
「くぅうう……っ」
「アハハハ! 終わりですね、リヴィオさん! このままミストローバーに養分を吸わせ、弱らせ、いたぶりたいところですが、他の連中もそろそろここまで来るかも知れない。中級ポーションでも治せない致命傷を与え、ここを去るとしましょう……!」
ニタリと下卑た表情を浮かべたディップは、地面に落ちている自身のロングソードを残っている左手で拾い上げると、リヴィオの元へと向かっていく。
「う、ううッ、ロゴー……!」
「あの男も、毒で死んでくれればいいんですけどねぇ」
「ロゴー……。すまない……ロゴぉ……」
「フッフフフ……! なんですか、泣いているんですか! リヴィオ隊長のそんな顔が見れるとは思いませんでしたよ。やはり少し嬲ってから……ん?」
そのとき、濃霧の中から黒い塊が飛び出してきて、ディップの頭上に影を作った。それに気付いて振り返った彼の頬に、放物線を描いて降りてきたその塊から、強烈なパンチが放たれる。
「ぶげぇえええッ!?」
殴り飛ばされ、地面を転がるディップ。
「ロ、ロゴー……!」
歓喜の声を上げた、リヴィオの涙でぼやけた視界の先。そこには、確かに変身した吾郎の姿があった。




