第69話 秘薬を求めて
「ボクは……ってことは、薬を買える場所を知ってる人がいるってこと!?」
エステルは興奮し、椅子から立ち上がった。
「うん。懇意にしてる商人は、一度オークション会場に行ったって言ってたねぇ」
「わぁ、ようやく手掛かりが見つかったよー! その商人に会えないかな!?」
「ふぅん……キミたち、あの薬が欲しいんだ……。じゃあ、交換条件でどう? この子の着てる服を売ってくれるんなら、紹介してあげる」
「うっ……」
顔をしかめるエステル。商人は紹介して欲しいが、流石にペネロペが時間を掛けて仕立て直したという服を渡すわけにはいかない。
「他の条件にならない?」
「こういう服なら他の服でもいいけど」
「うう、そ、それ以外で……」
「そうは言ってもねぇ……。何か、他に珍しいものでもある?」
「……ない…………」
「じゃあ教えられないねぇ。その服だったら、結構いい値を出すんだけどなぁ~」
ニヤニヤする男に腹を立て、エステルはテーブルを叩いて勢い良く立ち上がり、立ち去ろうとする。
「ナユちゃん、行こう」
「言っとくけど、他で探すのは難しいと思うよ? 声が掛かったのは一部の大商人ばかりでギルドにも秘密にしているからねぇ。……その服だったら、結構いい値を出すんだけどなぁ」
「……っ!」
それでも、エステルに菜結の服を売ろうという選択肢は無かった。
「行こう、ナユちゃん」
「…………」
「……ナユちゃん?」
「ふく、うる! やだけど、ししょーにはごめんなさいする」
「交渉成立だね! やったあ!」
「な、ナユちゃん……本当にいいの?」
「うん。えすてるおねえちゃんのやくにたちたいし」
「な、ナユちゃあん……」
涙目になって感動したエステルは、嬉しそうに飛び跳ねる男の頬にビンタを浴びせてやりたい気持ちになりながら、男を指差して怒鳴った。
「言っとくけど、服を渡すのは情報が本当か確かめた後だからね!」
「いいよ。その代わり、魔法の契約書にサインして貰うけどね」
「~~っ。そんないいもの使わなくたって、約束破ったりしないよ……」
むくれて片頬を膨らませるエステル。
それを見た菜結が真似してぷっくりと片頬をいっぱいに膨らませる姿が可笑しくて、思わず吹き出してしまう。
「ふく、たかくかって! おくすりかうのに、おかねがひつようだから!」
「え、あ、ああ……。うん。出来るだけそうさせてもらうよ」
「さーびすして!」
「……う、うん……」
声を荒げる菜結に目を見開いて驚いた男は、その要望に了承した。
「今のには、契約書欲しかったな~」
エステルはそう言って笑うと、しゃがみ込んで目線に合わせ、菜結の小さな手を握る。
「ありがとうね、ナユちゃん……。ペネロペには、わたしも一緒に謝るよ」
「……これも、おとながせきにんおっかぶっちゃうの? ふくはわたしのものだよ? じこせきにんじゃないの?」
「え、えーと……。どうだろ……。でも、わたしの為ではあるから……。だから、一緒に謝らせて?」
「んー……わかったー。ねぇ、ししょーがっかりするかなぁ~? でも、ししょーならこうしろっていいそうなきもするのー」
幼い菜結はあまり気遣いが出来ないので、がっかりするか、とエステルを苦しめることも言ってしまう。それを聞いた男が、大げさに両手を左右に振って否定する。
「いやいや、むしろ喜ばしいことなんだよ! その芸術性が世界に認められて多くの人に広まり、愛されるファッションになるのだから!」
「でも、がんばってつくってぷれぜんとしたものをひとにあげちゃったら、いやでしょ?」
「そ、それはそうかもしれないが……」
「でも、いま、いってたこときいたら、いやじゃなくなる? よろこぶの?」
「あ、ああ。……たぶん……」
「たぶんかー」
「……うぅ」
「たかくかってね?」
「うう……はい」
上手く丸め込まれる形になった様子に、エステルはまた笑い声を立てた。
翌日。
エステルと菜結は、高級な衣装の並ぶ服屋の男の店で、約束の商人と会っていた。それは、この国の貴族の中年男性だった。
「なるほど、兄を治したいと……。秘薬の効力は、おそらく本当です。私もオークションに参加し、この目で石化した人が治ったところを見ました」
「ほ、ホントに!?」
「ええ。……しかし、とても庶民に払えるような金額ではありませんよ?」
「落札金額はいくらだったの?」
「確か……」
その値段を聞いて、エステルは蹌踉めいた。予想していたより、ずっと高価だったのだ。
エステルは信憑性の低い各地の噂を当てにして危険な旅を行うより、長いエルフの寿命を生かしてお金を溜め、秘薬を購入することを考えていたのだが、普通に働いたのでは何百年かかっても購入は無理だった。
「……その秘薬の出処ってわかる?」
「いいえ……。ですが、詮索はされないほうがよろしいかと」
「なんで?」
「それは……この国が関わっているのでは……と」
「レンヴァント国が……。なんで?」
「それは……。トリア村というのはご存知ですか?」
「えっ? トリア村!?」
急に出てきたその言葉に、青い大きな瞳を見開くエステル。
「ええ。アグレイン国にある、魔石鉱山に出来た村です。あの村で、普通は群れることのないメデューサが何匹も出現しましてね」
話によると、遠隔地と書類程度の物をやり取り出来る転移魔法陣によって、トリア村での事件のことはこの国の一部の人間にも知られているという。
「他にもアグレインでは最近、おかしな魔物の襲撃が多いのです。アグレイン軍を襲った巨大スライム、水源地に毒を入れたバシリスク、耕地を荒らすアックスビークの群れ……。戦場でのドラゴンは、レンヴァント軍側にも被害が出ていますがね」
「バシリスクやアックスビークは初耳……。それってつまり……」
「このレンヴァント国の仕業ではないのかと……。噂、ですがね。それで、石化を癒やす薬というのも、そのトリア村でのメデューサと何らかの繋がりがあるのではないかと囁かれているのです」
「この国が……お兄ちゃんを……?」
エステルはつぶやくと、ぎゅっと拳を握り締めた。
「何か?」
「あ、ううん。なんでもないよ。つまり、深入りすると危険ってことだね」
「ええ。そのように思います」
「うーん……この国にそんなに凄い召喚士がいるってことなのかな。ドラゴンを喚び寄せても死なないような……。聞いたことないけど……」
「どうなのでしょうね……しかし、居てもおかしくはありません。なぜなら――」
その理由として、エステルと菜結は闘技大会の開催を知った。
魔物による襲撃は、アグレインの国益を損ねさせ、闘技大会を開催させるように促したのではないかということも。
「色々、教えてくれてありがとう」
「いえいえ。こちらの店主には良くして頂いておりますのでね。その彼の頼みですから」
そうでなければ、彼は噂まで教えることはなかった。
「そっか……」
「…………。貴方には、強い想いがおありのようだ。もうひとつだけ、忠告致しましょう。この国の意向に逆らった貴族が、何者かの手によって石に変えられ砕かれていたそうです」
エステルにどこか危うい気配を感じ、商人はそう忠言を加える。
「えすてるおねえちゃん。むちゃしちゃだめ」
そう言って、菜結はエステルの手を繋ぐ。
「うん、そうだね。ありがと、ナユちゃん」
「それでは――」
「あっ、待って! 馬車を作ってる工房知ってたら教えて欲しいんだけど」
「ええ、いいですよ。ご入用ですか?」
「ううん。ちょっと、持ち込みたいアイディアがあって。薬を買う為に、お金儲けしなきゃだからね」
「ほほう。それはどんなものか、私も興味がありますね」
すぐに彼とともに、工房へと向かうことになった。
今日はエステルと出会ったときと同じ、黒いワンピースを来ていた菜結は、店主の男にペネロペの作った服を手渡す。
「――確かに。大切にするよ。ちょっと待っててね。グスタヴォ男爵も、少々お待ちを!」
店主はどたどたと店の奥に引っ込むと、すぐに戻ってくる。手には紺色で胸元に大きなページュ色のリボンの付いた、半袖のワンピースを携えている。それを、菜結に広げて見せた。
「このワンピースを、キミにあげるよ。プレタポルテじゃなくて一点物だよ」
昨日、彼は菜結を採寸していた。その理由を、ペネロペの服の合い具合の参考にする為と誤魔化していたが、その実は服をプレゼントする為で、さっきまで大急ぎで仕立てていたのだ。
「いってることよくわかんないけど、もらっていいの?」
小首を傾げる菜結に、頷いてみせる男。
「キミに合わせて作ったものだからね。キミが来てくれないと困っちゃうよ」
「わかった。ありがとうー」
試着室でさっそく着替えてきた菜結を、皆が褒めた。小さなレディは恥ずかしそうに俯いていた。
服屋の店主に別れを告げ、彼にグスタヴォ男爵と呼ばれていた中年男性の商人の案内で、エステルと菜結は馬車を製作している工房へとやってきていた。
グスタヴォ男爵が一緒だったことでスムーズに話は進み、応接間にて何人かの職人と男爵に、エステルは奮発して購入した魔法の契約書に秘密を守るようサインをして貰う。破れば契約書と本人に印が刻まれる仕組みだ。
「それで、アイディアってーのは、一体どんなもんなんだい? 嬢ちゃん」
「うん。今の馬車って、乗り心地が悪いでしょ? このナユちゃんも、最初酷く酔っちゃって。それでね、乗り心地がよく出来るかも知れないアイディアがあって、実現できるか知りたいの」
乗合馬車での旅の途中、馬車酔いで具合の悪い菜結がエステルの膝の上で彼女の弓を見ながら「あれもばねだよね……」と囁いたことがあった。
それでエステルは話を聞いてみると、菜結はミニカーを取り出し、車輪を押すと自動的に戻る変わった仕組みをエステルに見せた。
説明によると、それはさすぺんしょんというもので、以前、吾郎の玩具の車で遊んでいたときに、それを自作して付けた大事な車だからこれでは遊ばないでくれと言われ、そのときに教わったのだそうだ。
ある日、菜結は自分のミニカーにも同じ機構があることに気付き、気になって中を開けてみると、吾郎の玩具とは仕組みが違っていて単純なものだったが、長方形の1枚の金属の板バネが前後の車軸の上に乗せられており、それが車体内部の下側、車軸と車軸の間の真ん中で留められていて、それがサスペンションの機構を果たしていた。
菜結はこれがあれば馬車酔いしなくて済むかもと言い、エステルは実際にこれを馬車に生かせないかと考えた。
アイディアを工房の職人たちに説明し終えると、職人たちはおもしろいアイディアだとは言うものの、実現には難色を示し、頭を悩ませる。
「ソイツで馬車の重さを支えるのは無理ねェか? ソイツ自体の重量も相当なもんになっちまうし」
「実際、作ってみて、どれくらい弾性があるか……」
「板を厚くしちまったら、バネの弾性が損なわれちまうしなァ」
「あのね、車軸に弓みたいな板を取り付けて支えるのは?」
「ほう、流石エルフのねーちゃんだ。弓か……。たくさん取り付けりゃいけるか……?」
「それ、木材で行けますかねぇ。金属だとやっぱり重量が相当なものになるんじゃあ」
「馬の数を増やしゃあいけんだろ」
「それだと貴族のような金持ち用になりません? 最近は戦争でまた馬の数も減ってしまってより貴重になってますし……」
「う~む……」
「さんぼんのやっ!」
「……え?」
幼い菜結が何事か言い出したので、きょとんとする職人たち。
「ナユちゃん、どういうこと?」
「いっぽんではおれちゃうやでも、さんぼんだとおれにくいの。ゆみのいたをなんまいかかさねたら?」
「……お、おおぉ……。そうか……それなら馬1頭でも……。コストも安く出来るし」
「ナユちゃん、凄い!」
菜結とエステルの齎したアイディアは、吾郎のように簡単な設計図があったわけがなかった為、実用化には少し時間を要した。だが、形を変えて採用されたものは作りやすく丈夫で安価な為、やがてこの世界の馬車はこのリーフ式サスペンションが主流となっていくこととなる。
吾郎の齎したアイディアによって作られたもののほうは、値段が高くなってもより良い乗り心地を求める貴族が主な購買層となっていった。
これらのサスペンションやバネは馬車のみならず、この世界の様々な用途で仕様されるようになっていき、新たなバネの着想の元になり、新たなサスペンションの元にもなっていくこととなった。




