第66話 秘薬
あちこちに傷が出来ていたエステルは、ペネロペの作った薬を塗って貰った。
彼女は様々な薬草を自身の技術や魔法によって効能を高めた薬にし、それを販売することを主な商売としている。
そうして治療した後は、エステルのささやかな誕生日のお祝いをした。
その後、菜結が眠りについた夜更け。月明かりの差し込む質素な部屋の窓際で1人、ワインを傾けるペネロペの元へ、エステルが顔を出した。
「まだ寝てなかったのかい」
「うん」
「痛むのかい?」
「えへへ……少しね」
「……あたしの薬草も、まだまだだねぇ」
「あ、ううん! 痛いのは指だけで、他は全然だよ。よく効くね、ありがとう!」
「そうかい……。ナユの教えのおかげかね……。昨日、常連客にちょっと効き目が上がってる気がするって言われたよ」
ペネロペは何も言わず、ソファの端へ寄る。それを座っていいと解釈したエステルが、そっと腰掛けた。
「……アンタ、あの子の言ってること、本当だと思ってるかい?」
「うん、思ってるよ」
「あたしゃー、あの子の兄を知ってるアンタが現れた今でも、なんだか信じられないような気持ちだよ。あんな小さな子が、空を飛んだりだなんて……」
「そうだよね。わたしもゴローに会ったとき、そう思ったよ」
「そうなのかい……。あの子たち兄妹は一体何者なんだろうねぇ。あの子の話を聞くに、あたしゃーあの子は、この世界の創造主に会ったんじゃないかって思ってるんだ」
「この世界の?」
「ああ……。そして、一部だが魔法の理を得た。この世界の誰もが知り得ないことを……」
ペネロペはクズ魔石などで飾られた陶器のコップに口を付け、ワインを味わってから言葉を続ける。
「あたしゃね、あの子が心配なのさ……。空を飛ぶのは見つかってもギリギリ許容できるだろうが、今までになかった治癒魔法なんてものが使えることがわかれば、あの子はどうなる?」
「……危険だね……。誰かに掴まったり、権力者に利用されたり、自由を奪われたり……」
「それだけはさせるわけにゃあいかない……。だから、あの子の兄がアグレイン国の貴族の所にいるって聞いて、最初はぞっとしたもんさ。いいように使われてるんじゃないかってね。でも、お前さんの話を聞いて、そうじゃないのがわかった。アグレインはこの国よりいいとこみたいだってこともね。ナユの兄は戦争でそんなに目立ったにも関わらず、国に利用されても自由を制限されてもいない。少し安心したよ。そんなに目立った兄がいて、貴族の家に住むんなら、菜結も目立ってもリスクは低いかも知れない」
残り少なくなったワインを呷って傾けたコップのクズ魔石が、月明かりに煌めく。
「とは言え、あの子の知識は有益なものさ。だから、あの子がもたらした魔法の理は、あたしが少しずつ世の中へ流していくつもりさ。だからと言って、あの子以上に有益に使える者なんて、この世界にゃいないかもしれないがね」
「それは、ナユちゃんが天才だってこと?」
「いいや……。あの子は賢いが、そうじゃない。知っていることが大事なのさ。知識が脳内の魔法のぷろぐらむってやつを大幅に進めるらしい」
「知識が……ぷろぐらむ……?」
「DNAって知らないだろ? 体の設計図なんだそうだよ。人ってのは何十兆個もの細胞ってので出来てて、そん中のすべてにその設計図が入ってるそうなんだ」
「……そ、そうなの……? それを、その創造主が教えてくれたの……?」
「いいや……。これはあの子の世界の人間たちによる知識らしい。とんでもない話さ……。そして、そういったことをあの子はたった5歳にして、子供向けの医学の本で知ってるんだよ……。写真ていう見たまんまを切り取ったようなものや、絵があって、文章も子供でも読みやすくてわかりやすく書かれてあるんだそうだ」
吾郎が科学の発達した世界にいたことをエステルは知っていたが、自分の想像より遥かに進んだところだったようだと、息を呑んだ。
「この世界で一番の医者に魔法の理を教えても、ナユが使った治癒魔法を習得するには、長い歳月がかかるだろうね……。一生かかっても無理かも知れない。そういう、ナユから得た魔法の理以外の知識も、なるべく書き留めちゃあいるんだが、発表したところで裏付けがなけりゃ信じちゃ貰えないだろうね……。まぁ、学者に匿名で送りつけたりしようかとかって考えてるよ」
「……なんだか、怖くなってきちゃった……」
「怖い、か……。わからなくはないねぇ……。あたしも初めてナユと会ったとき、街の壁の外で薬草取りをしてたんだが、突然、箒に乗ったあの子が空から降りてきて、気味が悪かったね」
そう言って、ふふふ、と笑み零すペネロペ。
「そんときのナユはまだこの世界に来たばっかりでねぇ。この近くにいるっていう兄のことを尋ねてきたんだけど、この街にゃ黒髪の男は珍しくないから、一緒に探してたんだ。だけど、街中を尋ね歩いても見つからなくって、10日も過ぎると、ナユは随分落ち込んでね……。最近、ようやく元気になってきたんだ。しかしまさか、都市アグレインにいるとはね……。全然近くじゃないじゃないか」
「……世界的に見れば、近くって言えるかも」
「ああ、そういうことかい……。まぁそのおかげで、あたしゃナユと一緒にいることが出来た。ナユが来てからまだ20日しか経っちゃいないが、あたしの人生は花が咲いたみたいでねぇ……。最初は気味が悪かったけど、驚くことばかりで、わくわくして楽しくてね……。ナユはいい子で可愛いしねぇ」
「そっか……」
「ふふ……寂しくなるねぇ……。アンタには、よくわかるんだろうね……」
兄を失い、儚すぎる可能性に賭けて追い求めているエステルには、その寂しさは痛いほどわかる。
ペネロペの目の端には、淡い月明かりで煌めくものがあった。
翌日。
エステルが冒険者ギルドのロビーに菜結を連れて顔を出すと、ちょっとした騒ぎが起きた。皆がエステルの登山を気掛かりに思っていたらしい。
「え、なにこれ……」
「ああ、エステルさんっ! よかった、ご無事でしたか……!」
黒髪ポニーテールの受付嬢が受付から飛び出して、駆け寄ってくる。
「えっと……? なんでこんなことに?」
「ああ、えっと、そのことは支部長に聞いてください。ええっと、その子は?」
「知り合いの妹で、ナユちゃん。ここが見たいって言うから……」
「そうなんですかぁ、かわいい子ですね~。じゃあ、この子は私が預かってますので、2階の支部長室に行って貰えますか?」
エステルが支部長室に行くと、立派なカイゼル髭を蓄えた支部長に頭を下げられた。
「すまなかった」
「ええっ!? 何が?」
支部長という立場の人に頭を下げられ、驚くエステル。
「お前さんが岩山の調査をしたいということは、把握しておった。じゃが、まさかエルフの女性が1人であの山を登ろうとするとは思わなかったんじゃ。そこまでの想いと知っておれば、相談に乗るなり、あてにもならんが最近聞いた空飛ぶ少女の噂話でも教えておくなりしておけば、行かせずに済んだかも知れん。申し訳ないことをした」
「空飛ぶ少女……」
「目撃情報があってな。まぁ、見間違いか何かじゃろうが。とにかく、戻ってきてくれてよかったわい。お前さんを送っていったという冒険者の話を聞いて、案じておったんじゃ。腕や脚に包帯が巻いてあるが、身体は平気かの?」
「うん。包帯巻くほどでもないんだけど、薬が塗ってあるから」
本当は右手に大怪我をしているが、菜結の治癒魔法が他の者にバレないように、人差し指の部分に詰め物をした革の手袋をはめて、誤魔化していた。
「ありがとう、支部長さん。でも、謝らなくていいよー。わたしが勝手にやったことだもん」
「そうじゃが、冒険の相談に乗るのも、冒険者ギルドの仕事じゃからな。お前さんが1人では行かぬという思い込みを持たず、聞いておけばよかったと後悔したのじゃ」
「そっか……」
「うむ、ところで、岩山は登れたのか? 成果はあったのかのう?」
「ううん、調べてみたけど、見たことある花しかなかったよ。やっぱりただの噂だったみたい」
苦笑するエステルに、支部長は少し困ったような表情で、「そうかい」と囁いた。
「ところで、お前さんを引き止めておけばよかったと思った理由がもう1つあってのう。折しも昨日、この街にやってきた商人から聞いた話なんじゃが、都市レンヴァントで石化を治す秘薬の噂が広まっているそうなんじゃ。10年前の石化が治ったらしい」
「ええっ!?」
「よくある噂話とは、違う気がしてのう。その商人は、その秘薬のオークションに誘われたというんじゃ。聞いた冒険者の話じゃあ、酒の席のことだし眉唾ものだとは言っておったがの」
「……その商人の人は?」
「もう旅立ったそうじゃ。じゃが、首都に行ってみれば詳しいことがわかるかも知れぬぞ?」
「そ、そうだね…………」
昨日から信じられないようなことばかり起きていて、実感が沸かない。でも、このままそれが続いて、兄が元に戻ってくれたらいいとエステルは願うのだった。
ロビーに戻ると、菜結はかわいい小さな魔法使いとして冒険者たちの人気者になっていた。と言っても、今の菜結は箒も魔法の杖も持っていないので、皆、魔法使いを真似ていると思っている。
その後、エステルと菜結の帰るのを、受付嬢は名残惜しがって蒸し暑い玄関まで出てきて、手を振って見送るのだった。




