第65話 出会い
「ク……! クロキヴァ!? クロキ……バって言った!?」
「う、うん……」
「あ、あなた……ゴローの妹さん!?」
「おっ、おねえちゃん、おにいちゃんしってるの!?」
菜結は、驚きのあまり治癒魔法を途中で止め、ジト目を大きく見開いた。
「う、うん、知ってる! 私、色々助けて貰ったの!」
「そ、そうなんだ。いまどこにいるか、わかる!?」
「わかるよー。都市アグレインの、アンバレイって貴族のお家にいるよ!」
「わ……わ~~! やっと、いばしょがわかったー!」
両腕を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜ぶ菜結。大きく表情は変わっていないが、嬉しそうな様子は充分伝わってくる。
「それにしても、さっきから吃驚することばっかりだよー。ナユちゃんすごい魔法使ってるけど、あなたももしかして、変身ヒーローってやつなの?」
「ううん。ちがうよー」
「そうなの? それにしては凄い魔法使ってるけど……」
「そらはとべるようにしてもらったけど、ちゆまほーはちがうよ」
「……自分で作ったって言ってたけど、じゃあゴローみたいにクリスタルの力を使って作ったとかじゃなくて、本当に自分で……」
「うん。すこしだけど、まほーかんけーについておしえてもらって」
「魔法関係について、か……。少しであれって、凄いんだけど……」
「ところでおねえちゃんは、どうしてあんなところにいたの?」
「あ、ええっと、それはね……」
それからエステルは、岩山にいた経緯や吾郎との話を、治癒魔法を再開した菜結に話して聞かせた。吾郎が初めて会ったとき、ドラゴンから助けてくれたこと、兄を助けに一緒に付いてきてくれたこと、石になった兄を助ける為のこの旅にも、付いてきてくれようとしたこと等を……。
話し終わると、菜結がぽろぽろと涙を零し始めた。
「ええっ。ナユちゃん、どうしたの!?」
「ぐすっ……おねえちゃん、かわいそう……」
「わ、私の為に……泣いてくれるの……」
それを知って、急に感極まってしまったエステルの青い大きな瞳からも、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出す。
「あはは……あは……馬鹿だ、わたし……」
心配そうに眉をひそめる菜結に、泣きながらも笑ってみせるが、涙はとめどなく溢れてくる。すると、菜結が小さな手をエステルの頭に伸ばして撫でてくれたので、その優しさに余計、涙を溢れさせる。
エステルは、暫く泣き止まなかった。
その後、帰りの魔力が無くなるからと指の治療を中断し、菜結とエステルは岩山を飛んで石化を癒やす花を探すべく、箒に跨る。
「なんだか、すごく魔女っぽい格好だね。頭の赤いリボンは目立つけど」
「こっちのせかいでも、まじょっぽいんだね。このかっこー、あこがれだったのー」
「へぇ~。ゴローの世界には魔法は無いって聞いてたけど」
「うん、ないとおもう。これは、あにめのまじょのかっこー」
「あにめ?」
「んーと……うごくえほん? おんせいもでるよ」
「へぇえ~……?」
以前、その有名な某アニメの主人公に菜結は自分がなっていることを空想していたとき、更に便利にしようと考えついたものが菜結が今、使っている浮遊魔法だった。
重量に制限はあるが、アニメよりもっと重いものを楽に運ぶことが出来、僅かでも触れていれば発動する。操縦は菜結がしなくてはならないが。
ふたりで空を飛んで探し、数種類の花を見つけたのだが、どれもありふれたものだった。
「やっぱりないかぁ。そうだよねぇ」
「…………」
「な、ナユちゃん、しょんぼりしないで! 元々期待なんてしてなかったんだから、ね!」
落ち込む菜結を見て、エステルは自分と同じように兄を求める菜結に、自身の境遇を重ねた。菜結もまた、そう思っているのかも知れない。
エステルは吾郎から、彼の住んでいた国は戦争が長い間起きていない平和な国だと聞いていた。坑道で、彼が泣いたことを思い出す。彼にとってこの世界での出来事は大変だった。
吾郎は、菜結がこの世界に来たことを歓迎しないんじゃないだろうか。
だからといって、兄を助ける為にこんなことをして大怪我をしている自分に、どうして彼女を責められようか。
エステルはそう思って少し苦笑する。
それから、菜結の話を聞いた。
「あのね、かるぼなーらってごはんが、しょくたくにあってね」
「うん」
「わたし、おとうさんがしんじゃって、ずっとごはんたべてなくって、おなかすいててね、たべていいっていうから、たべたの」
「……誰が言ったの?」
「かるぼ」
「……え? その食べ物がしゃべったの?」
「うん。それでね、かるぼがおにいちゃんのことおしえてくれて、それで、わたしこっちのせかいにくることにしたの」
「……そ、そうなんだ……」
エステルは、謎の存在によって殺されかけた吾郎が、そのお詫びとして変身ヒーローとしての力を手に入れてこの世界に復活したのだとは聞いて知ってはいたが、謎の存在は食べ物なのだろうかと首を捻った。
「食べ物が、不思議な浮遊魔法を授けてくれたの……?」
「うん。でも、かるぼなーらのほうじゃなくて、おさらとか、ふぉーくのほうかも?」
「お皿とか、フォークの……」
「それか、どこかにいるの」
「……謎だ……」
その後、菜結とエステルは人目に付かないように空を飛び、トラストブルグの防壁の近くに降り立った。
「じゃあナユちゃんは、あそこでこっそり魔法の修行してたんだ」
「うん。ししょーが、こっそりやれっていうから。あそこ、あんまりひとがこないから」
「あ、魔法の師匠がいるの? じゃあさっき言ってた魔法関係について教えてくれたのって……」
「それは、かるぼだよ。ししょーにもいろいろまほーについておしえてもらってるけどー」
「へぇ~」
「そうだ、わたしがつかったまほーのこと、ないしょにしてくれる? ししょーにいわれてるの」
「そうなんだ。わかった、内緒ね」
菜結が凄い魔法を使えているのは、その謎のカルボという存在の教えなのか、師匠の教えが非常に優れているのか、彼女が天才なのか……と、エステルが気にしていると、
「えすてるおねえちゃんのこと、ししょーにしょうかいしたいから、いっしょにきて?」
と、菜結が誘ってきた。エステルの無事なほうの左手をかわいらしい手でぎゅっと掴み、ジト目だが、きらきらとした瞳で見上げてくる。
この子はあまり表情が変わらないが、感情があまり表に出ないだけなのだろうな、とエステルは思っていた。
それは正解で、菜結は吾郎のことを知るエステルと会えたことで、胸をわくわくとさせ、早足でエステルを引っ張って歩いていく。
「じゃあ、その師匠とふたりで暮らしてるんだ」
「うん。おせわになってるー」
門を潜り、夕方になって蒸し暑さの和らいできた街中を進んで灰色のレンガ造りの家に入ると、そこはむっとしていて、日中より蒸し暑い空間が広がっていた。沢山の植木鉢に薬草が植えられていて、かまどの大鍋は火にかけられ、蓋の隙間から薬草で緑色になった液体が覗いている。
「ししょー。ししょー!」
菜結が大きな声で呼びかけると、バタバタと廊下を小走りする音が聴こえてきて、奥の扉から少し見窄らしい継ぎ接ぎだらけの服を着た細い身体をした老婆が現れ、怒鳴り声を上げた。
「ナユ、その呼び方はやめろって言ったじゃないか。あたしゃー自分より優秀なモンを弟子に取った覚えはないよ!」
「ししょーはししょーだよ。いろいろまほーのことおしえてもらったもん」
「ふん、アンタだって教えてくれたじゃないか! おかげであたしゃこの歳で飛行魔法を夢見るお馬鹿さんになっちまったんだよ?」
「おばかさんじゃないよー」
「ふん! それはいいから、まぁ、ちょっとこっちに来な!」
「え~……」
「いいから、ホラ、おいで!」
「えー……」
しゃがみ込んで両手を広げる老婆に対し嫌がる菜結を見て、エステルは不穏な空気を感じて口出しをしようかと思ったが、そう思っているうちに「う~」と言いながら菜結はてこてこと老婆の前まで歩いていった。
すると、
「よーしゃよっしゃ。ああ~可愛いねぇ~~。よく無事で帰ってきたねぇ。ん~~っ。チュッ、チュッ!」
「えっ、ええ~~っ!?」
その変貌ぶりに驚くエステル。
師匠と呼ばれた老婆は、全力で菜結を包容し始めた。強く抱きしめたり、撫で回したり、額や頬や頭などにキスをしたり、頬擦りしたり。終わったかと思えば菜結を半回転させて後ろから抱きしめ、また撫でたりキスしたりしている。菜結はその過剰なスキンシップが苦痛なようで、顔をしかめてエステルに助けを求めた。
「う~~っ。えすてるおねえちゃん、なんとかして……」
「え? ええっと……」
「ん? なんだ、ナユの知り合いかい。ぼーっと突っ立ってるから、エルフがなんの用なのかと思ったよ」
「えすてるおねえちゃん、おにいちゃんのおしりあいだったの」
「な、なにぃ!? じ、じゃあナユ……お前、行っちまうのかい?」
驚いて抱きしめていた手をほどいた老婆に菜結は向き直ると、
「みじかいあいだでしたがおせわになりましたっ!」
TVで覚えた少し難しい別れの言葉をすらすらとそう言って、ぺこりと可愛らしく頭を下げた。
老婆はわなわなと震えながら、目に涙を浮かべ始める。
「お……おおぉお……。いつかは……いつかはこんな日が来るだろうと思って……。だからそうなる前に、たぁっぷり抱擁しておこうと思っていたというのに……。こんなに早く訪れるなんて……」
そう言うと、がっくりと項垂れた。
「だいじょーぶだよ、ししょー。おにいちゃん、あぐれいんの、としにいるんだって。ししょーとおかねためて、さがしにいこーっていってたとこ。あんまり、とおくないんでしょ?」
菜結は老婆のボサボサの白髪頭を小さな手で撫でながら、そうフォローする。
「あ、ああ。そうなのかい……。……そうだねぇ、また会えるさね」
力無い老婆の言葉と様子に、エステルは無理をしていることを悟った。ここから都市アグレインまでは馬車で3日はかかる。老躯には揺れる馬車の旅は辛く、あまり裕福そうに見えない彼女では旅費もかかるので、そう会いに行くことも出来ないのではと想像した。
しかし、彼女が黙っていることをわざわざ告げたりはしなかった。
「ところでそこのエルフっ」
「ぅえ!? な……何?」
「アンタ、ホントにナユの兄のことを知ってるんだろうねぇ? 可愛いナユをたぶらかそうとか考えてるんなら承知しないよっ!」
「そ、そんなこと思ってないよっ!」
「ふん……。その指、そいつぁどうしたんだい?」
「これは……。怪我したところを、ナユちゃんに治してもらってて……」
「やっぱりかい。じゃあ、ナユの魔法を見ちまったわけだね」
「う、うん……。でも、内緒なんでしょ? 誰にも言わないよ。言っても信じないだろうし……」
鋭い視線を向けてくる老婆にそう言いながら、エステルは信頼を得る為に懐から冒険者ギルドの会員証を取り出して渡す。
「ほう……殊勝だね。エステル・ブランか、覚えたよ。……アンタ、丁度100歳なのかい。それでその若々しい見た目なんだから、羨ましい限りだよ」
「え……?」
兄のことでいっぱいで、自分の誕生日のことをエステルはすっかり失念していた。日付を尋ねると、吾郎と別れた日だった。
「なんだい。100歳になったってのに、気付いてなかったってのかい? エルフってぇのは100歳の誕生日にお祝いするんだろう?」
「う、うん……忘れてたよ……」
「はぁ……しょうがないねぇ。今日はパンケーキぐらい焼いてやるさね」
「えっ?」
「どうせ、その指が治るのには数日かかるだろう? アンタからはじっくり話も聞きたいしね」
「う、うん……。ありがとう。えっと、名前は……」
「あたしゃ、ペネロペってんだ」
それから、エステルは安宿を引き払って、指が治るまでペネロペの自宅、兼、魔道具のアトリエに厄介になることになった。




