第5話 スライム襲来
俺がおじゃましているアグレイン国軍の敵、レンヴァント国軍からの使者は、休戦協定の交渉と協定交渉期間中の一時停戦の申し込みの使者だった。
協定が実現すれば、こういった大規模な武力紛争は終わる。
国境付近での小さないざこざは続くだろうとのことだが。
リヴィオはこれを予見していたらしい。
まず、己の生命を犠牲にドラゴンを召喚するようなものがいる時点で、アグレイン国軍が防衛ではなく本気で領土を奪いに来ているのではという懸念が生まれる。
敵軍であるレンヴァント国軍にそこまでの士気はないだろう。アグレイン国軍にもそこまでの士気はないだろうが。
死に直面した際に、命を代償に強力な魔法を使う者は稀にいるが、それでもドラゴンを喚び寄せられる者など滅多にいない。
更に、それを打ち倒せる魔装戦士がいる。
なので、敵国の政に関わる貴族どもが保身に走り、休戦協定を結ぼうとしてくれればいい、と思っていたそうだ。
それに、俺が敵軍を助けてドラゴンを打ち倒して見せたのをパフォーマンスと捉えたかも知れないそうだ。
大爆発したしな。
そうして無事に一時停戦は実現され、翌日にレンヴァント国軍の撤退を確認した駐屯兵以外のアグレイン国の兵士たちは、午後には首都への帰路についた。
俺は帰還するリヴィオたちにくっついて、アグレイン国の首都に向かった。
首都の名前はアグレイン。おんなじ名前だ。
「おー、断崖絶壁だ。ここで敵を待ち伏せればいいんじゃない?」
「こんな不利な地形を敵は通らん。迂回すれば済むことだ」
「う、そうか」
今、俺たちは高く岩山が切り立った崖と崖の間にある道を歩いていた。
道幅は10メートルほどだろうか。
暫くすると、前方が騒がしくなった。
スライムが出たのだ。
巨大な緑色のスライムが、ドロリと溶け落ちていくように崖の上から下ってくる。
体長7~8メートルくらいか。
でも俺は、変身ヒーローの出番を感じてはいなかった。
なにせこっちは軍隊だ。
スライムが実は強い設定の物語を何かで見たことがあるような気がするけど、例えそうでも軍隊には敵わないだろう。
「スライムって強いの?」
聞いてみた。
「単体ではそれほど脅威ではないな。だが、面倒な相手ではある。斬るなり焼くなりして、地道にヤツの体を減らしていかなければ倒せない相手だ。小さくなって動かなくなるまでな。」
「弱点とかないのか? コアとか」
「こあ? 弱点というか、効果的なのは広範囲に炎を浴びせることだな。大きく体を減らすことができる。通り道に火を付けておけばそれ以上、寄ってこないしな」
「細胞分裂の核みたいのは無いの?」
「んん? さいぼう? よくわからんが、弱点は知らないな」
うーん、そうなのか。
「だがな、それは普通の体の話だ。あれは大きすぎる」
「えっ。大きいとどうなるんだ?」
「地道に体を減らすしかない以上、あれは非常に厄介な相手だ。あんなものは初めて見た」
馬上のリヴィオを見上げると、緊張した面持ちをしていた。
スライムはズルズルと崖から落ちてきて、前方の兵士たちを幾人か飲み込む。
周りの兵士たちがそのスライムを槍で刺す、刺す。
だが、その粘性により槍が奪われてしまう者が続出する。
魔法使いたちが杖から炎の弾をスライムに浴びせる。
だが、表面が焼けた程度で、動かなくなった表面の細胞を捨てて、スライムは兵士たちに蠢き迫る。
「おぎゃああ! おぎゃあああ!」
突然、赤ちゃんの鳴き声のようなものが聞こえた。
だが声変わりをした男の低い声だ。
見ると、スライムに取り込まれていた兵士の男が、胎児が仰向けになったような格好をして赤ん坊のように泣き喚いていた。
「あぶー。ばぶぶー」
「あぶ、あぶ。だぁっ、だっ」
他の取り込まれた兵士たちも、赤ん坊のようになっている。
「あ……あれは?」
「スライムに取り付かれて暫くすると、一時的に記憶を失い、赤子と同じになってしまうという話だ。そうしてスライムは抵抗できない相手から養分を搾り取るのだという。私も実際に見るのは初めてだが……。彼らは身体全体を取り込まれたから、ああなるのも早いのか」
「搾り取るって……死ぬってことだよな」
「ああ。干乾びて死ぬ」
こ、こわー……。
この世界のスライム、えげつない。
前方の兵士たちは段々と攻撃する者が減り、逃げ惑う者が多くなった。
人の波がこちらまで迫ってきている。
「第4部隊、後退だ! 急げ! 後続の部隊にも伝えよ!」
リヴィオが大声を張り上げると、伝令が後続へと伝わっていき、人々が一斉に後退を始める。
「乗れ、ロゴー!」
「あ、ああ!」
馬上からリヴィオが俺の手を掴んだところで、俺は前から逃げてきた人の波に飲み込まれた。
「おわぁっ」
「うっ。う、うう~~!」
リヴィオは俺が人波にさらわれないように馬上で踏ん張ってくれている。
そうして顔を上げて力を込めていたため、彼女は気付いた。
「もう一体いる……」
なんとか馬に引き上げて貰い、リヴィオが指差すほうを見ると、後方の崖を溶け落ちるように下ってくるスライムが見えた。
ヤツがこちらに来るようなら、挟み撃ちになる。
後方の兵士たちはスライムが落ちてきて挟まれる前に逃げようと必死だ。
俺たちは間に合わないだろう。
それどころか人の波の動きは遅く、このままでは前方のスライムにも追い付かれてしまう。
前方を見ると、酷い光景だった。
巨大なスライムの後ろ、鎧を纏った屈強な兵士や、年頃の娘の魔法使い、立派な髭をたくわえたドワーフの男……。沢山の人々が、赤ん坊へと帰っていた。
「あぶあぶー。だうー」
「おぎゃあああ! おんぎゃあああ!」
「だぶっ、ばぶっ。きゃっきゃっ」
「わ、私は嫌だぞ! あんな惨めな醜態!」
リヴィオは青い顔をしていた。俺だって嫌だ。
変身するか? でも勝てるのか?
細胞を死滅させていって、小さくしなければ倒せないという話なので、肉弾戦だと掴まって、ばぶばぶおぎゃーの刑に処されるかも知れない。
だけど、ドラゴンから手に入れた紅いクリスタルがある。これを使えばいけそうな気もする。
「リヴィオ、俺、変身して戦うよ」
「勝てるのか? お前では相性が悪い気がするが……」
「そうかもな。でもやってみるよ」
「おおっ。黒き魔装戦士殿! 戦ってくれるのか!」
「何? ドラゴンを倒したという、あの戦士がか!」
「昨日の今日で、魔力が保つのか? ドラゴンを大爆発させたのだろう?」
俺とリヴィオの会話を聞いていた周囲の人々から声が上がる。
俺が腰に手を翳してベルトが現われるように願い、輝きとともにベルトが出現すると、おおおおっ、と周囲の人々が歓声を上げた。
紅いクリスタルも、現れて欲しいと願ったら出てきた。
そいつをベルトに嵌め込み、俺は魔法陣を叩いて叫んだ。
「変身!」
……変身できなかった。変身は蒼いクリスタルじゃなきゃダメみたいだ。
周りの人たち、みんな見てる。恥ずかしい。
俺はそそくさと紅いクリスタルをベルトから外すと消えるように願って消し、代わりに蒼いクリスタルが出てくるように願って出現させベルトにセットして、恥ずかしさを払拭するように魔法陣を叩いた。
馬上で、俺は光り輝いて変身を遂げながら、落馬した。
まばゆい光に驚いて馬が暴れたのだ。
めちゃカッコ悪い。
馬上のリヴィオは振り落とされていなかった。流石だ。
そんなリヴィオは何やら複雑そうな表情を浮かべ、俺に何か言おうとしていた。
「……ぁ……ぅ……ぶっ」
笑うの我慢してるのか? いいさ、笑ってくれよ。滑稽だろ?
「ぶっ、武器は! 武器はいるか!?」
「え? あ、うん。貸してほしいけど……」
「~~っ。わかった、使え!」
そう言って俺に剣を鞘ごと放り投げてきてくれたリヴィオは若干、涙目になっていた。
やっぱり笑いを堪えてたのか?
吹き出したの誤魔化すのに貸すって言ったのかな?
まぁいいや、使わせて貰おう。
「よし、行ってくる!」
前方から迫ってきていたスライムは、振り返るとすぐ近くまで這いずってきていた。