第38話 手紙
「ん~~! 美味しいぃ~」
翌日の朝食。ルーシアはお手製の焼きたてシュナンパイを頬張り、幸せそうに目尻を蕩けさせていた。
俺も囓ってみる。うん、普通に美味しい。っていうか……。
「はちみつ使ってます?」
「ええ。シュナンの実を切って、はちみつに漬けておいたんです」
砂糖は貴重品でも、はちみつはあるんだな。
聞くと、砂糖ほどではないがはちみつもけっこう高価で貴重なものらしい。それを、貴族であるリヴィオの家、アンバレイ家の領地に養蜂業を営む領民がいて、贈り物として届けてくれるのだそうだ。
「納税できずに平民になったら領地が没収されてしまうので、はちみつが頂けなくなることだけが残念です……」
「……なら、はちみつ貯金でもしたらどうでしょう」
俺がそう提案するとルーシアは嬉しそうに賛成し、俺の隣でシュナンパイを食べているリヴィオに伺いを立てる。リヴィオはぺろりと唇を舐めると了承した。
「わぁ、嬉しい。フリアちゃんも反対しないだろうし、決まりですね。うふふっ、昨日のゴロー様のミルクチョコレートもとっても美味しかったですし、私、今とても幸せです」
昨晩、ルーシアが椅子に座ってチョコを齧りながら、年甲斐もなく足をプラプラさせているのをリヴィオに指摘されて、恥ずかしがっていたっけ。
「ところで、フリアはどうした? パイが冷めてしまうぞ」
噂をすればなんとやら。バタバタと廊下を駆けてくる音が聞こえてきて、俺たちのいる部屋のドアを開け放ったフリアデリケは、とても興奮した面持ちをしていた。
「おひっ……おひっ……!」
おひ? フリアデリケは、変な喘ぎ声みたいな言葉を発している。
「おひっ、おひめさまっ! お姫様からお手紙が届きました! リヴィオ様と、ゴロー様宛てです!」
驚いた俺たちが手紙を確認すると、この国の姫の直筆と思われるらしい文章で、頼みたいことがあるが忙しい身なので会いに来てほしいという旨が書かれていた。
「お、おひっ……! おひ!」
今度はリヴィオがおひおひ言い出した。
えっ、なんで? 急にお姫様から手紙が来たことに驚いたフリアデリケのリアクションはわかるけど、なんでリヴィオまでそんな風になるの?
リヴィオはフリアデリケと手を繋ぎ、ふたりで「きゃー!」と悲鳴を上げて跳ね回り出す。
ルーシアに理由を訊いてみると、彼女は俺の耳元に唇を近付け囁いた。
「リヴィオ様はご自身が男勝りに育てられたためか、女の子らしいお服装を着た小さな女の子がお好きなのです」
「あ、お姫様って幼いのですか?」
「ええ。今は9歳です。そして、大変に可愛らしいお姿をしていらっしゃいます。リヴィオ様は式典などでお姫様がご出席なさると知るや、早朝から並んでいい席を確保しようとしたりするほどの大ファンなのです」
「へぇえ~」
フリアデリケもリヴィオに影響されて、今やすっかり姫様のファンになっているのだそうだ。
でも、そのお姫様が俺たちに一体どんな頼み事があるというのだろう。俺たちは早速、姫の待つ城へと向かうことにした。
「おお……」
思わず、声が出た。
身支度を整え、手配した箱馬車の待つ玄関に現れたリヴィオは、淡い緑色のフォーマルなドレスに身を包んでいた。少しスレンダーな感じのドレスで、スカートのフロントは膝上、バックは地面に着くスレスレの長さで、覗く脚がセクシーだ。ドレスの色合いに合うピンク色の長髪も、サイドアップにしてお団子を作ったり編み込まれたりしていて、うなじと送れ毛が色っぽく、ボディラインやら谷間の見える胸元やら、つるんとした肩など、とにかく魅力的で眩しかった。
「へ……変か?」
う、見惚れてしまって見過ぎだったか。リヴィオが訝しそうな顔で気恥ずかしそうに身を縮こませる。
「い、いやいや、とんでもない!」
「…………」
そのリヴィオの横では、満足そうなメイド姉妹がドヤ顔をしていた。
箱馬車に乗り込み、ドレスアップしたリヴィオと対面の席で座り、アグレイン城へと向かう。
うう、リヴィオがキラキラしていて、落ち着かない。
「ロゴー」
「な、なんだ?」
「姫様がどのようなご用件で我々を呼んだのかはわからないが、お前を呼んだということは、危険が伴う頼み事だろう。嫌なら断っていいんだぞ」
「……魔物退治、とかか?」
「わからんが、その可能性もあるだろうな」
いつもと違って化粧をしたリヴィオの唇には髪の色に近い口紅が塗られていて、言葉を発する度に色んな形に艶めく。
「姫様ってまだ9歳なんだろう? それで、もう国政に関わってるんだな」
「関わっているというか、今は姫様が国を動かしている」
「えっ、そうなのか!?」
「無論、宰相など周りの大人たちあってのことだがな」
「この国って、女王が治めてるってルーシアさんが言ってたけど……」
「女王様はもう何年も、病に伏しておられてな……。もうご高齢でもあらせられるし……。ご家族がいればよかったのだが、皆、亡くなられて、残されたのは姫様おひとりなのだ」
怪しくないか、それ。
「なんで亡くなったんだ?」
「不慮の事故、と言われているが、王位を狙う貴族や、王族が邪魔な貴族の仕業ではないかとも言われている……。証拠はないがな」
「そうか……」
やがて、アグレイン城の正面入り口前に到着した。
「ふぅ。リヴィオに気を取られてたおかげか、酔わなかったな」
「えっ?」
あ、しまった。思わず声に出してしまった。
「あ、ええと……その、なんだ……。い、いつもと違って、ほら、お、お嬢様って感じだったからさ!」
リヴィオが固まった。
俺は面と向かって女の子を褒めたことがあまりない。気恥ずかしくって。
「ああ、その、冷やかしでそう言ったわけじゃなくて、こ、これでも褒めてて……!」
「お、お嬢様、か……」
頬を赤らめて俯いたリヴィオは、口元が緩むのを堪え切れないといった様子を見せた。
男勝りに育てられてきた彼女には、お嬢様に憧れがあるのかも知れないな。
アグレイン城は、壮麗にして荘厳だった。
ゴシック建築っぽい造りで、入口の先にはとても天井の高い空間が広がっていて、大きな柱が何本も聳え立っている。
前の世界に居たときも思ったけど、こういうのってどうやって建ててるんだろうなぁ。まぁ、この世界じゃ魔法があるからそれを使ってるのかも知れないけど。
城内は女王の趣味だろうか、置かれている調度品や装飾などに、どこか一貫性のある上品なセンスが感じられる。
待合室に案内され、待つことしばし。謁見の間に通された俺たちは、そこでお姫様と対面した。
広いスペースの奥に玉座があり、国旗と同じ赤い色に金の装飾が施されていて、その上にお姫様が腰掛けている。銀髪で睫毛が長く、瞳は淡い緑色をした細身の少女で、フリルのたっぷり付いたふわふわとした赤紫のドレスを着ている。それは聞いていた通り、大変愛くるしいお姫様だった。
「はああ……」
隣にいるリヴィオは口元を抑え、ふるふると震えている。感激しているようだ。
「余がこの国の姫、リズオール・アグレインじゃ。呼び立ててすまなかった。病床の女王に代わり、国政を任されておる故、忙しい身なのだ」
「い、いえっ。よく存じております」
「そう畏まらんでよいぞ、リヴィオ・アンバレイ。それと、そちらが黒き魔装戦士クロクィ……。こほん、クロキィ……うう」
言い難くてすみません、お姫様。
「くろく……くろきぃ……。く、くろくぅヴァ! ううう……」
頬を赤らめ、必死に発音しようとするリズオール姫。
周囲には近衛兵たち、姫の傍には護衛の魔術師と思われる者が2名、それとこの国の高官だろうか、何やら偉そうな初老の男性も数名いて、皆、静かにしているのだが、あちこちで姫様が発音できるのを応援する姿が見受けられた。少し前のめりになっていたり、口を「キ」の字に動かしたり、姿勢はそのままで拳を握ったりして応援している。
「クロキ、ヴァ! じゃな!」
言えたー! 辺りに安堵した雰囲気が広がる。なんだかちょっとほっこりしてしまうな。
この国のお姫様は、お城の人々に愛されているようだ。
「ふたりがエルトゥーリを助けに行った内容は、妹のエステルから聞いておるのじゃ。エルトゥーリのことは残念じゃった……」
お姫様はそう言うと、べそをかいた。隣の偉そうな人に咳払いをされるとハッとして、顔を戻す。
そういえば、エステルの兄のエルトゥーリは姫に懐かれてるって言ってたっけ。
「とっ、ところで、エステルの旅の行き先は聞いておるか?」
「ええ。レンヴァント国に行くと」
「そうか、それならば、あの噂にも行き着くであろう……」
なんのことかはわからないが、リヴィオの言葉を聞いてお姫様は椅子にもたれかかり、息をひとつ吐いた。
「それで、頼みたいことがあるのじゃが、その前に……」
リズオール姫の目線を受け、ひとりの男が俺たちの近くまで歩み出てくる。
あれ、この厳つい顔の人、見たことあるぞ。確か……。
「黒き魔装戦士殿、おひさしぶりです。先の戦で軍隊長を務めておりました、イヴァン・ドレッドバレイと申します。突然ですが、私と手合わせして頂きたい」




