第37話 共生
「わっ!」
「な、なんだ!?」
「魔法!?」
「いや、魔装だ!」
俺が変身したことで、人々の喧騒は一層大きくなった。
驚いて慌てふためき、他の人にぶつかる人もいたので、怪我はないようだったがいきなり変身しないで注意を促せばよかったな。
隣では、吃驚眼のルーシアが、その長く黒い睫毛をぱちぱちとさせていた。
そういえば、彼女も俺の変身を見るのは初めてだったな。
「ルーシアさん、これからちょっと変わったことするんで、止めようとする人がいたら、俺は危ないヤツじゃないって、止めて貰えますか?」
「あ、は、はい」
そして、俺はベルトのクリスタルを『スライムクリスタル』にモードシフトしながら、パンを喉に詰まらせた小さな男の子の元へ向かった。近くで見ると、男の子は痩せていて、身体も服も薄汚れている。孤児か何かだろうか。
「男の子を仰向けに寝かせてくれ!」
「な、なんだアンタ!?」
男の子を助けようとしていたエプロン姿のおっさんが、動揺した様子で叫ぶ。
「いいから、急いで! この子を助ける!」
「あ、ああ!」
俺は寝かせられた男の子の顎を上げ、気道を開かせる。それから左手の指を男の子の小さな口の端のほうで、つっかえ棒のようにして閉じないように開かせながら、右腕だけをゲル状に変化させ、男の子に口に突っ込んだ。
こうやって開かせておかないと、噛み千切られたら俺の腕も千切れてしまうからな。
「ええ!?」
「わぁ!」
「腕が!」
周囲の人々が喚き立て、ますます騒がしくなった。無理もない。この世界には身体をゲル化する魔法なんて無いようなのだ。
全身をゲル化していたら、もっと騒ぎになっていただろう。一部をゲル化するのは、トリア村からの帰りに出来るようになったばかりだった。
男の子の喉奥へとゲル化した腕を侵入させた俺は、パンをその腕で包むとぎゅっと潰して小さくし、男の子の口から取り出した。ぐったりとして涙を流していた男の子は苦しみから開放され、呼吸を取り戻す。
その途端、周囲の人々の大歓声が響いた。
「あ、アンタ……凄いな」
へたり込んで安堵の息を吐きつつ、エプロン姿のおっさんがそう呟く。
「あ、ありがとう……」
涙を腕で拭きながら、男の子も俺に礼を言った。
その男の子の服の襟首をおっさんが掴む。
「そ、そうだ、ガキ。お前、どこのガキだ!」
「ど、どこでもない!」
「どこでもねぇ? 親もいねぇのか?」
「そうだよっ! 離せっ!」
ジタバタと藻掻いたが脱出できなかった男の子が、おっさんの股間を蹴り上げた。
「あげぇ! おごぉお……。こ、この、クショガキィ……」
う、うわぁ……。痛そう……。
ガタイのいい男であっても急所を蹴られてはたまらず、おっさんは手を離してしまう。逃げ出す男の子を、近くで佇んでいたルーシアが突然、機敏な動きを見せて捕らえた。掴まって暴れる男の子の関節をすぐに極め、おとなしくさせてしまう。
「ううっ。おねーちゃん、痛いよぅ……!」
「痛くしたんです。暴れなければもうしません」
「ね、ねーちゃん、いいぞ……!」
股間を押さえながら賛辞を送る涙目のおっさん。
ルーシアはリヴィオの師匠で強いと聞いていたので予想はしていたのだが、その片鱗を垣間見て、やっぱり少し驚かされた。彼女の動きを見た後だと、普段の姿勢のいい立ち姿も武術をやってそうな感じがして、強そうに思えてきたなぁ。
「ぼく? 本当にご両親はいないのですか?」
「う、うん……」
「この子、どうしましょう。孤児院に引き取って貰いましょうか」
「ああ、そうだな。それがいいだろう」
「こ……孤児院はイヤだ! 殴ったり蹴ったりしてくるヤツらがいるんだ!」
「ああ? お前、孤児院のガキだったのか。どこの孤児院だ」
「い、言いたくない! あそこはイヤだ!」
「そこが嫌だっつうんなら、よそに行きゃいい。他にも院はある。それに……だ」
そう言うと、エプロン姿の男が周囲で見守る人々に向かって両腕を広げ、大声を張り上げた。
「誰か、このガキを引き取りてぇってえ、お人はいねぇか!? 孤児院で暴力を振るわれて、帰りたくねぇらしい!」
「え? え?」
驚いて瞳をぱちくりさせる男の子。それを聞いた周囲の人々が、次々に声を上げる。
「どこの孤児院だ、それは!」
「孤児院を運営してる貴族は、リーフバレイ家と、あと……どこだっけ」
「カミッロバレイ家だ。文句言ってやろう!」
その中から、執事っぽい格好をした初老の男性が俺たちの元へ近付いてきて、男の子の前で膝を突くと頭を垂れ、右手の甲を前に出した。
「私はピニーリャバレイ家の執事、ダウロイと申します。宜しければ当家で若様の遊び相手と護衛を兼ねて、働いてみませぬか?」
「え、わ、あ、あわわ……!」
男の子は大慌ててで、出された執事の手を両手で握って勢いよく上に引っぱった。すると執事は立ち上がって、「礼儀作法をご存知のようだ。しかし上に引くときは、もっと優しくするとよいですよ」とニコリと笑った。
そういえば、前に俺もエステルに同じことされたっけ。あのときはよくわかんなくて手の甲にキスしちゃって吃驚されたんだよな……。
「ピニーリャバレイって、どうだ?」
「悪い噂は聞かねぇな」
「そうだな。俺も聞かねぇ」
「誰か、なんか知ってるか?」
「あ、思い出したわ。4年前、カミアの町が竜巻の被害に遭ったとき、資金やら物資やら援助してた貴族の名前よ。そうでしょ? 執事さん」
「はい、その通りでございます」
群衆は執事と少年を中心に、ピニーリャバレイ家について活発に意見し合い、また、執事に質問をする。話を聞く限り、悪い噂もなく、よさそうな貴族だった。
「じゃあ、いいんじゃねぇか? 引き取った後の様子は、その孤児院やってる貴族に調べさせよう」
「しかし、調べさせるにも限度があるだろう。貴族の家に入って酷ぇ目に遭わされて逃げられない平民もいる。どうする、坊主? 決めるのはお前だが、探せば他の引き取り手も見つかると思うぜ」
実際、少年が悩んでいる暫くの間に、宿屋を営む恰幅のいいおばさんも男の子の引き取り手として名乗りを上げ、話し合いに加わった。
男の子の行方がどうにかなりそうになりそうなので、次第に人々は散じていく。
俺は何だか、行き場のなかった男の子の新たな居場所が人々の手によってあっという間に決まりそうなその光景に、呆気に取られていた。
すると、見知らぬ男性に肩を叩かれる。
「さっきの見てたよ。アンタ、もしかして黒き魔装戦士クロクィヴァじゃあないか?」
「えっ?」
離れていこうとした群衆が足を止め、こちらを次々に振り返った。
「クロキヴァって……ドラゴンを倒したっていう、あの……?」
「そういやあ、さっきのは見たこともない魔法だったな……」
人々がざわめき出すと、ルーシアが俺の腕を掴んで素速く路地裏へと引っ張り込んだ。それで、人々も諦めてくれたようだ。
「助かりました」
「いえ。差し出がましいかとも思いましたが、面倒なことになりそうでしたので」
「ええ。俺のこと、結構広まっているみたいですね。驚きました」
「あら、ご自覚がなかったのですね。凄い有名人ですよ、ゴロー様は。何せ、ドラゴンにおひとりで挑んで倒してしまわれた人間など、聞いたことがありませんからね」
「そ、そうだったんですか……」
「どこから嗅ぎつけたのか、ウチで預かっているらしいことを知った何人かの方にお尋ねされましたし。あ、居たけど出て行ったって言っておきました。嘘ではありませんしね」
そう言いながら、おっとりとした笑顔を見せるルーシア。大胆なところのある人だなぁ。
俺を尋ねてきたのは、冒険者や近衛兵らしき人たちで、スカウトに来たそうだ。そういえば以前にも何人かの人に冒険者のパーティに誘われたっけ。
「ところでゴロー様。先程のお手並み、お見事でした。私、感服してしまいました。実を申しますと、ゴロー様のご活躍はリヴィオ様からお聞きしておりましたが、ドラゴンをおひとりで倒したり、落ちゆく橋で皆を助けたりなど、信じられないようなことばかりで……。ですが、先程のお力を見て、橋でのお話は本当だったのかも知れないと、なんだか私、胸がわくわくしちゃいました」
ルーシアが豊満な胸に手を押し当てて、白い歯を見せた。俺も笑い返す。
穏やかな日差しが、緩やかに傾きかけていた。俺たちは急いで買い物を済ませ、談笑しながら家路を辿った。
「ところで俺、男の子の引取先がああも簡単にふたつも出てきたことに驚いたんです。俺のいたところじゃ、とてもあんな風にはならないんで」
「そうなのですか? ですが、子供は国の宝じゃないですか」
国の宝、か。多すぎて困る、とかじゃなければそうなんだろうな。
「確かに、人がいなければ国は成り立ちませんものね」
「ええ、そうです。沢山の人がいるから、私たちもこうして色んな物を手に出来るのです。私が大好物の美味しいシュナンパイを食べられるのも、色んな人のおかげです」
ルーシアが買い物袋を軽く持ち上げて笑う。
「あはは。はい」
「だから、これからを生きて、私たちに幸せを与えてくれる子供を大事にするんです。私たちの国の人々、特にここ『都市アグレイン』の人々は、自分たちが幸せを得られるのが他人のおかげだということを、よくわかっているんです。そういう教えが、広まっているんですよ」
そうだったのか……。
思えば、俺が生きていた日本でも、他人のおかげで特撮やゲームや漫画などで楽しんだり、旨いものを食えたりしていた。
お金は払っているけれど、他人がいなければ得られない。とても当たり前のことだけど、当たり前すぎて俺には今まであまり実感が湧かなかった。面白い変身ヒーローものの特撮を観て、作った人たちに感謝するというようなことはあったけど。
今こういう状況になって、ようやく色んなことに有り難みを感じているけれど、そうだよな……他人のおかげで幸せになれる。そうやって社会って出来てるんだよな。
「その教えって、誰か広めた人がいるんですか?」
「ええ。この国を治める女王様の教えです」
「えっ」
女王が広めたものだったのか。それに、このアグレインという国は女王が治める国だったのか。
聞けば、かつてのこの国は貧困に喘ぎ、治安も悪かったそうだ。だが、その女王の手によって食糧難は解決し、治安も、もしかしたらこの世界で最もいいのかも知れないと思えるほどらしい。
「この国の人々が、子供と同じように他人の大人を大事にしているかと言えば、違います。でも、身勝手に害さない、という意味では他人を大事にしていると思います」
リヴィオ家に空き巣が入っていたと思ったが、日本でも犯罪はあったしな……。
「貴族には選民意識がある者も多く、女王様の教えがあまり根付いていませんが……」
俺、ガラード・フールバレイって貴族に殺されかけたしな……。
それと、『目の前の者を害せば、巡り巡って酒が呑めなくなる』という諺があり、治安に良さにはそういう教えのおかげもあるそうだ。他人は別の誰かと繋がっているから、自分に関係のない者を害したと思ってもそうではなく、自分の幸せが失われる。という意味だ。
だから、この都市では貧しさ故に窃盗はしても、その際に身体的な外傷を与えるようなことはしないという者も少なくないらしい。
「中には他人を自分の大切な人のように大事にするって人もいるのかも知れませんが。でも、他人のために自分を犠牲にするっていうのは、私には馬鹿のすることだと思います」
「うっ」
なんだか自分のことを言われてるみたいで、胸に刺さった。
「ああ、ゴロー様はご自分がしたくてしているんですから、いいんじゃないですか? 馬鹿だとは思いますけど」
「はうっ」
そ……ソウデスカ。
「ゴロー様は大概ですけど、リヴィオ様もお人好しが過ぎますよね!」
「それは、俺も思います」
「まぁ、おふたりだけに限りませんけどね……。いくらエステル様のためとはいえ、トリア村に到着したその日に、無理を押して彼女のお兄様を助けに行かれたのでしょう? いくら腕の立つ皆様だったとは言え、討伐隊でも敗れた相手に、ちょっと無茶が過ぎる気がします。死んだらおしまいなんですよ?」
「そ、そうですよね……」
「そうです。聞けば、何度も死んでいてもおかしくない、大変な旅だったんじゃないですかっ。まったく、リヴィオ様にはもう少しご自分を大切にして頂かなくては。心配するこちらの身にもなって貰いたいですっ」
ルーシアはぷくりと片頬を膨らませ、俺と目が合って恥ずかしそうに頬を凋ませると、早足で石の街道を歩き出した。
「あ、待ってくださいっ」
貴族街への道を進むと、高低差で平民の町並みが見渡せる通りへ出る。この都市の人々に感慨を覚えた俺は、オレンジ色に染められたその景色を、ずっと覚えていた。




