第33話 帰路
翌日、昼前。
俺たちは首都アグレインへと帰るべく、街道へと続くトリア村の出入り口にいた。そこでは、村が俺たちのために馬車を用意してくれており、トリア村の多くの村民が俺たちを見送りに集まってきていて、冷たい小雨の降る物寂しい空模様だったが、沢山の温かな感謝の言葉も浴びることとなった。
「ありがとうございました。あなたたちのおかげで、なんとか暮らしていけそうです」
「本当に助かったぜ。鉱山での仕事がねぇと、身体もなまっちまっていけねぇしな」
「アンタ、ゴローっつったか。ドワーフのおっさんと女の子に話を聞いて思ったんだが、また討伐隊が来ても返り討ちに遭っちまうかも知れねぇ危険なメデューサを討伐してくれたんだな。少ないけど、早期に解決してくれた礼として、村からギルドを通して特別報酬を出すことに決まったから、受け取ってくれな」
石化したエステルの兄、エルトゥーリのことは、村のほうで大切に保護してくれるという。加えて、エステルはそのために村に大金を渡したらしい。
俺の力は、多くの人を助けられたようだが、エステルとその兄を救うことはできなかった。助けてやりたかった……。幾度も思い出しては、力の及ばなかった虚しさや、様々な感情が渦を巻いていた。
用意された馬車は、普段は魔石を運送するためのものだそうで、そこには護衛が4人と、護衛が騎乗する馬が2頭、待っていた。
「メデューサを討伐した貴方がたには必要ないでしょうが」
護衛の青年剣士はそう言って笑う。
彼らにも目的があり、少しだが魔石の運搬と、メデューサによって数の減ってしまった護衛の増員のため、首都にスカウトに赴くのだそうだ。
彼らが馬を操る役目である、御者もやってくれるという。
そうして、多くの人々に見送られて、俺たちは首都アグレインへの途に就いた。
「第3回、チキチキ! ゴローに膝枕の権利、争奪戦~!」
トアンのタイトルコールに、「わ~!」と言いながら拍手するリヴィオとエステル。
土の地面の街道を進む、揺れる馬車の中、彼女たちの戦いの幕が上がった。
馬車の旅が始まり、俺は激しい乗り物酔いに襲われていた。よほど酷い顔をしていたのだろうか、人前でリヴィオが恥ずかしがりながらも膝枕してくれたのだが、そうしたらトアンとエステルから不満の声が上がり、俺の膝枕の権利を巡って戦いが始まってしまったのであった。まぁ膝枕の権利というより、ミルクチョコレートの権利の争奪戦なのだろうけど。
「やったー! 9!」
魔石の中でもクズ魔石と呼ばれる、殆ど魔力の含まれていない魔石で作られた10面体のダイスを転がしたエステルが、両手を上げて喜んだ。
エステルは、随分と元気を取り戻した。出発から最初の日はまだあまり元気がなかったが、2日目の今日はだいぶ笑顔が見られるようになった。今も、続くリヴィオが1を出したことで、楽しそうに笑っている。
「ああぁ、くっそー、またダメかぁ」
昨日からの乗り物酔いで疲弊していた俺は、幌の付けられた馬車の天井を仰ぎ見て、ぼーっとしながら、そのトアンの声を聞いた。勝者はエステルか。
「ええー! 負けたあ!」
「がははは!」
え? その声に首を横に向けると、ガッツポーズをしたゴドゥの隣で、エステルがうなだれていた。
「なん……だと……」
ゴドゥも参加していただと……。
勝利した彼は、嬉しそうにズンズンと俺の隣にやってくると、胡座をかいて、パーン! と膝を叩いた。
「ほれぃ!」
「……………………おじゃまします」
断ってチョコだけ渡そうかとも思ったが、いい笑顔を見せるゴドゥの気分を害してしまうかも知れないし、トアンとかと揉めそうな気もした俺は、のっそりと移動して、ゴドゥのふとももに頭を乗せた。
「どうだー? ゴロー。やっぱ、おっさんの膝枕じゃ嫌だろー? 次から参加はなしでいいよなー?」
トアンはゴドゥをジジイ呼ばわりするのをやめたらしい。
「いや、それが、内腿がけっこう柔らかくってですね……」
「ふふん。小娘どもの膝枕を見ておってが、内腿は使っておらんかったからな。経験の差が出たのぅ」
「なっ……!? そ、そんなテクニックが……」
「次からもワシは参加するぞ。いいよな、ゴロー?」
「…………どうぞ」
できたら女の子のほうがいいのだが、男がチョコを貰う機会を得られないというのもな……と思ったので、そう答えた。
「うう、まだ1個もチョコ手にしてないのに、ライバルがひとり増えちゃったさー……」
トアンが膝から崩れ落ちた。
「成程な……」
対照的に、ゆらりとディアスが立ち上がる。
「えっ、ディアスも?」
「あって嬉しい、ミルクチョコレート」
エステルの問いに、キャッチコピーみたいな台詞をつぶやいて、彼はゆっくりと腰掛けた。なんで立ち上がったんだろう。意義込んでつい立ち上がっちゃったのか?
それから、ガタゴトと揺れる馬車の中、俺は逆向きの姿勢のほうが楽かなと、ゴドゥのお腹側に寝返りを打った。
「…………」
顔に、股間が近い。やっぱり戻そう。
旅は順調に進み、首都アグレインまであと1日を残すのみとなった。
俺たちは小さな村で宿を取り、村の酒場で夕食を取っていたのだが、そこで問題が起きた。今後のことを話していたとき、エステルが兄の石化を治す術を探しに行く旅に出ると言い出したからだ。
メデューサの頭の蛇に噛ませたり、エステルやディアスの持っていたポーション以外の手段で石化が治ったという話は、世界中のあちこちで様々な噂話として存在するが、それらは非常に疑わしく、本当のことなどひとつもないのではないか、ということらしい。だが、エステルは僅かでも可能性があるのなら、行くという。それで口論になり、自分の考えを変えないエステルは、とうとう酒場を出ていってしまった。
――――――――――――――
「ここにいたのか」
家々の灯りを見下ろす村はずれの小高い丘の上で、暗闇に溶け込んでぽつんと膝を抱えていたエステルを探しに来たリヴィオが見つけて声をかけた。
「いやー。すんごい反対されちゃったね」
「……当たり前だ」
リヴィオは優しい口調でそう言った。
「リヴィオだけは、反対しなかったね。護衛の人や、宿の人まで反対したのに」
「エステルがそう言い出したのなら、止められないだろうと思っていたからな。……実を言うと、そもそも私はこの旅に出るときも、おそらく助けるのは無理だろうと思っていた。山脈を超えても3日かかるからな。それでもエステルは、すぐに向かっただろ?」
「……うん。お兄ちゃんはね、私にとって、たったひとりの家族なんだ。生まれたときからずーっと一緒にいて、最近はお兄ちゃんが近衛兵になって、その時間も少なくなったけど、100年、一緒にいたからね。諦めきれないよ……」
「……わかっていると思うが、過酷な旅になるぞ」
「うん、ディアス言ってたね。危険なところにあって確かめられないから語られ続ける噂も少なくないって。確かめられないような危険なところを設定して作られるものもあるだろう、って。わたしも、そうなんだろうなーって思うんだけどねー……」
苦笑するエステルの傍らで話を聞いていたリヴィオが、その正面に歩を進め、真っ直ぐにエステルを見た。エステルの青い瞳と、リヴィオの赤い瞳が見つめ合う。
「私だって……私だって皆と同じように心配なんだ。そのまま、エステルがいなくなるのは嫌だ。本当は止めたいんだ。どうすれば止まる?」
「……リヴィオのその気持ちだけでうれしいよ。……ありがとっ」
エステルはリヴィオの胸に飛び込んだ。柔らかな感触に包まれながら、こっそりと、エステルは涙を流した。
「兄とは、ふたりで暮らしてたのか?」
「うん……」
「じゃあ、ウチに来ないか? 一緒に暮らそう」
「…………」
「暮らそう、エステル。私は貴族ではなくなってしまうが、ロゴーもいる。たぶん、ウチのメイドのふたりも一緒に付いてくる。賑やかで、楽しいぞ?」
「…………ありがとね……でも、ごめんね……」
自分の胸に顔を埋めるエステルを抱きしめながら、リヴィオは星空を見上げ、落胆した。
「……今夜は流星が多いな……」
「そうだね、綺麗……。……そういえばさ、リヴィオ、結婚やめたって言ってたよね。あれって、ゴローのことが好きだから?」
「うぇあっ!?」
急に放たれた言葉に、びくりと身を動かすリヴィオ。
「い、いや、違うぞ! そ、そういう理由ではなくて!」
「顔……真っ赤だよ?」
「うええっ!?」
「好きなんでしょー?」
「ええっ? いや、そんな、こと、は……」
「変身したゴロー、カッコイイもんね~。それに、キリッとした表情のときも、カッコイイよね」
「ま、まぁ……そうだな」
「リヴィオの心臓の音、早くなってるよ」
「~~っ!?」
がばっと、真っ赤な顔をしたリヴィオがエステルを引き剥がした。
「あはははは」
「かっ、からかうな! そういうエステルだって、大好きだって言ってたではないか」
「へ? あ~、そういえば……。でもあれは、恋愛的な意味じゃなくって……」
「恋愛的には、どうなんだ?」
「ええ~……。それは、まぁ、好きだよー」
「…………」
「どうしたの? 取らないって~」
「そうではない。例えばの話だが、ロゴーにお前を襲わせれば、引き止めることができるか?」
エステルは驚いて、目を見開いた。リヴィオは、真剣な顔つきをしていた。
暫くの沈黙の後――。
「それでも、無理」
「そうか……」
「そんなことゴロ―にさせるの、嫌なクセに~」
「いや、それでエステルが止まってくれるのなら、私は……」
「そうなの? あ、そういや貴族って、一夫多妻とか多夫多妻とかなんだよね」
「一夫一妻のところもあるがな。ディアスのところなんかは、一妻多夫だぞ」
「へええ~。そうなんだ。あ、じゃあさ。もし、わたしの旅が終わって一緒に暮らすことになってさ、それでリヴィオとゴローが許してくれるんだったら、わたしを第二夫人にしてよー。正妻はリヴィオに譲るからさ」
「ダメだ」
「あや~、ダメかぁ。やっぱり嫌になっちゃった? もちろん冗談だよー。少し本気だったけどね」
「そうではない。妻に序列がダメという意味だ。序列は付けない。なるのなら、ただの2番目に夫人になった者という意味での第二夫人、だな」
「…………そっかあ……。リヴィオ、ありがとね。大好き」
再び、リヴィオの胸に飛び込むエステル。
「わ、私も、す、好きだぞ……女同士でも照れるな」
「ふふっ。そうだねー」
「……旅に疲れたら、いつでも私の元へ休みに来い」
「あははは、もう、泣かせないでよ~」
ぐすっと鼻を啜る涙声のエステルを、リヴィオはぎゅっと抱き締めた。その瞳からも、涙が揺らめきだす。
変えられない現実に、永遠になるかも知れない別れに、流星が流れる星空の下で、ふたりの涙が流れた。




