第32話 膝枕
村は、メデューサを退治したという俺たちの報告に、大きな喜びに包まれた。魔石の採掘が滞って、生活困窮者も出始めていたという。いくつかの酒場では、村からの資金で酒が振る舞われているそうで、ゴドゥとトアンは先程、それに出掛けて行った。
宿屋の一室で目が覚めた俺は、まだ疲れている身体をベッドに横たえつつ、窓から見える夕焼けをぼんやりと眺めているところだった。
「ロゴー、いるか?」
ノックとともに、リヴィオの声がドアの向こうから聞こえる。
「ああ。どうぞー」
「おじゃまする」
「うん。まぁ、掛けろよ」
ディアスと相部屋の狭い二人部屋には、ふたつのベッドしか腰掛けられるところがない。リヴィオがベッドの上で胡座をかいている俺のすぐ近くに腰掛けてきて、ちょっと吃驚した。少し、ドキドキする。
「ディアスは?」
「えあ? な、なんかエンバーマー? のところに行くって。エンバーマーってなんだ?」
「ああ……。死んだ生物に、長期保存に適した処理をする者のことだ。おそらく、メデューサの首を処理して貰って、受け取りに行ったのだろう」
「へぇー、そっか。研究に使うって言ってたからな。そういや今朝方どっか行ってたしな」
「ロゴーのいた世界では、そういう処理はしなかったのか? 感染症の危険やゾンビ化される怖れもあるのだが……」
「ソンビいるの!? うえ~。元いた世界の俺の国では、長期保存せずに火葬が一般的だったからなー」
ゾンビはグロそうで、実際には見たくないし戦いたくないなぁ。燃やしても凄い匂いしそうだし。
「ところで、エステルはどうしてる? まだ眠ってるのか?」
俺は、エステルと相部屋のリヴィオにそう尋ねた。
今朝方、宿屋に頼んで魔術師を呼んで貰い、エステルに眠りの魔法をかけたのは知っている。
「少し前に起きたよ。だが、流石にまだ塞ぎ込んでいてな。気を使われたのか、独りになりたいから酒場にでも行ってこいと言われて、ここに来たんだ」
「そうだったのか。まぁ、流石にな……」
「ああ……。と、ところで、だ。ロゴー」
「ん?」
「ほ、ほら」
リヴィオが自分のふとももをぺちぺちと叩いた。今はショートパンツを穿いているため、スラリとした生足が露わになっている。
「……え?」
「えぇっと……ほ、ほら! な!?」
更にふとももをぺちぺちっと叩くリヴィオ。
「…………どういうことだ?」
「いや、だから……な? その……」
ぺちぺち。ぺちっぺち。
「えーっと、もしかして、リヴィオもチョコ欲しいのか?」
「ちっ、違う! そうじゃなくて、労いをだな……」
「ねぎらい?」
「そっ、そうだ。私は、ずっとこうしたかったのだ!」
「ええっ!? こうって……膝枕をか?」
「そ、そうだ。い、嫌、か?」
「いやいやいや!」
「ええぇっ!?」
「あっ! いやいや、そうじゃない。今のは逆だ! 嫌じゃない!」
「な、ならば……来い!」
ぺちんっ。
眩しいふとももが、俺を待ち構えている。
なんだ、これは。なんなんだ、これは。俺は吸い込まれるように、魅惑的なそこへと頭を近付けた。
「お、おじゃまします……」
「あ、ああ……」
そろりとリヴィオのふとももに頬を乗せる。温かくて、柔らかい肉の感触と、いい匂いがする。リヴィオはむず痒かったのか、一度、身じろぎをした。
「ど、どうだ……?」
「……し、幸せとしか言い様がないです……」
「そうか……」
声からリヴィオが笑ったような感じが伝わってきたが、横を向いているのでわからない。上を向こうかと思ったが目を合わせるのが気恥ずかしいし、この横顔に当たるふとももの心地良さは、無くし難かった。
「うひああ」
そんなことを考えていたら、急にリヴィオが俺の頭を撫でてきて、鳥肌が立った。
「あっ、悪い。大丈夫か?」
「あ、ああ。いきなりで、驚いただけだ。そ、その……あ、ありがとう」
「……ふふっ。ああ」
今度は確実に笑ったな。
リヴィオは、優しくゆっくりと俺の頭を撫でている。あんまり心地よくて、蕩けた気分になってきた。
あ。もしかして、俺を労ってくれるために素足で来てくれたんだろうか。
「……ロゴー。異世界から来て日も浅いのに、よく頑張ったな。今回、お前には何度も助けられた」
「いやぁ、俺独りじゃあ……」
「それでも、お前がいなかったら私たちは山脈越えの時点で全滅していたかも知れん。予想よりずっと危険な旅だった」
「俺も、こんなに大変だとは思わなかったよ……。リヴィオの魔剣は、残念だったな……」
「一応、修復に出してみるが……刃は直っても、魔力は戻らないだろうな……」
え? 刃が折れてたけど直せるのか? ああ、そういえば以前に刃こぼれした時、ルーシアが魔法使いが直したようなこと言ってたっけ。
「なぁ……結婚やめることにしたって言ってたよな。理由、聞いていいか?」
「あ、ああ……。えっとだな……ほら、私が父様に頂いた名剣ロンドヴァルがストーンゴーレムを斬れず、折れてしまっただろう? それがきっかけで、父様の想いに応えなければいけない、そういう自分の気持ちも折れてしまったんだ」
「そっか……」
そうかな、とは思ってたけど、やっぱりそうだったか。
「あのときは、急にリヴィオが泣き出してホント吃驚したよ」
「あ、あのときは抑えていた気持ちが溢れてきてしまってな。みっともなく泣き喚いてしまったな。でも泣いたのは、大切な剣だったからというのもあるぞ。……そこにあった父様の気持ちも、負担ではあったが……」
「どういうことだ?」
「あの剣は、父様が私が騎士になった祝いに、領地の一部を売ってまで手に入れてくださったものなのだ。だが、父様は私に騎士になって欲しかったわけでも、冒険者になって欲しかったわけでもない。戦争に出る義務のある私に、死んで欲しくなかったからだ」
リヴィオは俺の髪を弄びつつ、言葉を続ける。
「戦争での近接戦は、槍が主体なのにな。父様は戦争に参加したことがなく、あまりご存知ではなかったのだ。アンバレイ家では、父様の弟が戦争に行っていたからな」
「弟さんがいたのか」
「ああ。婚約者と結ばれる前に、戦争で命を落としてしまったがな。父様は、私が剣の道で何かあっても仕方がないと了承してはくださったが、家の再興を考えると、騎士になっても義務での戦争以外は、危険な行為をお許しにならなかった。騎士団に入ることも、冒険者になることも、な。結局、今回のような機会でもなければ、戦争くらいしかなかったのだ。父様が生きていれば、今回、付いて行くことも許して頂けなかったかも知れないがな」
リヴィオは時折、苦笑しながら言葉を続けた。
俺は身体を上向きにして、リヴィオの顔を仰ぎ見た。彼女と、視線が絡み合う。夕焼けに照らされた美少女の赤い瞳が、美しく煌めいている。見惚れてしまう光景だった。
「私は、できることなら家を再興させたい。今でもそう思ってはいるし、父様の想いに応えてやりたいという気持ちもあるのだ。だが、そのためにあんな奴の嫁になるなど、まっぴら御免だ」
そう言ってリヴィオは今度は苦笑ではなく、屈託のない様子で歯を剥き出して笑顔を見せた。それは今までに見たことのない表情だったが、これもまた魅力的だった。
「でもさ、アイツとの婚約を破棄して、危険はないのか? ヤバいヤツだったからさ」
「……ヤツのせいで貴族の間での評判が落ちたところで、私はどの道、もうじき貴族ではいられなくなるからな、まぁ大丈夫だろう」
「なら、よかった。あ、貴族でいられなくなるのが~とか、評判が落ちるのがって意味じゃあないぞ」
「ふふっ、わかってる」
「…………。なぁ、リヴィオ」
「なんだ?」
「俺も、お前に膝枕してやろうか?」
「ぅえ!? い……いや、いい、いい! は、恥ずかしい……」
「そうかぁ。リヴィオも頑張ったから、労ってやろうと思ったんだけど……」
「わ、私のことはいい……」
恥ずかしがって、しおらしくなったリヴィオが頬を染める。
うお、じっと見てたら手で視界を遮られてしまった。
「そんな恥ずかしがらんでも……」
「う、う~……!」
リヴィオは身体を横にずらし、俺の頭をふとももからベッドへと落とした。
「……これは、交代ってこと?」
「ち、違うっ!」
俺は上半身を起こして胡座をかき、ふとももをぽんぽんと叩いた。
「……う、うわ……。…………い、いいの、か……?」
「ああ、どうぞ」
もう一度ぽんぽんとふとももを叩くと、リヴィオがそろそろと近付いてきて、ゆっくりと頭を乗せた。
リヴィオの頭の重さと温かさを、ふとももに感じる。こっち側も、悪くない。
「身体、ガチガチだぞ。もっとリラックスしたまへ」
「あっ……ああ……」
少しずつ、リヴィオは身体を弛緩させていく様子を見せた。緩み終わったかな? と思った俺は、頭の柔らかなピンク色の髪に触れる。
「ひゃあわ! あわっ!」
「えっ、ダメだったか?」
「あっ、いやっ、あっ、ダメじゃないっ」
「落ち着け、リヴィオ」
「うああ……」
ゆっくりと撫で続けていると、やがてリヴィオも落ち着いてきたようだった。
「なぁ、リヴィオ」
「な、なんだ……?」
「これ、労いになってるか?」
「…………なってる……」
「そ、そうか……」
う、自分から聞いといて恥ずかしくなってきた……。
そこで、誰かが廊下を歩いてくる音が聞こえてきた。もしかして、ディアスが戻ってきたのだろうか。足音が段々と近付いてきて、部屋の近くまで来たところで、リヴィオが素速く身を起こして俺から距離を離した。そこへ、ドアがノックもせずに突然開けられ、荷物を抱えたディアスが姿を現した。
「リヴィオ、来ていたのか。どうした? 顔、真っ赤だぞ」
「~~っ!」
「熱でも出たか? 治癒魔法が必要か?」
「いっ、いや、平気だっ」
「あ、そうか。もう呑んできたのだな。私も酒場に行くとするかな」
そう言って、ディアスが部屋を出て扉を閉めた途端、リヴィオはベッドの毛布にふらりと倒れ、そこに顔を突っ込んで暫く動かないでいた。
「リ、リヴィオさん……?」
「うう~……!」
あ、悶え始めた。




