第115話 魅了
「ふふっ……。もう、だいぶ私のこと好きになってきたでしょう?」
「う、ぅう……っ!」
サキュバスは豊満な胸を俺の胸に重ねるように押し当ててきた。
俺の胸は硬い装甲で覆われているので、痛覚は感じるが残念ながら感触はしない。
だが、下を向けばひしゃげた胸がよく見えてしまうので、必死に視線を逸らした。
「あら、随分ウブなのね……? でも正解。目線を逸らさないで色気を感じちゃうと余計に魅了される魔法なのよ。でもね、結局は時間の問題なの。そのうち抵抗できなくなるわ。だから早く楽になるといいわよ。ほら……触っていいのよ?」
「ううぅ……! ぐぅう……っ!」
おっぱいを触っていいって意味だろうけど、俺は彼女の肩に手で触れて突き飛ばした。
「やっ……! もー! また突き飛ばすなんて、ひどいじゃな……え?」
『スパイダーズウェブ』
彼女の動きが固まる。俺がベルトのレバーを下げたことで、光と音声が発せられたからだ。
彼女を倒したいとは思えないが、拘束したいとならまだ思える。
蜘蛛の巣を飛ばす必殺技のパワーアップ版を放つと、通常版で直径2メートルほどだった蜘蛛の巣が5メートルほどの大きさになっていて、それがサキュバスの全身に絡み、地面にも貼り付いて身動きを取れなくした。
「きゃあっ! く、蜘蛛の糸……!? と、取って! 取りなさい!」
「な……? う、うぐぐ……!」
命令に抗えず、俺は蜘蛛の巣を剥がし取り始めてしまう。
うう、くそ……! 何を俺はこの女を助けてるんだ……!
それに、蜘蛛の巣が絡んだサキュバスは余計にエロくって……。色気にあてられて、くらくらしてきた。
魅了の魔法は、段階的に効いてくる魔法のようだ。
もう彼女を倒すどころか攻撃したくもなくなっているが、まだ虜になるほど好きになってはいない。
だが、厄介なのは自分が望んでいないのに命令に逆らえず、勝手に身体が動くことだ。
魅了の魔法は好意を定量化して、それが一定の数値になると段階的に操れるようになっていくのかも知れない。
今、死ねと命じられて逆らえるのかわからない……。一刻の猶予もないかも知れない。
焦るな、俺……。考えろ……。
変身解除すれば状態がリセットされて、おそらく魅了の魔法は解けるだろうが……。
――肯定――
ベルトが答えた。やっぱりか。
でもそうすると、『ピープルクリスタル』での変身はもう出来ないんじゃないか?
――肯定――
だよな……。これは最後の手段だな。
『ピープルクリスタル』の力を失えば、グリーディは倒せなくなるだろう。
「それにしても……。魔物をみんな転移先に戻してしまうなんて……。ご主人様、大丈夫かしら……」
「ヤツなら、再生魔法があるから平気だろ」
「再生魔法はね。あれは種族特有のせいか特別で、使っても疲労しないから。でも、普通の魔法は違うでしょう?」
「…………あ。ああ、そうか……」
魔力を一度に大量に消費すると、疲労に繋がる。元来の召喚魔法で命を落としてしまうことがあるのはその為だ。
普通の魔法を使えば、当然グリーディも疲弊していく。しかし、ヤツにそんな様子はなかった。
「ここに囚われていた魔物から、エナジーを奪ってたのか……」
「ご明察。だから魔法が使えなくて、掴まっちゃうかも知れないわ。心配ね……」
「魔法が使えなくなるってことは、魔法を封じられなくする魔法もだよな?」
「そうね、使えなくなるでしょうね」
そうか……! なら、勝てる可能性が上がるな。
「心配だわ……。ご主人様に殺されるにしても、呪いで死ぬのは嫌だわ……」
「え!? どういうことだ?」
「あら、ふふふ、喋りすぎちゃったわね。貴方はもう私に危害を加えることも出来ないけれど……」
「……呪いって――」
「お黙りなさいな。ご主人様に不利益な情報をこれ以上喋るわけないでしょう」
う……。全く逆らう気になれない。
この、素敵な女性には……。
「うふふ、いい子ね。さて貴方、どうしてここに来たの? 説明して頂戴」
俺は喜んで、このサキュバスのご主人に事情を話して聞かせた。
「ふうーん、へぇ~……。貴方って凄いのねぇ。道理でご主人様がこっちから復活したわけだわ。私、マグマにでも落ちたのかと思っちゃった」
「お褒め頂き感謝の念に耐えません。ありがとうございます、ありがとうございます!」
「ふふふ、頭を上げなさい。…………。残念だわ、殺してしまうのは……。貴方がいればこの退屈な空間も楽しくなるのに……」
「…………」
「でも、私のご主人様はそれを強く望んでおられるのが貴方のお話からわかったから、仕方がないわね」
溜め息を吐くサキュバスご主人様。
ああ……そんな憂いを帯びた仕草もとても愛おしい……。
うっとりと眺めているとサキュバスご主人様は顔を寄せてきて、舌なめずりをした後、俺の唇にキスをしてきた。
「――!」
ご主人様の熱い吐息と絡まる舌が、俺の脳を多幸感で満たしてゆく。
「ふふ……っ。お別れの挨拶よ。それじゃあ……そうね、貴方、蜘蛛の糸を取るのを見てたら随分と力があるみたいだったから、自分の首の骨を折って死になさいな」
恍惚としたまま、俺は両手で自分の頭を掴み、首を捻った。
「……えっ!? 魅了が完全に効いてないの!?」
サキュバスご主人様が驚いた声を上げる。
俺は痛めるほど首を捻ってはいなかった。
「貴方、まさか2人以上に大きな恋愛感情を持っているの……?」
「はい。サキュバスご主人様と、エステルというエルフを慕っております」
「く……。道理で……」
サキュバスご主人様は親指の爪を噛み、悔しそうな顔をした。
どうしてだ? やきもち? いや、違う……魅了が完全に効かなかったからだ。
「ん……?」
そこで、疑念が生じた。
「あの……サキュバスって、男を操るものですよね?」
「……? そうよ、それがどうしたの?」
「じゃあなんでグリーディがサキュバスご主人様の主人なのでしょう?」
「そんなの、私がすっかり魅了されて、あのお方の虜になってるからよ!」
「……魅了の魔法で?」
「そうよ。いいでしょ、きっかけはなんでも」
やっぱりそうか……!
グリーディはサキュバスご主人様から魅了の魔法を奪って、その魔法でサキュバスご主人様を虜にしてしまったんだな! 許さんぞ、グリーディ……!
「お助けできるかも知れません……!」
「えっ?」
『スティンガーディスペル』
俺は魔法を消し去る必殺技を愛するサキュバスご主人様に浴びせた。
「きゃああ! ……え? こ、これは……。魅了が解けた……!」
「グリーディが奪った魔法ならば、元が種族特性の魔法でもその種族が使っているわけではないので、解除できるかもと思ったのです。上手くいってよかった」
「そ、そうだったの……。…………ありがとう」
「恐悦至極に存じます!」
サキュバスご主人様に感謝されてこの身の喜びの噛み締めていると、急激にその感情が薄れていった。
「あ……。これ……」
「貴方に掛けた魅了、解いたわ」
「……実感できたよ。うわー凄いな、魅了の魔法は。すっかり虜になってた……」
「ふふ、でも完全には効いてなかったわよ。魅了は2人以上に大きな恋愛感情を持っていると、効きが悪くなって自死とかさせられないのよね……。1人だけならその相手への感情を私へと置き換えられるのだけれど……」
そうか、それでさっきはリヴィオへの恋愛感情が置き換わって……。
恐ろしい魔法だ……。
「26年間、こんなところで番人をさせられていたわ……。解放してくれたこと、改めて感謝するわ」
「そんなに長い間、閉じ込められてたのか……」
「まいっちゃうわよね。……貴方の捜し物はこっちよ。付いてきて」
サキュバスに促されて後を付いていくあいだに、魅了の魔法で疑問に思ったところを尋ねてみた。
魅了の魔法があれば、もしかしたら金色の主義がいらないのではないかと思えたのだ。
しかし、魅了は相手の魔法抵抗力によって徐々にその効果を無くしていく上に、同性には効きづらいそうで成程と納得した。
やがて行き着いたところには、氷漬けにされた何かの鱗が置かれていた。
「これが……ヤツの一部?」
「ええ。グリーディの正体、魔獣ウロボロスの鱗よ」
「魔獣ウロボロス……。ということはアイツ、魔人じゃなくて魔物だったのか」
「ええ。死と再生を司り、永遠を生きると言われているわ。元の姿に戻ると死の呪いを振りまき、土地を滅ぼして強制的に再生を促す、恐ろしい存在よ……」
「死の呪いって……。解除できるのか?」
「解呪の魔法か上級浄化魔法が使えればね」
「そんなすぐには死なないんだろ?」
「呪いを受けてから約1日かかるわね」
そうか、それなら……。
解呪の魔法を使える者は都市アグレインにどれくらいいるのかわからないが、上級浄化魔術師なら闘技大会に2名用意されていたし、この国に二桁はいないようだと以前、聞いたけど都市には他にもいるかも知れない。
「この鱗が再生する一部として機能するのは、恐らく6日間ほどね。その都度、ここにやってきては取り替えてるから。だから、あと3日もすればごしゅじ……ああもう、クセになっちゃってるわね。グリーディのヤツはこの空間の出入り口を作るハズよ」
「……3日後ってことはさっきまでもう1枚、鱗があったんだな?」
「ええ、そうよ」
「それでキミは、こっから出る魔法は持ってないんだな?」
「持ってないわ」
「……そうか……」
グリーディが100年後にでも開けてやろうと言っていたことを伝えると、サキュバスは青い顔になった。
「う、嘘でしょ……」
「……とりあえず、焼いとくか」
俺はグリーディの体の一部である鱗を覆う氷を炎を放射して溶かし、鱗を焼き尽くした。
よし、これでもう別空間で復活されることはないだろう。
「私、せっかく解放されたのにここで死ぬのね……」
既にサキュバスは諦めモードに入って涙している。
俺はベルトに尋ねた。瞬間移動の必殺技ならここから脱出できるんじゃないか?
――次元が違う為、不可能――
無理か……。魔法のスクロールでは出来るのにな……。
なら、何か脱出する方法はないか?
――『ニュークリアブレイド』ならこの空間を破壊して帰還可能――
おお……って、それだとサキュバス死んじゃうじゃないか。それに、そんなの使って元の世界は大丈夫なのか?
――元の世界にも、凄まじい爆発現象が発生する。都市アグレインは壊滅――
ダメじゃん。壊滅することは最初に教えてくれよ……。
他には? 他に手はないのか!?
――不明だ――
不明、か……。いや待て、ベルトにはわからなくても、何かあるかも知れない。
考えろ……。俺は飛び込む前、リヴィオたちが助けてくれる可能性もちょっと考えていた。他に別空間を開ける魔術師がどれくらいいるのか知らないが、そういう人が開けてくれれば……。
しかし、サキュバスに尋ねてみると、個々が持つ別空間はそれぞれ異なる上に使い手は滅多にいないのだという。
マジか……。
いやでも、グリーディはこの魔法を奪ったんじゃないか? なら奪われた相手を探せば……。リヴィオならそれに行き着くだろう。
でも、それまで生きていられるかな……。そもそも、奪われた相手も生きてるかどうか……。
「あ、待てよ……」
そこで、俺は魔法の理について思い出した。
「サキュバス、お前は魅了に掛かっていたとき、ここから出たいと思ってたか?」
「うう、思ってたわよ……。アイツに命令されて従っていたけれど、出たい気持ちはずっとあったわ……。男日照りだったしぃ……」
「だったら――」
26年間も閉じ込められていて出たいと思っていたんだ。そういう魔法を作り出すプログラムは進んでいるハズ。
「え、そんなことが……? でも、使える気がしないんだけど……」
「試しにやってみてくれ!」
サキュバスに魔法のプログラムについて説明し、魔法を使わせようとしてみたが、発動はしなかった。
「やっぱり無理よ……。魔法が使えるようになるときって、なぜか使えるようになったーってわかるもの」
「あ、そういうもんなのか」
魔法使えないから知らなかった。
「なら、使えるように魔法のプログラムを進めよう。知識が一番、魔法のプログラムを進めるんだ」
そんなわけで、俺はサキュバスにこの別空間が別次元だろうということや、次元についてなど、思い付いた関係のありそうなものを次々と教えていった。
難しい話に嫌そうな顔をしていたサキュバスだが、脱出が懸かっているので徐々に顔が真剣みを帯びていき、具体的に質問してくるようになった。
そうして、ワームホームの説明をしたところで……。
「あ……! えっ、え……! ホントに!? 使えるようになったわよ、魔法! 信じられない!」
「よっし! 長いこと閉じ込められてたんなら、きっとプログラムが進んでると思ってたんだ!」
早速、サキュバスが脱出しようと魔法を使おうとする。だが……。
「エナジーが足りないわ……。グリーディは、いつも私にあまりエナジーを分けてくれなかったし……。貴方のを頂戴」
「ああ、使ってくれ!」
答えると素早くサキュバスが顔を寄せ、唇を重ねてエナジーを吸い取り始めた。
「んぅっ……!」
「………………………………。ぷぁっ……。ふぅ……ん……。ご馳走様」
「……うぅ……。口からじゃなきゃダメなのか?」
「口が効率いいのよ。他にもっと効率のいい方法もあるけど……。それに、嫌じゃなかったでしょう? そういうの私、わかるのよ?」
「う……まぁ……。……グリーディもこうやって分けてたのか?」
「ふふふ、いいえ。アイツは触れることなく分け与える魔法を使っていたわ。……じゃあ、やるわよ」
「ああ、やってくれ……!」
俺はマスクを被り、脱出の準備を整える。
サキュバスが魔法で空間に切れ目を作り出すと、その向こうには先程の景色が広がっていた。




