第110話 居住区の戦い
3人でパーティを組んでいたルーシアとフリアデリケとコンスタンティアは、居住区の一角にて別々に動き回っていた。
というのも、グリーディと思われる魔物がバシリスクを10匹ほど召喚していたと、人々に聞いた為だ。
バシリスクというのは、トカゲのような見た目をした毒を持った魔物で、以前にはドラゴンや巨大スライム、メデューサやアックスビークのようにアグレイン国に損害及び闘技大会を開催させる目的で召喚され、水源地に毒を入れる騒動があった。
その為、再び毒を居住区の水路や井戸などに仕込まれることを懸念し、その前に退治すべく3人は別行動を取っていた。
バシリスクは20センチほどある尻尾を入れても全長60センチ程度のそう大きくはない魔物なのだが、すばしっこく、牙に毒がある為に接近戦は危険とされている。
居住区の人々もなんとか退治しようと遠くから矢や手斧などを投げて攻撃するが、なかなかままならない。居場所をはっきり把握できていないバシリスクも何匹かいた。
その中で新たに1匹、住民がバシリスクを見つけたかに思われたのだが――。
「バッ……バジリスクが出たっ!」
発見した男が転がるように、住人たちの集まる大通りの一角へと走って逃げてきた。
「どこだ!?」と弓の弦に矢をあてがいながら勇み足で歩き始めた男を、逃げてきた男が押しとどめる。
「行くな! バジリスクだ!」
「わかってるよ。近づきゃしない」
「そうじゃない! バジリスクが出たんだ!」
「……ハァ? お前大丈夫か?」
「ジだよ、ジ! バ『シ』リスクじゃない、バ『ジ』リスクが出たんだ!」
バジリスクというのは鶏の体にドラゴンの翼、蛇の尾の魔物だ。鶏の頭は毒のブレスを吐き、尾の蛇も毒を持ち、目が合うと死ぬと言われている。
「ハァア? いや、お前、バジリスクってのは作り話の魔物だろ? 現実にはいねぇよ」
「いたんだ! いたんだよっ! 目が合った他の奴らが皆、石になっちまったんだ! 俺らじゃとても手に負えねぇ!」
「…………冗談だろ?」
グリーディが金色の主義者から集めた資金を使って人工の魔物を作る研究所を設立し、そこでメデューサラミアのようにバジリスクも誕生していた。
「嘘じゃねぇよ! ほ、ほら……。な……?」
逃げてきた男が自身の脚に顔を向ける。脚は徐々に石化していた。
男は魔法抵抗力が高かった為にここまで逃げてこられたが、バジリスクと目を合わせていたのだ。
石化は加速度を増し、やがて男の全身は石へと変わっていった。
「さ、さっきの、あの光ってる人たちに連絡だ! 冒険者とかも来てるんだろ!?」
弦にあてがった矢を離し、男は周囲の人々に大声で呼び掛ける。
すると、近くにいたフリアデリケが騒ぎを聞き付け、その場に駆け付けた。
「バ『ジ』リスクですか!? どこですか!」
「そこの道から……うわっ!? 来たぁ!」
石化してしまった男が逃げてきた道の角からバジリスクがその姿を現し、何人かの住民が石と化した。
「きゃああぁ!」
「し……死ぬのは嫌だあ!」
「目を見るな! 石になっちまうぞ!」
住民たちがパニックに陥る。フリアデリケは無理もないと同情した。
私だって奇跡の力で戦うと決意していなければ、都市がこんなことになっていたら怖くて堪らなかっただろう、と。
ルーシアの特訓にメデューサのような目を見て戦えない相手との戦闘訓練もあってよかった。フリアデリケはそう思いながら、手に持った革の鞭をバジリスクへと叩き付け、ダメージを与えていく。
バジリスクは紫色をした毒のブレスを吐くが、重く速度が遅い為にフリアデリケは容易に避けることが出来た。
バジリスクは状況を変える為、ドラゴンの翼で空へと飛び上がっていく。
「えっ……! そ、空の相手の目を見ない特訓はしてない……」
どうしたらいいかわからず、羽ばたく音のするほうへと鞭を振るうフリアデリケ。しかし鞭は空を切る。
上空から毒のブレスが吐かれる音を聴き、素早く移動して回避してブレスが来た方向へと鞭を振るうが当たらない。
届かない高さにいるのだと、フリアデリケは恐る恐る上を見ようとしてルーシアの教えを思い出した。
「いいですか。敵の位置や見えない部分の動きを把握したくても、絶対に見てはいけませんよ。リスクが高すぎます」
ぐっと堪え、代わりに耳をすます。その際に顎を引いたことで、地面に映ったバジリスクの影が見えた。
大きくなっていく影から、接近してきているのがわかった。
「そこっ!?」
振るった鞭は、しかし掠ったに過ぎなかった。太陽の角度から出来る影の位置を見誤ったのだ。
「ああうっ!?」
鞭とそれを持っていた右手の指に紫のブレスを浴びてしまい、激しい痛みに顔を歪めるフリアデリケ。
指が黒紫に変色し、毒が侵食して掌のほうへと広がっている。
「う、うう……っ!」
毒に塗れた鞭を捨て、無事な左手で腰のショートソードを引き抜くと、毒の付いた人差し指と中指を斬り落とした。
「ええっ!?」
驚いた声を上げたのは、遠くで見ていた住民のひとりだ。
フリアデリケは実戦経験は乏しいがルーシアに仕込まれ、いざというときの思い切りの良さを持っていた。そう出来なければ命を落としかねないと。
実際、そうしていなければ致死量の毒が身体に回り、死んでいた。多少、身体に回ってしまった毒は、幸い大きなダメージになることはなかった。
切断を決断できたのは、菜結の治癒魔法があったからだが。そうでなければ、フリアデリケは浄化魔法やポーションという選択肢を取って手遅れになって死んでいた。
「くぅうぅ……っ! ゆ、指ならナユちゃんに治して貰える……。私だって、覚悟してここに来たんだ……っ!」
涙を流しながら歯を食いしばり、上着を脱いでブラウス1枚になったフリアデリケは上着の袖を引きちぎってそれで腕を縛りながら、上空からのバジリスクの攻撃を避けて回る。
後方にいた住民たちの何人かがフリアデリケに声援を送るが、他の住民たちにこっちがバジリスクに狙われるからとやめさせられた。
フリアデリケが鞭を捨てたことで、バジリスクは先程より接近して毒のブレスを吐いてくる。さっき鞭が掠ったので、まだ鞭を手にしていたら届く距離には近付かなかっただろう。
濃い影が、フリアデリケに今度は正確な位置を教えた。
フリアデリケは吾郎の通常の変身状態と同等の高い身体能力で横っ飛びをして毒のブレスを回避すると、バジリスクがいるであろう位置へと思いっ切り両足で地面を蹴って跳び上がった。
片手で剣を構えたフリアデリケが、放たれた矢のような速度でバジリスクに激突する。剣はその胴体に深々と突き刺さり、鶏の口が耳をつんざく叫声を上げた。
鶏の目を見ないように顔をバジリスクの体の後ろ側へ向けて目を開いたフリアデリケの視界に、尻尾の蛇の目が飛び込んでくる。
「あ……っ!」
こっちの目は大丈夫なんだっけ!?
フリアデリケはそう思いながら、噛み付いてきた蛇の頭を怪我をしたほうの手で咄嗟に掴んだ。
「あ……ぐ……。くぅっ!」
手の痛みに苦悶に満ちた表情を浮かべながら、鶏の胴体に突き刺さったショートソードのところまで蛇の首を引っ張るフリアデリケ。そして刃に蛇の首をあてがって切断した。
やがて飛ぶ力を失ったバジリスクとともに、フリアデリケは民家の庭先へと落下する。
「……蛇のほうの目は見ても大丈夫だったみたい……」
動かなくなったバジリスクからショートソードを抜き取って大通りに出ると、住民たちから歓声が上がる。
指を失った創痍でふらつきながら、フリアデリケは住民たちに笑顔で応えた。
「ゴロー様が皆を助けたい気持ちが、少しわかった気がする……」
ルーシアが周辺のバ『シ』リスクを倒して回っていると、見覚えのある少女に出会った。
それはコンスタンティアの歳の離れた妹で15歳の少女、コンチェッタ・シュタインバレイだった。彼女は水路に毒を入れたバシリスクを水路の水ごと氷の魔法で凍らせていた。
「流石、コンスタンティアの妹さんですね」
「あ、えっと、アンバレイ家のメイドさん、ですよね……。か、身体が光ってますが……?」
「ふふ、今はあなたのお姉さんも光ってますよ」
「ええっ?」
周辺にいた住民たちからも話を聞いて、とりあえずこの辺にはもうバシリスクはいないようだと移動しようとしたルーシアの背中に突然、黒く光る魔法の矢が刺さった。
「う……っ!?」
「メっ、メイドさん!」
高まっている防御力のおかげで、深手にはならなかった。魔法の矢は消滅していく。
ルーシアは振り返ると、その視界に銀の杖を掲げた褐色の肌をしたエルフの女性の姿を捉えた。
彼女は光沢のある黒い革で出来た官能的な衣装に身を包んでいる。
「ダークエルフ……ですか」
ダークエルフは高い魔力を持っていて、その残忍さ故に他の種族とはあまり相容れない存在、というのがカルボが幾人かの地球人類の願望から得た基本的なダークエルフ像だったが、種族の特性として他の種族とあまり相容れないという決定的に同じ社会を形成できない要因をカルボは嫌い、残忍さを排除した。
だが、ダークエルフの何名かがその高い魔力に驕ってエルフや人間の国を支配しようと甚大な被害をもたらした為に、ダークエルフは人々から忌み嫌われる存在となっていた。
「なぜこんなことを……?」
「…………」
「答えなさい」
ルーシアがロングソードを構える。
「金色の主義は、ダークエルフを差別しなかった。私はあのかたに従う」
「……グリーディですか。あなたは闘技場であの者が言ったことを知らないのですね」
「いいや、知っている」
「知っていてなぜ? ……操られているのですか?」
そこで、ルーシアの傍で聞いていたコンチェッタが「操られてないように見えます」と小声で囁いた。
耳の良いダークエルフはそれを聞き取り、「その娘の言う通りだ」と肯定する。
ルーシアは眉根を寄せて、いつでも踏み出せる体勢を取った。
「じゃあなぜですか?」
「さっき言っただろう。あのかたの目的がなんであれ、私はあのかたに従うと!」
ダークエルフの銀の杖の先端が煌めき、黒く輝く矢が何本か出現してルーシアとコンチェッタへと放たれた。
ルーシアは自身へ迫る矢を避けつつ剣を振るい、コンチェッタへと向かった矢を弾いた。
「あら、余計なお世話でしたか」
コンチェッタは立派な魔法壁を作り出していた。
「い、いえっ。助かりました……っ!」
しかしコンチェッタは震えていた。彼女に実戦経験はないのだ。
ダークエルフを前にして、もし攻撃されたらとっさに魔法壁を展開しようとシミュレーションしていた為にそう出来たが、次はわからない。
「コンチェッタさん、あなたはお逃げください」
「で、でも……」
「あなたに何かあれば、コンスタンティア様が悲しみますよ。それに私は自分を犠牲にしてまであなたを守りません。危なくなったら私も逃げます」
「わ、わかりました……! きゃっ!」
再び放たれた数本の黒い矢が、コンチェッタの魔法壁にぶつかりヒビを入れた。
「硬いな……。並の魔法壁なら砕けるのだが……」
「ダークエルフさん、まだお話している最中に無粋ですよ。さぁ、行ってください、コンチェッタさん」
「貴様たちの事情など知るか」
杖を輝かせるダークエルフに、ルーシアは疾走した。
その速さにビクリとしたダークエルフだったが、ルーシアに斬り付けられるよりも魔法での攻撃のほうが速いと判断し、そのまま魔法の黒い炎を杖の先から放射した。
ルーシアはそれに超反応を示してジャンプして躱しながら、ダークエルフに斬りかかった。
空中のルーシアに炎を向けても致命傷を受けるのはこちらだと判断したダークエルフは魔法を止め、銀の杖でルーシアの剣を受ける。
「何……っ!」
パワーの増しているルーシアの剣撃は、ダークエルフに杖を落とさせた。
すぐに次の斬撃を首に寸止めして決着を付けるつもりだったルーシアは、斬撃を躱してダークエルフが後方へ飛び退いたので驚いた。
(ゴロー様の力で剣速も増してるんですけどね……)
更にダークエルフが異空間から魔石の付いた魔剣と思われる剣を取り出したので尚、驚く。
ダークエルフと切り結ぶと、その実力が知れた。ルーシアは自分と互角かそれ以上の存在に三度、驚かされることとなった。
「あなたは剣も使えるのですね……」
「当初の予定では、あのかたの代わりに私が闘技大会で優勝するハズだったのだ。あのかたの準備が出来たので変更になったが……な!」
ダークエルフが放った魔剣の斬撃がルーシアのロングソードを折り、そのまま二の腕を斬り付けた。
そう深い傷にはならなかったが、赤い血が腕を伝って指先から石畳へパタパタと落ちていく。
「成程……。確かにとてもお強いですね……」




